先日の記事で私の桜に対する思いなどを書いてしまったので栃木の実家近くの桜を見に行ってきた。う~ん、ここの桜を見るのは実に十数年ぶりだ。
そして実家に帰り、満開の桜並木に圧倒されてしまった。
川の両岸に植えられたソメイヨシノの木は、私が子供の頃に地元の人々によって植えられたものである。私が上京するころはまだ植えられて十数年だったあが、樹齢三十年近くになった現在、その太い幹から出る枝にはものすごい数の花が咲いていた。いろいろ思い出してみると私の中に残っている桜を植えていた記憶というのは、私の最も古い記憶の一つだろうということだった。桜は確実に成長しているが、私はこれほどまでに成長しただろうか。少し気恥ずかしい。
そして桜の木の大きさもずいぶん変わったが、もう一つ変わってしまったことがある。
それは花見客の数だ。私が子供の頃は地元の人ぐらいしか見ている人がいなかったが、ここまで見ごたえのある桜並木になってしまうとやはりいろいろなところで露出する機会があるのだろう、晴れた今週末などはきっと有史以来最高の人出になったのかもしれない。
別に自分の桜ではないのだが、人があつまるようになってうれしいような、もったいないような気持ちである。地元の自治会の方々が花見の後に掃除などをしているというのを聞いて、複雑な心境になった。
でもやっぱりふるさとの桜が一番いいなぁ。
そして実家に帰り、満開の桜並木に圧倒されてしまった。
川の両岸に植えられたソメイヨシノの木は、私が子供の頃に地元の人々によって植えられたものである。私が上京するころはまだ植えられて十数年だったあが、樹齢三十年近くになった現在、その太い幹から出る枝にはものすごい数の花が咲いていた。いろいろ思い出してみると私の中に残っている桜を植えていた記憶というのは、私の最も古い記憶の一つだろうということだった。桜は確実に成長しているが、私はこれほどまでに成長しただろうか。少し気恥ずかしい。
そして桜の木の大きさもずいぶん変わったが、もう一つ変わってしまったことがある。
それは花見客の数だ。私が子供の頃は地元の人ぐらいしか見ている人がいなかったが、ここまで見ごたえのある桜並木になってしまうとやはりいろいろなところで露出する機会があるのだろう、晴れた今週末などはきっと有史以来最高の人出になったのかもしれない。
別に自分の桜ではないのだが、人があつまるようになってうれしいような、もったいないような気持ちである。地元の自治会の方々が花見の後に掃除などをしているというのを聞いて、複雑な心境になった。
でもやっぱりふるさとの桜が一番いいなぁ。