兼好法師(吉田兼好)といえば随筆『徒然草』の著者として有名だが、恋多き人物であったらしい!? 道新ぶんぶんクラブ教養講座「いにしえの日本を探る」で兼好法師の恋話を聴いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/00/a0044781ddab3b2c7e1e9a9c854b0eea.jpg)
30歳前後で出家したと伝えられる兼好法師だが、史家の調べでは恋多き人物だったことが浮き彫りとなっているようだ。本来、出家した人間に恋話などご法度のはずだが、「徒然草」と「兼好法師全歌集」を読み比べてみると、そこから兼好法師の心のうちが見えてくるということらしい…。
7月2日(土)、道新ぶんぶんクラブと国学院大学の共催による教養講座「いにしえの日本を探る」と題して開催され受講した。
講座は国学院大学教授の山岡敬和氏が「徒然草~兼好法師の恋」と題しての講座だった。
山岡氏は気鋭の国文学者といった感じで、立て板に水のごとくスピード感あふれる話し方で、メモする手も追いつかないほどだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/b7/701f256ce444752e201cf4d1eb5e234a.jpg)
山岡教授が解説するには、「徒然草」の方では兼好法師自身を第三者に見立てたり、他からの伝聞のような形をとって記述しているが、それと明らかに同じ場面と見られるところを「兼好法師全歌集」においては自身の心の内を率直に詠っているものがあるというのである。
あるいは少し難しいかもしれないが(私自身が難しい)、紹介いただいたたくさんの証拠の文の中から一つだけ転写してみることにする。
◇『徒然草』第百五段
北の屋かげに消え残りたる雪の、いたうこほりたるに、さし寄せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、くまなくはあらぬに、人はなれたる御堂の廊に、並々にはあらずと見ゆる男、女と長押(なげし)に尻かけて、物がたりするさまこそ、何事にかあらん、尽きすまじけれ。かぶし、かたちなど、いとよしと見えても、えもいはぬ匂ひの、さとかをりたるこそをかしけれ。けはひなど、はづれはづれ聞こえたるも、ゆかし。
◇『兼好法師全歌集』三十二
冬の夜、荒れたる所の簀子(すのこ)に尻かけて、木だかき松の木より、くまなくもりたる月を見て、暁まで物語りし侍る(はべる)人に
思ひいづや軒のしのぶ霜さえて 松の葉わけの月をば見し夜は
この二つの文を見比べてみると、『徒然草』では二人の男女の逢瀬を第三者的に描写している。一方、『兼好法師全歌集』の中の詩は次のように解釈できるという。
「思い出していますか。軒の忍草に降りた霜が冷たくて、松の葉の間から月を見た夜のことを」と逢瀬を楽しんだ女に呼び掛けているのである。
こうした箇所が何カ所も表れていてそれを紹介しながら、解釈してくれるという講座だった。
このように『徒然草』と『兼好法師全歌集』を読み比べることによって、兼好法師の恋愛観のようなものが垣間見えるという。
こうして教授されると出家した宗教者というイメージからかけ離れ、今風の言葉で言うと「ひらけたお坊さん」というイメージが拡がってくる。
鎌倉時代にこんな「ひらけたお坊さん」がいたなんて面白いことです。
古文を一人で楽しむだけの力量はないが、こうした機会を利用していにしえの世界に遊ぶのも面白いことである。
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30歳前後で出家したと伝えられる兼好法師だが、史家の調べでは恋多き人物だったことが浮き彫りとなっているようだ。本来、出家した人間に恋話などご法度のはずだが、「徒然草」と「兼好法師全歌集」を読み比べてみると、そこから兼好法師の心のうちが見えてくるということらしい…。
7月2日(土)、道新ぶんぶんクラブと国学院大学の共催による教養講座「いにしえの日本を探る」と題して開催され受講した。
講座は国学院大学教授の山岡敬和氏が「徒然草~兼好法師の恋」と題しての講座だった。
山岡氏は気鋭の国文学者といった感じで、立て板に水のごとくスピード感あふれる話し方で、メモする手も追いつかないほどだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/b7/701f256ce444752e201cf4d1eb5e234a.jpg)
山岡教授が解説するには、「徒然草」の方では兼好法師自身を第三者に見立てたり、他からの伝聞のような形をとって記述しているが、それと明らかに同じ場面と見られるところを「兼好法師全歌集」においては自身の心の内を率直に詠っているものがあるというのである。
あるいは少し難しいかもしれないが(私自身が難しい)、紹介いただいたたくさんの証拠の文の中から一つだけ転写してみることにする。
◇『徒然草』第百五段
北の屋かげに消え残りたる雪の、いたうこほりたるに、さし寄せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、くまなくはあらぬに、人はなれたる御堂の廊に、並々にはあらずと見ゆる男、女と長押(なげし)に尻かけて、物がたりするさまこそ、何事にかあらん、尽きすまじけれ。かぶし、かたちなど、いとよしと見えても、えもいはぬ匂ひの、さとかをりたるこそをかしけれ。けはひなど、はづれはづれ聞こえたるも、ゆかし。
◇『兼好法師全歌集』三十二
冬の夜、荒れたる所の簀子(すのこ)に尻かけて、木だかき松の木より、くまなくもりたる月を見て、暁まで物語りし侍る(はべる)人に
思ひいづや軒のしのぶ霜さえて 松の葉わけの月をば見し夜は
この二つの文を見比べてみると、『徒然草』では二人の男女の逢瀬を第三者的に描写している。一方、『兼好法師全歌集』の中の詩は次のように解釈できるという。
「思い出していますか。軒の忍草に降りた霜が冷たくて、松の葉の間から月を見た夜のことを」と逢瀬を楽しんだ女に呼び掛けているのである。
こうした箇所が何カ所も表れていてそれを紹介しながら、解釈してくれるという講座だった。
このように『徒然草』と『兼好法師全歌集』を読み比べることによって、兼好法師の恋愛観のようなものが垣間見えるという。
こうして教授されると出家した宗教者というイメージからかけ離れ、今風の言葉で言うと「ひらけたお坊さん」というイメージが拡がってくる。
鎌倉時代にこんな「ひらけたお坊さん」がいたなんて面白いことです。
古文を一人で楽しむだけの力量はないが、こうした機会を利用していにしえの世界に遊ぶのも面白いことである。