鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

中学校の卒業式

2017-03-10 21:04:28 | 思いつくまま

 きょうは空気が冷たく、風も時々強く感じ、午後は雪まで舞ってきたりもしました。 要は極めて不安定な天気だったということです。

             (午後三時二十分頃)

 

                

 

 

 きょう3月10日は”東京大空襲”の日でしたね。 一夜にして10万人もの人が焼け死んだということは永久に忘れることはできません。というか忘れてはいけないことだと思っています。ヒロシマ、ナガサキとともに。 その東京大空襲を企画し実践したアメリカの指揮官を戦後になって表彰しているのですから、日本人のお人よしというか愚かさ加減は全くもって何をかいわんやです。カーチスルメイという将官クラスの軍人でしたか。

 

 きょう午前学区内の中学校の卒業式に来賓として出てきました。本当は仙台市立の全部と言ってもいいくらいの中学校の卒業式は土曜日に行われているのですが、あした土曜日は3月11日ということで、一日前倒しということになったようです。

 

 ステージに向かって左側が来賓席、右側が校長先生他学校関係者の席、体育館の後半分が保護者席、前の部分が卒業生の席となっていました。いつものとおりですね。中央に赤い毛氈の通路が設けられています。

 

 担任を先頭に2列になって卒業生が入場し、中央の通路を通って左右に分かれて着席します。 卒業証書はこれもステージに上がるのも左右交互に行い、少しでも時間の節約というか効率化のためか、校長先生への礼のときは卒業証書を授与された生徒とこれから受け取る生徒が一緒にします。

 

 証書を授与された生徒はステージの正面に立ち保護者に見えるように一瞬立ち止まり、ゆっくりと下りてきて、中央の通路を通って保護者席に向かい、そこから左右に分けれて自分の席に座ります。我が子の晴れ姿を保護者にきちんと見てもらいたいということの現れです。

 

 校長先生の式辞は”考える人になること”を中心に話しました。記念品の贈呈(贈与となっていますが)は印鑑です。これは私のときもそうでした。55年前のことです。その印鑑は今でも使っています。この中学校はわが母校でもあります。印鑑には責任のある行動が伴いますから、いわば自己責任の意識の涵養には適しているのでしょうね。

 

 送辞は2年生の女子、答辞は3年生の男子でした。いやはや立派なあいさつです。しかも送辞の女子は一応原稿は両手で広げてはいますが、ほとんど暗記しての発言でした。長いのに大したものです。

 

 卒業の歌では2曲歌いました。225人がステージ前に整列して保護者に向かって歌います。基本は男女の2部合唱でした。ここの中学校は合唱部が素晴らしく、全国大会まで行っているくらいで、他の生徒も歌は上手です。やはりソプラノパートは素晴らしい。

 

 歌ったのは混声合唱曲集から①「夢みたものは・・・」と②「群青」です。  ①『夢みたものは ひとつの幸福   ねがつたものは ひとつの夢』からはじまり、『夢みたものは ひとつの愛   ねがつたものは ひとつの幸福   それらはすべてここに ある と』で終わります。

 

 ②『響け この歌声   響け 遠くまでも   あの空の彼方へも   大切な すべてに届け   涙のあとにも 見上げた夜空に   希望が光ってるよ   僕らを待つ 群青の町で』という歌詞があります。 2曲ともはじめて聞いた感じです。

 

 卒業の歌のあとは「校歌合唱」です。 私の出番です。55年目ですが、効果ならぬ校歌はちゃんと歌えます。3番まで少し大きな声ではっきりと歌い切りました。高音部も声が出ましたので一安心です。 小学校の校歌も歌えますし、小学校も中学校も旋律は弾けます。

 

 そして卒業生の退場です。拍手で見送ります。 ということで約2時間で卒業式は終了しました。終了しましたが、実は午後からも卒業式があるそうです。それはなんだ、どういう卒業式か? 実は不登校等の何らかの理由でみんなと一緒に卒業式に出られない生徒のためにこじんまりとした卒業式を開くのだそうです。いい配慮だと思います。

 

 名前を呼ばれても壇上に上がっていない生徒が10人くらいもいたかな。急な風邪等でやむを得ず欠席という生徒もいたでしょうが、ちょっと多いかなと思っていました。市内でも優秀な中学校ですから、ついて行けない生徒も出てくるのかどうか。

              

 

 卒業証書というと、きのうの朝日新聞に載っていた三井住友信託の全面広告、「わたし遺産」大賞のひとつ「『卒業』証書」がとっても印象的でした。 現在27歳の神奈川県の女性の話しで、大学受験を前に挫折し不登校になっていたそうです。進学校唯一の退学者となったのですが、担任の先生がとっても乙なことをしてくれたのです。

 先生からの電話で学校に出向いた彼女を待っていたのは、先生と二人きりの手作りの卒業式でした。ちゃんと手書きの卒業証書を先生はつくっていました。本物の卒業証書と同じ紙質の紙を選び、書体も本物に似せて書き、学校印のところには、むかし生徒自身が彫った篆刻の作品を押したそうです。

 

 『右のものは高等学校普通科の課程を修了したとは認められなかったが、困難な状況と闘い、最善の努力をし続けた よって卒業生と等しいものとここに証する   第五十期生正担任団教諭  平高 淳』

                       

 何ともしゃれた計らいですね。素晴らしい先生です。こういう話しを聞くと嬉しくなって涙が出てきそうです。

 


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