田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

利尻・礼文の旅 回想 2

2017-06-25 18:31:51 | 道内の旅

 旅は思わぬ出会いを演出してもくれる。今回の旅で、私は忘れることができない3人の方と出会った。その方々との出会い、思い出を綴りたい。 

陽気な女将の宿 

                    

 利尻島の民宿「お宿 マルゼン」の女将は陽気で、話し好きの人だった。
 彼女の名は渡邊トシ子、話から想像すると齢73~4歳という感じの方だった。
 宿のフロントの壁には、登山家の野口健氏、三浦雄一郎氏、岩崎元郎氏などと一緒に撮った写真が飾ってあった。
 お話を伺うと、彼女の次男の方は渡邊敏哉さんといって、利尻島でも有名な登山ガイドの方である。(サーフィンの世界でも有名らしい)その彼は、野口氏や三浦氏、岩崎氏が来島した際にガイドとして利尻島に登っているとのことだった。特に野口氏などはすでに3回も来島して、お宿マルゼンに宿泊しているという。
 渡辺敏哉氏は、つい先日放送になったNHK・BSの「にっぽん百名山スペシャル」でモデルの仲川希良さんをガイドして利尻島の春山登山をガイドした方である。
 渡邊家はもともと利尻島で手広く事業を展開していたそうだが、岩崎元郎氏が来島した際に、「利尻島に登山する人たちが気軽に泊まれる宿があったらいい」というアドバイスを受けて、会社の倉庫を改装して素泊りの宿「お宿 マルゼン」の経営を始めたそうだ。
 手広く事業を展開していた旦那さんは、事業を長男の方に譲り、現在は単身で札幌へ移住し、悠々自適の生活をしているという。女将さんも9月いっぱいで宿を閉め、10月からの札幌生活を楽しみにしていると語っていた。
 何を気に入られたのか、宿を退去する際に「ちょっと待ってて」といって自宅に引き返し、利尻昆布をお土産にくれた女将さんだった。

               


韓国の若者との出会い 

 利尻山登山の下山中のことだった。
 私は悪戦苦闘しながらも5合目まで下ったとき、後ろから追いついてきた若者が何か言っている。どうも英語のようなのだが、はっきりしない。
 何度かやり取りしているうちに、彼は「水をもらえないか?」と私に聞いていることが分かった。苦戦の登下山を続けていた私だったが、その時点ではまだ少しだけ飲み水を持っていた。
 私が今回の利尻登山に用意した飲み水は、500mlのペットボトル2本と、350ml入りのステンレスボトルにスポーツドリンクを入れたものを持参し、それぞれ残り一口くらいずつ残っていた。彼の窮状を見て、ペットボトルに入っていた水を提供した。内心は「私も残り少なくなって、自分はこの後大丈夫だろうか?」という思いもあったが、ここは武士の情けというものである、快く(?)彼に水を提供した。
 彼と2~3のやり取りをした。すると、彼は韓国から旅行で日本に訪れたそうで、韓国ですでに働いているということだった。
 水分補給で一息ついた彼は、若者らしくあっという間に私の視界から消えた。

 登山口の3合目までようやく降り立った私は、自販機からスポーツドリンクを買い求め、一息ついた後、残り市街地までのおよそ4.5キロを歩いて宿に向かうことになった。(お宿マルゼンは朝の送迎サービスはあったが、帰りは自分の足で帰らねばならない)
 1キロも歩いたころだったろうか。黒塗りの乗用車が私の傍に寄ってきた。運転している人の顔を伺うと、件の韓国の青年だった。
 「さきほど、私に水をくれた方ですね。私を知っていますか?」という。なんと彼はレンタカーで島を訪れていて、私が歩いているのを見て、迎えに来てくれたらしい。
 これには感激した。僅かな飲み水を提供しただけだったのに、彼は彼なりの恩を感じていてくれたということのようだ。
 喜んで彼の申し入れに従ったのは言うまでもない。彼の車には韓国語仕様のカーナビが整備されていた。ということは、僅か利尻島で2日の滞在のために、フェリーで車を運んできたのだ。韓国の若者もリッチだなぁ…。(彼の、彼との、写真を撮らなかったのがかえすがえすも残念である)
 

登山家 山田淳氏とツーショット! 

 利尻島から稚内へ帰るフェリー乗り場でのことだった。「あれっ?見たことがある人だ。確か登山の世界では名の知れた方だ!」、「さて、誰だろう?」…、そう思いながらフェリーに乗り込んだ。
 当日、フェリーは混んでいて、船内の客室はすぐにいっぱいになり、私は晴天だったこともあり、デッキの椅子席に座ることにした。すると、その方もやはり引率してきたツァーの登山客と一緒にデッキ席に座っていた。
 この歳になってからは、ミーハー的な振る舞いは抑えるようにしてきたのだが、好奇心を抑えることができなかった。彼がツァー客の把握などを終えたころを見計らって、近づき「あの~、確か有名な方ですよね」、「東大を出られて、脱サラして登山をする人のために会社を起ち上げられた方ですよね」と話しかけさせてもらった。すると彼は「山田です」と応じてくれた。(私は確かNHK・BSで彼のことを知ったのだった)
 「すいません。記念にサインをいただけないでしょうか?」と図々してくお願いすると、彼は気安く「いいですよ」と言って、私が差し出した紙片の片隅にペンを走らせてくれた。
 そこには「また山で会いましょう! 七大陸最高峰登頂 山田 淳 6/19」と書かれていた。

          

 山田氏があまりにもフレンドリーだったことで、私はさらに図に乗って「写真を撮らしてもらっていいですか?」と尋ねた。その願いも山田氏は快諾してくれた。
 すると、私と山田氏のやり取りを聞いていた山田氏引率のツァー客の方が、「一緒に写真に写ったらどうですか?私がシャッターを押しましょう」と言ってくれ、思いもかけず山田氏とのツーショットとなってしまった。

               

 山田氏と別れてから、改めて山田氏のことをネットで調べた。(順序が反対なのだが…)
 すると、山田氏は東大在学中の2年半で世界七大陸の最高峰の登頂に成功し、当時の世界最年少記録(23歳9日)を打ち立てた方だそうだ。その後、山岳ガイドや、マッキンゼーのコンサルタントなどをしていたが、2010年に「登山人口の増加」と「安全登山の推進」をミッションとして「株式会社フィールド&マウンテン」のアウトドアベンチャー企業を設立。同社にて、登山靴などの登山道具のレンタル事業や、フリーペーパーの発行、イベントの企画サポート、などを行なっているという。
 詳しくは尋ねなかったが、今回は会社の企画で利尻山登山を実施し、多くの賛同者と共に訪れた、その帰りだったのだろう。
 フレンドリーに、気安く接してくれた山田氏の人がらに感謝、感謝である。