鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

4月18日 火曜日

2023-04-18 16:08:27 | 思いつくまま

        

今日も1日中曇り空、パッとしません。でも予報では午後から雨とか言っていたけど、雨はまだ降ってはいませんね。正午の天気は曇りで、気温は14.7度です。きのうは10.6度でした。まあ、きのうよりはましという程度か。

               

 

でも、堤防沿いの花々はきれいに咲いてます。それもまあうまく咲き変わるというか、いつしか桜が消えてもそれに代わるものが出てきて、それもまたしばらくすると別のものにとってかわられてしまう。これを循環というっていいのでしょうか。うまくできているものです。

           

 

15日の新聞の読書特集だったかな、ある人が養老孟司さんの「ものがわかるということ」を取り上げて書評していました。実物は読んではいないのですが、うまく要点をまとめている感じでした。ちょっと長くなりますが、引用させていただきます。

           

 

(引用開始)『 養老さんは言う。わかろうとする努力は大切。でも、わかってしまってはいけない。

 同じものがない自然を、言葉は同じものとして括る。たんに「桜が咲いている」という情報として受け取り、ものごとを自分たちの意識(脳)の中で記号化していく。そうしてしだいに自然そのものから離れ、記号の方がリアリティをもち、記号をはみ出していくものはノイズとみなされる。これを養老さんは「脳化社会」と呼ぶ。

   

 脳化社会はさまざまな病理を生む。変わらない確かなものを求めるあまり、変化と偶然を拒否してしまう。コントロールできないものをノイズとして切り捨てようとする。自然にこそ個性はあるのに、個性を不自然なところー他人と違う感性や考えーに求めようとする。私はそのいちいちに頷かされた。

                          

 自然とつき合う一つの形を里山に見ることができる。里山は手つかずの自然ではなく、人が手を入れてきた自然である。そしてこの「手入れ」ということの根っこには、人間自体が一つの自然として自然と共鳴するという態度がある。 』(引用終わり)

 

じっくりと味わってみるべき言葉の数々ではないですか。この書評だけで分かった気になるのはとっても危険な行為ですが、意味深長な吟味すべきことが語られているように感じます。

          

変化と偶然を受け入れるか、拒否するか。私は毎日自然の変化を見ているつもりではありますが、意外と何も見ていないのだなあと思うこともしばしばです。何を見てきたのだろうと思うことしばしばです。

 

目で見るのではなく体で見る、感じることの大切さなのかなあ。せっかく身近に素晴らしい自然があるのですから、もっと自然に身を寄せて、預けて自然の息吹を感じるようにしないともったいない(もったいないと思うこともよろしくないのかも)といっていいのかなあ。

         

 


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