鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

3月10日

2019-03-10 21:25:46 | 思いつくまま

 

         

  

 いやあ、何ですか今日のこの天気は、気温は。 最高気温は17.8度(12:47に記録)にもなりました。この寒がり屋の私でさえ、きょうの日中は一時的にですが、暖かいを超えて暑いなあとさえ感じました。

 

 

 午後7時までの気温は10度を超えていまして、午後9時でも8.5度という気温の高さです。もうきょうは参りました。(余談ですが、日本人は万歳三唱をよくしますが、そのときあなたの両方の手のひらはどうなっていますか?手のひらを ①相手に見せるようにしていますか?それとも ②手の小指側を相手に見せるようにしていますか? 正解は②です。①は降参のときの手の上げ方だそうです。)

 

 

 今日は朝からいたるところ春の息吹、気配がムンムンでしたね。そんな中午前中は夫婦で絵の展覧会へ行ってきました。夫婦二人ともよく知っている人が絵を出品しているということで、、県立美術館へいった次第です。

 

              (美術館の帰り、澱橋から上流を撮影)

 

 彼の絵は何か今までの画風とは異なり、風景画から人物画へと移行しているのでしょうか、油彩ですが何か色合いも今までよりは薄くというか、サッパリしてきたような感じを受けました。加齢によるものか、淡泊になりつつあるように感じました。

 

 それでいて人物の描き方は深みを感じましたが、今の境地がカンバスに表現されているのでしょうか。

 

 午後からは夫婦で外出し、身体の運動をしてきました。結構疲れてしまいました。気分転換にはいいのですが。

 

 

 きょうは3月10日です。あしたは3月11日。あの日からちょうど8年になります。そのためにマスコミ各社は3・11のことを大きく取り上げています。そのことはいいことですし、被災地に住む者としてありがたいとも思っています。

 でもだからといって、3・11の陰で3・10が忘れられていいはずがありません。3・10、3月10日は東京大空襲の日です。1945年3月10日。このことをマスコミはもっと取り上げるべきではないでしょうか。

 オキナワではまさに玉城知事が、米軍基地の移転と新基地建設で、政治生命を賭けて国家権力と戦っていますし、日米安保や日米地位協定等のことを、3・10という日を挟んでもっともっと取り上げてしかるべきでしょう。

 日本の家屋は木と紙でできていてとっても燃えやすいことを十分知りながら、更に完璧な超上空からの爆撃空襲、地上で爆発する爆弾ではなく、日本の家々を燃やすために焼夷弾をこれでもかこれでもかと言わんばかりに投下し、それも逃げ道を塞ぐ形で、周囲から燃やし始めて徐々に中心地に向かうという人殺しを楽しむような焼夷弾攻撃、同じ人殺しでも、兵隊を殺すのではなく、民間人を老若男女関係なく焼き殺そうというのですからもう何をかいわんやです。人間が住んでいるとは考えなかったのでしょうね。一晩で10万人もの民間人をまるでゲームかのように殺しまくった日なのです、3月10日は。

 そういう意味でも3・11とともに3・10も常に忘れないように記憶し続けることが何が何でも必要だと思います。(8・6や8・9も当然のことです。)

 東京大空襲を忘れないようにと訴え続けている早乙女勝元さんはきょうも朝日新聞の声欄に投稿しています。少し引用させていただきます。

 『 (東京大空襲から1週間後早乙女さんは級友と言問橋へ、友の安否の確認のため行きました。) 「おい、ありゃ何だ?」桜並木を前にした級友の悲鳴に、私はぎょっとなった。桜は一面の満艦飾だった。   防空頭巾や焼け焦げの毛布まで、衣服や布が手の届かぬ高い枝にまでからみ、北風にぴらぴらとはためいている。  大空襲の夜、隅田川と言問橋に殺到した人々の身につけていたものが、上空を飛んで枝という枝にからみついたのだろうか。私の心臓は凍りついた。 』 いかに空襲による猛火が凄まじかったか、想像を絶するものだったか・・・・。

 そして、最後にこう書いています。 『 私たち生者には、決して忘れず黙らずの「継承」が必要ではないのか。 』

 

  美術館の池の鯉 人面魚もかっていました。 

   数がずいぶん少なくなった!

     

              分流の小魚


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