あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

会津薬用人参と旗を掲げた事の思い出

2013-04-12 22:22:41 | 思い出

先日の新聞に会津のオタネニンジン振興へと推進協議会が発足されたらしい。
朝鮮人参とか薬用人参とか言われているが、正しくはオタネニンジン(御種人蔘)と言い
原産地は中国の遼東から朝鮮半島にかけての地域といわれ
中国東北部やロシア沿海州にかけて自生する薬用植物で
朝鮮人蔘または高麗人蔘とも言われている。

オタネニンジンとは  ポチっと! 

日本では江戸時代から栽培されており、長野県と島根県
そして我が福島県も会津地方だけで、その薬用人参で会津藩財政を支えたとされ
国内ではこの三県でしか栽培されていない。

もちろん我が家も、ばあちゃんが寝たきりになったり
田んぼが圃場整備されるまで作っていたのだが
けっこう手間がかかり、一度薬用人参を作ると10年以上も休ませないと
次の作付けする事が出来ないとされ、土づくりから始めて収穫するまでには
気が遠くなるような6年も7年もかかると言うものだった。


昔は見渡す限り薬用人参畑を覆う黒いシートが見られたものだが…。

なんだか堅苦しい話になってしまったようだが
薬用人参の何たるかは詳しく話すには、まだまだ足りないのだけど
生産から出荷に至るまでの大変な労働力などを必要とする農作物だって事で
だから年々作付けする農家も少なくなっていき
美里町にあった薬用人参組合も解散されたと聞いていた。

会津の特産物で…きっと 薬用人参の天ぷらが食べられるなんて
会津だけの事かも知れないなと思う。
移植用の細い薬用人参を天ぷらにすると
ほのかに薬用人参の香りがして食感はホクホクと芋の様な感じだった。

その薬用人参が、また会津の特産品として振興してくれるのは
地元に住む私としても喜ばしい事ではあった。


すっかりと田んぼばっかりになってしまった今!

今でこそ、陽射しを嫌う薬用人参の畝の上は黒いシートで覆われているが
ずっと昔は、そういうものはなくて、冬仕事にカヤで編んだ屋根に
藁を被せて、竿竹の様なものをその上にあげて、そこを藁で縛る。
いわゆる人参のカダンあげ作業は春一番の作業となっていた。

これがけっこうゴミになる仕事で、私のように不器用な者は
軍手とかゴム手をかけると、上手く縛れなくて
素手でやると手の荒れが甚だしいものになってしまうのだが
とにかく人手が必要で、春特有の午後からは風が強くなる頃の仕事では
風に飛ばされないように押さえながらの作業となる事も珍しくはなかった。


それでも、まだ遠くに薬用人参畑のパイプが並んでいる。

(すみませんね~~長々と…もう暫らくお付き合いください。)

30年ほど前の4月12日を前にして、この年は私が出産間近という事もあり
前日から親戚の伯母とそこのお嫁さんが手伝いに来ていて
家から見える我が家の人参畑での作業に、陣痛が来たらタオルでも振れと!
いやいや、笑い事ではなく、気がかりだったであろうが仕事は休む事は出来なかった。


昔 我が家で収穫し焼酎で保存された薬用人参の瓶詰


まだ10数本残っている。

いよいよ陣痛が始まったのは…確か午後も夕方に近い時刻ではなかったかと記憶している。
棒にタオルを括りつけて、縁側から畑の夫に見えるように…。
今バカな事やってんだ!と思うが、当時は携帯電話などなかったし
薬用人参の作業は待ってくれずに、本当に忙しいさなかの事だった。
手作業が多かったので休むに休まれなかったのだろう…。

痛むお腹を押さえながら、入院準備の荷物を出して待ち
駆けつけて来た夫と産婦人科へと行ったので
手伝いに来てくれた伯母ちゃんとそのお嫁さんに
ご馳走とかしてあげられなかった…なんて事は
後になってから思う事で、結局経産婦だったわりには
一晩陣痛に苦しみながらも生まれたのは次の日の真昼間だった。

今日はそんな思いをして産んだ、我が家の末っ子長男誕生の秘話だった。


今日の一枚 夕日とヒメさまをUP!

 

 

 

コメント (30)
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