高橋 辰治 13歳
遊佐 辰弥 13歳
徳田 鉄吉 13歳
岡山篤次郎 13歳
成田才次郎 14歳
木村丈太郎 14歳
奥田午之介 15歳
田中 三治 16歳
上崎 鉄蔵 16歳
根来梶之助 16歳
小沢 幾弥 17歳
大桶勝十郎 17歳
岩本清次郎 17歳
中村久次郎 17歳
以上14名は、戊辰戦争のとき、土佐藩を中心とした薩長西軍が二本松藩領内に攻め入ってきたときに、大壇口にて戦い戦死した二本松少年隊員の名前と数え年の年齢です。
二本松藩内各地に出陣した二本松少年隊は62名いたそうですが、大壇口に出陣した少年隊は、木村隊長、二階堂副隊長以下20名の少年たちで、20名のうち14名が戦死し、6名が負傷したとのことです。
年齢は数え年ということなので、満年齢にすると12歳から16歳ですか、いくら元服は終わったとはいえ、現代でいえば小学校6年生くらいから高校1年生にあたりますか、彼らが火縄銃と百匁銃、刀で土佐藩、薩摩藩、長州藩の大人の兵隊と戦いました。戦わざるを得ないようになってしまいました。
時代遅れの兵器を使い、古畳を胸壁として戦うこと二時間で敗れてしまったということです。
会津白虎隊二番隊と異なるところは、切腹とか言う自刃ではなく、稚拙ではあっても戦って死んだ、殺された、誰に、直接は西軍に、二本松藩に。
成田才次郎少年は、傷つき息も絶え絶えになりながらも城下に引き上げてきたとき、「敵兵をもう一人刺してからでないと死ねない」という必死の覚悟で、戦い済んだ城下を見回っていた十数人の西軍にふらふらになって近付き、油断があったのでしょう、その中の隊長らしき者を刺殺して息絶えたという話しが語り伝えられているそうです。
明治元年7月29日のことです。
最後にもう一度、戦死した少年たちの名前を書かせていただいて、ご冥福を祈ります。
高橋 辰治 ・ 遊佐 辰弥 ・ 徳田 鉄吉 ・ 岡山篤次郎 ・ 成田才次郎 ・ 木村丈太郎 ・ 奥田午之介 ・ 田中 三治 ・ 上崎 鉄蔵 ・ 根来梶之助 ・ 小沢 幾弥 ・ 大桶勝十郎 ・ 岩本清次郎 ・ 中村久次郎 (合掌)