鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

真冬日か?

2020-12-20 16:00:09 | 思いつくまま

この写真、ちょっと珍しくないですか!?

 

これは9時30分頃撮ったものです。ちょうど堤防に上がろうとするところの手前にいました。もうお互いに顔見知りになっているから?逃げません。下の写真はちょっと通り過ぎてから撮りました。

    

なんかとっても喜んでいるように見えませんか?体が熱くてたまらないので、冷たい雪の感触がたまらないというところですか。人間の気持ちでは。

(こういうつかいかたができるのですね、「たまらない」という言葉は。最初の”たまらない”は、我慢できないという感じの、どちらかというと悪いイメージの使い方で、後者の使い方は嬉しくて”たまらない”、という使い方でプラスのいいイメージだと思います。)

  

寒いです。ますます寒くなってきます。空気の冷たいこと。でも、喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、寒さは冷たさにも少しは耐えられるようになってきたように感じます。耐寒性、耐冷性ができてきたということですか。

 

今日は午後に一時日が差してきたりもしたのですが、このブログを書くために気象台の毎正時の気温をチェックしました。その結果自分自身で「嘘だろう」と言ってしまいました。なんかずらーとマイナス表示が並ぶのです。

 

マイナス(ここでは△)は午後3時まで続いていました。午前5時で△2.4度、7時は△2.4度、10時で△1.2度、お昼でも△1.6度です。そして、午後2時が△0.2度と少し上がり、3時になって△0.7度とまた少し下がりました。

 

だから、きょうは最高気温もマイナス(△)かなと思って、最高と最低気温の表を見たら、最高気温は0.0度で最低気温は△2.6度となっていました。記録した時間は、最高が午後1時42分、最低は午前7時29分です。

 

0.0度はどう判断するか。真冬日は最高気温が0.0度以下の日を指すのか、0.0度未満を指すのか。⇒0度未満の日を真冬日とするようです。よって、きょうは真冬日とは言わないことになります。最低気温が0度未満のため、きょうは冬日ということですか。どうでもいいことですが、なんかちょっと損したようなそんな感じです。

   

きょうも分流では、カワセミの華麗なジェット機のような飛翔を見ることができましたが、それだけでとてもカメラを向ける時間の余裕はありませんでした。中州の木の枝から分流に飛び込んでもいました。気付きたいのですが、ほぼ無理ですね。

カモ類は多い時は10羽ほどもいたでしょうか。たくさんのカモが2,3のグループに分かれて憩っています。でもニンゲンが近づくと、見張り役?がグエッグエッと啼いて仲間に知らせるようです。

 

今朝の新聞の朝日歌壇にこういう歌が載っていました。札幌市の伊藤さんです。

『電線にオブジェの如く止まりたる鴉(からす)へ静かに雪降りつづく』

電線と木の枝の違いはありますが。こういう写真はどうですか。

         

 

 

 

きょう12月20日は、1960年に南ベトナム民族解放戦線が結成された日だそうです。いわゆる別称ならぬ蔑称ではベトコンですね。北ベトナムの援助を受けていたとはいえ、ベトコンは強かった。フランスからの独立戦争では、降参した旧日本軍の兵士も多数参加したようです。

 

そして、その10年後の1970年のきょう、沖縄のコザ市で沖縄県民の蜂起があった日です。ちょうど50年目ということです。そのためですか、新聞の一面にも掲載されていました。

 

騒動とか暴動という言葉でくくってしまうのは沖縄県民に失礼かと思います。敗戦後のアメリカの支配下で好き勝手なことをされ、殺されても泣き寝入りという積もり積もった状況に堪忍袋の緒も切れたということだと思っています。

 

コザ市はなんでも18年間だけ存在した都市で、今は沖縄市となっています。この前読了した真藤順丈さんの「宝島」という本(小説)にも最後の方で”コザ蜂起”が出てきます。

 

「大変なことになるぞ、国吉さんも声をわななかせている。米兵事件のなかでも無罪になりやすいのが轢殺事件だ。突発性な犯罪なぶん、軍司令部の法廷は証拠不十分の裁きをためらわない。そうでなくてもここは、女子供が姦(おか)され、塵捨て場に棄てられ、B52が墜落し、毒ガスに大気を汚染されてきた街だった。

そう、ここはコザだーーー

基地から吹き荒れる人災に公正な裁きがくだされないことに、住民たちはとっくに忍耐の限界を迎えている。路上で叫んでいるものが望んでいるのは逮捕でも裁判でもなかった。」(P483,P484)

「だれもが、なにかを、償わせようとしている。われらが沖縄人は、世界の終わりにたどりついていた。グスクの視界に飛びこんでくるのはそういう空間だった。コザの中心部で起こった騒動が刻一刻とその震度を深めている。(われら語り部が神かけて断言しよう、震源地となった交差点はあたかも垂直方向のオボツカグラと水平方向のニライカナイが交わるところ。この島がつむいできた壮烈な歴史の、めくるめくウチナーの叙事詩の到達点といってまちがいなかった。」(P486) ・・・以下略

ぜひとも「宝島」をご一読ください。

 


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