鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

大増水後の分流

2019-10-16 14:04:03 | 広瀬川

  (元気がないですね)

 いやあ、参りました。よく冷え込みました。 いよいよか!という追い込まれた気持ち。 よく冷えました。今朝5時で7.5度。きのうの半分でした。きのうの5時は15.5度でした。きょうの6時は6.8度とさらに冷えました。まあその後は上がってきましたが。 午後2時前での最高気温は12時48分の18.1度のようです。 予報では19度です。

                  

 今2階から外を見ると風もなく、とっても穏やかな陽気となっています。陽射しもあり明るく眩しい感じさえします。

 

 

 

 でも東須磨小学校の教員同士による集団リンチ虐待事件の酷さには何とも呆れてしまいます。これでよくも先生が務まってきたものだと恐ろしくさえなります。渦中の子どもたちの様子はどうなのでしょうか。

 

 msnニュースでみたDIAMONDの戸田氏の記事によると、『被害教員以外にも女性2人にセクハラ、男性1人に対しては「ポンコツ」を意味する「ポンちゃん」などと呼ぶ嫌がらせを受けていた。』

 

 『加害教員4人はいずれも学校内のリーダー的存在で、うち2人はいじめ防止の生活指導担当だったということだ。 加害教員は実質的な「謹慎」で出勤していないが、市教委の規定には自宅謹慎などの処分は存在しないため、行動は自由で給与も支給される「有給休暇」だという。』

 

 『 「神戸方式」という校長の意向が強く人事に反映されるシステムが招いたという。 神戸方式とは、教員の希望に基づき、現行の配属先と異動先の校長が調整して素案を作成し、市教委が追認する慣行で、1960年代に始まったとされる。 優秀な人材や、自分の言うことを聞く教員を確保しようとする校長の意向が反映され人事の公正さが失われ、配属された教員が校長の威光を盾に発言力を持つ弊害があるとも指摘していた。』

 

 ”いじめ”というにはあまりに深刻で、大きすぎる事件です。集団の教員によるリンチ虐待事件に他なりません。集団リンチ事件です。いじめという言葉は相応しくありません。

 

 

 結愛ちゃんの父親には地裁では13年の判決が下されました。求刑は18年、弁護側は9年相当といっていましたが、地裁では13年ですか。実際には13年を待たずに釈放されるのでしょうから、なんか割り切れません、やり切れません。

 

 誰が見ても厳罰だから、懲役何年の判決だからいいとか生温いとか、そんなことを言ってもどうしようもないことですが、死んだ人、殺された人に対しての償いはどういうのが相応しいのか、事件ひとつひとつで変わってくるでしょうが、”罪と罰” どういう在り方がよりベターなのか考えても分かりません。

 

 分かりませんが、やり切れず割り切れない思いは消えません。犯人(加害者)が心から反省し、心が仏さまのようになれば許されるのか、許す、許されるという行為はどういうことなのか、考えたらきりがないというか深淵に嵌ってしまい抜け出せなくなりそうな気さえします。

 今回の虐待死事件では、13年の刑に服して出所したとして、罪を償ったとはいえ加害者はあと40年近くは生きられるわけです。でも結愛ちゃんは5歳のままです、永遠に。平均的にはあと80年近くは生きられたはずです。その将来の人生を理不尽に奪ったわけです。

 

 (本流の左岸、今までは安全な場所、遊ぶにも竿を出すにも問題の無い場所でしたが、ここはとても深くなっています。川底が見えないので正確にはいえませんが、石を投げいれてみたときの音や水しぶきで何となく深さが分かりますが、11日までの左岸とは大きく変わってしまっていますのでご注意ください。小さい子は足をとられて深みにはまってしまうということも十分考えられます。流れがすっかり変わっています。)

 13年=80年 となるのでしょうか。といえるのでしょうか。やはりそれはおかしい。受け入れられません。ではどうしたらいいのか?分かりません。「無念さ」を晴らすにはどうしたらいいのでしょうか?どうすべきなのでしょうか?そもそも「無念さ」を晴らすことできるのかどうか。堂々巡りになってしまいますね。

 

 理不尽といえば、これは理不尽ではないのでしょうか?自己責任なのか?自然相手の場合は理不尽という概念は使えないのか。 この下水等の、石で埋まった排水路の水溜りです。

 

 ここに今朝方見た限りでは3ひきの魚がいました。うち2匹は3センチくらいの小魚です。排水口に近寄っていったら、もっと大きいハヤがいました。これです。

             

 体の右側下半身の上部を怪我しているみたいです。非常にゆっくりと泳いでいました。元気な魚であれば水面近くを泳ぎません、もっとそこを泳ぎます。でもこのハヤは水面近くを泳出いました。

 なんで自分はこんなところに閉じ込められているのか、信じられないというか、何がどうなっているのか分からないというのか、困り果てているような感じの泳ぎ方です。

 

 このハヤは理不尽さ、不条理を感じているのかどうか?ニンゲンが勝手にそういうことを自分の内部に反映させているだけなのでしょうか? 哀れ、孤独、理不尽、不条理、そんなことを考えてしまいました。自己を投影させているのでしょうか。

 

 ちょっと標題とはかけ離れてしまいました。

 

 


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