教育内事勿れ主義。
いつの時代も同じようである。
元教員であった亡き父が、よく言っていた。
だから教頭、校長になれると。
同様なことが起こり、最後に校長を殴って退職した父。
父は教員が信じられなかった。その父は休みを優先する医者は医者でないと言った祖父の子。そして私は僧侶が信じられない。
その道で長く過ごすのは、見て見ぬ振りしなければならないのか。
それとも弱きを挫き、強きに従うということか。
弱肉強食…人間が次第に原始化しつつあるということでもある。
教育現場の評価方法も、事が無いことを評価するのではなく、起きた事を如何に指導、是正していくか、起きないようにするにはどうする、どうしたのか、この点に評価点を置いてほしいものである。
また、教員だけの責任ではない。
ある意味、教員から年齢を引いただけの生徒達。
その生徒達の犯した事柄も、その保護者の責任であり鑑である。
強く生きようというだけで「親」になりきれていない親達。
そして自分に対しての利益となる相手だけに同調し、その他はどうなろうと構わない現代風紀。
よって社会的常識が薄れていく。
それも競争化社会が生んだ副作用といえるだろう。
これからの世の中をつくるのは子供達ではなく、先ず大人達である。
いつの時代も同じようである。
元教員であった亡き父が、よく言っていた。
だから教頭、校長になれると。
同様なことが起こり、最後に校長を殴って退職した父。
父は教員が信じられなかった。その父は休みを優先する医者は医者でないと言った祖父の子。そして私は僧侶が信じられない。
その道で長く過ごすのは、見て見ぬ振りしなければならないのか。
それとも弱きを挫き、強きに従うということか。
弱肉強食…人間が次第に原始化しつつあるということでもある。
教育現場の評価方法も、事が無いことを評価するのではなく、起きた事を如何に指導、是正していくか、起きないようにするにはどうする、どうしたのか、この点に評価点を置いてほしいものである。
また、教員だけの責任ではない。
ある意味、教員から年齢を引いただけの生徒達。
その生徒達の犯した事柄も、その保護者の責任であり鑑である。
強く生きようというだけで「親」になりきれていない親達。
そして自分に対しての利益となる相手だけに同調し、その他はどうなろうと構わない現代風紀。
よって社会的常識が薄れていく。
それも競争化社会が生んだ副作用といえるだろう。
これからの世の中をつくるのは子供達ではなく、先ず大人達である。