岐阜を愛する皆さんによって開催された、御鮨街道ウォーキングに参加させて頂いた。
出発セレモニーが行われ、当時の幕府献上鮨の口上、運搬を再現、途中で次ぎ立て儀式が行われた。
天明四年創業、鮒寿司の近江海津「魚治」の「御鮨」を実際に載せて桶で運ぶ。
御鮨街道起点に程近い、川原町を出発、岐阜街道を南下する。
当時の岐阜中心地、伊奈波通を交差、美殿町を横切り現在の岐阜中心地付近の鉄道線を越えると中山道加納宿に差し掛かる。
加納の町の東で中山道と別れ、岐阜街道を南進、この辺りから私は歩いたことのない区間となる。
境川の堤防を兼ねたような道筋の辺りまでは往時の雰囲気はない、当時は田畑の中を通る街道であったのだろう。
笠松の町が間近になる下川手の辺りから、古い建物が現れ始める。
この辺りからは、鮎鮨街道と呼ばれるようになる。
近隣の美濃路脇往還竹鼻の町並みに似る笠松の町。
笠松問屋場跡で最後の継ぎ立て儀式の後、今回の終点木曽川笠松湊に到着した。
ここからは木曽川を舟で渡り、黒田の地、尾張の国入りをしたわけである。
当初、この湊跡で御鮨試食会の催しをする予定であったようだが、雨天のため先ほどの問屋場跡に移って行われた。
ここでは「御鮨街道」のご説明、そして紀州では有名な熟鮨を初めて食した。
今までの寿司に対する概念が変わった?ように感じた。
いわゆる五大街道以外はとかく廃れ気味なご当地街道。
然しながら、このような催しによって人々が当時を振り返り、歴史の流れを改めて感じさせる催しは、大事なことであると思った。
追伸:今回の催しの重役、けんちゃんさんから向学なお話しをいただき、ありがとうございました。