鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

田中将大と坂本樹

2021-02-25 20:30:12 | 思いつくまま

  

(地域猫は朝からおねんねです。羨ましい!)

きょうは風が少しありましたが、日差しもあり気温は上がりました。最高気温は7.7度ですか。きのうも書きましたが、今まで重宝してきた仙台の毎正時の気温等の一覧表が亡くなってしまったので(わたしは見つけられなくなってしまいました)、1時間単位での気象情報が分からなくなったということは辛いですね。さみしいしガッカリです。

 

まもなく、あの東日本大震災から10年となるのを受けて、新聞やテレビ、ラジオ等では震災関連の記事が多くなっています。なかなか読み応えのある記事等が多くなっています。これが3月11日で終わってしまうことのないことを祈るのですが、それはそれとして、きょうの朝日新聞のスポーツ欄に素晴らしい記事が載っていました。(このブログでも紹介させていただきます。)

 

「東日本大震災10年」という大きなくくりの一つなのですが、見出しは 「大きかった 何もかも」 「12歳だった僕と田中将大投手」 というもので、10年前の東日本大震災で被災した当時東松島市の大曲小6年生の坂本樹(いつき)さんと田中投手の出会いと坂本さんのその後のことが書かれています。

  

2011年4月8日に東北楽天の選手たちが、避難所となっていた大曲小学校にやってきました。東北楽天がやってくるという情報は4月の入ったころから流れていたようです。それで、坂本少年は、地元の少年野球チームに入っていたものですので、自宅のがれきをかき分けてボールを見つけました。

 

「一つだけサインをもらうのに使えそうなボールが泥だらけで見つかった」そうです。東北楽天の選手たちと子どもたちのキャッチボールや鬼ごっこの後即席のサイン会が始まったそうです。

 

坂本少年は、田中投手の列に並んで、ボールを差し出すと、田中投手は優しく話しかけてくれました。「名前はなんていうん?ボールに入れとくね」「た、たつきです」「野球やってるんや」「はい」「これからも頑張ってね」という会話が交わされました。

 なんと初々しい田中将大であることか! まだまだ少年、高校生という感じ。

            

              「たつき氏江」

坂本少年は「自分だけ野球なんてしている場合じゃないと、子どもながらに思っていた。でも、田中投手の言葉で好きなことを選んでもいいんだと思えた」そうです。

「人間は気持ちが大事だと思う。楽天の選手が来た日、避難所に歓声が上がった。人が前に進む力は幸せから来るし、ものすごいパワーをもらった」

坂本さんは、今京都の大学の4年生で、今春から社会人になります。

ということで、我が家にある田中将大関係のものを探すと、一つだけありました。これです。

            

再掲 

いつ購入したものかはわかりません。家の妻さんが買ったものです。それにしても若々しい限りの田中投手ですね。もしかしてかれが20歳くらいかなと思うのですが。

 

      

           広瀬川

 「ひろせ川朝ぎりわけて立つ波の音より明くるしののめの空

(鮎貝槐園)

 


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