田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ひまわりおじさん物語 5 

2010-01-21 16:44:28 | その他
ひまわりおじさんと私の出合い
 
※ いよいよ私Mの登場です。

        
        ※ ひまわりおじさん4冊目の著作というよりは、神戸で地震
         に関する国際学会があったとき、その参加者に配布するた
         めに3冊目の著作「瓦礫のまちにひまわりを」の英訳して発 
         行したものです。    
 
 Mは、北海道のオホーツク地方で小学校の教員をしていた。
 1998年、Mは小さな集落の児童数わずか9人という小学校に赴任した。
 集落も学校も急激に進む過疎化にひっそりと静まりかえっているようであった。
 Mはそんな集落や学校をなんとか元気づけられないものかと考えていた。

 ある時Mが学校の記念誌を繰っていたところ、学校にたくさんの子どもがいて賑やかだった頃、「ひまわりは太陽の花、ひまわりのように明るく、強く!」と子どもたちに語りかけ、学校の周りにはたくさんのひまわりの花が植えられていたことを知った。
 Mは「これだ!」と思った。そして学校の周りにひまわりをたくさん植えた。それと同時にMはいろいろと資料を調べ始めた。
 Mの記憶では、確か「農山漁村文化協会」というところが発行した「そだててあそぼう」という絵本のシリーズの中に「ヒマワリの本」という本があった。
 その本を繰っていると、後の方のページにジャンボひまわりのことが載っていた。そして、その片隅に「希望者には種をお分けします」という記事をMは見逃さなかった。その種を配付していたのがひまわりおじさんが代表をしている神戸市の「ひまわりの夢企画」だった。

 Mはさっそく「ひまわりの夢企画」に「ひまわりの種を譲ってください」と手紙を書いた。
 すると、秋になって「ひまわりの夢企画」からたくさんのジャンボひまわりの種が送られてきた。そこには、「ジャンボひまわりの成長の写真とひまわりの高さを連絡してほしい」また、「収穫した種の一部を夢企画に送ってほしい」との添え書きがあった。
 翌年、Mは送られてきた種を学校だけで育てるのは惜しい。集落全体に配付して、集落のジャンボひまわりコンテストをしようと考えた。
 それは集落のほとんどの家庭が参加する楽しい「ジャンボひまわりコンテスト」の催しとなった。
 その結果が当時の学校だよりに載っている。それによると・・・、
◇第1位 Iさん 3m49 ◇第2位 Hさん 3m42 ◇第3位 学校 3m52
と第10位まで記載されている。
 ちなみにMが家庭で育てたのは第8位に入っていて、高さは2m92という記録が残されている。

 Mはその秋、ひまわりおじさんからの要請もあり、第3位までの写真と記録を「ひまわりの夢企画」に収穫した種の一部と共に送ったのだった。
 それ以来、私Mとひまわりおじさんの交流は細く長く続いている。

※ 以下、№6に続きます。

岩ちゃんはお笑い芸人やぁ~

2010-01-20 16:44:44 | ステージ & エンターテイメント
 その登場からもう会場を沸かせている。メインゲストでもないプロ野球解説者の岩(がん)ちゃんこと岩本勉氏の言動が完全に会場の観客の心を鷲掴みにしていた。
 
 1月17日(日)、道新ホールにおいて「いつの日か…挑戦するアスリートたちの物語」出版記念特別フォーラムスポーツトークショー&映画「パラレル」上映会がありました。
 登壇者はゲストとして車いすバスケット日本代表の京谷和幸選手、日本ハムファイターズ内野手の小谷野栄一選手が招かれ、二人の話のコーディネーター役をプロ野球解説者の岩本勉氏が、進行役をFM北海道のリポーターの鈴木舞さんが務めるという構成でした。

 京谷選手は室蘭市出身のJリーガーでした。しかし、交通事故に遭い下半身麻痺の重傷を負ってしまいますが、そこから一念発起して車いすバスケットの選手としてシドニーパラリンピックから三回連続して日本代表として出場している人です。
 一方、小谷野選手はご存知のとおり日本ハムファイターズの三塁手として昨年大活躍しましたが、彼はパニック障害という精神性の障害を患いながら、それを克服してプレーを続けています。
 トークショーはこうした障害にめげずに一流アスリートとして活躍している二人から学ぼうとする趣旨と理解しました。
        
 ところがなんだか会場内では主役が岩本勉氏のような雰囲気に包まれてしまいました。
 まず、登場からしてポーズを取りながらの入場です。そこで観客がワッと沸くのです。
 その後は、立て板に水、口に機関銃、状態です。
 面白く、可笑しい話をさらにデフォルメした彼の話や動作に会場中が沸き立つのです。
 話し始めたら停まらない彼の話に進行役の鈴木舞さんはタジタジといった様子でした。
        
        ※ 会場は岩ちゃんの登場でいきなりヒートアップ。機関銃
         のようにしゃべりまくる岩ちゃんに進行役の鈴木さんはた
         じたじでした。                

 まるで芸人のように観客を沸かせる岩本勉氏の話ですが、ゲストの二人から話を上手に引き出します。(引き出した後、また自分の話にもっていくのですが…)
 二人とも障害という試練を懸命な努力で乗り越えたときに、自然と周りに感謝する気持ちが芽生えたと言います。
 京谷選手は言います。「北海道を元気にしたい。故郷北海道のために何かをしていきたい」と…。
 また、小谷屋選手も「日ハムの試合を通して北海道を盛り上げたい。また、社会貢献活動にも力を入れていきたい」と語りました。
        
     ※ 岩ちゃんの独り舞台が終わって、ようやくトークショーが始まりました。

 そして最後に“芸人”岩ちゃんがまとめます。
 今、会場内は大いに盛り上がり心が繋がった。ここに一体感が生まれた。
 誰もが試練に立ち向かう時がある。そのとき二人のように努力し、その壁を乗り越えてほしい。そのときそこに「感謝」の気持ちが芽生えるはずだと…。
        
        ※ トークショーの最後に花束を贈られた三人です。

 落としどころだけはしっかりと落とす彼の話術に魅せられました。

ひまわりおじさん物語 4

2010-01-19 16:25:56 | その他
瓦礫の山にひまわりを!~神戸復興のシンボル~
        
        
      ※ ひまわりおじさんの3冊目の著作「瓦礫のまちにひまわりを」です。  

 阪神・淡路大震災が起こってからおよそ半年、ひまわりおじさんは避難所の被災者たちに風呂(シャワー)を提供することに没頭した。
 風呂ばかりではなく、その他にも思いついたアイデアを次々と実現させ、被災者たちを励まし続けた。例えば、温水シャワーを利用した「温泉たまご」の提供などは秀逸なアイデアだ。
 
 そうした活動の中でボランティア活動をより本格化させようと、彼は仲間と共に「ひまわりの夢企画」というボランティアグループを立ち上げ、それをNPO法人化して本格的にボランティア活動にますます打ち込んでいくのである。
 
 前号でも触れたが「ひまわりの夢企画」では、地震で瓦礫の山と化した神戸の街に明るさを取り戻すため「瓦礫のまちにひまわりを!」というキャッチフレーズを掲げ、ドラム缶3杯半ものひまわりの種を神戸中に配付した。
 夏、神戸の街中にたくさんのひまわりが咲き乱れたという。
 そして次の年も、そのまた次の年も・・・。

 「人のために何かしたい」「人の喜ぶ顔をみたい」というひまわりおじさんのアイデアは枯れることがなかった。
 今度はひまわりの背丈を競う「ジャンボひまわりコンテスト」の開催である。
 このコンテストは現在も続いているそうであるが、応募者は神戸市内に限らず全国に及んでいるようである。
 コンテストは自己申告制でひまわり高さを測り、写真をそえて応募するものである。3㍍、4㍍級のジャンボなひまわりがたくさん応募されるそうだ。中には5㍍超に挑戦しようとする猛者もいるとのことである。

 こうした活動が認められ、2000年「神戸21世紀復興祈念感謝事業」においてひまわりが神戸復興のシンボルフラワーに選ばれた。
 さらに荒井氏は阪神・淡路大震災を記念して建設された「人と防災未来センター」でセンター来館者に大震災を語り継ぐ「語り部」の一人としても活躍している。


※ 以下、№5に続きます。
  なかなか物語の中に私が登場しませんが、№5ではいよいよ登場させたいと思っています。

北海道は南の島?

2010-01-18 16:56:40 | 札幌学 & ほっかいどう学
 北海道新聞野生生物基金ネーチャートーク 竹田津 実・あべ 弘士『北海道の自然を語る』を聴いた。(1月16日午後、道新ホール)そこで語られた驚愕の事実とは??? 
        
        
        ※ ネーチャートーク自体は撮影禁止だった。そこで道新ホ
         ール入り口の立て看板をパチリと…。         

 軽妙である。
 洒脱である。
 ユーモアをたたえた竹田津氏の話はいつ聴いても心楽しいものがある。

 竹田津氏は獣医師でエッセイスト、さらには写真家の顔ももつ。
 道東の小清水の獣医師として勤務しながら、北キツネの観察や撮影に情熱を注ぎ、多くのエッセイ、写真集、児童書を出版した。その中の一冊が映画『子ぎつねヘレン』の原作となり、一気に注目を浴びることになった。
 氏は53才で家畜診療所の獣医師を退職した。それと同時に氏の観察フィールドは世界に広がった。
 アフリカは何度も訪れたようであるが、氏の心を動かしたのはカムチャッカ、サハリンの自然を視たときである。

 カムチャッカやサハリンで視た自然は、北海道と変わらない動植物がそこで生を営んでいたという。
 氏は云う「ブラキストンラインを実感しました」と・・・。
 ここからが氏の独自の発想である。
 「北海道は南の島ではないか」と・・・。
 つまり、北海道を南限として北側には北海道と同じ自然が広がっている、だから北海道は北方性の生物が棲む最も南に位置する島であると竹田津氏は指摘する。

 そして竹田津氏は語る。
 北海道は面積の70%が森林であり、これだけ自然が豊かなところは世界的に見ても貴重な存在だという。
 宝の山の中にいると、宝が見えないが、私たち北海道人はもっと北海道の自然の豊かさを再認識し、北海道の自然を誇り、大切にすべきでないか、と竹田津氏は静かに主張するのでした。

 「驚愕の事実とは?」などとオーバーなリード文は羊頭狗肉の感は逃れられませんが、ちょっとだけ遊んでみたかったことをお許しください。

ひまわりおじさん物語 3

2010-01-17 20:09:32 | その他
ひまわり温泉誕生!

        
        ※ ひまわりおじさんの2冊目の著作「笑いのセールスマン Ⅱ
         ~ありがとう 神戸~」です。 
         
 阪神・淡路大震災はひまわりおじさんのこれまでの生活を一変させるものだった。
 前述したように彼も住宅の被害を受けたのだが、自分より困っている人たちのために彼は走り出したのだ。
  
 彼は自らトラックを駆って避難所への給水活動を開始した。
 給水活動をするうちに避難所の人たちが風呂を欲していることに気がついた。
 そうすると彼は自らの技術を駆使して、車用のスチーム洗車機を改造して温水シャワーを作り(3人が一度に利用できるもの)トラックの荷台に載せ避難所巡りを始めた。その最初の日が1月24日というのだから震災発生から約2週間後である。彼は「自衛隊より早くお風呂の提供ができた」ことを密かな誇りとしているそうである。
 その温水シャワーの仕切り壁に、ひまわりの絵を描いたベニヤ板を利用したことから自然発生的に「ひまわり温泉」と呼ばれるようになった。
 そのベニヤ板は、彼が以前から青少年の育成活動の一環として迷路遊びの迷路を造る際に使っていたベニヤ板だったそうである。
 ひまわり温泉は各避難所を4~5日程度で巡回していたが、若宮小学校の避難所では学校側の理解もあってその後半年間も一ヶ所で避難所住民にシャワーを提供したそうである。
 そうして結局ひまわり温泉を利用した人の数は延べ1万人を超えたと聞いた。

 ところでなぜ彼は“ひまわりおじさん”と呼ばれているのか、また自称しているのかについて触れねばなるまい。
 彼は以前から青少年育成活動に関わっていたが、彼の中では「青少年の健全育成」⇒「明るい街づくり」⇒「太陽の花・ひまわり」という図式の中から、神戸市内にたくさんのひまわりを育成することを提唱し、実践していたのだ。
 そうした中で起こった阪神・淡路大震災は神戸の街を瓦礫の山と化してしまった。
 その状況を見たとき彼は、瓦礫の街にこそひまわりを植えて人の心を明るくしたいと考え「瓦礫のまちにひまわりを!」のキャッチフレーズのもと、以前にも増してひまわりの育成活動を行うようになり、いつしか「ひまわりおじさん」と呼ばれるようになり、自らも「ひまわりおじさん」と自称するようになったのである。

※ 以下、№4に続きます。

さっぽろ雪まつり 大雪像制作ボラ №1

2010-01-16 20:33:50 | ボランティア
 昨年に引き続き、今年も「さっぽろ雪まつり」の大雪像制作ボランティアに参加することにしました。今日その第1回目のボランティアに参加してきたのですが・・・。 
            
        ※ 作業小屋の窓に張られていた今年の雪まつりの
         ポスターです。霜が張り付いていて寒い感じが出て
         いますね。

 札幌が誇る一大イベント「さっぽろ雪まつり」にささやかながら参加しようと、今年も大雪像の制作ボランティアに応募しました。
 ささやかながらとは、多数回の参加はとても無理だからです。私は今年も昨年同様3回だけ参加することにしました。(中には10回、20回と参加するつわものもいます)
 
 会場は自宅に近い方の10丁目広場のUHBファミリーランドを希望しました。
 制作する大雪像は「ちびまる子ちゃん」と3年4組の仲間たちです。
 今日から3回、制作の序盤、中盤、終盤の様子をレポートすることにします。

 今日は午前のボランティアだったので、朝8時45分、10丁目広場のボランティア控え室に着き、ヘルメットを被り、安全ロープを腰にゆわえ、制作用のゴム手袋をはいて準備完了。
        
        ※ 足場が組まれ、まるで建築現場のような雪像全体の様子
         です。作業はまだまだこれからといった感じです。私たち
         はこの足場の最上部まで上りました。
 
 準備体操、打ち合わせを終え、リーダーに従って早速制作現場のなる最上部へ。
        
        ※ 作業前には準備体操が行われました。写真の方々はボ
         ランティアではなく、専任の制作担当者たちです。

 建築現場のような足場を上って最上部に着くと、そこは地上15mで周りのビルの3~4階あたりだろうか?道行く人がはるか下に見えます。
 私たちの仕事は像の一番右側に立つ「丸尾君」の荒削りが指示されたのですが、前日来の降雪を除いたり、作業の足場を確保するのに時間が取られ、満足に荒削りの作業ができないまま、一度下に下り休憩となってしまいました。
            
        ※ 私がいたところの向かい側で作業をする人たちです。        
        
 休憩後も荒削り作業の指示はなく、結局控え室で今後の作業に必要な下準備をすることで私の今日のボランティアは終了してしまいました。
 張り切って臨んだ雪像制作作業でしたが、ちょっと不完全燃焼に終わった初回のボランティアでした。
 

ひまわりおじさん物語 2

2010-01-15 22:40:23 | その他
※ 1月7日付けの投稿で、私と荒井氏との交流の様子を綴る「ひまわりおじさん物語が書けるかもしれない」と記しましたが、ぼちぼちと書き出してみようかなという気持ちになり、今日から少しずつ書き綴ってみようと思います。不連続の投稿となりますが、お読みいただければ幸いです。
 
敏腕セールスマン
        
        ※ ひまわりおじさんはこれまで6冊の自著を自費出版して
         います。これはその記念すべき一冊目の「笑いのセール 
         スマン」です。        

 1980年代である。
 荒井氏は神戸市で腕利きのトラック販売のセールスマンとして知られていた。
 その販売の極意はいつもユーモアを忘れずにお客さんと接することだった。
 荒井氏のユーモア精神とサービス精神はお客さんの心を掴み、たくさんのお客さんから支持を得て販売会社でも有数のセールスマンだった。

 そうした敏腕セールスマンが辿る道の一つとして、独立して会社を経営することにある。
 荒井氏もまたその例に漏れず、トラック専門の販売会社として独立した。
 
 独立を果し順調に歩み始めた荒井氏ではあったが、彼の中では商売とは別の思いが頭をもたげつつあった。
 それは商売とは別に、「何かクリエイティブなことをしたい」という漠然とした思いであった。
 また、「何か人のために役立ちたい」という思いも芽生えていた。
 彼はその思いを早速行動に移した。
 一つは、文章教室に通い出したことである。彼にはセールスでのお客とのやりとりのことを文章に残してみたいという夢があった。
 一方、市の青少年育成組織に関わったり、子どものPTA活動にも積極的に関与するなどボランティァの道も模索していた。

 そうした日々の中で、荒井氏の生き方を根底から揺るがすような大事件に遭遇してしまったのである。
 その大事件こそ、1995年1月17日未明に兵庫県南部を襲った阪神・淡路大震災だった。
 幸い、彼の住宅は小破で済んだのだが、神戸市内の被災状況は報道どおり目に余るものであった。
 そこから荒井氏の獅子奮迅の活躍が始まるのである。

 ※ 以下は№3に続きます。
 

バルコ サッポロ???

2010-01-14 22:27:08 | 札幌(圏)探訪
 すっかりあの「パルコ サッポロ店」だと思っていました。ところが実際は「バルコ サッポロ」でした!?
  
 昨日の投稿で気がつかれたでしょうか?
 「コスタリカ写真展」を開催していたのは、デパートの「パルコ サッポロ店」ではなく、カフェバーの 「バルコ サッポロ」(中央区北2西2STV北2条ビル)だったのです。
        
        ※ 「BAR COM SAPPORP」の店外から撮ってみました。
  
 私は林氏の告知を見て、すっかり「パルコ サッポロ店」だと思いこんでいました。パルコ サッポロ店内には展示スペースが何ヶ所かあり、さまざまな展示会も開催されています。
 昨日、写真展に向かう前にもう一度告知を確認しました。すると、住所が「北2条西2丁目」となっていました。「あれっ?」と思い、よ~く確かめると「パルコ サッポロ店」とは別物と判明し、事なきを得たというわけです。
         
         ※ 昨日投稿した写真を再び掲載しまた。       

 それにしても紛らわしいですよね。
 ところがお店に行って納得です。「バルコ サッポロ」は「BAR COM SAPPORO」と表記しています。どうやら「BAR COM」をスペイン語風に読むと「バルコ」となるようです。
 BARは文字どおり酒場、そしてCOMにはいろいろな意味合いを持たせているのでしょう。もっとも命名するときに「パルコ サッポロ店」を意識はしていたと想像します。そこにオーナーの遊び心も感じられます。

 写真展を見、珈琲をいただきながら店のスタッフとお話ししました。
 その方は宮川幸史(ゆきちか)というネイチャーガイドで、今回の林氏たちのコスタリカ行のガイドもされたという方です。
 まだそれほどの年齢ではないように見受けたのですが、かなりの外国体験、自然体験の持ち主のようで、毎年コスタリカ・エコツアーを実施しているということでした。
 そして、「バルコ サッポロ」はエコツアーや自然に関心のある方々の根拠地として、情報の発信基地として在り続けたいとのことでした。
            
        ※ 「札幌農学校 演武館跡」の石碑がひっそりとありました。
           
 意外な発見がありました!
 それは店の片隅に「札幌農学校 演武場跡」という石碑と説明板が置かれてありました。
 以前、札幌学を聴講したときに、碑の置き場所が二転三転したと聴きましたが、意外なところにひっそりと置かれてあるのを見つけることができ嬉しく思いました。

必見! コスタリカ写真展

2010-01-13 21:23:20 | 環境 & 自然 & 観察会
 知人のライターである林心平氏が昨年末、写真家と一緒にコスタリカのエコツアーを体験してきた。その写真&レポート展が開かれていると聞き覗いてきました。そこに・・・
 
 林氏のブログで「バルコ サッポロ」(北2西2STV北2条ビル)で「濃密な緑と生きものの楽園をめぐる~コスタリカ・エコツアー・レポート」が開催されているのでぜひ見てほしい、という告知がありました。

 北海道新聞の1月11日付け夕刊の林氏の「コスタリカ エコツアー報告」を読み、興味を覚えた私は14日勤務を終えた後、サッポロ バルコに足を運びました。
 すると、なんと!!
 店内に当の林氏がいるではありませんか!
 林氏とは久しぶりの再会でしたが、氏は雑誌の取材を受けていたのでした。
        
        ※ 店内にはにコスタリカの自然を写した写真がご覧のよう
         にたくさん展示されています。         

 さて肝心の写真展ですが、店内には20点ほどのコスタリカの生き物たちの写真が展示されていました。(写真家の保刈徹也氏の作品)また、店内のディスプレーを使用してスライドショーのような形でも写真が紹介されていました。
 コスタリカの熱帯雨林、そして熱帯雲霧林の気候帯に生息する生き物たちが生き生きと写し出されていました。
        
        ※ 雑誌の取材を受けていた林氏です。

 私が感心したのは、その一枚一枚の写真に付けられていたキャプションです。もちろん林氏の手によるものです。
 一枚一枚の写真にタイトルが付けられ、そして小文が添えられています。そのタイトルが、そして小文が、写真の鮮やかさをより増幅しているように思えました。
 例えば、コスタリカではどこでも見られるハチドリについては「ちっとも珍しくない」、そして世界一美しいと言われるケツァールという鳥の写真には「ぼくが決めた」というタイトルが付けられ、そこに小文が添えられているのです。今、その秀逸な小文を写してこなかったことを悔やんでいます。
            
        ※ 世界一美しい鳥といわれるケツァールの写真とそこに付
         けられた林氏のキャプションです。

 一通り写真と小文を見た後、林氏とお話しました。
 林氏は道内において動植物に関して取材を続けるうちに、コスタリカの自然の豊かさを友人に教えられ今回のツアーに参加したということでした。彼は別な意味でもコスタリカには注目していたそうですが・・・。

 写真展は25日まで開かれているとのこと。興味のある方はぜひ足を運んでいただいて、鮮やかな写真と林氏の秀逸やキャプションを目にしてほしいと思います。
 なお、北海道新聞夕刊の林氏の「コスタリカエコツアー報告」は1月18日にも後編が掲載されることになっています。

※ このブログを投稿後、林氏から北海道新聞の夕刊ではなく、朝刊に掲載されると指摘がありました。私の勘違いをお詫びして、「18日朝刊掲載予定」と訂正させていただきます。

大盛況! 札幌市青少年科学館

2010-01-12 19:57:59 | 札幌(圏)探訪
 初めて訪れた青少年科学館は冬休み中の休日とあって親子連れで大賑わいでした。盛況なのは何よりなのですが、一見するとアミューズメント施設で遊ぶ親子と見えたのだが・・・。 

        
        ※ サンピアザ水族館の横に建つ札幌市青少年科学館です。        

 入館者がやや寂しいかなと思えた水族館に比べ、直ぐ隣の青少年科学館は大勢の親子連れで賑わっていました。
 内部は科学のさまざまな分野の基礎知識を学ぶコーナー、それらを応用した現代技術を学ぶコーナーなど、全てが体験しながら学ぶ工夫が施された機器が並んでいます。
 そこで子どもが、あるいは親子が懸命に機器を操って現象の変化を楽しんでいます。
        
        ※ 館内はたくさんの家族連れで賑わっていました。
        
 私は商売柄もあり(?)過去に道内各地の類似施設をいくつも見ているので(先日も年末に釧路市の遊学館を訪れました)、展示物に特別な珍しさもなかったので一歩引いて子どもたちが楽しむ様子をうかがっていました。
 すると、機器の操作に夢中な子どもは次から次へと機器を渡り歩き、その現象についての説明などは見ようとしていないようです。それは子どもばかりではなく、親も同様のように見受けました。
        
      ※ 館内ではご覧のサイエンスショーなど企画ものも催されていました。

 「こんなことでいいんだろうか?」と一瞬思いましたが、「いやいや、これでいいんだ!」と思い直しました。
 多くの子どもにとって青少年科学館に来ていることはアミューズメント施設に来ている感覚なのかも知れません。親もあるいは???
 こうした体験施設としては、多くの人たちにまずは来ていただく、来館してもらうことが最初の目的なのでしょう。
 そのためには来館者が「楽しい!」と感ずるような施設づくりが必要となってきます。
 楽しい施設には自然と多くの子どもが集うようになります。
 その上で、科学の不思議、科学の楽しさに芽生える子どもの誕生を期待するというのが隠された真の目的なのだと思います。

 館ではちょうど「大ロボット展2010」が開催されていて、この展覧会の開催が大盛況に拍車をかけていたようでした。
        
        ※ ロボット展の入り口にはヒューマノイドロボットの受付嬢
         が出迎えてくれました。

 入館料の700円、プラネタリウム500円(但し、中学生以下無料)はけっこうな料金ですが、中学生以下が無料となれば、これは家族連れで一日過ごすには教育的要素も加味されていて案外素晴らしいスポットと云えそうです。(私は水族館と科学館両館の共通券を利用したので1,750円でした)
        
        ※ ご存知のASIMOの歴史的変遷です。左側が1993年製、
         真ん中が1997年製、右側が2000年製です。最新ASIMO
         の展示は残念ながら終了していました。