若い女性が作った、干支の牛の雪だるま、なぜか倒されていました。
きのうは本当に空気の冷たい一日でしたが、今日は早朝は冷え込んだものの、午前10時頃からはプラスに転じ、10時で1.8度、お昼が3.7度で、午後2時も同じ気温です。しかも、2階から見る外の風景は眩しいくらいに明るいです。
これで日陰に固まった氷のようになった雪も少しは解け始めるでしょう。本当にお日様の光はありがたいものです。太陽が当たるところと当たらないところとでは雲泥の差がつきます。
凍り付いた地面は歩くのにどうしても慎重になります。もしも転んだら、転び方にもよりますが、骨折をする確率が高くなるからです。骨折をして入院したりしたら、たちどころにボケ(認知症)の症状が出てくるのではないかとそれを恐れます。
それでなくても、俳優等の名前が出てこなくなって久しいのですから。食べ物の名前さえ出てきません。その都度家族には「これはやばいぞ」とはっきりと言ってはあるのですが、どのように受け止めているのかなんともいえません。
きょうの分流で見たのはたくさんのカモたちです。上空を飛ぶシロサギ、アオサギを見ました。カモたちを見ていると平気で潜ったりしています。全く寒さを感じさせません。年がら年中同じ服装(?)なのにすごいですね。猫や犬にも言えますが。
(上の大きい足跡はサギでしょう。下のはセキレイでしょうか)
そこ行くと何とニンゲンはか弱い動物生き物なのでしょうね。過保護なのでしょうか。お化粧はする、いろんな服を着る、それも四季に合わせて。歩くのに靴を履かなければいけなくなってしまっているし。
ちょっと前になりますが、朝日新聞の声欄の記事です。「日記62年175冊 ネッ末ごとに悩む」と題して、20歳から約62年間書き続けてきた大学ノート175冊分の日記が、いつも年末の大掃除で「押入れの無用の長物」扱いされるからとのこと。
以前、自分史にまとめて、その分は処分したらと言われ、自分史を作ったそうです。しかしながら、自分の生きてきた証し、毎日の生活をつづった大学ノートをそう簡単に捨てる気持ちにはなれず、なんとか言い訳をしては年を越してきたと。
そうそう投稿者は82歳です。「60年以上書き続けてきた自分を自分でほめたい。でも高齢になって人生の最終章とする時期、処分方法の難しさが待っていたとは。」とまた悩むのです。
その気持ちがよく分かります。私も全くと言っていいほど同じ境遇だからです。私は73歳になったばかりですのでまだ日記なるものを書き始めてから62年にはなっていません。60年にもなっていません。
最初の日記と言える代物は、高校1年生の3学期からかな。旺文社か学習研究社だったか、毎月大学受験雑誌が発行されていましたが、その付録として一年間の手帳の大きいものと言ってもいいような日記帳がついていました。それが人生初の日記となります。その後も一年分1冊として2,3年間は過ごしました。
浪人生となってからは、大学ノートにして書きたいだけ書くようにしました。浪人中や大学時代は毎日いっぱい溢れんばかりの思いを書き連ねたものです。それこそ人生の何たるかは全く実感していなかったはずなのに、若気の至りでいろいろと書きました。
それは社会人となってからも続き、現役を退職してからも続きました。夏にはそのほかに釣行記も書いていましたね。そして”日記”としての役目は2016年・平成28年に終わりました。
でも、その後何も書かなかったのかというとそういうことはなく、変わって「雑記」という形で日々の記録を書き始めました。何か書いていないと落ち着かないのですね、たぶん。最後の方の日記と雑記は2年近く併用しています。両方書いていました。
それでどのくらいの量の日記を書いてきたのか、知りたいでしょうね。2016年9月までで、何となんとナント 675冊 です。B5版30Pのノートです。このノートの日記が1階と2階のあちこちに隠されています。ほぼ10冊嫌いずつ茶封筒に入れてあります。
自分でも呆れるくらいのすごい量です。いつかは車でごみ焼却場へもっていって、お金を払って処分することになると思っています。全部洗いざらい処分するのではなく、記念日前後のものはとっておこうかなとは思っています。
大学紛争、結婚前後とか子どもの誕生前後とか、肉親の死亡の前後、現役退職前後、東日本大震災前後等々・・・・以前家族に聞いたことがあります、日記は後で読む気があるかと聞いたら誰も興味を示しませんでした。第一何が書いてあるのか読めないから、これが一番大きい理由かも。
そんなものなのでしょうね。いくら親とは言え、600冊以上もの日記を読み返す時期があるとは考えられないでしょう。ましてや歴史的な価値があるものでもないし。たぶんその内えいやっということで全部廃棄することになるでしょう。
日記に変わって「雑記」を毎日書いていますが、こちらは書くのと貼るのと半々くらいかな。貼るというのは新聞のスクラップみたいなものですね。ブログ用の記事になるかもと言ったものも雑記に張り付けています。
この雑記だけでも、いまや69冊にもなっています。たまるのは早いものです。このブログの記事も量としたらかなりのものになるのでしょうね。何しろブログ開設以来5407日にもなるのですから。だから一時期は、日記も書き、雑記も書いて、ブログも書く、夏には釣行記も書くという時期もあったことになります。
もうこれは強迫観念以外の何ものでもない!ということかもしれません。継続は力なりですが、続けるということは怖いことでもあります。やめられなくなってしまいますから。