田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌景観資産⑩  指定第7号 「日本基督教団札幌教会礼拝堂」

2021-10-28 17:06:52 | 札幌景観資産巡り

  札幌景観資産で7番目に指定されたのが「日本基督教団札幌教会礼拝堂」である。教会は創成川東沿いに建てられているが、よく目立つ建物である。私は内部を見たくて日曜礼拝に参加した。

    

※ 創成川公園側から撮った札幌教会礼拝堂です。周りを高いビルに囲まれています。

 札幌教会の礼拝堂は当初1889年に木造で設立されたが1903年に火事で焼失したために、翌1904年に外壁を札幌軟石で覆った現在の礼拝堂が完成したそうだ。

 建物全体は正面に礼拝堂。左手に塔を配置したロマネスク風の建物であるが、建設後100年以上が経過したことで、札幌軟石の壁の色は歴史の重みを感じさせるような重厚な佇まいを見せている。

   

※ 本来は灰白色の札幌軟石の壁が100年以上の風雪にさらされやや黒ずんでいます。

 後述しているように「外観のみ見学可」となっていたが、礼拝に参加すれば内部を見ることも可能と分かった。そこで野次馬根性旺盛な私は特別にキリスト教に関心があるわけではないのだが内部の様子が知りたくて日曜礼拝に参加することにした。参加するにあたって、日本基督教団のことを少し調べてみると、メソジスト派の教会ということでプロテスタントに属していることが分かった。

   

※ 窓一つとってもこだわりが見て取れます。

 礼拝に参加している方々はやはりお年寄りの方が多く、約30名くらいの方が参加していたようだった。礼拝は奏楽、招調、讃美、聖書、祈祷、説教…、と続いたが、新参者の私にとっては司会者や牧師は確かに日本語で話されているのだが、その意味を理解することはまるで困難だった…。しかし信者の方々と同じような所作をしているうちに、内部の写真を撮ることなどとてもできない気持ちになり、一枚も写真を撮ることはなく約1時間の礼拝は終わった。

   

※ 礼拝堂の横には教会の建物(礼拝堂以外の機能を備えたところ?)が続いていました。

 ところが帰宅してから思い出したのだが、私は過去に友人たちとグループでこの教会を訪れ、見学させいただいてことを思い出した。その時は礼拝などの行事が行われていなかったこともあり、内部も自由に撮らせてくれた。その際にアップした拙ブログを添付しておくので、興味のある方はそちらを覗いていただきたい。(その時の様子はこちらから⇒)

   

※ 建物は札幌景観資産の指定だけではなく、国の「登録有形文化財」にも指定されています。

日本基督教団札幌教会礼拝堂 情報》

◇所在地 札幌市中央区北 1条東1丁目3

◇建設年 1904(明治37)年

◇構 造 木造石造

◇指定年 2006(平成18)年3月7日

◇その他 外観のみ見学可。

◇訪問日 2021年10月24日


札幌景観資産⑨  指定第28号 「永井邸」

2021-10-25 16:15:14 | 札幌景観資産巡り

 指定第28号の「永井邸」はかなり都心に近いビル街に建っている。近くにはプリンスホテル札幌のタワービルが聳え立ち、木造の住宅の落ち着いた佇まいがかえって永井邸を際立たせているようにも見える。

   

※ 古色然とした佇まいの「永井邸」です。

 この永井邸も北海道帝国大学(現在の北海道大学)の医学部の永井一夫教授の自邸として建てられたものだそうだ。こう見てくると札幌景観資産の中で北海道帝国大学の教授邸が三邸も入っている。現在指定から外れはしたが「旧星野邸」も北海道帝国大学の教授邸である。こう考えると、当時の帝国大学の教授というのは俸給も高く、かなりの特権階級だったのかな?ということが伺える。

   

※ 邸宅のすぐ近くにプリンスホテル札幌の円形タワーが見えます。

   

※ 石塀で囲っているのも、昭和初期の広壮なお住まいの特徴でしょうか?

   

※ 窓枠の白色と、壁の黒色のコントラストが落ち着いた美しさを醸し出しています。

   

※ 住宅の向こうにもビルの壁が覗いています。

   

※ 窓の金枠がいかにも昭和初期の建物らしさを醸し出しています。

 さて「永井邸」であるが、永井教授はドイツ留学の経験があり、そのことを活かし自ら建築のプランを練った住宅だと伝えられている。住宅は大正期に都心に隣接する住宅地として発展した一帯に建てられたという。黒塗りの下見張りと白塗りの窓枠のコントラストが外観を印象付けているが、外観についてはほとんど改修をしていないと伝えられている。

 なお、邸宅名の冠に「旧」が付いていないところをみると、現在も永井一夫教授の子孫が暮らしておられるようである。現在もお住まいであるからもちろん内部は非公開である。

   

永井邸 情報》

◇所在地 札幌市中央区南2条西12丁目323-5

◇建設年 1931(昭和6)年

◇構 造 木造

◇指定年 2009(平成21)年8月6日

◇その他 個人宅につき非公開 ※敷地内無断立入り禁止。

◇訪問日 2021年10月7日


札幌景観資産⑧  指定第21号 「城下医院」

2021-10-20 16:17:05 | 札幌景観資産巡り

 目的の「城下医院」は円山地区の閑静な住宅街の一角に建っていた。前回レポした「杉野目邸」同様に周りが高い木で覆われていたため建物全体の写真を撮ることが難しかった。そこでやむをえず一枚はウェブ上から拝借することにした。

   

 所在地である南5条西21丁目というと、周りは円山の閑静な住宅街である。そうした中に深い緑に囲まれた今見ても斬新に見える住宅が建っていた。南側に円筒形の窓の多い建物が印象的である。この建物は大正から昭和初期にかけて札幌景観資産に登録される住宅を数多く設計した建築家・田上義也の設計によるものである。田上氏はアメリカの著名な建築家フランク・ロイド・ライト氏に師事した建築家としても知られている。

   

 円筒形の外壁と共に、採光、採暖、通風などに配慮した「雪国的な造形」がいたるところに見られる建築だという。

   

 建物は大規模な改修がされ、外壁にペインティングなどが施されているが、基本は建設時の姿を残しているとも言われている。なお、建設当時は医院を開業していたが、現在は医院としてではなく、子孫が住宅として使用されているようである。

   

城下医院 情報》

◇所在地 札幌市中央区南5条西21丁目2-16

◇建設年 1930(昭和5)年

◇構造  木造

◇指定年 2008(平成20)年3月26日

◇その他 個人宅につき非公開 ※敷地内無断立入禁止。

◇訪問日 2021年10月7日


札幌景観資産⑦  指定第6号 「杉野目邸」

2021-10-16 17:35:04 | 札幌景観資産巡り

 「札幌市の中央区、中心街よりやや離れた住宅街の一角に鬱蒼とした林に囲まれて「杉野目邸」は建っていた。昭和初期(昭和8年)に建てられた洋風の邸宅は当時としては相当に珍しい建物だったのではないだろうか?   

                                                                                                      

 杉野目邸は北海道帝国大学(現在の北海道大学)理学部創設時の杉野目晴貞教授(後に学長を務めた)が自邸と建てたものであるが、北大職員の萩原淳正氏の設計によるものだという。工法はハーフティンバー工法というむき出しの柱や梁の白い骨組みが描く模様、窓上部のアーチなど、16世紀にイギリスで隆盛を極めたチューダー様式を参考にしたそうだ。当時の札幌の住宅では初めての集中暖房と水洗方式が導入された超モダン住宅だったようだ。

      

 邸宅が建っている所は南19条西11丁目であるから、市の中心の札幌テレビ塔から、南に19ブロック、西に11ブロック離れたところなので中心街からはやや離れたところといえる。私は運動を兼ねてウォーキングで訪れたが、かなり時間も体力も使ってしまった。

   

   

 邸宅には現在杉野目晴貞氏のご子息でやはり北大工学部の名誉教授の杉野目浩氏が住まわれているという。そこではたと気が付いたことがあった。この「札幌景観資産」では歴史的な住宅を表記するときに、頭に「旧」を付けたもの邸宅と、付けていない邸宅がある。「旧」と付いたものは、現在は建築した方の手を離れて他の方の手に移ったもの(例:「旧小熊邸」、「旧中井邸」、「旧沼田邸」など)を指している。一方「旧」が付いていない邸宅は、現在も持ち主が変わらず、あるいは子孫に引き継がれた邸宅のようである。(例:「杉野目邸」、「城下医院」、「永井邸」など)

   

 杉野目邸はリートド文でも触れたように、深い林に囲まれていたため思うような写真は撮れなかったが、現在子孫の方が住まわれているのだから、それもいたし方あるまい。                                            

杉野目邸 情報》

◇所在地 札幌市中央区南19条西11丁目1-25

◇建設年 1933(昭和8)年

◇構 造 木骨れんが造

◇指定年 2005(平成17)年3月3日

◇その他 個人宅につき非公開 ※敷地内無断立入禁止。

◇訪問日 2021年10月7日


札幌景観資産⑥  指定第16号「旧沼田家りんご倉庫」 & 指定第11号「旧中井家りんご倉庫」

2021-10-15 17:21:14 | 札幌景観資産巡り

 札幌に残る古い倉庫ということで、私はすっかり「札幌軟石」で造られた倉庫をイメージしていた。しかし、訪ねて行ったところに現れたのは「札幌軟石」の灰色の壁ではなく、赤茶色をしたれんがの壁の倉庫が現れた…。

 「旧沼田家りんご倉庫」は主要道の「水源地通」に面して建っていた。実は沼田家ではほぼ同じ住所のところに「沼田家住宅旧りんご倉庫」という札幌景観遺産の指定を受けた倉庫があったが、こちらはすでに解体されてしまい指定が解除された建物もあったようだ。

   

 リード文に記したが倉庫は予想と違いれんが製だった。考えてみれば近くの江別市はれんが製造が盛んな街であったことから建築素材として優れている(耐熱性、蓄熱性、耐火性、etc)れんがを使用することは理に適ったことだったのだろう。

 さらには赤茶色をしたれんがの色と、目地として使用する白い漆喰の対比が美しく美的にも優れた建物である。

   

 資料によると、この「旧沼田家りんご倉庫」は、軒下にれんがを蛇腹に組み、ひし形タイルを付けるなど、れんが職人の長浦数雄のこだわりがれんが積みの随所に見られると説明されている。

   

 現在はカフェ「LLOYD’S COFFEE 西岡店」として利用されているということだったので、私は内部見学を兼ねてコーヒーを味わおうと入店したのだが、スタッフから「テイクアウト専門です」と話されたことから、ゆっくりできないことが分かり内部見学を断念することにした。

   

旧沼田家りんご倉庫 情報》

◇所在地 札幌市豊平区西岡4条10丁目7-1

◇建設年 1953(昭和28)年

◇構 造 れんが造

◇指定年 2007(平成19)年3月30日

◇その他 現在「LLOYD’S COFFEE 西岡店」として活用

     内部見学は、お店利用者のみ。

◇問合せ ☎011-855-3939

◇訪問日 2021年10月4日

   

   

 一方、「旧中井家りんご倉庫」は同じ豊平区ではあるが、より札幌市の中心に近い平岸に建っているが同じ日に訪れた。主要道からは外れたところに建っていたが、調べてみると元々は主要道である「平岸通」沿いに建てられていたという。それを1988(昭和63)年に建物ごと動かす曳家(ひきや)という方法で20mほど離れた通りから少し奥まった現在の位置に移されたそうだ。外壁の感じは「旧沼田家りんご倉庫」と同じれんが造りのため似た印象だった。これも資料から得た知識だが、れんがの断熱性をより高めるために中空を設けてれんがを積む「小端空間積み」と呼ばれる工法が用いられているとのことである。

   

 現在倉庫は、「よさこいソーラン祭り」の強豪チームの「平岸天神」の太鼓道場として使用されているということで内部の見学はできなかった。

   

旧中井家りんご倉庫 情報》

◇所在地 札幌市豊平区平岸3条2丁目2-1

◇建設年 1935(昭和18)年

◇構 造 れんが造

◇指定年 2006(平成198)年3月7日

◇その他 現在「平岸天神太鼓道場」として活用

     内部見学は、事前の許可が必要。

◇問合せ ☎011-841-1803

◇訪問日 2021年10月4日


札幌景観資産⑤  指定第10号 「旧石切山駅」

2021-10-10 16:02:58 | 札幌景観資産巡り

 「旧石切山駅」は札幌と定山渓温泉を結ぶ定山渓鉄道の駅舎の一つとして設置されたものであるが、唯一当時の駅舎の姿のまま保存されている駅舎である。大正年代に建築された駅舎は歴史を感じさせる外観である。

 「旧石山郵便局(ぽすとかん)」の道路向かいに見える白い壁が印象的な建物が「旧石切山駅」である。

   

※ 「旧石山郵便局(ぽすとかん)」の前から「旧石切山駅」を写す。

 定山渓鉄道は前述したように札幌と定山渓温泉を結ぶ鉄道として1918(大正7)年に開通した。その際に現在の石山地区に設置されたのが「石切山駅」である。(当時はこの辺りを「石切山」と称していたらしいが、後に「石山」と改名されたという)定山渓鉄道は、札幌から定山渓温泉に向かう温泉客や、石山の札幌軟石、豊羽鉱山の鉱石の運搬などに活躍したが、車社会の到来とともにその役割を終え、1969(昭和44)年に廃線になったという。

   

※ かわいい駅舎を近影すると、駅舎の壁際に鉄道独特の駅名と隣駅を表示する駅名板がありました。

   

※ 駅舎の傍には「都市景観重要建築物」の表示が立てられていました。

   

※ 「旧石切山駅」に入居する団体、事務所が明示されていました。

 「旧石切山駅」は当時の駅舎として唯一保存され、現在は「旧石山郵便局」と共に石山区の歴史を物語るシンボル的な存在として地域住民に親しまれているという。石山地区に建てられた駅舎らしく、全体は木造であるが基礎部分には札幌軟石が使われている。

 現在「旧石切山駅」は、「石山振興会館」として活用されているが、全体は白い壁に覆われ赤い屋根との対比が小さな駅舎をメルヘンチックに見せている。駅舎の裏には、現在道路となっているが、当時は定山渓鉄道の線路跡と思われる直線が延びていた。

   

※ 駅舎の裏側です。

   

※ 駅舎の裏側に伸びる定山渓鉄道の線路跡です。

 「旧石切山駅」は後述するように内部見学が可能なのだが、現在事務所として活用されているということは当時を偲ぶことは難しいと考え、敢えて見学希望はしなかった。

旧石山郵便局 情報》

◇所在地 札幌市南区石山1条3丁目1-30

◇建設年 1918(大正7)年

◇構 造 木造一部石造

◇指定年 2006(平成18)年3月7日

◇その他 現在「石山振興会館」事務所として利用

     内部見学可 ※事前に許可が必要

◇申込先 📞011-591-8639(石山商店街振興組合)

◇訪問日 2021年10月4日


札幌景観資産④  指定第5号 「旧石山郵便局」

2021-10-09 16:46:06 | 札幌景観資産巡り

 石山地区の主要道沿いに建つ「旧石山郵便局」は、札幌軟石を建築素材とした洋風建築が存在感を放っている。現在は郵便局としての使命を終え「ぽすとかん」という名称に変わって、地域のシンボル的な建築として親しまれているそうである。

   

※ アーチ型に縁どられた入口、そして屋根上部のアーチが一般の郵便局のイメージを超えています。

 札幌市内には積雪寒冷地に適した建築素材として「札幌軟石」を使用した建物がけっこう目立つ。とは言っても、戦後は建築工法の変化によって昭和30年代にその役割を終えている。そのため現在は歴史的な建造物として遺されている建物が市内に存在しているのだ。その一つにこの「旧石山郵便局」がある。「旧石山郵便局」は私たちが抱く郵便局のイメージとはやや違い、正面入口は大きなアーチ型に切り取られ、さらに正面の屋根の部分にも半円のアーチを置くという堂々たる姿を見せている。

   

※ 少し離れたところから見た「旧石山郵便局(ぽすとかん)」です。

   

※ こちらは裏側から写した一枚です。

 「旧石山郵便局」は1940(昭和15)年に建設され開局しているが、私が調べたかぎりいつ郵便局としての使命を終えたのかについては残念ながら判明できなかった。郵便局としての使命を終えた後は、会社ビルに使用されたり、地域の集会施設として利用されていたりしていたが、2019(平成31)年にクラウドファンディングにより内部を一部改造などして永く保存するための再生を図ってということだ。

   

※ 室内には都市景観賞を受賞した盾が掲示されていました。

   

※ 階段を上ったところに「札幌軟石」で描かれたウォール(?)が掲げられていました。

   

※ 2階のカフェスペースです。

 そのことで内部には札幌軟石を素材とした工作物などを販売する「軟石や」と、カフェ「ニシクルカフェ」が入居している。私が訪れた時は「軟石や」は開店していたが、カフェの方は何かの事情から休業中のようだった。

   

※ 入口には札幌軟石の工作物や雑貨を販売する「軟石や」の看板が…。

   

※ 「軟石や」で販売されていた札幌軟石の工作物の一部です。

 「軟石や」で私は縦横4㎝前後の小さな家を模した工作物を購入した。説明によると多孔質の素材を活かし、アロマオイルを垂らすと香しい匂いを室内に放つということだった。

 今、私は自分の部屋で以前から持っていたラベンターのオイルを垂らしてその香りを楽しんでいる。

   

※ 私が購入した(880円)「札幌軟石」の工作物です。この屋根の部分にアロマオイルを垂らして香りを楽しんでいます。

 「ぽすとかん」…、これからも石山地区のシンボルとして在り続けるであろう。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

旧石山郵便局 情報》

◇所在地 札幌市南区石山2条3丁目1-26

◇建設年 1940(昭和15)年

◇構 造 石造(札幌軟石)

◇指定年 2005(平成17)年3月3日

◇その他 現在「ぽすとかん」としてカフェ、販売店として活用

     開店時間 10:00~18:00  店舗利用者のみ内部見学可 ※火・水曜日定休日

◇問合せ 📞070-4087-2975

◇訪問日 2021年10月4日


札幌景観資産③ 指定第4号 「旧小熊邸」

2021-10-07 16:10:28 | 札幌景観資産巡り

 張り出した屋根、その屋根のブルーの色とイエローの壁のコントラストが印象的な建物である。その個性的な建物が藻岩山の濃い緑に映えて、歴史の重ささえ感じさせる「旧小熊邸」であった。

   

※ 「旧小熊邸」の全体像です。

 この「旧小熊邸」から、札幌景観資産巡りのナンバーリングと指定番号に違いが出てきた。というのも、指定第3号の「三谷牧場の牛舎・サイロ」が解体されたために指定解除となり、指定第4号の「旧小熊邸」を訪れたということである。これからの順序も必ずしも指定順にはこだわらず巡り歩こうと思っている。

   

※ 建物の前には「都市景観重要建築物」と記された標識が立てられていました。

 さて、この「旧小熊邸」は北海道帝国大学(現北海道大学)の小熊桿(まもる)教授の自宅として、建築家田上義也の設計で1927(昭和2)年に建築されたそうである。田上はアメリカの著名な建築家のフランク・ロイド・ライトに師事したことから、深く張り出した軒、大きな亀甲窓、外壁の羽目板による水平性を強調したデザインなどライトの影響を強く感じられる建物になっている。平成に入って解体による消失を危惧する市民の存続・復元運動により、市民、行政、企業の連携によって、1998(平成10)年藻岩山の麓に移築されたそうだ。

   

※ 「旧小熊邸」の前庭です。

   

※ 二階のカフェスペースのテーブル席です。

   

※ こちらは一階のテーブル席です。奥にフィッシング用品が陳列されています。

   

※ 窓の枠にも時代と気品が感じられます。

 私は札幌に転居早々の2009年頃に知人を案内して、まだ「ろいず珈琲館」が入店しているときに入ったことがあったが、それ以来10数年ぶりに訪れた。「ろいず珈琲館」はすでに退去していて、代わって「DOLLYVARDEN(ドリーバーデン)」というフィッシング用品の販売とカフェとして開業されていたが、外観は当時と全く印象が変わらず、しっかりとメインテナンスされているようだった。

 間もなく築100年を迎えようとしているが、札幌の貴重な建築遺産として永く保存されてほしいものである。

   

※ 少し角度を変えたところから撮ってみました。

旧小熊邸 情報》

◇所在地 札幌市中央区伏見5丁目3-1

◇建設年 1927(昭和2)年

◇構 造 木造

◇指定年 2005(平成17)年3月3日

◇その他 現在「ドリバーデン」としてフィッシング用品、カフェとして開業中

     開店時間 11:00~20:00  店舗利用者のみ内部見学可 ※木曜日定休日

◇訪問日 2021年10月4日


札幌景観資産② 指定第2号 「北星学園創立百周年記念館(旧北星女学校宣教師館)」

2021-10-04 16:33:41 | 札幌景観資産巡り

 「北星学園創立百周年記念館」は中央区の北星学園女子中学高等学校の敷地内で校舎に取り囲まれるようにして建っている。明るいからし色の壁が特徴的で、生徒たちからは「かぼちゃ館」として親しまれているという。

「百周年記念館」というよりは「旧北星女学校宣教師館」と呼称した方がこの建物のことを良く言い表していると思う。

   

※ 記念館は北星学園女子中学高等学校の敷地内にあり、後方の校舎、前方の渡り廊下などに囲まれて建てられていました。(建物は移築・改修されているそうだ)

   

※ スイス人建築家マックス・ヒンデルの創意工夫が凝らされた外観です。

   

   

   

 この宣教師館は、北星学園の前身である「北星女学校」を創立したアメリカ人 サラ・クララ・スミス女史の尽力によるところが大きい。スミス女史はプロテスタントの伝道師&教育者として1880(明治13)年来日したが、縁あって1887(明治20)年に札幌に着任した。その年にスミス女史は私財を投じて私塾「スミス女学校」を設立したという。それが1889(明治22)年に道から許可が下り、正式に女学校としてスタートしたという。(この年をもって北星学園は正式にスタートしたということで1989(平成元)年を創立百周年としたようだ)さらに女学校は1894(明治27)年に「スミス女学校」から「北星女学校」へと名称を変えている。

          

※ 北星学園の創始者であるサラ・クララ・スミス女史です。

 そうした中でスミス女史は本国アメリカから多くの教師(宣教師)を呼んだこともあり、1926(大正15)年に女性宣教師たちの住居として建てたのがこの建物だという。ただしスミス女史はこの時すでに教師を引退していたこともあり、この館には住まなかったとも言われている。

 建物の外観は、雪が落ちやすい急勾配の屋根、南側に大きな窓を配置した採光の工夫、トタンで防寒処理した外壁など、設計を担当したスイス人建築家のマックス・ヒンデルの工夫が随所に見られる建物である。

 内部の一階は当時の椅子やテーブル、調度品などが並べられ、宣教師たちの生活が偲ばれる構成となっている。二階は「百周年記念館」らしく学校法人北星学園を構成する各校(北星学園大学、北星学園大学女子短期大学部、北星学園女子中学高等学校、北星学園大学附属高等学校、北星学園余市高等学校)の歴史を記す文物が展示されていた。

        

※ 宣教師館には住まわれなかったというスミス女史が愛用した椅子と説明がありました。

   

※ 室内のテーブル&椅子の食卓と思われます。完全にアメリカナイズされた生活様式です。

   

※ 燭台付きのオルガンです。室内にはこの他にもオルガン、ピアノが展示されていました。

   

※ 一階廊下の様子です。

        

※ 写真のような看板が残っていたことから宣教師館は「スミス寮」と呼ばれていたようです。

 実はこの「北星学園創立百周年記念館」の存在は我が家から近いこともあり早くから知ってはいたのだが、なかなか訪れるチャンスがなかった。今回「札幌景観資産」を巡るという企画を実施することでようやく念願の訪問が叶った。その意味ではまた一つ札幌についての知見を広めることができたと思っている。

《北星学園創立百周年記念館(旧北星女学校宣教師館) 情報》

◇所在地 札幌市中央区南4条西17丁目2

◇建設年 1926(大正15)年

◇構 造 木造

◇指定年 2005(平成17)年3月3日

◇開館日 4月から10月の毎週月・水・金曜日の12時~17時

     ※ 但し事前に連絡の上、許可を得る必要がある。

     ☎ 011-891-2731(北星学園事務室総務課内)

◇訪問日 2021年10月1日


札幌景観資産① 指定第1号 日本食品製造合資会社旧工場

2021-10-03 16:48:29 | 札幌景観資産巡り

 札幌景観資産として2001(平成13)年7月に第1号として指定されたのがこの「日本食品製造合資会社旧工場」である。周囲に高層マンションなどが立ち並ぶ中、茶色のレンガ色の建物が異彩を放ち存在感を示している。

   

※ 日本食品製造合資会社旧工場の正面玄関側です。

 コロナ禍が沈静化し「緊急事態宣言」が解除された今、「札幌景観遺産」巡りを行うことにした。当初は9月29日に投稿した「旧星野邸」を景観資産巡りの第1号としたが、「完全非公開」ということで景観資産のリストからも外れていることもあり除外して、この旧工場を資産巡りの第1号としてスタートすることする。

   

※ こちらは裏面側です。

 改めて「札幌景観資産」を整理すると、これまで指定されたのは全部で31件にのぼるが、指定後に解体されたり(「三谷牧場牛舎・サイロ」と「沼田家住宅旧りんご倉庫」)、「景観重要建造物」に指定替えになったり(「めばえ幼稚園」と「日本福音ルーテル札幌教会」)、あるいは「札幌市資料館」のように国の重要文化財に指定されたことを受けてリストから外れたものもある。先日レポした「旧星野邸」も当家が完全非公開を申し出たためにリスト外となったようだ。

   

※ 道路側に面した側面です。大きな窓、二階部分の明り取り窓が斬新です。

 したがって、これまで31件が指定されたが、現在リストに載っているのは25件ということになる。この25件をできれば雪が降る前に訪れることができればと考えている。

 さて前置きが長くなってしまったが、「日本食品製造合資会社旧工場」である。旧工場はJR琴似駅のすぐ近く、近くに近代的な高層マンションが聳え立つ中に2階建てで高さは低いもののレンガ色の落ち着いた佇まいで存在感十分に建っていた。建設年は1929(昭和4)年というから、間もなく築後100年を迎えようという歴史を感じさせる建物である。

   

※ 高層マンションの中に埋没してしまいそうですが、確かな存在感も感じます。

 中にはコミュニティFM放送局の「三角山放送局」がスタジオを構えているのと、各種のイベントを開催するホールになっている。ところが私が訪れた10月1日には扉が閉鎖されていた。放送局関係者は出入りしているのだろうが、ホールでは特別の催しなどが開かれていなかったこともあり、「緊急事態宣言」下の閉鎖が継続されているらしかった。残念ながらそのため内部の写真を撮ることは出来なかったが、私自身はここのホールで開催された映画会やコンサートライブなどに参加した体験があったり、ガラス張りの三角山放送局の様子を伺い知っていたので「まあ、仕方がないかな?」とあっさりと引き下がることにした。

   

※ 入口には残念ながらこのような告知があり、入館は叶いませんでした。

 建物の耐震化などがどうなっているのか?知る由もないが、できれば琴似地区のシンボルとしていつまでも保存されてほしい貴重な建物だと思う。

《日本食品製造合資会社旧工場 情報》

◇所在地 札幌市西区八軒1条西1丁目13-1

◇建設年 1929(昭和4)年

◇構 造 れんが造

◇指定年 2001(平成13)年7月31日

◇訪問日 2021年10月1日