今午後3時前です。外は明るい。眩しい。そして、あったかい。予想を上回る気温の上昇です。目下の最高気温は、何となんとナント 12.9度 なのです。午後1時52分の記録です。最低は午前7時4分のマイナス(△)0.6度です。
22日ですか、11.5度まで上がって、ちょっとびっくりしたのですが、今日はそれを上回りました。すごいですねえ。神様やりますねえ~。
今朝方の空の青さは見事でした。雲がひとつも見当たりませんでした。だからでしょうか、朝方は冷え込んだようです。放射冷却というのでしょうか。
今日は月曜日です。また一週間が始まります。とうことで、今朝も交差点に立って、登校する児童生徒たちの朝の見守り活動に従事してきました。
子どもたちはみな元気に登校して行きました。でも、改めて気が付いたのは、まあ朝の出勤時間帯ということもあったのでしょうが、車の多いことですね。しかも大き目の車、大きなファミリーカーも多いし、外車が多いのもこの地域の特徴かもしれません。
フォルクスワーゲン、BMW,アウディ、ボルボ、そしてベンツですか。よくよく見ると、軽自動車はすくないです。
まあ、車は信号に従って走っている限りは問題はないのですが、明らかに信号が赤になってからも、アクセルをふかして直進したり、左に曲がったりして、危険だなあと思ったのは5回くらいもあったかな。何か前よりも多くなっているかもと思うと、集中していないとまずいなあとおもった次第です。
(上の写真を見て、違和感を覚えますか?静かな湖面にビル群が写り、そこにカモが2羽泳いでいる。でもこれは180度回転させています。 正しくは下の写真です。)
そして、もう一つ気が付いたことですが、結構若い女性の運転が多いなあということです。約半数近くは女性かな。子どもや配偶者を送ったりしているのかどうか。
何にしても朝はゆとりを持って運転してほしいですね。こちらも、左折車に巻き込まれないように十分注意しないといけません。
22日の朝日新聞の投書欄“声”にこういう投書がありました。大分県の教員としか書いていませんが、小学校の先生かも、「登校指導中 罵声に身がすくむ」と標題がつけられています。
朝、学校周辺の交差点で、公明の入ったジャンパーを着て、名札を付けて、生徒たちの登校指導に立っているが、多くの生徒が集中して、渡りきるのに青信号ギリギリのときがあり、そういう時に交差点を右折左折する車のドライバーの苛立ちはすさまじいといます。
“苛立ちがすさまじい”とは尋常ではありません。穏やかではありません。中には容赦なく突っ込んでくる車もあり、ドライバーから罵声を浴びせられることもあるとのこと。
(よちよち歩き。カルガモなんか渡ろうとしたらどうなるのでしょうか?)
それでなくても、朝方は緊張しているのに、「さっさと渡らせろ」「しっかり指導しろ」という罵声には、身もすくみ、疲弊してしまいます、とあります。
大分県でもそうなのかと少々びっくりですが、ひとごとではないですね。そして悲しくなります。何でもっと子どもたちに対して寛容になり、暖かく見守っていくという気持ちになれないものかと。子どもたちは、地域の、まちの、そして日本の大きな宝じゃないですか。
そして、何よりも誰もがみんなかっては“子ども”だったのです。どうしてそのことを忘れてしまうのか。甘やかせてもいいというのではありません。みんなで子どもたちの成長を見守りながら、一緒に社会を形成しているのだという意識を持って“共存共栄”していけないものでしょうか。
朝方、道路から子どもたちの元気な話し声が聞こえてくる、歩いたり走ったりする様子が見えるということは、なんと素晴らしいことかと思わないのでしょうか。もったいないことだなあと私はおもっています。
もっとも、近ごろは学校の校庭で遊ぶ子どもたちの歓声がうるさいと苦情をいう人が増えているとか、そういうことも聞きますので、私としてはもうあきれ返って返す言葉もない感じなのですが。いたたまれない児童虐待もあります。
大人たちはゆとりがない、生活に追われている、毎日を生きることで精いっぱいなのだ、そういう社会なのだから致し方ないという諦めも必要かなとも思ったりもしますが、やはりそうであってはいけないと思いたい。思い続けたいと思います。
少子化が叫ばれ、何とかして出生率を上げようとしてはいますが、こどもが少ないといいつつも、その割には子どもたちは大事にされていないのではないでしょうか。こんなことではますます年少者の人口は減っていくことでしょう。
こんな日本、社会にしたのは大人たちです。大人たちの責任です。そのことを真面目に考えるべきであり、その結果を選挙行動に移していくべきと考えます。