田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

仙台城跡(青葉城址) & 定禅寺通り

2024-11-10 18:26:20 | 道外の旅
 私の中で「定禅寺通り」は、私が体験した中で最も素晴らしい通りとして記憶に残っていた。その「定禅寺通り」は私の期待を裏切らなかった。しかし、仙台城跡は本丸跡の辺り一帯が商業施設となっていたのはいかがなものか?

 今回の盛岡、仙台の旅の最終レポである。
 東北の旅の最終日11月4日、私は盛岡を朝早く発って仙台空港からのフライトまでの時間を利用して、仙台市内を巡ってみようと計画した。

    
    ※ 仙台駅です。仙台駅前は人道(ピンク色の部分)と車道が写真のように分離され、人と車が交差さない造りとなっています。
 その巡る手段として、「るーぷる仙台」という決められたコースを定時で巡る市内観光バスを利用した。時間が半日程度しかなかったので、巡るところは「仙台城址」、「仙台市博物館」、そして「定禅寺通り」に絞った。

     
     ※ レトロな雰囲気で仙台市内を巡る「るーぷる仙台」のバスです。

 問題はキャリーバックだった。駅周辺のコインロッカーを数か所回ったが全て使用中で預けるところがなかったのだ。三連休で仙台には観光客が集中していたようだ。困った私は駅の観光案内所に伺い、駅からかなり離れたところにある割高な店を紹介され、なんとか事なきを得た。
 早速「るーぷる仙台」を駆って最初の目的地「仙台城址(青葉城址)に向かった。仙台城址は仙台駅からおよそ25分で着いたが、意外に思えたのは仙台駅を出発してそれほど時間を経つことなく山間に導かれたことだ。周りは樹々に覆われ、ぐんぐんと高度を増したところに城址はあった。
    
    ※ 仙台城址の高台から仙台市内を眺めたところです。
  
 実は私は「仙台城址」は2度目だったのだが、前回訪れて印象に残っていたのは「伊達政宗像」だけだったので、今回も政宗像に真っすぐ向かった。私同様、観光客はみな列を作って政宗像の前で記念写真を撮っていた。
    
    ※ 伊達政宗公騎馬像です。この像も東日本大震災の被害を受けたとか?

 その横には名曲「荒城の月」の作詞者:土井晩翠の胸像と歌碑が建てられていた。
    
    ※ 仙台が生地の土井晩翠の像と歌碑です。(仙台城址内に建てられていました)

 さらにその近くに大きな翼を広げた像があった。しかし、その像は明らかに台座の前に置かれているように見えた。傍の説明板を見ると、「昭忠碑」という戦没者慰霊碑だそうだが、2011年の東日本大震災の際に台座から落ちたそうだが、台座の上に設置されることなく現在のような姿になっているとのことだった。
        
    ※ 昭忠碑ですが、台座の前に大鷲(?)の像が置かれていました。
    
    ※ 在りし日の「昭忠碑」の写真を見つけました。

 本丸跡と思われるところには「青葉城資料展示館」が建っている。とはいっても、展示館の周りはレストランや土産物屋さんが取り囲んでいた。私は以前に来た際に観覧した記憶があったが、この後に「仙台市博物館」を訪れる予定もあったのでパスした。
 その後、私は「るーぷる仙台」を駆ることなく仙台城址の坂下にある「仙台市博物館」に徒歩で向かった。
 「仙台市博物館」はたいそう立派な外観の建物で、内部の展示も洗練されたレイアウトで整えられていた。博物館はどこの博物館もそうであるように時代に沿って地域の歴史が展示されていた。仙台の歴史を振り返る時、なんといっても伊達政宗である。政宗の業績を中心に展示が充実されていた。

    
    ※ 仙台市博物館のエントランスです。像の説明がなかったのが残念でした。
    
※ 博物館の庭には若き日の魯迅が東北大に留学していたことを記念する碑が建っていました。
        
        ※ 博物館内に展示されていた伊達政宗公の甲冑です。

 その中でも特に、政宗の命を受け仙台藩とスペインとの貿易交渉のために遣欧使節団として派遣された「支倉常長の光と影」というフィルムが印象に残った。
 支倉常長は「日本人として初めて太平洋・大西洋の横断に成功し、初めてヨーロッパの国へ赴き外交交渉をする」という歴史的偉業を成し遂げたのだが、遣欧されている間に徳川幕府はキリスト教禁止令が発せられたこともあり、7年間もの長きにわたり粘り強く交渉したのだがまとまらず失意の帰国となってしまった。帰国後もキリスト教がご法度となっていたために要職に就くことはなく一生を終えることになってしまった彼の軌跡を追ったフィルムは見応えがあった。
 博物館を後にし、再び「るーぷる仙台」を駆って「定禅寺通り」に移動した。私は「定禅寺通り」の端にあたる「せんだいメディアテーク」というバス停で降り、定禅寺通りを歩いて縦断した。頭上高くに聳えるケヤキ並木の下を歩くのはなんとも心地良いものだった。私はこの通りで開催される「定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台」に一度訪れたいと思いながら実現できていないのが残念である。ただ、ちょっと意外だと思ったのは、感激しながら歩いていたらアッという間に通りが終わってしまったことだ。「こんなに短かったかなぁ…」というのが正直な感想である。資料によると長さが約700メートルとのことなのだが…。
    
    ※ 私が訪れた時は夕刻が迫る時間帯だったため、ケヤキが暗いですね。
    
   ※ ネット上から良い写真を見つけました。写真のような彫刻も各所にありました。
     
     ※ 定禅寺通りと、仙台の夜の繁華街「国分町」が続いていました。

 私は「定禅寺通り」から「るーぷる仙台」は使わずに駅まで徒歩で向かうことにした。その時通ったのが「青葉通り」である。こちらも見事なケヤキ並木が続いている通りだった。長さも資料によると約1.5キロとのことで、スケールからいくとこちらの方が勝っているのだが、仙台市民から愛されているのはやはり「定禅寺通り」なのかな?ネーミングがいいですものねぇ…。

     
     ※ こちらは「青葉通り」です。この写真もお借りしました。

 仙台の魅力はまだまだたくさんあるのだろう。いつかまた訪れるときはあるのだろうか?訪れてみたいとは思うのだが…。

時計台ワンコインコンサート Vol.3

2024-11-09 11:16:37 | ステージ & エンターテイメント
 ワンコインで上質の音楽を楽しめるなんて!?私は迷わず参加を決めたが、「マ・コルド・ダルク」のピアノディオ、札響チェロ奏者の小野木遼さんのチェロソロともに上質の音を十分に楽しめた夜だった。

     

 昨夜(11月8日)夜、札幌時計台ホールにてマ・コルド・ダルク「時計台ワンコインコンサート Vol.3」が開催された足を運んだ。
 ワンコインコンサートは「クラシック音楽の普及・発展のため、低料金でふらっと立ち寄れるようなコンサートを開きたい」というマ・コルド・ダルクのお二が発想し、企画されたコンサートだと聞いている。
 「マ・コルド・ダルク」のお二人とは、岩見沢市出身の岩田真由美さんと仙台市出身の山川充さんが、フランス・ベルギーで共に6年間研鑽に励んだことが縁で2023年に結成されたピアノディオだそうだ。
 この夜はさらにゲストとして、岩田さんと東京芸術大学で同級生だった札響のチェロ奏者である小野木遼さんが趣旨に賛同してステージに登場し、さらにステージを盛り上げてくれた。
 この夜、演奏された曲目は…、
《ピアノ連弾/マ・コルド・ダルク(岩田真由美 & 山川充)
 ◇バッハ/羊は安らかに草を喰み BWV208
 ◇バッハ/主よ、人の望みの喜びよ BWV147
 ◇ヴォルフガング・リーム/いつくかの短いワルツより 1.17.16.7.6.18.19番
    (休  憩)
 《チェロ独奏/小野木遼 (伴奏/岩田真由美)》
 ◇バッハ/無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BW V1007
             1.前奏曲2.アルマンド3.クーラント4.サラバンド5.メヌエット6.ジーグ
 ◇ブラームス/歌曲より メロディーのように 作品105-1
             森に覆われた山の上から 作品57-1
             愛の歌 作品71-5
〈アンコール〉
 ◇コルサコフ/熊蜂の飛行
 これだけの奏者、内容でワンコイン(500円)とは、贅沢の極みである。「マ・コルド・ダルク」、「小野木遼」それぞれ単独のコンサートでも、最低3,000~3,500円が現在の相場ではないだろうか?私のようにクラシックに疎い者が入門的に聴かせてもらうには最適なコンサートである。正直に吐露すれば私はこの夜クラシックのピアノディオを初めて聴いたと思う。その私にはイマイチピアノディオの良さを感得できなかったのが正直なところだ。唯一、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」は聴いたことのある旋律だったのでピアノソロとの違いを感じ取れたが…。
 私はむしろこの夜は、ゲストであった小野木氏のチェロの柔らかな音にどこか安らぎのようなものを憶えたひと時だった。
 いずれにしても「マ・コルド・ダルク」のお二人の志には感謝したい。機会があればまた参加したいと強く思った。

道民カレッジ「学びカフェ」 in 帯広第3講

2024-11-08 16:05:55 | 講演・講義・フォーラム等
 帯広での「学びカフェ」は今回が3回目だった。受講生の皆さんと少しは顔馴染みになれたかな?と思われたが、今回が最終回だった。今回は北海道の難読地名について皆さんと学び合った。

         

 昨日、帯広市の「とかちプラザ」において、私にとって3回目となる道民カレッジの「学びカフェ」の講座を担当した。(私にとっては3回目であるが、「学びカフェ」自体は帯広市で5回目の開催だった)
 私は1回目に「図書館に行きましょう!」、2回目は「俳句を創りましょう!」をテーマとして皆さんと学び合ったが、今回は十勝地方に多い「難読地名を読みましょう!」をテーマとした。私が調べたところ、特に十勝地方、釧路地方には難読地名が多いことが分かったからだ。
 最初に、先日訪れた宮城県の片田舎の「小牛田」という駅名を挙げて皆さんに考えていただき、その地名が「こごた」という呼び名であることを伝え、「地名って他の地方に住んでいる方にとってはわりとむずかしいものですね」と話して導入とし、「実は皆さんが住んでいる十勝地方には、他府県の方から見て難しい地名が多いのです」と話をして授業(講座)に入っていった。

    
   ※ 「学びカフェ」は一度に2講座があります。私とペアの講師の方の講座風景です。

 その中でも、私もびっくりした地名があった。それは「白人」という地名である。諸兄はこの地名を何と読むであろうか?
 なんと!この「白人」は「ちろっと」と読むのだそうだ。その由来は、アイヌ語で「鳥が多くいる沼」というのを「チル・オッ・トー」と発音するそうだ。その「チル・オッ・トー」を短く発音すると「ちろっと」となり、それに「白(ちろ)」、「人(っと)」と漢字を当てはめたとされているようだ。
 地元の受講生の皆さんの中に「白人」の呼び名を苦も無く答えてくれた方がいらっしゃった。さすがに地元の方である。
 そのことに私は驚きながらも、ネット上で見つけた「北海道民でも読めないかもしれない難読地名26選」という地名を皆さんに提示し、ワークシートを渡してそこにひらがなを振っていただいた。その26選とは?
 ①厚岸、②留寿都、③積丹、④由仁、⑤喜茂別、⑥美唄、⑦留辺蘂、⑧長万部、⑨花畔、⑩遊楽部、⑪増毛、⑫歌志内、⑬一已、⑭弟子屈、⑮入境学、⑯濃昼、⑰忍路、⑱生振、⑲知方学、⑳胆振、㉑占冠、㉒倶知安、㉓興部、㉔老者舞、㉕重蘭窮、㉖鼈奴
の26である。どうでしょうか?諸兄はいくつ読めただろうか?(答えは最後に提示します)
 こちらの26選は十勝地方の地名だけではなかったので、受講者たちはさすがに苦戦している方もいらっしゃったが、それなりに書かれていた方もいたようだ。学校の授業ではないので結果は問わず、正しい読み方を紹介した。
 そして実は北海道は先住民族であるアイヌの人たちが、アイヌ語で読んでいた地名に漢字を当てたために難解な呼び名の地名が多いことを伝えた。
 ところが!私が「実は十勝地方はアイヌ語で呼ばれていた地名がわりあい多いところなのです」と話し、私が調べた難読地名と思われる地名を市町村別に63もの地名を提示していったところ、なんと!63の全ての地名を誰か彼かが答えてくれたのだ。このことには正直言って驚いた。例えば、「伊忽保」、「茂発谷」、「当縁」などという地名を読めるだろうか?
正解は「いこっぽ」、「もはちゃ」、「とうべり」である。これは地元の人でなければとうてい読むことができないが、反対に地元の人たちは良く知っているなぁ、というのが私の正直な感想だった。
 最後に私は次のようにお話して私の講座を締めた。
「私たち道民にとって難解な地名は、北海道を訪れる他の都府県民にとってはまるでチンプンカンプンということかもしれません。観光客などから地元の地名を尋ねられることがあるかもしれません。そうした方々に案内することができたら楽しいのではないでしょうか?これを機会に地元の地名に精通しませんか?」

    
 ※ スタッフの方が、二つの講座をホワイドボードにグラフィックレコーディングという手法でまとめてくれました。

 なお、先に示した難解26選の地名の呼び方は次のとおりである。
 ①あっけし、②るすつ、③ちゃこたん、④ゆに、⑤きもべつ、⑥びばい、⑦るべしべ、⑧おしゃまんべ、⑨ばんなぐろ、⑩ゆうらっぷ、⑪ましけ、⑫うたしない、⑬いちやん、⑭てしかが、⑮にこまない、⑯ごきびる、⑰おしょろ、⑱おやふる、⑲ちっぽまない、⑳いぶり、㉑しむかっぷ、㉒くつちゃん、㉓おこっぺ、㉔おしゃまっぷ、㉕ちぷらんけうし、㉖べっちゃろ

ヘルシーウォーキング㊼ 歴史・伝統・風景を楽しめるまち「もりおか」を感じる盛岡ウォーク

2024-11-07 20:57:27 | JRヘルシーウォーキング
 コース名が誇るとおりまさに盛岡市の歴史・伝統・風景を楽しませてもらったヘルシーウォーキングだった。街中に古い建物が多く残り、古代と現代が見事にマッチしていて楽しく歩かせてもらった10.5キロだった。

    

 11月3日(日・祝)、私にとって道外におけるヘルシーウォーキングに参加するのは初めて参加する「盛岡ウォーク」だった。(主催のJR北海道では年に1~2度東北の地で開催している)
 朝、8時半過ぎ盛岡駅をスタートした。天気は快晴のウォーキング日和だったが、朝の冷気の残る中でのスタートだった。

    
    ※ 新幹線駅と同居する盛岡駅です。

 まずは駅前から北上川沿いを北上し、「旭橋」を渡る。その際、ブログでも投稿したが橋上から北上川の流れ、そして岩手山を遠望できるという素晴らしい光景に出会った。

    
    ※ 旭橋の橋上から見た北上川の流れと、その向こうに岩手山が望めました。

 その後は盛岡の中心街をやや外れた地域を周回するコースで特に印象に残る光景とは出会わなかった。私のペースはきわめてゆったりしたペースで進んだ。途中、信号待ちのところで夫妻で参加しているペアと一緒になったので「地元の方ですか?」と声をかけてみると「函館からです」という答えが返ってきた。今回はJR北海道とJR東日本の共催事業なので北海道民以外も沢山参加されているようだった。
 およそ3キロも進んだろうか?「盛岡地方裁判所」の前庭に立つ「石割桜」を見物した。巨大な花崗岩の割れ目から、樹高110メートルとも云われている巨大な江戸彼岸桜が屹立していた。一帯は官庁街が岩手県庁、そして岩手県公会堂と並んでいた。

    
    ※ 盛岡地方裁判所の前庭に植わっている「石割桜」です。
    
    ※ 手前が岩手県議会議事堂、奥が岩手県庁です。
    
    ※ ちょっと歴史を感じさせてくれた岩手県公会堂です。(現在は貸館だそうです)

 私は今回はゆったりとウォークすることを心がけていた。5キロも進んだろうか?公園のベンチで一回目の休憩をとった。休憩後に中津川を渡ると盛岡市の旧市街のような地区に導かれた。辺り一帯は「紺屋町番屋」と呼ばれる江戸時代(?)の頃の火消番屋の鐘楼が今の残り、他の建物も歴史を感じさせる風情を残していた。それらの建物はカフェとか土産物屋として活用されているようだった。

    
    ※ 歴史を感じさせる消防の鐘楼が珍しかったです。

 そして盛岡の歴史的建造物の一つである「岩手銀行赤レンガ舘」の前に立った。赤レンガ舘は拙ブログでもレポしたが、東京駅を設計した盛岡出身の葛西萬司氏が設計したとのことで東京駅の面影を感じさせる外観となっていた。館内では八幡市の漆器工房の職人さんたちが漆器の工程を実演していて、それをじっくりと見学させてもらった。漆器は漆を何度も何度も塗り重ねられて完成していることを実感させてもらった。

    
    ※ 存在感のある岩手銀行レンガ館の外観です。
    
    ※ レンガ館の中では漆器職人が漆塗りの実演をしていました。
 
  赤レンガ館の傍ではショッピングセンターの販促活動の一環だろうか「盛岡さんさ踊り」を小学生たちが踊り、その周りを多くの人たちが取り巻いていた。

    
    ※ レンガ館横のショッピングセンター前では小学生の「盛岡さんさ踊り」が披露されていました。

 そしてコースは「鶴岡八幡宮」を目ざす参道に入った。この辺りは下町的な雰囲気もあったが、そこで気付いたことがあった。歩道が狭いのだ。本州の歴史のある町では時折りそうした狭い歩道に出会うことがあるが、改良は難しいのかもしれない。
 「盛岡八幡宮」は、祝日そして日曜日とあって多くの善男善女で賑わっていた。特にこの時期は「七五三」のお祝いにお参りされている方の姿も目立った。

    
    ※ 風格ある盛岡八幡宮の本殿です。
    
   ※ 盛岡八幡宮の境内では、写真のように七五三を祝うお子さんの姿が目立ちました。

 「盛岡八幡宮」を後にすると、「盛岡町屋」と呼ばれている一帯を通過する。この一帯も古い街並みが続いていた。

    
    ※ またまた昔の鐘楼に出会いました。盛岡市内にいくつ残っているのかな?
    
    ※ 盛岡町屋と呼ばれる一帯の歴史を感じさせる建物が並んでいました。

 そして中津川の川辺に建つ「新渡戸稲造生誕の地」を見て、中津川を再び渡ると「盛岡城跡公園」に導かれた。盛岡城跡公園をグルっと一回りするコースだったが、私はもちろん公園内も巡り歩いた。小高い丘に上に位置する城跡だが、特に残存する建物はなかったが、本丸が建てられていたと思われるところに銅像の台座のようなものが残っていた。調べてみると、それは盛岡藩主・南部家の子孫である南部利祥氏が日清戦争に従軍した際、明治維新で盛岡藩が朝敵となった “汚名” を注ぐ活躍をしたが戦死したことを市民が悼み有志で銅像を作成したそうだ。(明治41年)しかし、太平洋戦争の際に戦時動員で銅像は供出され(昭和19年)、今は台座のみが残っているのを私が見たということだ。

    
    ※ 盛岡出身の新渡戸稲造の銅像が建てられていました。
    
    ※ 盛岡城跡の本丸跡と思われるところに残されていた台座です。

 城自体は高い石垣だけが当時を偲ばせている。公園内にあった「もりおか歴史文化館」は今回はパスした。

    
    ※ 盛岡城跡公園で唯一城跡と分かる石垣が周りを取り囲んでいました。

 公園を一周するといよいよラスト1.5キロである。北上川沿いの道路を北上して盛岡駅を目ざすと、古い盛岡から新しい盛岡を象徴するように高いビル群が目に入ってくる。

    
    ※ 盛岡駅に近づくと、近代的なビル群が目立ちました。

 最後に北上川に架かる「不来方橋」を渡るとゴールの盛岡駅だった。

    
    ※ 盛岡駅近くの「不来方橋」から見る北上川と岩手山です。

 記録は取っていなかったが、掛けた時間は4時間前後だった。いつもの倍近い時間をかけて10.5キロを歩いた。私にはこれが心地良かった。
 何も時間を競うウォーキングではない。それと分かってはいてもついつい先を急いでしまうのがこれまでのJRウォーキングだった。今さらながらにウォーキングの楽しさに気付いた思いである。楽しく、充実した思いでゴールできたことが何よりだった。
◇ウォーク実施日  2024年11月3日(日・祝)
◇歩いた距離    約10.5 km

民話の里・遠野市と賢治のふるさと花巻市を巡る

2024-11-06 17:57:11 | 講演・講義・フォーラム等
 幽玄の郷を思わせる遠野盆地、そして宮沢賢治一色に塗りつぶされたかのような花巻市を巡った。それは文学に疎い私にとって遠い世界でもあったが、異郷に足を踏み入れ私なりに感ずるところもあった。

 11月2日(土)は、JRの「いわてホリデーパス」を利用して、盛岡近郊(でもないかな?)の遠野市と花巻市を訪れた。
 まずは、柳田國男の「遠野物語」で有名になった遠野市を目ざした。盛岡市からは乗り継ぎも含めて約2時間15分かかった。(実際の乗車時間は1時間40分だったのだが)遠野市での滞在時間はわずか2時間である。あいにくの雨のためレンタサイクルが使えなかったので、遠野市内の中心部を徒歩で巡るのが精一杯だった。

    
    ※ JR「遠野駅」です。

 私は観光案内書で入手したマップをもとに、駅前から真っすぐ南に伸びる道路を「遠野市博物館」を目ざした。その道路の沿道には「民話の里遠野」らしく、遠野物語に関連したものだけではなく、世界の民話や童話の主人公の像(ex.桃太郎、雪女、あかずきん、など)があちらこちらに立てられていた。特に記憶に残ったのはやはり遠野駅で最初に登場した「遠野物語」に登場するカッパたち(4人?4匹?)が池の周りで相談している像だった。

    
   ※ 遠野駅前に造られた池には遠野物語に登場するカッパたちが像が立っていました。
    
    ※ この像は「雪女」の像です。
    
    ※ こちらも遠野物語に登場する「獅子踊り」の像です。    
    
    ※ 通りには立像だけでなく、路上にはデザインされた陶板も敷設されていました。写真は「ザシキワラシ」の一場面を具象化したものです。

 「遠野市博物館」では、遠野物語の一節が水木しげるさんの作画で動画化されているフィルムを興味深く拝見した。しかし、滞在時間2時間では遠野の魅力のほんのさわりに触れただけということかもしれない。 

    
    ※ 遠野市博物館のエントランスです。
    
    ※ 博物館内で上映されていた水木しげるさん原画のカッパです。
    
    ※ 博物館内に展示されていた「ザシキワラシ」を具象化した像です。

 そのことより、花巻市から遠野市の向かう列車が東北の山奥深く踏み入っていく時間が私には印象深かった。ちょうど小雨が降っていたこともあり、山々には雲がかかり、その中から鬼やカッパなど人々に言い伝えられている生き物が今にも出てくるのではないか?といった雰囲気を醸し出し、まさに「幽玄の郷」といった趣きだった。

    
  ※ 遠野に向かう列車の中から撮った一枚です。いかにも幽玄の郷に向かう雰囲気です。

 続いて遠野市から折り返し、「宮沢賢治童話村」が近い「新花巻駅」で下車し、徒歩で童話村に向かった。花巻市観光は宮沢賢治一色といった感じで「宮沢賢治童話村」を始め、「宮沢賢治記念館」、「宮沢賢治イーハトーブ館」、「早池峰と賢治の展示館」、「宮沢賢治生家」、「賢治の広場」等々、宮沢賢治関連の施設や史跡に溢れている。その中でも「宮沢賢治童話村」が最も彼の世界を知ることができるのではとチョイスしたのである。さらには童話村の横に「花巻市博物館」が立地していたのも、その理由の一つである。
    
    ※ 宮沢賢治童話村のエントランスとなっていた「銀河ステーション」です。
    
    ※ 賢治作品の「やまなし」の一節を表現した石碑です。
    
    ※ 童話の村の中心施設である「賢治の学校」の外観です。
    
    ※ 「セロ弾きのゴーシュ」の作品を具象化した人形たちです。
    
    ※ こちらは「注文の多い料理店」のはじまりを具象化した作品です。
    
    ※ 「賢治の広場」に建っていた野外ステージです。
    
※童話村の小高いところには5棟の「賢治の教室」が並んでいました。(写真はウェブ上から)

 「宮沢賢治童話村」は新花巻駅から1.3キロ、雨の中を一人歩いて向かった。メインの施設「賢治の学校」を中心に、「銀河ステーション」、「天空の広場」、「賢治の教室」(5棟)、「妖精の小径」、「山野草園」などの施設が散在しているいわば野外公演のような施設だった。メイン施設の「賢治の学校」は、賢治の作品をイメージした内装が各所に施され、賢治ファンにとっては、「あゝ、あの場面だ。この場面はあそこに書かれていたところだ!」感激するのだろうが、賢治作品に疎い私にはファンタージーな空間という感想しかもてなかったのは残念である。いずれにしても、「宮沢賢治童話村」は、宮沢作品を具現化した施設として人気を博している施設のようである。
 続いて私は、隣の「花巻市博物館」を訪れた。こちらは極端なほど宮沢賢治についての展示はなかったようだ。博物館ではちょうど花巻市近辺の縄文時代の発掘展が開催されていたが、私が昨年訪れた北東北の縄文遺跡群と遜色のない出土品が展示されていた。私はそこで窓口の係員に「これほど素晴らしい出土品があるのに、どうして世界遺産に登録された北海道・北東北縄文遺跡群の構成遺産に含まれなかったのでしょうか?」と尋ねたのだが、係員から要領を得た答えを得ることができなかった。そこで私は花巻市が北東北地方とはやや距離が離れていることがその理由かな?と自分を納得させた。

    
               ※ 花巻市博物館の外観です。
    
    ※ 花巻市近くの古墳からも遮光器土偶が発掘されていたようです。

 二つの観光地とも、私が訪れることができたのはほんの僅かな一部に過ぎない。移動手段が列車と徒歩に限られたのでは致し方ないことである。しかし、そのことが訪れた施設や史跡をより深く味わえた(本当かな?)ことも事実であると思い自分を納得させた。

世界遺産「中尊寺」を観る

2024-11-05 20:09:35 | 道外の旅
 中尊寺の寺院の多さに圧倒された。その一つ一つに大きな意味があるのだろうが、未知の私にはただ、ただその寺院の数の多さに驚いた。また、中尊寺の最大の呼びものである「金色堂」はやはり特別感を感じさせてくれた。

 今回の旅の第一の目的はJRヘルシーウォーキングに参加することだったが、それと同時に世界遺産に登録されている「中尊寺」を観ることも大きな目的の一つだった。世界遺産という名に弱いのである。
 中尊寺は、2011(平成23)年に「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として登録された。つまり、構成遺産としては 国宝の「中尊寺金色堂」、特別名勝「毛越寺庭園」、特別史跡「中尊寺境内」、特別史跡「毛越寺境内附鎮守社跡」、特別史跡「無量光院跡」などが構成遺産となっているようだ。
 
 ※ 中尊寺境内の概念図です。右側通路から入境し、金色堂は左奥に位置しています。

    
    ※ 中尊寺は小高い丘の上にあり、平泉の地区を見下ろす形になっていました。

 しかし、勉強不足の私には「毛越寺」とか「無量光院」などには関心はなく、時間的にも難しかったので「中尊寺境内」並びに「中尊寺金色堂」だけが目当てだった。もっともこの日私は「岩手県立空泉世界遺産ガイダンスセンター」「平泉文化遺産センター」の2施設を同時に訪れたのだが…。
 平泉では駅前からレンタサイクルを利用し、巡り歩いた。もちろん中尊寺境内は徒歩であったが…。
 中尊寺はまず「月見坂」というけっこうな斜度の坂を上ることから始まる。両脇には高い杉木立が並んでいるが、これは中尊寺を建立した藤原氏たちの時代ではなく、江戸後期になってから植えられたものと言われているそうだ。

        
        ※ 参詣路の両側に屹立する杉並木です。

 月見坂の上りの途中に一つだけ「弁慶堂」が建っているが、他は上り切ったあたりから小院が左右に立ち並び、そして「中尊寺本堂」が一段と存在感を放ちながら建っていた。

    
    ※ 参詣路(月見坂)で最初に出会った「弁慶堂」です。
    
    ※ 中尊寺の本院です。

 そして肝心の「金色堂」は境内の一番奥の一角に建てられていた。「金色堂」は「覆堂」といわれる「金色堂」を覆うような建物の中に鎮座していた。その「金色堂」はもう上から下まで仏像をはじめとして全てが金色に塗り固められたものだった。その中、堂内の柱には夜光貝の独特の七色が印象的だった。ただ、仏像などの一部はさすがに時代を経たためか一部光を失っている部分も散見されたが、仕方のないことか…。

    
    ※ 「金色堂」が入る「覆堂」です。(平成23年建立)
※ 金色堂全体図です。
  
  ※ 金色堂を近影したものです。(仏像の下に藤原氏三代の遺骨が眠っているそうです)

 私にとって意外に印象的だったのは、「金色堂」から少し離れたところに建っていた「旧覆堂」と称された古い建物だった。「金色堂」そのものは1124年、藤原氏の初代清衡公によって建てられたのだが、当初は建物そのものが戸外に露出していたようだ。それを1288年に鎌倉幕府が「金色堂」を雨風から護るために「金色堂」を覆う「覆堂」を建設したのだという。以来、600年以上も「覆堂」は「金色堂」を護り続けたのだが、2011(平成23)年に新たな「覆堂」が完成し、役目を終えたが境内に今なお残されているとのことである。

    
    ※ 金色堂を600年以上にわたり護り続けた「旧覆堂」です。

 時間が許せば、もっともっと丁寧に一つ一つの寺院などをじっくりと観察したかったのだが、私の持ち時間はあまりにも少なかった。この他に訪れた「岩手県立空泉世界遺産ガイダンスセンター」と「平泉文化遺産センター」についても触れたいところだが割愛することにしたい。
    
    ※ 岩手県立空泉世界遺産ガイダンスセンターの外観です。
    
    ※ 平泉文化遺産センターの外観です。

 最後に、中尊寺自体が朽ち果てるに任せていた江戸時代に訪れた俳人・松尾芭蕉の残した二句を紹介し、本日のレポとする。

    
    ※ 金色堂の直ぐ横に立っていた松尾芭蕉の句碑です。 

  「夏草や 兵どもが 夢の跡」 
 
   「五月雨の 降り残してや 光堂」

 ※ 金色堂自体は撮影がNGだったのでウェブ上から拝借した。他は私が撮影したものです。

定禅寺通り

2024-11-04 17:55:00 | 道外の旅
 本日の最終便です。
 現在、空港で無事にチェックインを済ませ、搭乗を待っているところです。
 仙台城跡を終え、その後仙台市博物館、定禅寺通り、と巡ってきました。
 博物館はレイアウトが綺麗すぎるきらいを感じましたが、さすがに伊達政宗に関する展示が多いのは仕方のないことなのでしょうね。
 期待の「定禅寺通り」は20年前に来仙した際にとても感激しましたが、相変わらず頭上を覆うようして屹立するけやき並木には今回も圧倒されました。ただ、私の中に描いていたほど長くなかったなぁ、というのが正直な感想です。
 長さ、規模からいうと「青葉通り」のほうがスケールは大きいかもしれません。ともかく、仙台の主要な道路が頭上を覆うように大木が並んでるいる様は見事でした。
 写真は夕刻が迫る「定禅寺通り」です。
 明日から旅の詳報を少し綴りたいと思っています。

仙台城跡

2024-11-04 13:31:00 | 道外の旅
 第2信を発信します。
 予定より約1時間遅れで仙台に着きました。
 三連休の最終日と好天気が重なって、仙台駅前は観光客でごった返しています。
 苦労して市内を巡る観光バス「るーぷる仙台」に乗るのも一苦労でした。その「るーぷる仙台」を駆って「仙台城跡」に来ています。仙台城も盛岡城跡と同様、本丸や天守閣などは何もありません。ただ、ここの売りは「伊達政宗公の騎馬像」が有名です。観光客は皆この像の前で記念写真を撮っています。
 私はこの後、仙台市博物館と定禅寺通りを見て、仙台市観光を終える予定です。

小牛田駅にて

2024-11-04 10:25:00 | 道外の旅
本日第1信です。
 盛岡から各駅停車の鈍行で仙台に向かっています。
 ところが‼️
 なんと、信号機の安全確認のためとかで「小牛田」駅で50分程度の足止めをくらってしまいました。旅につきもののアクシデント?
 まあ、旅程としては余裕を持たせてありますので、慌ててはいませんが…。仙台観光の時間が多少削られますが…。
 ところで「小牛田」は何と読むでしょうか。私はぜんぜん読めませんでした。「こうしだ」ではありませんよ。回答は本日の最終便で明かします。
 写真は足止めされた「小牛田」駅の構内です。
 

残念!わんこそば食せず…

2024-11-03 15:18:00 | 道外の旅
 JRウォークにゴールした時、午後1時を過ぎていたのでお腹が空いていました。
 「盛岡三大麺」の残り、わんこそばを食そうと思いました。と言っても、歳が歳ですし、ひとりですから本格的なお店で、本格的にわんこそばを食す勇気はありません。ネットで調べたところ、駅ビルの中に格好の店を見つけました。
 そのメニューは「お試し10杯コース」(1,650円)というものでした。さらに「おかわり10杯 500円)と私には格好と思えるメニューでした。勇躍お店に向かったのですが満員でした。しばらく待って、店員に伺うと、「もう、昼の部は麺がありません」と言うのです。「それじゃ、夕方は?」と問うと「予約で満員です」ということでした。残念ながら諦めるしかありません。
 さあ、困った。その時頭に浮かんだのが、ゴール寸前に駅前に出店し、派手なメニューを店外に張り出していたラーメン店を思い浮かべました。「ラーメンおっぺんしゃん」というお店でした。
 店の名前も独特ですが、ラーメンもなんだか個性がありそうでした。お腹が空いているので、熟考することなく入店して、一番人気だという「おっぺんしゃんラーメン」(880円)醤油味をチョイスしました。
 「おっぺんしゃん」とは、「けっしてべっぴんではないが、気立ての良い人気者」という意味の熊本弁だそうです。つまり「ラーメンおっぺんしゃん」とは、熊本の豚骨ラーメンをルーツとするラーメンのようなのです。(あくまで創業は盛岡なのですが)
  ということで、食した「おっぺんしゃんラーメン」でしたが、予想どおりラードが効いた濃い味のスープでした。ただ、麺はたまご麺で私的には好みの麺でした。
 ということで、わんこそばに振られたお話でした。
 写真は「おっぺんしゃんラーメン」です。