札幌市の都心近くにやや古風ではあるが、存在感をたたえたビルが建っている。同じく札幌景観資産に登録されている「岩佐ビル」よりはるかに早い大正年代に建てられたコンクリート造りのビルがいまだ現存しているのは貴重である。
「旧藪商事ビル」は札幌都心に近いこともあり、これまでも何度も傍を通っていたので簡単に行けると考えていた。ところが今回、ビルを見つけるのに意外に手間取ってしまった。というのも、私はもともとのビルの壁の色の赤茶色のビルを探していたのだが、実際には乳白色の壁に変わっていたのだ。その他は建築時と変わっていないと思われ、窓枠が鉄製のものが使われているなど、往時を偲ばせる造りだった。
※ これが現在のビルの壁の色です。
※ 以前のビルの壁の色はこのように赤茶色の壁でした。(ウェブ上の写真から拝借)
※ ビルを正面から撮ったところです。正面入口上部には現ビル名の「三誠ビル」と書かれています。
※ 鉄製の窓枠、その上部の飾り造りなどが時代を感じさせます。
例によって建物の傍には「札幌景観資産」を表す標柱が立てられているが、そこに書かれている内容とはやや違うが、ウェブ上で見つけた説明では…。
※ 「札幌景観資産」を表す標柱です。
「大正末期にはレンガや軟石を用いた粗積造が終わりを告げ、鉄筋コンクリート造りが揺籃期を迎えた。この建物は札幌で建てられた鉄筋コンクリート造りのオフィスビルで現存する数少ない一つである」
となっていた。この説明の中で「粗積造」というものがどのような建築法なのか調べたが、ネット上では分からなかった。あるいは「組積造」のミスプリではないかとも思われるのだが、「組積造」なら次のような造りである。「建材を積み上げて外壁、内壁といった壁面をつくり、壁によって屋根、天井などの上部構造物を支える造り」ではないかとも思うのだが、はたしてどうなのだろうか?(確かに札幌軟石で造られた倉庫などはこのように構造なのではとも思われるのだが…)
このビルは「共有部分のみ内部見学可」となっていたのでビルの中を覗かせてもらった。すると正面入り口を入ったところに胸像が置かれていた。胸像の後を確認すると、胸像の主は「三宅助弥」となっていた。あるいはこのビルを建てた方かな?と思い帰宅して調べたところ、このビルを建設したのは「藪惣七」氏と判明した。はたして「三宅助弥」氏はどのような方なのだろうか?
※ 正面入口のところにおかれた「三宅助弥」氏の胸像です。
ビルの内部はやや狭い廊下の両側に入居する会社の事務所のドアが並んでいた。時代を感じさせはするものの、廊下は磨き上げられ清潔感に満ちた感じだった。ビルの特徴的なことの一つに、これも狭いながら三方に階段が設けられていることだった。このことは入居する多くの事務所にいたるために便宜を図るための工夫なのではと思われた。
※ ビルの内部です。一階、二階、三階も同様の感じでした。
※ ビル内三方に設けられていた階段です。
※ 鉄製の窓枠は建設当時からのものなのでしょうか?
およそ100年を経ようとして、今なお健在のオフィスビルを建てたということは、建設した当時の関係者の先見の明を見る思いである。
《旧藪商事会社ビル 情報》
◇所在地 札幌市中央区南1条西13丁目317-2
◇建設年 大正13(1924)年
◇構 造 鉄筋コンクリート造
◇指定年 2009(平成21)年1月7日
◇その他 現「三誠ビル」 共有部分のみ内部見学可