江戸時代後期(安政4年 1857)増毛と浜益の間に開削された増毛山道は、明治に入り海岸線に道路が完成すると、いつしか使われなくなってしまい、草叢の中に埋もれてしまっていた。その古道を官民が連携して昨年全線27キロを復元させたという。その復元記念フォーラムに参加した。
※ 増毛山道全体を表す鳥瞰図です。赤線のところが復元された増毛山道です。左側の始発点が別苅、右側が幌、中間が岩尾です。
6月10日(土)午後、チカホ北3条交差点広場において、北海道留萌振興局の主催で「増毛山道全線復元記念フォーラム2017」が開催された。
私がこのフォーラムに参加しようと思ったのは、一昨年(2015年)の10月に一部開通していた岩尾~別苅間16キロの山道を歩いた体験があったからだ。昨年も別コースを体験しようと申し込んだのだが、定員オーバーのため断念した経緯があり、今年はなんとか参加したいとの思いもあり参加した。
※ この図では、雄冬山~浜益御殿間は復元予定となっていますが、この区間が昨年復元されたのです。
フォーラムは、三人のスピーカーが登壇し、さまざまな角度から増毛山道を語った。
その三人が語った話題とは、
◇「増毛山道の歴史と再生のへの軌跡」 NPO法人「増毛山道の会」理事 小杉 忠利 氏
◇「増毛山道と一等水準点」 国土交通省国土地理院北海道地方測量部 次長 清水 乙彦 氏
◇「増毛山道の魅力と維持管理への提言」北海道大学大学院農学研究院生物資源生産学部門 准教授 愛甲 哲也 氏
という内容と講演者だった。
※ チカホで開催されたフォーラムの様子です。
私は三人の方全ての話を聞いたのだが、ここでは実際に増毛山道の復元の中心的存在であったNPO法人「増毛山道の会」の小杉氏の話を中心にレポしたい。
今回復元のなった増毛(別苅)~浜益(幌)間27キロは、1857年に江戸幕府の意向を受けた民間人(伊達林右衛門)が私費を投じて開削した道である。しかし、その後使われなくなって消滅しかかっていた山道を民間人(NPO法人「増毛山道の会」)が中心となって復元したものである。
講演する小杉氏です。小杉氏が手にしているのは山道で刈り取ったクマザサだそうです。
復元の中心となった小杉氏は、10年前に増毛山道を復元しようと運動を始めたころのことについて語った。
山道を復元しようにも地権者がさまざまであった(国・道・個人…etc.)ため困難を極めたそうだが、留萌振興局の助力もあって壁を乗り越え、復元作業に着手できたということだ。
作業は3メートルを超えるクマザサ(ネマガリダケ)を伐採するという困難なものだったが、会員一同の奮闘もあり10年の歳月をかけてようやく復元できたということだった。
こうして復元なった増毛山道だが、今後に向けて、現在は山道を一般には開放していないが、将来の一般開放をどうするか。また、山道の維持管理をどう継続するか、といった課題があると話された。
※ 講演されたお三方です。左から清水氏、小杉氏、愛甲氏です。
山道の維持管理については、北大の愛甲准教授もアイデアを提供されていた。それは、増毛山道の会の会員だけではなく、一般からの賛同者・理解者を数多く募り裾野を広げていくことが、資金的にも人材的にも山道の継続に繋がるのではないか、との助言がなされた。
さて、私であるが、フォーラムが始まる前にスタッフの方に、今年の体験トレッキング8回のコース内容を詳細に伺い、最後に復元された幌~浜益御殿山~雄冬山を含む前回未踏部分を歩く『16km「幌発」暑寒別連峰パノラマコースB』(9月16日実施予定)に参加することを決めた。(参加費 5,000円)
こうして私が参加することも、ある種の応援になるのではと思っている。
※ 増毛山道全体を表す鳥瞰図です。赤線のところが復元された増毛山道です。左側の始発点が別苅、右側が幌、中間が岩尾です。
6月10日(土)午後、チカホ北3条交差点広場において、北海道留萌振興局の主催で「増毛山道全線復元記念フォーラム2017」が開催された。
私がこのフォーラムに参加しようと思ったのは、一昨年(2015年)の10月に一部開通していた岩尾~別苅間16キロの山道を歩いた体験があったからだ。昨年も別コースを体験しようと申し込んだのだが、定員オーバーのため断念した経緯があり、今年はなんとか参加したいとの思いもあり参加した。
※ この図では、雄冬山~浜益御殿間は復元予定となっていますが、この区間が昨年復元されたのです。
フォーラムは、三人のスピーカーが登壇し、さまざまな角度から増毛山道を語った。
その三人が語った話題とは、
◇「増毛山道の歴史と再生のへの軌跡」 NPO法人「増毛山道の会」理事 小杉 忠利 氏
◇「増毛山道と一等水準点」 国土交通省国土地理院北海道地方測量部 次長 清水 乙彦 氏
◇「増毛山道の魅力と維持管理への提言」北海道大学大学院農学研究院生物資源生産学部門 准教授 愛甲 哲也 氏
という内容と講演者だった。
※ チカホで開催されたフォーラムの様子です。
私は三人の方全ての話を聞いたのだが、ここでは実際に増毛山道の復元の中心的存在であったNPO法人「増毛山道の会」の小杉氏の話を中心にレポしたい。
今回復元のなった増毛(別苅)~浜益(幌)間27キロは、1857年に江戸幕府の意向を受けた民間人(伊達林右衛門)が私費を投じて開削した道である。しかし、その後使われなくなって消滅しかかっていた山道を民間人(NPO法人「増毛山道の会」)が中心となって復元したものである。
講演する小杉氏です。小杉氏が手にしているのは山道で刈り取ったクマザサだそうです。
復元の中心となった小杉氏は、10年前に増毛山道を復元しようと運動を始めたころのことについて語った。
山道を復元しようにも地権者がさまざまであった(国・道・個人…etc.)ため困難を極めたそうだが、留萌振興局の助力もあって壁を乗り越え、復元作業に着手できたということだ。
作業は3メートルを超えるクマザサ(ネマガリダケ)を伐採するという困難なものだったが、会員一同の奮闘もあり10年の歳月をかけてようやく復元できたということだった。
こうして復元なった増毛山道だが、今後に向けて、現在は山道を一般には開放していないが、将来の一般開放をどうするか。また、山道の維持管理をどう継続するか、といった課題があると話された。
※ 講演されたお三方です。左から清水氏、小杉氏、愛甲氏です。
山道の維持管理については、北大の愛甲准教授もアイデアを提供されていた。それは、増毛山道の会の会員だけではなく、一般からの賛同者・理解者を数多く募り裾野を広げていくことが、資金的にも人材的にも山道の継続に繋がるのではないか、との助言がなされた。
さて、私であるが、フォーラムが始まる前にスタッフの方に、今年の体験トレッキング8回のコース内容を詳細に伺い、最後に復元された幌~浜益御殿山~雄冬山を含む前回未踏部分を歩く『16km「幌発」暑寒別連峰パノラマコースB』(9月16日実施予定)に参加することを決めた。(参加費 5,000円)
こうして私が参加することも、ある種の応援になるのではと思っている。