モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



1月はすごい寒波で出かけることができませんでしたが、そんな中 少し晴れた日に秋月に行きました。懐かしい風景が見えました。

下流右岸側から観ています。私は気が逸っていて、車をロックしたつもりが後で見たらドアはドーンと開いたままでした。




下に降りてみました。『石橋は生きている』山口祐造著 1,000以上の石橋が紹介されているんですが表紙は「秋月眼鏡橋」です。

福岡県人の石橋ファンとしては嬉しいことです。秋月眼鏡橋をご紹介します。




この石橋は文化10年(1810)に架けられたもので ことに花崗岩使用は国内でも珍しく・・・県文化財に指定されています。(案内板より 以下青文字)

触れるところまで行けるって嬉しいんですよ。大工さんも庄屋さんも村人も大勢かかわっているのに何故か石工さんありがとう です。




この橋がかけられる以前は板橋であり、そのため一度大雨が降れば野鳥川が氾濫し橋の流されることがたびたびで・・・

野鳥川・・・川の名前もゆかしい。。橋部です。右岸から左岸へ渡ります。




眼鏡橋の上流左岸側から観ています。私は上下左右しかわからず東西南北がてんでダメなんですがこちら側には雪が残っています。




上流を見てみました。石がゆるい階段状態 坂道状態で敷いてあります。水もきれいでした。その名の通り野鳥もいるでしょうね。




今度は雪の残る下流右岸側から下りてみました。思いがけず雪の残る石橋・・・・いつまで見ても飽きません。




秋月藩は長崎警備の代番を命ぜられ長崎に赴くことが多かった。中島川の石橋を観て・・・
最初は長崎橋 と言っていたそうです。 もう少し近づきます。




福岡県でも八女は肥後の石工が造った熊本の石橋なのに対し 久留米から近いのにこちらは長崎からの流れなんですね。橋の上部です。

同じじゃないかと思われたでしょうが左岸から右岸に戻っています。雪の位置が違います。



名残惜しいけど秋月城址の方の石橋をご紹介します。 瓦坂です。両側に桜が咲くころは 花弁が浮いて美しいんですよ。




坂道ですから 土が流れないように瓦を縦に並べてあるのがお分かりでしょうか。瓦坂って言われる所以です。




そしてまた振り向いて・・・ 




石橋のご紹介ばかりで長くなりました。次回は秋月城址散歩の続きをご紹介します。



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