全国的に荒れ模様となっています。 名古屋市で23センチの積雪とか。 下の子どもがいますので、ちゃんと出勤できたかいささか心配したりして・・・。
それにしても寒いです、がきょうは時折陽射しも見られ、おかげで雪も日の当たるところは消えていきました。
きょうも雪の広瀬川、雪の分流でドラマが?見られました。 カモです。
はじめは下流方向に1羽でした。
でも下っていくと2羽となりました。
さらに下っていくといるわいるわ、5羽ですか。みんなへちに隠れているようです。
写真を撮った直後にカモたちは飛び立ちました。 普通は、今までは下流方向に飛んで、そこから右にカーブして中洲の向こうの本流へ行くのですが、
今回は何を思ったのか、リーダーが勘違いしたのか、上流側目指して飛び立ちました。 つまりnewoneの方に飛んできたわけです。 だから上のような写真が撮れました。
それで全部いなくなってしまったか?と思ったのですが、なぜか飛び立てない、飛べない?カモがいました。 最初は1羽だけかなと思っていたら、2羽残っていました。
2羽となったところで、下流域の方に飛び去って行きました。 めでたし めでたし
さけはまだ生き残っていました。
1月まで、来年まで生きていてくれないかなあと勝手に思っています。
人間の都合ですが、・・・・・
今日も夜に第九合唱の練習があります。 それも2回目のマエストロ稽古です。14日に初めて飯守泰次郎先生の指揮による合唱指導があったのですが、神経質で怖そうな印象を写真から持っていたのですが、実際はそうではなくて結構気さくな指揮者でした。今年の9月から新国立劇場第6代オペラ芸術監督に就任しています。凄い指揮者なのです。
我々の合唱指導の先生を褒めていました、上手い!と。 よく練習している と。 でも(と必ずくるのですが)、”上品すぎる” と。
ベートーベンはどういう気持ちでこの第九交響曲を作曲したのか? 第一から第八までの交響曲の全否定の上にこの第九(合唱)は成立している。それは何か?
それまでの宮廷音楽、王侯貴族や資産家等への音楽ではなく、まさに圧倒的多数を占める”一般民衆”にこそ訴える音楽、それを目指したのがほかならぬこの第九合唱である、と。
そのために交響曲の歴史においてはじめて、独唱と合唱を取り入れたということです。
だからでしょうか、途中何度も「庶民性」「庶民的」という言葉を使って説明していました。 G(Küsse gab sie uns und Reben・・・)のところでは、この旋律はまさに”ジグザグデモ”そのものであり、跳ねるようにとまでいうのです。
そのほかには、有名なM(Freude schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium,・・・)では「ユーモア」「襲う」「脅かし」「反抗心が強い」「全身を弾ませる」、631小節(Ihr stürzt nieder,Millionen? Ahnest du den schöpfer,Welt///)からは,宗教音楽であり、優しく脅す、説得するようにとか、フーガの出だしの Seid umschlungen,Millionen! のSeidは”朝日のように”とか、他のt頃では「微笑むように」とか、「喜びに満ち溢れて」とか言われました。 ようは自分なりにイメージを膨らませて歌うことが大切だということなのでしょうか。