鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

また一人、

2017-03-16 13:45:24 | 思いつくまま

 きょうの徹子の部屋ですが、急遽番組を変更しておととい亡くなった渡瀬恒彦三が出たときの映像を流していました。3年前の2014年7月9日放送分です。

 

 とっても気さくな人柄ですね。 決して偉ぶるところがなく、自然が一杯ある自宅にはいろんな鳥がやってくるし、蛇もたくさんいるし、亀やザリガニを飼育し、ゴーヤも一杯栽培しているようです。

 

 ゴーヤの料理です。

 徹子さんが食べようとしているところ。

 

 笑顔がいいですね。 胆のうがんだったそうで多臓器不全で亡くなりました。72歳とか。映画やテレビにはいっぱい出ていますが、十津川警部シリーズなんかは記憶にあります。

 

 残念ながら私は”共演”したことはないですね。あんまり仙台ではロケをしなかったのかな。兄の渡哲也さんも人工肛門をつけざるを得ませんでしたが、まさか自分の方が先に亡くなるとは思わなかったのではないでしょうか。            ご冥福をお祈りいたします。

 こういう訃報に接するたびに自分でも早くきちんとした”終活”をしておかないといけないと思うのですが、どこかでまだまだ大丈夫だろうという安易な考え、甘え、変な自信があって、なかなか行動までは行かないのが実情です。

 

 岩沼市の千年希望の丘にあるお地蔵さんです。

 

                          

 

 その側にはこういう記念植樹があります。

  

 福岡県、熊本県、鹿児島県からも応援に来てくれました。高知県や島根県からも来てくれました。  あの時、6年前の3月や4月は本当に全国各地からいろんな職種のみなさまが応援に来てくれました。 警視庁のパトカーが至るところを走っていましたし、生活になくてはならない水道やガスの復旧工事に携わってくれたみなさまにはほんとうにお世話になりました。

 他県ナンバーの車、工事車両を見ると嬉しくてありがたくて、目頭がジーンとしてしまったものです。児童館の子どもたちと出迎えたこともありました。

 最後に千年希望の丘の交流センターにはこういう写真もありました。

     (最後のオマケ) 

 

               (午前9時10分頃)

 

      

 

                

 

      

 

 広瀬川本流のずーと上流の方に居ました。貴重となりつつあります。可愛いですね。

        

  もう少しです。

 あしたは小学校の卒業式に出席してきます。これが最後の卒業式です。

 

  最後にもう一回

 


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卒業式の歌 「群青」

2017-03-15 15:48:54 | 思いつくまま

 またひとつ出ましたね、便利な言葉が。 もう国会においてはことばは意味を持ちません。言葉に力はありません。全く軽いものになってしまいました。鴻毛そのものですね。 言葉はその人自身というか本体を期せずして表します。 弁護士だそうですが、極右思想の持ち主にして復古主義者の面目躍如です。稲田朋美(次期)国防大臣。 こんな輩を政治家に取り立て、エリート街道を歩ませているデンデン宰相もさすがです、人を見る目が確かです。さすが世界に誇るデンデン宰相です、私に言わせれば一番ふさわしいのは戦前戦中回帰で、”国防婦人会の会長”こそが適任じゃないでしょうか。白い割烹着を着て、「欲しがりません勝つまでは」と書いた手ぬぐいを額に巻いて、右手には竹ぼうきを持ち、左手にはメガフォン、下駄を履いて町内を走り回る姿が一番似合っているのではないでしょうか。発言で責任を問われたら、「私の記憶違いでした」で言い逃れしましょう。何しろ国会議員が手本を示してくれたのですから、堂々と使えます。「記憶違い」便利な言葉になりそうです。

 その前に呆れて聞いていた言葉があります。籠池理事長の思想を幼稚園児たちに言わせたことばです。

「大人の人たちが他の国々に負けぬよう、北方領土、竹島、尖閣諸島を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心あらため、歴史教科書で嘘を教えないようお願いいたします。安倍首相がんばれ! 安倍首相がんばれ! 安保法制、国会通過、よかったです!」

      (午前10時30分頃)

 

                 

 

 昨夜からのみぞれ交じりの雨、朝方も止みませんでした。辛かったですね、耳と手先の冷え込みには。体は背中とお腹にホッカイロを貼ったし、レインコートも着たので寒くはなかったのですが。 でも子どもたちはとっても元気ですので、こちらも元気をもらえます。元気をもらう代わりに、大きな声であいさつしています。大きな声を出すと何かしら体も暖かくなりそうに思うのですが。

                 

 

      

 

 去る10日に中学校の卒業式に出ました。そして卒業生が歌った歌2曲をざっと紹介しました。 「夢見たものは」 と 「群青」 です。 そしたら13日の朝日新聞の「声」欄にこういう投書が載っていました。25歳の東京都の中学校の先生からです。

  (久しぶりに分流にもカモが居ました。)

 

                    

 

 「同僚の音楽の先生から「群青」という合唱曲を紹介された。福島第一原発事故のため避難先の仮校舎で授業を続けていた南相馬市立小高(おだか)中学校の先生が、震災2年後の卒業式のために作曲した。   歌詞は、友達を津波で失い、さらに避難でも多くの友と離れなければならなかった生徒たちが折にふれて口にしたことばを集めて構成したそうだ。」

          

 知りませんでした、全く。お恥ずかしい限りです。ネットで検索したら全くその通りでした。だからなんですね、あの歌詞が胸に沁み込んでくるのは、共感できるのは。 

 因みに 「群青」というのは、小高中学校の校歌に「群青」という言葉があること、小高中の野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の文化祭の「群青祭」といった小高中を象徴する言葉であることから命名したそうです。

 

 ああ あの町で生まれて     君と出会い     たくさんの思い抱いて

 一緒に時間(とき)を過ごしたね    今 旅立つ日

 見える景色は違っても     遠い場所で 君も同じ空

 きっと見上げているはず

  

 「またね」と 手を振るけど    明日も会えるのか

 遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない

 

 という歌詞で始まり、

 

 きっと また会おう     あの町で会おう     僕らの約束は

 消えはしない 群青の絆

 また 会おう 群青の町で・・・

 

 で終わります。

 

   きれいじゃないですか! 

 


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きぼうのおか~千年先のきみへ~

2017-03-14 16:49:42 | 思いつくまま

 昨夜からかな雨が降り続き止みません。午前中はかなり強く降っていました。 午後になって普通の降りになった感じですが。 そして明日は雪が降るかもしれないとか。 何か仙台付近だけが冬に逆戻りなんでしょうか?僻んでしまいますね。

 

 しつこいですね、私も。アクセス数が減ってもやはりこだわりたいです。 あの日のことは。 というわけできょうもまだ「千年希望の丘」です。 といってもちょっと趣が代わって、こういう絵本です。 是非とも紹介したいからです。

                表表紙です。 

  裏表紙です。

 何でもほんとうはもっと大きい絵本なのですが、こういうA5判の絵本も作っているということです。 これは千年希望の丘の交流センターの女性の職員が話しをしているうちに私にくれたものです。であれば受け取った私としては、やはりみなさんにお知らせする義務があると感じた次第です。

 作・絵はしょうじしょうじ さんですが、前書きにはこうあります。 

 「この絵本は、平成23年3月11日におきた東日本大震災を後世に伝え、また、岩沼市が取り組んでいる『千年希望の丘』を、小さなお子さまにもわかりやすく、家族のふれあいの中で知っていただくために制作されております。」

                   

 初版は平成26年5月ですが、頂いた絵本は平成28年5月の三版です。 岩沼市長の「発行に寄せて」にはこう書かれています。

 

 「『千年希望の丘』は、非常時には津波の威力を減衰させ、人々の避難場所としても機能する、命を守る森です。基礎は、震災で発生した震災廃棄物で築造されており、資源の有効活用だけでなく、『元は家や建物だったもの』を活用することで、大切な思い出の場所にも位置づけられています。また、平常時は防災教育や震災記憶の伝承の場としての役割も担うことになります。」

 パパママと兄弟二人の4人家族でした。

 

 でもママと弟は津波で亡くなっていました。

  ①  ① と ② はセットです。

  ② 

 夢を見ました。

 

 そして次の日、二人はパパの工事現場である千年希望の丘へ行きました。 パパは息子に言います。 「こころの中に、ママはいてくれる。」

 

  ③ 

 上下の写真(③④)は最後の文章と絵です。亡くなった母と弟を思いながら、父と息子が植栽をしています。

  ④ 

 

 きょうは午後3時半ころに川に行くことができました。

 

 そしたら上の写真の右隅に黒い二つの点々が見えますが、それはこういうものです。

 2羽のカモでした。

                  

 

        

 広瀬川には濁りが入っていましたが、まだ思ったほど増水はしていませんでした。これから濁流がくるのか。 この際ですから川のゴミ等を水の力で押し流してきれいにしてほしいものです。

 

 あめにぬれた白梅もいいものです。

 

                 

 

コメント (2)
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千年希望の丘から

2017-03-13 15:17:02 | 思いつくまま

  朝から空は雲に覆われていました。空気も冷たいです。

 

                 

 

                

 

 

 おとといきのうと岩沼市の千年希望の丘について主に写真で見ていただきました。 ここからは当然海は見えますし、山も、蔵王連峰もきれいに見えます。 そして轟音と共にこういうものもしょっちゅう見られます。

 

 これは仙台空港です。空港は名取市と岩沼市にまたがっていると思いますが、どちらにしても仙台市内ではありません。でも名称は仙台空港となっています。 全国でで初の民間空港となったことで有名?です。

 もう何年飛行機に乗っていないでしょうか。 このところどこでもいいから飛行機に乗ってどこかに行きたいと思うのですが、日程等を考えるとますます難しくなっています。そんなことをいっていたら行けませんけどね。

 前にも書きましたが、6年前のあの日、3月11日ではなく、3月14日には夫婦で香港マカオに行くことにしていました。 そのために11日の午前中は夫婦で買い物へ行きました。私は茶色の皮の靴を買ってもらいました。

 そしてお昼は東北電力の大きなビルの地下でちょっと贅沢な昼食を摂り、午後2時頃かな帰宅したわけです。 そして自宅の1階で二人で寛いでいるときに地震が来ました。 地震自体は9日にも、確か10日にも起きていますのでそんなに問題視はしていなかったのですが、いつまでたっても揺れは収まりません。それどころかますます揺れ幅が大きくなり、立ってさえいられなくなりました。

 我妻はもうパニック状態になりましたので、幸いうちのこたつは掘りコタツでしたのでその中に入らせました。でも揺れはますます大きく強くなってくるようで、本来なら逃げ道を確保しておかなければならないのですが、座り込んで動けなくなったのでそれどころではなく、なすがまま、されるがままという状態で、さすがにこれはもう駄目かという気持ちになってしまいました。

 1階の天井の梁は2本の大きな曲がっている天然の桜の木を使っていましたのでかなり重いです。これは天井が落ちてしまうのではないかと不吉な思いに駆られましたが、体が動きません。ハリが落ちてくるということは2階が落ちてくるということで、とてもじゃないけどペシャンコになってしまいます。

 何が何でも生きぬくのだ、助かるのだという気力になれなかったのが不思議でもあります。そんなにも運命に従順だったのかとも思うのですが、もうどうしようもない、なるようにしかならないという気持ちに支配されたのかもしれません。 何も考えられなかったのかもしれません。

 

 ちょっと話が逸れてきました。 3月14日には夫婦での海外旅行を予定していたということです。地震のあとは電気が止まりました。テレビを見られません。地震等の情報はラジオだけでした。当然スイッチオンにして聞いていたのですが、2日もすれば飛行機も飛ぶだろうとなぜか楽観視していたのです。

 まさかM9.0の巨大地震で巨大な津波まで太平洋沿岸を襲ったなんて知りませんでした。全く知らなかったのかというとそうでもなかったようには思います。大きな津波が来て沿岸部は大変なことになっているという情報はラジオからも分かりました。

 でもお恥ずかしい次第ですが、今からすればまったくもって罰当たりとしか言いようがないのですが、まあ2,3日もすれば大丈夫だろうと勝手に思っていました。飛行機も飛んで、外国にも行けるという雰囲気でした。これは我々夫婦だけではなく、職場の人たちもそんな感じだったのです。

 いまから思えば全く不謹慎な思いとしか言いようがありません。あの時被害に遭われたみなさん、必死になって生きようとしていたみなさん、必死に救助活動をしていたみなさん、そしてその人たちの家族のみなさん、申し訳ありませんでした。いまここで謝らないと、勝手ではありますがすっきりしません。 何も発言できないように感じます。

 とは言いながらも、いままでいろいろと言っては来ましたが。 ずーと引っかかってきました。こう書いたからと言ってすっきりしたわけではありませんが、いつかきちんと向かい合っておかないといけないように感じています。

  仙台空港はこうなっていました。

 

                      

 

 

 こう書いてしまったら、きょうはこの先に進めないようになってきましたが、気を取り直して勧めさせていただきます。 岩沼市の千年希望の丘にいると嫌でも目に入り、耳に入ってくるもの、それは仙台空港に離発着する飛行機です。

 以下の3枚の写真は海側から着陸しようとしている旅客機です。

 

 

 

 

 もう一機 

 

 航空学校もあるからセスナ機の訓練もしています。

                       

 

 

 

 ヘリコプターも飛んでいました。

                  

 


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千年希望の丘 岩沼市

2017-03-12 12:52:08 | 思いつくまま

 きのうは大津波の映像もたくさん見ましたが、ショックですね。声をなくします。 堪えても涙が滲んできます。 辛いです。 苦しいけれどやはり見続けなければ、そして記憶し続けなければと改めて思います。

 きのうの続きです。11日午前中の岩沼市の「千年希望の丘」のその後の様子です。 2,3年前(はっきりしなくて情けないです)に7000人の一人として植栽に参加しました。 正直ってその時はこんな土に植えて本当に育つのか?と半信半疑でした。

 何しろ植栽をしようとする丘はいわゆる瓦礫で作られています。 大小の石はもちろんかって生活の一部だったであろう破片も一杯ありました。でもあえて震災廃棄物を土台に使っています。資源の有効利用のほかに千年先までこの記憶や思いを伝えていきたいということからだそうです。

 

  

 私が実際に植栽したのは、この2枚の写真の丘です。こんなに大きく成長していました。一時新聞にも書かれました、枯れていると。 でもこうなってみると1メートル以上にも大きくかつ逞しくなっています。

 

 理由はないですが、ここまでくればもう大丈夫だろうなんて思ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 ここからは蔵王連峰がはっきり近くに見えます。 まだ雪が一杯です。

 

 

 

 

 海岸線沿いにはこういうものが張り巡らされています。津波の威力を減衰させるためのものなのか、ここにさらに何かを構築していくのか。

 

 

 

 

 

 丘から撮ったものです。中央の建物は交流センターです。中には職員が3人くらいいました。聞いたら休みの日はないとのことです。交代勤務でやっているようです。なかでは大きなテレビ画面でDVDを見ることができますし、いろんな写真や資料も置かれています。

 右端の小さな建物は男女のトイレです。

 

 これもセンターの中にあった写真の一枚です。

 

 職員の話しでは午前中の早くに静岡県の袋井市から子どもたちがやって来たとか言っていました。岩沼市の姉妹都市のようです。

 

 

 

 

 慰霊碑モニュメントの説明 

 

 まだまだ整備途中です。これからです。

 

 太平洋です。

 

 

 


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あの日から6年、3.11

2017-03-11 17:02:31 | 思いつくまま

        (午後3時15分頃の東空 西側は明るかったのですが。)

 

 

 

 

 

   3月10日の朝日新聞 

       これに参加しました。

 

 

            

 

 後から 

              

 

 

 

 

 午前中岩沼市の「千年希望の丘」へ行ってきました。

 

                                               合掌


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中学校の卒業式

2017-03-10 21:04:28 | 思いつくまま

 きょうは空気が冷たく、風も時々強く感じ、午後は雪まで舞ってきたりもしました。 要は極めて不安定な天気だったということです。

             (午後三時二十分頃)

 

                

 

 

 きょう3月10日は”東京大空襲”の日でしたね。 一夜にして10万人もの人が焼け死んだということは永久に忘れることはできません。というか忘れてはいけないことだと思っています。ヒロシマ、ナガサキとともに。 その東京大空襲を企画し実践したアメリカの指揮官を戦後になって表彰しているのですから、日本人のお人よしというか愚かさ加減は全くもって何をかいわんやです。カーチスルメイという将官クラスの軍人でしたか。

 

 きょう午前学区内の中学校の卒業式に来賓として出てきました。本当は仙台市立の全部と言ってもいいくらいの中学校の卒業式は土曜日に行われているのですが、あした土曜日は3月11日ということで、一日前倒しということになったようです。

 

 ステージに向かって左側が来賓席、右側が校長先生他学校関係者の席、体育館の後半分が保護者席、前の部分が卒業生の席となっていました。いつものとおりですね。中央に赤い毛氈の通路が設けられています。

 

 担任を先頭に2列になって卒業生が入場し、中央の通路を通って左右に分かれて着席します。 卒業証書はこれもステージに上がるのも左右交互に行い、少しでも時間の節約というか効率化のためか、校長先生への礼のときは卒業証書を授与された生徒とこれから受け取る生徒が一緒にします。

 

 証書を授与された生徒はステージの正面に立ち保護者に見えるように一瞬立ち止まり、ゆっくりと下りてきて、中央の通路を通って保護者席に向かい、そこから左右に分けれて自分の席に座ります。我が子の晴れ姿を保護者にきちんと見てもらいたいということの現れです。

 

 校長先生の式辞は”考える人になること”を中心に話しました。記念品の贈呈(贈与となっていますが)は印鑑です。これは私のときもそうでした。55年前のことです。その印鑑は今でも使っています。この中学校はわが母校でもあります。印鑑には責任のある行動が伴いますから、いわば自己責任の意識の涵養には適しているのでしょうね。

 

 送辞は2年生の女子、答辞は3年生の男子でした。いやはや立派なあいさつです。しかも送辞の女子は一応原稿は両手で広げてはいますが、ほとんど暗記しての発言でした。長いのに大したものです。

 

 卒業の歌では2曲歌いました。225人がステージ前に整列して保護者に向かって歌います。基本は男女の2部合唱でした。ここの中学校は合唱部が素晴らしく、全国大会まで行っているくらいで、他の生徒も歌は上手です。やはりソプラノパートは素晴らしい。

 

 歌ったのは混声合唱曲集から①「夢みたものは・・・」と②「群青」です。  ①『夢みたものは ひとつの幸福   ねがつたものは ひとつの夢』からはじまり、『夢みたものは ひとつの愛   ねがつたものは ひとつの幸福   それらはすべてここに ある と』で終わります。

 

 ②『響け この歌声   響け 遠くまでも   あの空の彼方へも   大切な すべてに届け   涙のあとにも 見上げた夜空に   希望が光ってるよ   僕らを待つ 群青の町で』という歌詞があります。 2曲ともはじめて聞いた感じです。

 

 卒業の歌のあとは「校歌合唱」です。 私の出番です。55年目ですが、効果ならぬ校歌はちゃんと歌えます。3番まで少し大きな声ではっきりと歌い切りました。高音部も声が出ましたので一安心です。 小学校の校歌も歌えますし、小学校も中学校も旋律は弾けます。

 

 そして卒業生の退場です。拍手で見送ります。 ということで約2時間で卒業式は終了しました。終了しましたが、実は午後からも卒業式があるそうです。それはなんだ、どういう卒業式か? 実は不登校等の何らかの理由でみんなと一緒に卒業式に出られない生徒のためにこじんまりとした卒業式を開くのだそうです。いい配慮だと思います。

 

 名前を呼ばれても壇上に上がっていない生徒が10人くらいもいたかな。急な風邪等でやむを得ず欠席という生徒もいたでしょうが、ちょっと多いかなと思っていました。市内でも優秀な中学校ですから、ついて行けない生徒も出てくるのかどうか。

              

 

 卒業証書というと、きのうの朝日新聞に載っていた三井住友信託の全面広告、「わたし遺産」大賞のひとつ「『卒業』証書」がとっても印象的でした。 現在27歳の神奈川県の女性の話しで、大学受験を前に挫折し不登校になっていたそうです。進学校唯一の退学者となったのですが、担任の先生がとっても乙なことをしてくれたのです。

 先生からの電話で学校に出向いた彼女を待っていたのは、先生と二人きりの手作りの卒業式でした。ちゃんと手書きの卒業証書を先生はつくっていました。本物の卒業証書と同じ紙質の紙を選び、書体も本物に似せて書き、学校印のところには、むかし生徒自身が彫った篆刻の作品を押したそうです。

 

 『右のものは高等学校普通科の課程を修了したとは認められなかったが、困難な状況と闘い、最善の努力をし続けた よって卒業生と等しいものとここに証する   第五十期生正担任団教諭  平高 淳』

                       

 何ともしゃれた計らいですね。素晴らしい先生です。こういう話しを聞くと嬉しくなって涙が出てきそうです。

 


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Renoir ルノワール展

2017-03-09 14:07:11 | 思いつくまま

 いい天気です。今は。 快晴なれど雨が降ったりもして、全く一定しない困った天気です。もう少しピリッとせよと言いたくなります。これは自分自身にも言えることなのですが・・・・。

                 (午前9時10分頃)

 

                      

 

                      

 

         

 

 川向こうの宮城県美術館で開催中のRenoir ルノワール展に夫婦で行ってきました。行こう行こうと思いつつもなかなか行けなかった展示会、展覧会ですが、ようやく行けました。

 

            

       

 感想はよかったです。思ったよりも描かれている人たちはふくよかな女性が圧倒的で、そこに好感が持てました。 それと淡い色彩の妙とでもいうのですか、なんか日本人に合っている画家なのかもしれません。 

 

 有名なのは上の2枚の写真の絵なのかもしれませんが、私が一番気に入ったのはこれです。 『ピンクと黒の帽子を被る少女』 です。 制作年は1891年頃、技法素材は油彩・カンヴァス、寸法は40.6×32.4センチ、所蔵はメトロポリタン美術館です。 これが一番語りかけてくるようで、感性と一致しました。

                  

 その後県民ギャラリーで開催中の「第22回宮城平和美術展」も一通り見てきました。 というのも知り合いの人が2点出品しているからです。かれの静物画が気に入りました。いままであまりそういう絵はなかったように思いますので、新境地を開いたのかもなんて思ったりして見て回りました。

 

 午前中二つの展覧会を見て感じたことは、絵の上手い下手ではなく(その資格はないので)、大きな違いは額ですね。 ルノワール展の絵画ひとつひとつの額の存在感というか、それぞれ異なる額を使っているのですが、額と絵がマッチしていて相乗効果でさらに絵がよく見えるという関係になっているのではないか、そんな風に感じました。

              

 ルノワールの額はひとつひとつが風格と重みと落ち着きがあるのです。変かもしれませんが、私はある意味絵よりもそれぞれの額について注意しながら見ていました。とっても見応えのある額、額、額でした。

 

 

 芸術鑑賞をした後は美術館内のレストランで早めの昼食を摂ってきました。

            

 仙台牛を使ったハンバーグ定食です。カレーライスにしたかったのですが、今夜の我が家の食事がカレーなので、奥方からカレーは止めるように言われたからです。

 

 レストランで待っている間に見た地元の河北新報の記事です。朝日新聞にも記事は載っていたのですが写真はありませんでした。

 

 フクシマから避難した横浜の小学校でクラスの子どもたちにたかられ、いじめに遭った児童(今は生徒)の手記です。

 『今、僕は楽しく生きています。  一日一日前向きにいれば何とかなります。  だから、つらいことがあっても自殺を考えないで下さい。   もし自殺したら何があったかほかの人に伝える事も出来ない。  それに今は学校に行きたくないなら、僕みたいにフリースクールみたいな場所もあるから、そこに行って勉強するのもいいです。  環境になれなくてもゆっくり自分のペースでなれればいいです。   だから自殺は考えたらダメ。』

 小学校のとき、震災でたくさんの人が亡くなったから、死ぬことはしない、と書いた子どもです。 よく耐えてここまで来たものです。たくさんの辛いことがあったことでしょうが、それを克服して前向きに生きようとしています。 私としてはえらいなあとしか言えません。大変だったろうに。

 

 まもなく6年となる東日本大震災関連の記事も目に留まりました。河北新報の記事です。

 余震の回数です。  貴重なデータではないでしょうか。

                  

 2011年3月11日から2012年3月10日の一年間で 8112回 も地震が起きたのです。一日あたりにしてみると、22.2回です。 よくもまあ揺れたものです。 これでは毎日揺れているように感じたのも無理はありません。地震酔いには参りました。

 2016年は784回ですが、それでも東日本大震災前と比べると 3,5倍くらいの回数となっています。一体いつまで続くのでしょうか。

 3月11日が近付いてくるとどうにも落ち着きません。自分自身の問題でもあるし、日本全体の社会の問題でもあるし、これでいいのかと自問自答してもすっきりしません。社会に腹の立つことは多いし、不甲斐ない自分に腹が立つし、・・・・。また天気は曇ってきましたし、・・・・。

 今は「2時46分」を過ぎて2時54分となっています。

 

 

              (前に紹介したところとは別のところのネコヤナギです)

                           

 水仙です。 

                          

                                         

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国際女性デー

2017-03-08 16:37:52 | 思いつくまま

 空気が冷たいです。きのうは少しは暖かいような書き方をしましたが、気温は6.5度までしか上がらず、きょうも引き続き寒い日となっています。 昨夜は雪も舞って屋根には少し積もりました。きょうも午前中少し雪が舞いました。まだ3月の上旬ですからね。

 

                

 

      

 

 

 きのうか、告別式での香典返しの一つがこれでした。 珍しいので紹介させていただきます。

 

 日本酒のケーキです。 お酒が好きな人はすでにご存じでしょうが、浦霞は日本酒として有名です。 この頃は飲んだことはないですが、浦霞禅なんか高級酒の部類に入っていました(私にとっては)。

 その浦霞という日本酒を使ったケーキとなっています。まだ食べてはいませんので味のほどは分かりません。 ここ10日以上、2週間以上と言っていいかなお酒は飲んでいません。ほとんど飲む気はなくなってきましたし、飲んでみても美味いと思わなくなったのです。

                         

  いいこととは思いませんが、体が受け付けなくなった以上仕方がありません。風呂上りに飲むのはせいぜいビール、それも”ノンアルコール”のビールです。何かあらためて書いてみると何か寂しいですね、悲しくもなります。

 このブログに長いこと付き合ってくれている皆さんはお分かりでしょうが、よく飲んで酔っ払っては、一応PCには向かうのですが、もうすっかり酔っぱらっていて眠くて眠くて書けません、ここで失礼します、何てことを結構書いたものです。 ずいぶんと昔のことのような気がしないでもないです。みなさまの暖かい包容力に改めて感謝申し上げます。

 

 こちらは日本酒とは関係ないようですが。

 

 キャスティングからハガキが届きました。鮎早期ご予約大商談会!の案内です。

  

 泉バイパス店にて、3月25日(土)と26日(日)の両日です。 盛岡では20日(火・祝日)に開催されますが、豪華です。鮎釣り名人のトークショーがあるのです。DAIWAのテスターの有岡只祐さん、福田和彦さん、そしてがまかつからは福田眞也さんです。

 かってはここ泉のキャスティグにも鮎釣り名人が来ていましたが、こういうのも淋しいものですね。 来店すれば 300P プレゼントするだけです。 今はもうすっかりあたらしい鮎釣り用の竿を買う気は無いですから。 今ある鮎竿をいかに効率よく、TPOに応じて使うか、使いこなしてくか、それが残された人生における(どうでもいいような)課題と捉えています。

 何しろ購入しても全く一回も使ってない竿もあるのですから・・・・・。

 

 

 きょうは「国際女性デー」だそうです。世界経済フォーラムが発表した2016年のジェンダーギャップ指数で、日本は144か国中111位といいます。まあ立派なものですねえ。

 日本の保守派というか守旧派、戦前回帰派が憲法を改悪して、何とかして家庭第一主義、今風に言えば家庭ファーストとなるのでしょうか、夫婦に子供二人という標準世帯幻想に、男は外で働き、女は家で子どもを産み、子どもを育て、家庭を守り、内助の功に徹するというような醇風美俗?の社会を築こうとすればするほど現実はますます幻想から遠ざかっています。皮肉なものです。現実をみていないとも言えるのでしょうか。

 「天声人語」の中に、こういうことが書かれています。 『「平日昼間問題」という言葉・・・・・平日の昼間、男性が住宅街をひとりで歩いていると好奇の目で見られる。』  これよくわかりますねえ、字際問題として私も定年になり退職したとき、朝方どうしようか、外に出られるのか、周りの人は変な目で見るのではないか、いちいち話しをするのも面倒だしと、どうでもいいようなことを悩んだものでした。

 第2の仕事が基本的に月曜日休みということになった時も、月曜日に家にいるなんてまわりから変な目で見られるのではないかと思うと、最初はなかなか気楽に出歩くことはできませんでした。 もう今はどこから見ても毎日が日曜日の人生ではありますが、その代りに自分でも現役のときに思っていた以上に地域のために働いている、地域貢献はよくしていると思っています。本当は手を抜きたいのですが、なかなかできません、逆にますます忙しくなってきています。

 男らしさ女らしさから自由ではいられなかったのです。今はかなりの割合で自由になっているのではないかと思いますが、自己満足かもしれません。 何しろ立派な女性が周りにたくさんいますから、感心することはあっても貶すようなことはありません。

 

 ましてや我が家の御神さんは立派です。家のなかでよく働き、きちんと家計をやりくりし、ご飯もおかずも一杯作っています。 それでも地域にも大きく貢献しています。まあ一方では自己の趣味にもかなりの割合で没頭していますから、それでバランスがとれているのかもしれません。それを認めて好きにやらせている私もすごいのかもしれません、なんて言ったりして・・・・。

          

 日本はどうしたらいいのか? 私が思うに、まずは何としても男の意識が変わらないといけないのですが、スタートラインとしては 全ての女性を”自分の母親”と思うこと。 これに尽きるのではないかと思います。   (もちろん鬼としか言えないような母親もいますが、それは例外中の例外として)

 少年期・青年期・壮年期・老年期に渡って、すべての女性を”母親”と思うことにしましょう。母親として接し、行動していきましょう。覇気がないとか男らしくないとか言われたら、それこそがジェンダーフリーからはまだまだ遠いところにいる紛れのない事実ですから、そんなことは聞き流しましょう。 

 そうなって行けば世の中から暴力も無くなり、もしかして将来は軍隊も戦争も無くなったりして・・・・。

 きょうの本流の様子から。これを見つけて驚きです。何じゃこれは!?強い、さすが!これこそ母親に通じることではないでしょうか。

 

            なんでこうなるの?  

 これぞ 母の強し です。

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飛翔(したいですね)

2017-03-07 14:52:26 | 思いつくまま

 このところ最高気温が10度を超えています。いい感じですね。 きょうはちょっと風があり、空気が冷たい感じですが。

            (午後2時過ぎ)

 

                 

 

 

 午前中市外の釣り友の母上の告別式に列席してきました。 我々の年代になると、両親は既にかなりの高齢者になっています。高齢の人から先に逝くのは定めではありますが、いくらそうであっても、また平均寿命を超えているとか言っても親が亡くなるというのは重いものです。浄土宗での告別式で、参列者全員で「南無阿弥陀仏」と10回唱和しました。改まって南無阿弥陀仏と唱えることなんてほとんどないですから、たまに唱えるといいものです。

 

 それで河原へは午後からとなってしまいました。 きょうからWBCですか、嫌きのうから始まったのか、日本は虚位が第1戦ということですね。 みなさんは期待していますか。 私はかってのような熱はすっかり冷めています。

 

 WBCなんか止めてしまってもいいのではないかとさえ思っています。中途半端です。”侍ジャパン”なんてことを聞くとなんか嫌な気持ちになります。どうせやるならリーグ戦が終了してからにしたらどうでしょうか。リーグ戦の前には止めた方がいいです。各チームとも万全の態勢でリーグ戦をスタートとさせてほしいものです。

 

 

 2日の写真ですが面白い写真を撮ることができました。

    

 

                      

 

        

    

           

 3月2日以降サギの姿は見ていませんね。 

 カモはいました。7日です。 中洲の最下流に居ました。危うく見逃してしまうところでした。

 

 カモたちは何を思って上陸するのでしょうか。日向ぼっこか、知りたいものです。

           

 何を思い、何を考えて群れて生活しているのでしょうか。気になりませんか。 鳥や犬、猫の気持ちがわかったら面白いでしょうね(多分)。

 

 ガアーガアーよりはゲェッゲェッゲェッと鳴くときは仲間に警戒を知らせているようです。多分リーダーが鳴いているんでしょう。

  これは本流に居ました。

 

 分流には全く、本流でも左岸側にかっては大きな鯉がいたものですが、いまは鯉の姿も見られません。つまり魚の姿を見ていないということです。淋しいことです。 きょうは水量が少し増えていましたから山の方では雪解けが始まっているのでしょうか。

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3月も6日に、

2017-03-06 15:36:59 | 思いつくまま

 きょうもまあまあ暖かい一日だったと言っていいでしょう。 きのうよりは低いか同じくらいかな。ごごの車からの外気温は12度ありました。 曇りで日は当たらないけどさほど寒くはなかったですね、朝の立哨も。

              (午前9時30分頃)

 

                

 

 もう今ランドセルに黄色いカバーをしてる子どもたちも、来月になるともう2年生です。体も大きくてしっかりしている一年生が多いですが、中には心配になる子もいます。 依然として親と一緒に通学している子どももいますし、元気度が足りないような子どももいます。

 

      

 

 なかには4人組の一年生ですが、150メートルくらいも手前から大きな明るい話し声や笑い声が聞こえてくるようなグループもいれば、ひとりでの登校という子もいるし。新年度の町内の小学一年生は7人ですか。去年よりは少し少ないようですが、それでも町内としてみると多い方のようです。あさから元気な子どもたちの声が聞こえるというのはいいものです。

 

 きょうは分流も中洲の南側の本流にもカモもサギも一羽もいませんでした。 全く見当たりません。それもそのはず、理由が分かりました。 人がいたのです。 しかも本流の右岸の崖下に。崖を歩いていました。 これでは神経質なカモたちは飛び去ってしまいます。

 

 何かを探しているのか、拾っているのか? 変わった化石が見つかるかもしれませんね。去年までに大水が何回か出ていますから、岩盤も削り取られていることでしょう。ただ右岸の崖はかなり脆くなっているようですので、かなり危険な場所となっていると思います。気をつけないと。 崖下を歩いているときに地震が来たら大変なことになります。

 

 いま堤防の花壇の水仙で一番先に咲きそうなのはこの3つですか。 いつきれいに咲いてくれるものやら。楽しみではあります。

     

              

 

 この写真を見て何を思い出しますか?もう一年半くらい前のことになりますか、封切からは。2015年の10月かな。

 これだけでは無理でしょうか。

  これなら少しは分かるかも。

           

 こうくればお分かりでしょう。 そうです、「俺物語」です。 きのうの夜日本映画専門チャンネルで後半の部分をみることができました。 これは”トラ”として何回も出たから映画館でもみました。 テレビでの放送は初めてかもしれません。

 お化け屋敷での火災で友達を助け出すシーンから見ました。 暑い中八木山のベニーランドで朝から昼過ぎまで撮影がありました。ベニーランドや定禅寺通り、城南高校等でのひとときが懐かしく思われ、ついつい見てしまいました。

 

 何といっても鈴木亮平さんが役作りのために30キロも太ったとかで、茶の間で見るとまた雰囲気が違って見えました。剛田猛男役を本人も楽しんで演じているのが感じられましたし、映画館で見たよりも、猛男が好きになった女子高生「大和凜子」が可愛く感じられました。

              

 この時の”トラ”はひとりで行ったのですが、早朝まだベニーランドの外で待っているときに、ひとりだけポツンとベンチに座っている20歳代の小柄な可愛い女性がいまして、周りは劇団や団体できた人たちが一杯いるのに、そこだけ異空間となっていましたので、人見知りですが勇気を振り絞って話しかけました。

 やはり初めての”トラ”で、周りの雰囲気に圧倒されていた感じでしたので、”トラ”の先輩として”トラの心構え”みたいなことも含め、当たり障りのないことを話しました。 

 そのうち時間となりましたので、私はひとりで先にベニーランドの中に入り、広い待合場所の隅の方に座っていたら、後から入ってきた彼女の方から話しかけてきて、ここに座ってもいいかというので、もちろんOKしました。 いろいろ話すうちに、この際だからとペアで、つまり親子(父娘役)ぺアということにして撮影に臨むことにしました。それで2,3のシーンを撮りました。

 ただ如何せん、この映画は青春映画というか高校生が主役です。スタッフの方も主役等の周りには小さい家族連れや若者同士のグループを配置しようとします。しかし私に言わせればそういう発想は手垢にまみれています。かえって父娘が遊園地に来るという方が意味深で面白いじゃないですか。そういう発想のスタッフがいなかったのが残念です。

 昼食の後は私の大嫌いな動く遊具というか、バイキングみたいなめまいを起こして失神してしまいそうな乗り物に乗るシーンがありました。当然私はパス。でも彼女はそういうのが大好きだというのです。そして喜び勇んで乗りにいきました。私は下から見上げているだけ。

 因みに私は子供だましのようなジェットコースターでも嫌いです、恐くて乗れません。何かカーブでは自分から飛び出していきたくなるというか、怖いのにそういう誘惑に駆られるというのか、嫌なのです。 

 昔むかしデパートの屋上に小さい遊園地がありましたね、中にティーカップの遊具がありました。自動的に回るのに加え、乗っている人たちでも動かせるようなものでしたが、そのときも完全な車酔い状態になってしまって二度と乗るまいと心に誓ったものでした。

 いろいろありましたが、最後にお互いにもう一度どこかの撮影現場で遭うことを誓って?別れたのですが、いまだに会ってはいませんね。”トラ”の出番が極端に少なくなったからです。もともと募集自体が少ないのに、募集があっても要件が合致しなかったり(若い人たちの方が、圧倒的に年寄りよりも多い)して、チャンス自体がなかったのです。お互いに名前だけは名乗り合いました(彼女の方から言ってきたのです。)が、それ以外はなしです。

 どこかの撮影現場でばったり会えたら面白いだろうなあという、密かな楽しみをとっておいてあります。でも多分無理でしょうね、この分では。

 

 

 


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気合を入れないと、とは思えども

2017-03-05 14:54:01 | 思いつくまま

 きょうもきのう同様いい天気ですね。とくに午前中は。 午後になると何か少し曇りがちになります。きのうの最高気温は13.5度とかで、暖かいはずです。

               (午前9時30分頃)

 

                 

 

  ベガルタ仙台、きのうも勝ちましたね。ジュピロ磐田に1-0で勝ちました。 これで開幕2連勝、目下のところ負けなし。 調子いいじゃん!!予想を裏切ってくれています。この調子で勝たないまでも”負けない”ような試合を続けてくれればいいのですが、・・・。

     

 

 

 何かこの頃ピリッとしないので、この人に喝を入れてもらいましょう。

       

 

 きょうの河原の散歩の終わりごろのことです。民家のアンテナのところにカラスが止まっていました。その付近を2羽のトンビが喧嘩しながら?飛んでいました。 尊トンビいがカラスの方に近寄ったからでしょうか、カラスが飛び立ちトンビのうちの1羽を攻撃し始めました。

 

                   

 体は絶対にトンビの方が大きいんですが、気性はカラスの方が荒いというか強いというか、まあそのことは前から知ってはいたのですが、今回写真を撮ることができました。 とはいってもなかなか動きの速い鳥をファインダーで捉えるのは大変です。

  トンビの羽根の先です。

  

 一時はもっと接近して、絡み合ったかのようにもなったのですがそれは撮れず、トンビの後について接近中のカラスです。 戦闘機同士の空中戦ではこうなったらもう絶体絶命の状態ですよね。 何にしてもカラスは強い!そしてむやみに逃げたりしない。ちゃんと間合いを十分いとっているし。

 

 何か猫の鳴き声がうるさいなあと思ったら、こういうことでした。

        

 どっちがオスでどっちがメス化は分かりませんが、低姿勢の方がオスなのでしょうか。

 

 きょうも分流の右岸へチというかほとんど中洲近くに2羽のカモが居たのですが、こちらが気付く前に飛び去りました。 中洲に渡って本流を逆に遡りますが、上流の方にカモ類がいたもののすぐに飛び去ってしまいます。辛うじてこんな写真が撮れました。

たまたまです。 

 広くなった本流の右岸へチ際にいました。逃げないで。でも徐々に下って行きました。

 

       

 

 白梅がきれいです。

 

 きょうの朝日新聞の日曜版GLOVEの記事です。 マイケル・ブースという人がトランプ大統領について紹介していました。 

 まずかれの性格; 衝動的で過度に神経質、思い込みが激しく、激情の気があり、自制心は欠落、狭量で好戦的、と。

       

 かれの好きな食事について; (アメリカファーストだからでしょうか)ファーストフードが大好きで、ハンバーガー、フライドチキン、ピザのほか、肉は赤身(トランプステーキ。非オーガニック)でよく焼く。そしてチェリーバニラのアイスクリームが大好きだそうですが、酒は飲まないのだそうです。代わりにダイエットコーラを愛飲しています。 だからあんなにデブッチョなのですね。

  

 何かあのヒットラーも酒は飲まなかったのだそうです。


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一気に春めいて、

2017-03-04 14:45:20 | 思いつくまま

 書こう書こうと思いつつもついつい忘れてしまうことが多くなりました。やはり寄る年(歳)波にはどうしようもない、抗うことができないということなんでしょうか。この前日本映画チャンネルで「スイングガールズ」の一番いいところだけを見ることができました。

 ( 桃の花かと思いきや、)

 夜の帰宅後のことです。 列車に乗っていざコンサート会場へ向かう中で、実は出場申し込みが遅くなったことを白状したり、吹雪で列車が動かず間に合わなくなり、女の先生がバスで迎えに来てくれたり、出場予定校の1校が出られなくなったので急遽出場が可能になったことを知らされたり、折角揃えた衣装を列車内に忘れたり、いろいろあったけど、結局観客が半分くらいいなくなったところで演奏を始めた所、新鮮なジャズの音を聞いて観客がまた戻ってきて、満員の観客の中での演奏ができたわけです。まあよくも次々と面白い展開を考えたものです。

  (紅梅ではないか) 

 それを言いたのではなく、、演奏がよかったということが言いたかったわけです。もう何回この映画を見たことか、残念ながらスクリーンでは見てないのですが、テレビでは3回は見ていますか。確かにいい映画は何回見てもいいものです。

  (と妻の言)

 「ムーンライトセレナーデ」「メキシカンフライヤー」「シング・シング・シング」 圧巻でしたね。実際に出演者には演奏してもらったようで、監督はかなりの特訓を強要?したようです。監督はもちろん矢口史靖監督です。 今「サバイバルファミリー」が上映されていますが、まだ見ていません。行こうとは思いつつも・・・・。

          

 そうそう「スイングガールズ」の前に「WOOD JOB」も日本映画チャンネルでやっていましたね。これも映画館では見ていなくてテレビでの鑑賞となったのですが、この映画も涙あり笑いありの面白い映画でした。 

  (堤防に咲いていました)  

 上映後矢口監督と番組のプレゼンター?との対談があったのですが、今は話の内容はほとんど忘れてしまいました。でも「サバイバルファミリー」のことにも話が行って、田んぼでのぶたとの追いかけっこのシーンは、飼いならされた豚を使ったのではなく、かつ本当に主人公たちが豚をつかまえるまで長回しで撮影したということをきいて、さすがだなと思いました。映画も見なければならないし、近くの美術館ではルノワール展も見たいし、気ばかりが焦ってくる3月、年度末となっています。

 

                 

 

 きょうの午前中の天気は川を歩いていても春を感じさせてくれるものでした。 川へ行くときは相変わらず真冬の服装で出かけるのですが、背中にあたる太陽の光線がなんとも暖かく、コートを通して直に背中にまで届くように感じました。 こんな感じは初めてです。心も体も暖かくなり嬉しくなります。

                   (若者たちのサッカー)

 

 (きょうはいつもの堤防からの東方面のシーンはぶれていて使い物になりませんでした)

  (午前10時頃)

 

                

 

 でも午後になってからは風も出てきたし、曇りがちとなり、さっきは大粒の雨がパラパラと落ちてきました。

                 

 

      

 

 きょうの朝日新聞から; 池澤夏樹さんが面白ことを書いていました。アメリカ大統領 トランプ Trump、 日本のデンデン宰相 安倍 Abe 、ミックスして Trumpabe と。 読み方は「トランペイブ」   全く違和感を感じさせないところがすごいと! 日米は”一体”ということ。

 Abe は 「エイブ」 と発音されるとアメリカでの演説で言っていましたから、p+abe で「ペイブ」  本来なら Trump と Abe と最初の文字は大文字にならなければならないのですが、主従の関係・従属の関係で埋没し Trump + abe で Trumpabe がぴったりだという訳です。 

 何とも強烈な皮肉ですが、日米の関係をよくあらわしていると思います。 アメリカが軍備予算を増強すると言い出したら、すかさず日本の防衛費も1%枠なんか関係なく増額するとか・・・。オキナワには強く出て、アメリカには媚を売る、一体どこの国のデンデン宰相なのか分かりません。悲しい限りです。

 どこまでも”平和を希求する”天皇陛下に申し訳ないことです。アジア太平洋戦争での残留日本兵の家族、遺族にも丁寧に対応する姿はさすがに日本の象徴に相応しい行動です。

 

 こんなに平和を願い、死者を心から弔っている天皇がいるというのに、現実の政治は現代版治安維持法を制定し、安保法制を制定し、アメリカとともにならまだいいか、アメリカの下働きとして自衛隊を派遣し戦闘行為に従事させようと画策しているなんて許されないことです。

 こういう立派な象徴天皇がいるから、天皇の退位についても何が何でも今上天皇一代限りにしようとしているのでしょう。余程今上天皇が目障りなのかもしれません。そう感じませんか。

 


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かえり(還り)雛

2017-03-03 17:03:05 | お知らせ

 いやはやすごい風ですねえ~。暴風雨警報が出たのでしょうか。 仙台でも瞬間最大風速が23メートルを記録したとか。 でも春一番とかは言っていませんね。

 (午後3時30分過ぎ。雲一つありません。)

 

 午前中は街中で研修会がありましたので、終了後五橋へ行ったり、仙台駅前の丸善書店に入ったりしました。大して歩きはしなかったと思うのですが、帰宅後はぐったりでした。そうそう午後1時半ころに昼食として”ラーメン”を食べてきました。

                 

 

 徐州楼だったかな、650円ですが、ここのラーメンは一回食べたら忘れがたい味なのです。もう一回食べに行きたくなるような味なのです。 何がいいのかと改めて聞かれると困るのですが、やや太めのストレートな麺で、チャーシューは2,3枚付いてくるけどさほど美味いとはいえないし、ネギが美味いのかも、輪切りにしたネギが一杯入っていますが、そのネギとスープの絡み具合が美味いのかもしれません。 

             

 (分流の中はこうなっています。)

 

                 

 中華丼にこぼれそうなくらいモリモリと麺等が入っています。大盛もあるのですが、とてもじゃないけど大盛は食べきれません。一年に2回くらいしか食べてはいませんが、650円で幸せになれるなんてなんて安上がりなのでしょうか。

 

 

 

 きょうは桃の節句・お雛様です。この前母が晩年お世話になった施設の豪華な雛飾りをご紹介しましたが、今回は福祉プラザに飾られている、お雛様、吊るし雛です。 

 あの日からもうすぐ6年ですね。

 還り雛です。 写真の方が実物よりも大きいですね。 ひとつひとつよく作られています。ほとほと感心しながらシャッターを押しました。 「お内裏様」も「お雛様」もそれはそれは数えきれないほどたくさん並べられています。

      

 

       

 

             

 

           

 かえりびなは元々女性の還暦に再出発を祝って贈る品だそうです。 気仙沼市や南相馬市などから仙台市に避難している被災者らが2011年末頃から、自身の再出発と行方知れずの家族の帰還を祈って作りはじめました。東日本大震災ではいまだに2600人くらいの人たちが行方不明のままです。

 仙台市には「仙台かえりびなの会」「仙台高砂つるしびな結の会」を結成して、2014年春から仙台市や女川町、箱根町で展示会を開いてきました。 

 いまはこういう歌もあります。

 

                

 

 

 

 

 強い願いが伝わってきます。

 

 

 

 

 


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冴えない天気でも、確実に、

2017-03-02 14:36:40 | 思いつくまま

 (お知らせです) 画面左側の「最新フォトチャンネル」に”大川小学校”を追加しました。最初は”子まもり像”にしました。 いままでこのブログで取り上げてきました写真をまとめてみようと思っています。 6年前の最大の悲劇を忘れないために。

 きょうの天気は午後からは雨が降るでしょうということでした。 でも幸か不幸かまだ降ってはいません。 その代りいつ降っておかしくないようなどんよりとした曇り空です。 気温も上がってはいないでしょう。 何か1週間周期で天気を見ると、木曜日の天気が一番悪いように感じるのですが。

 我が家の玄関前にはこういう可愛い鉢植えがあります。夜は中に入れています。

      

                          

  

    ありました、モグラ塚が。  

           (午前10時過ぎ) 

 

                 

 

 分流の様子はさっぱり代わり映えしませんね。何かもっと草が生えてきてもいいように思うのですが・・・・。

                

 依然として分流には小魚の姿が見えません。去年の晩秋までは数えきれないくらいいたというのに、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。

 

 何しろ今の分流には上流口もそうですが、下流には何カ所も石の関所があって今の状態では上からも下からも魚は入って来れません。 ひと雨、大きな水が出て石やゴミ等を洗い流してくれれば、そうならなければ小魚は分流に入って来れないでしょう。

 

 いつもよりももっと上流側へ行って見ました。既にありました、というのか咲いていたというのか、ネコヤナギです。

 

                       

 

                          

 

 しつこいんですよね。いい写真だけを選んでアップすればいいのに、と自分でも思います。そして実際そうしているつもりです、これでも。 かなりの数の写真を没にしてはいるのですが、それでもまだ足りません。

                              

 ここ数カ月はいかにして写真を、いい写真だけを残して他は廃棄するか悩みながら実行している(つもりな)のですが、どれもこれもがいい写真に見えてきて、貴重だから消すわけにはいかないと思ってしまうのです。 決断するということは難しいことだと、こんなことからも思っている次第です。何かを選ぶということは何かを捨てるということですから。

 

      水仙も間もなく咲きそろうでしょう。

       

  

 


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