いやあ、参りました、もうたくさんです、この寒さ、空気の冷たさは。 しかも、あさから風が強いのです。午後2時ころのラジオで気象予報士が言っていました。仙台の瞬間最大風速は20.3m/sと。
早速ですが、ここできょう正午の観天望気です。天気:晴れ、雲量:2〜3割、気温:2.6度、湿度:43%、風速:9m/s、不快指数:39 となっています。風速9mでも強いのですが、20mだそうです。
(凍っています)
空気自体が冷たいのに、それにさらに風速も加わったらもう最悪も最悪です。何が憎いのか、唸り声をあげながら吹き放題に吹き荒れています。でも、今朝も河原への散歩のいは行きました。こういうときは必要はないのですが、寒さ対策用としてのマスクは助かります。メガネは曇りますがね。
カメラを構えていると、強風で体がもっていかれそうにさえなったりして、これはどういうこっちゃ!?とあきれたりもしています。体感ならぬ体幹がふらふら、しっかりしていないのですね。毎夜入浴前に計測している体重は困ったことに増える一方なのです。
とうとうこの頃は57キロ台となっています。やばいなあ、何とかしないとと思いつつも普段通り食べています。決して食べすぎということはないと思っているのですがねえ。完食ならぬ間食?散歩帰りのチョコやせんべい類のせい? 夜食は全くないですし。
やっぱりからだを動かしていないからかなあ~。朝方の30余分の散歩だけでは運動量としては少ないですよね。せめてもっと歩き回らないといけないのかなあ。家の中での階段の往復運動、少々疲れるくらいの上り下りが必要なのかも。
みなさんは新聞で天皇陛下の62歳の誕生日の記者会見の内容をお読みになりましたか。テレビのニュースでもやっていましたが、あまりにも短いものですし、一体どんなやり取りが行われたのか知るためにはやはり新聞が適当で宇。
でも、大概会見の内容(要約)とかなっていいるのですよね。それで、ネットで検索して全体の分量はどんなものか知ろうとしたら、11ポイントにして丸々9ページにもなりました。すごい分量です。
「この一年 印象に残った出来事について」「皇后さまのご回復の状況 愛子さまへの思い」「小室眞子さんについて」「皇位継承について」「沖縄の本土復帰50年」「愛子さまの行事でのお姿をご覧になって」「悠仁さまについて」 実に丁寧にお答えしています。
私としてはやはり沖縄のことが一番知りたかったです。要約版だけではやはり不十分です。「沖縄」の部分は次の通りです。
『 私は、幼少の頃より、沖縄に深い思いを寄せておられる上皇上皇后両陛下より、沖縄についていろいろなことを伺ってまいりました。
子ども時代の沖縄との関わりについては、毎年夏を過ごした軽井沢での沖縄の豆記者の皆さんとの交流がありました。
そうした機会は、幼少の私にとって、沖縄について知るとても良い機会でした。
会の途中では、豆記者の生徒さんが、沖縄の空手の形を披露してくれていましたが、昨年夏の東京オリンピックで金メダルを取った沖縄出身の喜友名諒選手の空手の演技を見ながら、当時を懐かしく思い出しました。
交流会の終わりには全員で沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」と「芭蕉布」を合唱しました。
また、子どもの頃から、毎年、6月23日の沖縄慰霊の日には、黙とうをささげていました。
最初に沖縄を訪れたのは、昭和62年の夏季国体の折でしたが、それに先立って、沖縄学の研究者であった外間守善教授から、沖縄の文化や歴史についてお話を伺ったことも、沖縄への理解を深める上でとても良かったと思っています。
沖縄では、ひめゆりの塔や戦没者墓苑を訪問し、沖縄が被った戦争被害の痛ましさに深く思いを致したことをよく覚えています。
結婚後には、雅子と共に、「平和の礎」を訪れ、二人そろって、沖縄戦で亡くなった全ての方々への思いを新たにいたしました。
また、沖縄の人々にとって大切なシンボルとなっていた首里城が焼失してしまったことはとても残念でしたが、首里城や今帰仁城跡などの史跡を訪れたり、様々な折に組踊や琉球舞踊などを鑑賞したりして、沖縄の歴史や豊かな文化に触れることができたことも良い思い出になっています。
先の大戦で、悲惨な地上戦の舞台となり、その後、約27年間も日本国の施政下から外れた沖縄は、人々の強い願いの下、50年前日本への復帰を果たしました。
この間、今日に至るまで、沖縄の人々は本当に多くの苦難を乗り越えてきたものと思いますし、このことを決して忘れてはならないと思います。
本土復帰から50年の節目となる今年、私自身も、今まで沖縄がたどってきた道のりを今一度見つめ直し、沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと思います。
そして、これからも、多くの人が沖縄の歴史や文化を学び、沖縄への理解を深めていくことを願っています。』