今日は予報通り暖かくも寒くもない気温で推移といったところでしょうか。正午の気温は13.0度、きのうは17.6度もありました、おとといは18.2度でした。
でも、午後2時頃の2階から見る外の天気は申し分のないように感じられます。風もなく河原の散歩も最高ではないかなと思います。午前中は曇り空でしたね。特に変わった経験はなかったです。今朝もカジカガエルの鳴き声が聞こえました。きょうは2匹いたかな。
午前中夫婦でお墓参りにい行ってきたのですが、R48号線を走って、山裾(といっていいのか?)にあるのですが、その時感じました。なんと山々には桜の気が多いのだろうと。今ソメイヨシノは満開です。
(この4枚はきのうの撮影)
だから余計サクラが目立つのでしょうが、至る所に桜の大きな木があるのだなあと感じ入った次第です。それだけ日本人と桜の関係は深い、深く長い歴史があるということなのでしょうか。
3月31日の朝日新聞の記事です。5段組みでかなり大きく取り上げられた記事ですので、読んだ方も多いかと思いますが、なんか記事の内容に違和感を感じました、正直なところ。そしてなんでこう食い違っているのかと自分ながら考えていたのですが・・・・。
特に考えがまとまったということではなく、違和感は違和感として書いておこうかなと思った次第です。ちなみに私とトヨタ自動車との関係は遡れば古いふる~いカローラを中古で買ったことにはじまります。
その後日産になったりしましたが、アイシス・アクアを経て今はルーミーとなっています。2000CCから1000CCとなっています。
(曲芸中のイルカのようでは?)
新聞記事です。見出しは、『トヨタ社長「ありがとうがきこえない」』『交代発表の3週間前 代読された日本への不満』『脱炭素・EVめぐる経営批判 自社メディアを優先』というものです。私が気になった記事というのは以下のようなものです。
””ここ日本では、私たちに対して「ありがとう」の言葉が聞こえてくることはほとんどありません””
””豊田氏は、トヨタや自身の日本での受け止められ方に、不満を募らせていた””
””昨年海外に行って強く感じたことは事実です。それは自動車産業への感謝でした。海外では自動車産業がその地域の成長に貢献していることに、ものすごく感謝されます。…しかし、日本ではこうした思いになれたことはありません””
””豊田綱領には、「産業報国の実を挙ぐべし」とある。自動車で日本の人々を豊かにすることを目指し、利益のためだけでなく、雇用を生み、税金を納めることが「お国のため」になるとの考えだ。こうした理念の実践に務めているはずなのに、批判にさらされるのはなぜかーー…豊田氏がそんな思いを抱えていたとみる””
ここでいう批判とは、脱炭素や電気自動車(EV)を巡る経営姿勢への批判で、やる気がない、出遅れていると内外メディアや環境団体、政治家からも言われてきましたね。私もそう思ってきました。ただ、この長い記事の中では、なぜトヨタはEV一辺倒に距離を置き、HVなどを重視してきたかについての詳しい説明がなかったのが残念でした。
日本の最大の企業であり、世界でも有数の自動車メーカーのトップがそう思っていたということを知ったのがまずはよかったし驚きでもありました。日本人や日本の政治家にいわば絶望していたようなのです。世界のトヨタのトップがですよ。
私のまとまった考えなんか出てきませんが、それでもここには日本の現状というか、日本人の性癖?考え方の相克関係があるのかなあ。日本人・マスコミ・政治家の腐れ縁?というか、緊張感のなさ、真剣さの欠如、そういうものが日本独特の社会風潮を醸し出しているのかなあ。
何とも言えませんが、日本人としては日本人の深層に日本の経済産業のありかたに危機感?を持ってはいないかなとも思ってしまいます。つまり、食料品等を輸入に頼り、その代わりに自動車等の輸出産業で潤うという構図に対して、それでいいのかという危機感、本能的な恐れを持っている表れではないか。偏った経済政策であり、それでは拙いと内心では思っているのではないでしょうか。
(つくしの写真はきのう撮影です)
いずれにしても、世界のトップメーカーの経営陣と国民の意識との間に大きな?乖離があるということは不幸なことですし、そこをうまくかじ取りするのが官僚(政治家には期待できないから)ではないか。
日本人は深層においては食料・食糧自給力に大きな不安を抱いているということではないでしょうか。