津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■奇跡のリング撮影

2019-06-23 06:26:57 | 徒然

           

 過日 ■一瞬の奇跡 でご紹介した奇跡のリングを今朝も見ることが出来た。6時を少々過ぎたころである。
ひょっとするとと思い照明をつけずに確認したら、暗闇の中にうっすらと映像ができていた。
照明をつけると全く見えなくなるからデジカメまかせで至近距離から撮影したものがこれ・・・

6×50㎜ほどのスコープを通り抜けてくるから、リングは縦長(約35㎜ほど)の扁平で色も半分ほどしかみられない。
実物はもう少し鮮やかなのだが、美しい赤橙黄緑青藍紫のリングを見ることが出来た。
真っ暗闇の中でこのような被写体を撮影するノウハウを知らない私だから、これが精いっぱいの映像である。

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■怪しからぬ暑さ・・・

2019-06-22 16:59:56 | 徒然

                                              期すことのあれど 怪しからぬ暑さかな  津々 

 母方の祖母は明治15年の生まれであったが、わが家で30年ほど起居を共にした。
この祖母から教えられたことがいろいろあるが、この「怪しからぬ暑さ」も聞き及んでいた。
不思議な言葉だと思いながらも、古文書に親しむ中で時候のあいさつの中などにこの言葉を見つけて我が意を得たりという思いであった。
大坂城に永く徳川千姫のものとする「長慶院」という人に当てた手紙があり、ここに「けしからぬあつさ」と書かれている。
長慶院とは秀吉の正室・ねねの姉だである。

実はここに登場する「千」という人物は徳川千姫ではなく、最近では細川忠興の妹の「千」だと比定されている。(木下延俊慶長日記)
「千」は義兄・木下延俊(室は忠興妹・加賀)が、慶長十八年の夏の暑い中に、病がちながら領地である豊前の日出に帰国しようとしていることにたいして、これを心配しての事であったようだ。

本来は「道理や礼儀にはずれていてよくない。」の意だが、この場合には「はなはだ良くない」という事であろうか。

熊本は梅雨入りもないまま、連日の真夏日で、77爺は少々こたえていて、今日はまだ散歩にも出かけていない。
夕方涼しくなってからと思いながら、もう5時になってしまった。
頭痛がして何事にも気合が入らないでいる。字余りの駄句である。




                                        

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■元和九年・覚書(八月十四日~八月廿日)

2019-06-22 08:47:00 | 細川小倉藩

         |      八月十四日 
         |

         |          井門亀右衛門くミ  国友半右衛門くミ  桑原主殿くミ                          
         | 一、御鉛舟ノ上乗ノ秋山包右衛門・内身喜左衛門・林加兵衛、以上三人也
         
         |             (米田是門)
年寄等談合    | 一、御年寄衆御談合アリ、與右ハ煩ニて、不被出候
         |

         |         (周防熊毛郡)
         | 一、真野兵左衛門、上関ヨリノ飛脚、酉ノ刻ニ下着仕候、御借米之儀ニ付、 御書頂戴仕候
         
         
         |      八月十五日 
         |
         | 此如書付可被申付事
         | 一、採銅所御金山御用之御米、古米無御座候ハヽ、新米払可申哉之事
         |
採銅所金山ノ払米 | 古米、新米ニても、御米無之ハ、判丁銀百目ニ付、絃懸斗ニて売候ハヽ、買可被申候事
ノ価       | 一、同御金山ニ御米無之候ハヽ、町人売米聞立、買可申候哉、米之双場付被成可被下候事

         |
米ノ相場付ケ   | 御蔵納早田米ニて不足候ハヽ、中津御給人ノ外ニ米、早ク出来候御給人地ゟ取立、渡可被申候事
給人知行ノ早稲ノ | 一、御給人方はやわせ出来候ハヽ、同御金山へ払可申哉ノ事
金山へノ払方   |
         | 町人心次第ニうり候ハんと申候者候ハヽ、かい可被申候事
米持ノ町人ヨリノ | 一、米持ノ町人ニ割付、米御買被成哉ノ事
買付       |
         | 持米有之ハ、可有才覚之事
替米ノ運用    | 一、町人・御百姓ニ不限、替シ米御座候ハヽ、かわし、御金山ニ入可申哉ノ事
         |                           間四郎左衛門
         |   右之分ニ肩書仕、印判おし候て遣候、       杉本二郎右衛門
         | 一、真野兵左衛門、八月十五日ノ午ノ刻ニ下着候
         |
         |
         |      八月十六日 晴天
         |
鉄炮足軽ノ喧嘩  | 一、佐分利作左衛門与之御鉄炮衆、喧嘩仕候儀ニ付、御年寄衆御談合アリ
         |
         |
         |      八月十七日 晴天
         |
         | 一、上野勘平、巳ノ刻ニ下着候、 御書頂戴仕候
         |
         |   申渡候也
         | 一、一宮彦三郎、江戸へ被遣事
         |
獺        | 一、ノ儀、御郡へ申触候事
         |
         | 一、桜井少左衛門家ノ事
         |
         |   平二郎ニ相渡候也
菜種       | 一、なたねノ事
         |
         | 一、神吉次やとニ残り油有之を、のほせ候へとの御奉書ノ事
相代官      | 一、溝口理兵衛・池上加兵衛、相代官ニ、今日ゟ申付候、川口之番ハ六人ニて、三番ニ仕候へと、申
川口ノ番     |   付候也
         |
         |   御小はやノ御舟頭
         | 一、岩佐久内、未ノ刻ニ下着、大坂ヲ十四日之未明ニ酉ノ下刻ニ、大坂ヲ出船仕候由との刻付之状也
         |                      〃〃〃           〃〃〃
         |
         |      八月十八日
         |
         | 一、春木與吉、申ノ上刻ニ下着候、 御書頂戴仕候
         |                                (西郡清忠)(米田是次)(矢野)
牛盗人ノ詮索   | 一、田川郡伊田村ノ牛盗人と名主、其外百性せうこ人共引合、口聞候事、刑ア・左兵衛・助二郎、後
鉄炮足軽ノ喧嘩訊 |    (国遠)
問        |   ニ道倫被参候而、御鉄炮ノ者けんくわ仕候者ノ口をも聞申候事
         |
忠利へ迎船    | 一、上田忠蔵下着、申ノ刻ニ、  御迎舟
         |
         |   十九日ニ出舟            (帆)                (桑原) (志方)
新造御召船御風呂 | 一、新造十端抓御召舟・新造九端抓御風呂舟、内新造拾端抓ニ、主殿・半兵衛乗上り申候也
船        |      (帆)
         |
松茸ノ塩漬    | 一、松茸、塩つけ之事
         |
中津給人ノ知行ヲ | 一、中津御給人衆知行之儀、小倉衆なミニおさへ申候事
小倉並ニス    |
         |   (塚原)(宗像)
         | 一、徳斎・宗古のほせ候事
         |
走人       | 一、新斎走り候事
         |
         | 一、御のり物かきの事
         |
吹屋新左算用   | 一、ふけいや新左衛門手前算用ノ事
         |
金箔ノ価     | 一、当はる下り候金薄ノね、丁銀壱匁ニ付、十壱匁枚宛ノ由、佐藤少三郎所ゟ申来候事
         |                       〃
川請       | 一、川請之さかい屋二兵衛ニ、五右衛門状ヲ届、御代銀之吟味可仕候事
         |
         |                   (津川辰珍)        (住江元明)
大竹ノ本     | 一、大竹ノ本ヲ遣申間敷由、御諚ノ通、四郎右衛門殿奉行ノ旨、甚兵衛被申候事
         |
         | 一、明石権右衛門替之事
         |
         |
         |     〇十九日分 記載ナシ
         |
         |
         |      八月廿日 くもる
         
|                               (野田幸長)

津川辰珍知行折紙 | 一、津川四郎右衛門殿御知行御折紙頂戴仕、御知行渡候へとの状、小左衛門所ゟ御郡奉行へ遣也 
         |
         | 一、上田忠蔵、平戸へ被参候時、御鉄炮衆壱人相添可申事
         |
         |                   (帆)      (宗像)(塚原)
         | 一、御召舟六拾丁立、御風呂舟新造九端抓出舟、御茶道宗古・徳斎上せ申候事
         |
         |            (大里・規矩郡)   
公儀鉛船     | 一、公儀御鉛舟荷舟三艘、内裏迄出シ置候也
         |               (ママ)                               (本壇)
彦山求菩提護摩施 | 一、護摩之御ふせの事、去年彦山へ衆ヘノ御ふせハ、 三斎様ゟ被遣候御ふせのこと、ほんだんニ銀
行へ布施     |   子三枚、脇だんニ銀子弐枚、十二天ノふせニ京銭拾弐貫、右人分ニ、お年寄衆惣談ノ上、遣申、
         |       ぐぶさん                             (矢野)              (壇)
         |   当年求菩提山衆ヘハ脇だんノ勤行無之付、如何可有之哉、利斎、御横目衆惣談仕、脇旦ノ行無之
         |   上ハ、脇旦ノふせハ被遣間敷ニ相究申候、然共、町ニ京銭無之ニ付、十二天ノふせニ銀子弐枚、
         |                                (西郡)(国遠)(矢野)
         |   勿論、本旦ノふせニ銀子三枚、以上五枚ノ御ふせニ相究、渡申也 刑ア少・道倫・助二郎・善右衛門、右惣談衆也
         |
魚屋九左下着   | 一、大坂ゟ、魚屋九左衛門罷下、奉書持参候、大橋ゟ豊後橋ノ間、魚取申候儀、請候通申候事                     
漁を請負ウ    |
         |    (吉)
刀ノ請取渡    | 一、京土田へ、御腰物浅山清右衛門持参仕、藤崎喜八郎ニ相渡、切手取候を、成田與平次・小林三介
         |   ニ相渡ス也
         |      

 

 

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■特別史跡熊本城跡総括報告書「歴史史料編」刊行さる、但し・・・

2019-06-21 14:10:14 | 書籍・読書

 熊本城調査研究センターでは、特別史跡熊本城跡総括報告書「歴史史料編」を刊行された。
残念ながらこの冊子は一般には購入は出来ないようだが、熊本城調査研究センターのHPで公開されている。
文献資料・絵図・地図・写真など多数掲載されている。これは永久保存しておかなければならないと思っている。

ご興味おありの方は、史料・解説が521頁、絵図・地図・写真が228頁に及ぶ大部であるから、コピーをするには少々大変だがチャレンジされては如何だろうか。
せいぜいUSBに落とすくらいはしておこうと思っている。

                                  史料・解説

                PDF 表紙・図版・目次 新しいウィンドウで(PDF:4.22メガバイト)
              
PDF 第1章 調査の概要 新しいウィンドウで(PDF:2.34メガバイト)
              
PDF 第2章 位置と環境 新しいウィンドウで(PDF:9.59メガバイト)
              PDF 第3章 調査資料 第1節 史料 新しいウィンドウで(PDF:7.42メガバイト)
              PDF 第3章 調査史料 第2節 絵図・地図(解説) 新しいウィンドウで(PDF:1.82メガバイト)
              PDF 第3章 調査資料 第3節 写真(解説) 新しいウィンドウで(PDF:4.39メガバイト)
              PDF 第4章 総括 新しいウィンドウで(PDF:1.45メガバイト)
              PDF 付篇 目録 新しいウィンドウで(PDF:2.4メガバイト)
              PDF 奥付 新しいウィンドウで(PDF:84.8キロバイト)

            絵図・地図・写真

                                        PDF 表紙・例言・目次 新しいウィンドウで(PDF:325.6キロバイト)
                                        PDF 絵図・地図編(1/9) 新しいウィンドウで(PDF:18.75メガバイト)
                                        PDF 絵図・地図(2/9) 新しいウィンドウで(PDF:23.82メガバイト)
                                        PDF 絵図・地図編(3/9) 新しいウィンドウで(PDF:16.59メガバイト)
                                        PDF 絵図・地図編(4/9) 新しいウィンドウで(PDF:26.97メガバイト)
                                        PDF 絵図・地図編(5/9) 新しいウィンドウで(PDF:14.62メガバイト)
                                        PDF 絵図・地図編(6/9) 新しいウィンドウで(PDF:14.85メガバイト)
                                        PDF 絵図・地図編(7/9) 新しいウィンドウで(PDF:15.08メガバイト)
                                        PDF 絵図・地図編(8/9) 新しいウィンドウで(PDF:11.8メガバイト)
                                        PDF 写真編(1/4) 新しいウィンドウで(PDF:27.71メガバイト)
                                        PDF 写真編(2/4) 新しいウィンドウで(PDF:27.34メガバイト)
                                        PDF 写真編(3/4) 新しいウィンドウで(PDF:20.06メガバイト)
                                        PDF 写真編(4/4) 新しいウィンドウで(PDF:16.02メガバイト)
                                        PDF 奥付 新しいウィンドウで(PDF:195.5キロバイト) 

                                  正誤表
                                        PDF 特別史跡熊本城跡総括報告書歴史資料編 正誤表 新しいウィンドウで(PDF:179.2キロバイト)

 

 

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■肥後国中「御家人名附」・(3)

2019-06-21 06:03:05 | 史料

■玉名郡小田手永
     直触医師  大浜町     菅 養軒
           部田見村    甲斐宗現
     一領一疋  小天村     田尻茂一郎
           大園村     加藤長右衛門
     寺社    東北帳村社人  安詮院甲斐
           宮原社人    東 丹波

           大浜町社人   竹下美作
           小天村社人   富永三河
           白木村社人   伊牟田石見

■玉名郡内田手永
     直触医師  石貫村     宗像原叔
           江田村     石原三達
     一領一疋  日平村     村上丹次
           山部田村    小森田文太夫
     寺社 吉田宮木葉町     田辺河内
        右同         武下相模
           稲佐村     伊牟田因幡
           迫間村     光永出雲
           山部田村    小森田淡路
           用木村     斉木美濃
           姫井村     斉木近江
           江田村     森 因幡
           久井原村    吉田大和
           江栗村     吉村和泉
           下津原村    吉田伊与
           焼米村     吉田周防
           玉名村     中尾摂津

■玉名郡坂下手永
     一領一疋  下坂下村    河野九郎次
           右同村     河野和兵衛
          鍋村之内
           塩屋      田中新蔵
           下沖洲村    古庄梶之助
     地侍    上野村     緒方善次
     直触医師  滑石村     北村春意
     寺社  繁根木八幡宮社人
           友田村     末藤能登
           上野口村    森崎和泉
           庄山村     小屋野駿河
                   小山土佐
         疋野大明神社人
           立願寺村    渡辺加賀 
           右同村     松尾因幡
           右同村     渡辺伊与
           右同村     荒木長門
         臼間大明神社人
           坂下村     高木安芸
           右同村     高木大和

■玉名郡中富手永
     地侍    下千田村    師富茂兵衛
     直触医師  宮村      内田玄植
     寺社    藤井村     大久保出羽
           分田村     杉谷河内
         宇佐八幡宮社人
           岩野村     緒方大和
           千田村     内賀嶋大和
           米野村     斉木石見
           上広村     斉木但馬
           持松村     東 能登
           中富村     中尾佐渡

■玉名郡荒尾手永
     直触医師  中沖洲村    古庄玄秀
           上松尾村    鈴木玄性
           平山村     持木梅庵
     一領一疋  長須村     猿渡只之允
           右同村     坂田伴右衛門
           下荒尾村    本田式右衛門
           上松尾村    宮崎元右衛門
           大嶋村     古庄幸助
           万田村     松尾又右衛門
           平山村     江副伊三次
     地侍            古庄三津右衛門
                   黒田市郎次
     寺社    長須村     松田志摩
           右同      本田三河
           荒尾村     月田石見
           万田村     弘 伊与
           中州村     古庄美作

■玉名郡南関手永
     一領一疋  今村      江副彌平次
           関町      江上甚五郎
           同町      西嶋武次郎
     直触医師  山十町村    斉藤養庵
           宮尾村     猿渡寿庵
           久重村     古庄玄寿
     寺社    関町      松尾伊賀
           上長田村    坂本和泉
           右同村     牟田石見
           坂上村     原賀河内
           肥猪村     榊田周防
           上大田黒村   古閑伊与
           大田黒村    古閑大和
           岩村      吉村淡路
           上津原村    陶山伊与
           荢生田村    前原近江
           板楠村     大塚伊賀
           上板楠村    陶山但馬
           十町村     古閑和泉
           和仁村     神原出羽
           吉地村     坂梨駿河     

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■宇梶剛士さん主演「移住前夜・宮本武蔵」

2019-06-20 16:42:27 | 熊本


 「気になる!くまもと」から

熊本県PR動画「くまもと移住前夜・宮本武蔵」公開中!

 

                 (ダイジェスト)4分23秒

                ダイジェスト別ウィンドウで開きます(外部リンク)

 

                (第1話)「主役は遅れて」54秒

                第1話別ウィンドウで開きます(外部リンク)

                (第2話)「乾杯」30秒

                第2話別ウィンドウで開きます(外部リンク)

                (第3話)「贈り物」25秒

                第3話別ウィンドウで開きます(外部リンク)

                (第4話)「手紙」40秒

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                (第5話)「介抱」30秒

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                (最終話)「理由」2分21秒

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■家老の家(全)

2019-06-20 07:13:52 | 歴史

 細川家には三卿家老家として、松井家(賜・長岡姓)、米田家(賜・長岡姓)、有吉家がある。
それぞれが細川家の根本家臣である。三家以外にもこれらの分家筋や、由緒ある家柄のお宅から家老を輩出している。

 ■三卿筆頭家老・松井家

     細川忠興----+----忠利
           
           +----寄之
                
   二代・康之     3                 4 ↓     5                  6              7              8               9             10           11         12

    〇------松井興長==寄之---直之---+---壽之-----豐之-----営之----微之==督之==章之---盈之・・・・・・・・・ (本家)
                     | 一    ニ              五     六
                                                        +---祐之---周之------〇------〇-----誠之==義之・・・・・・・・・・・・・・・・・ (古城家)

 ■三卿二番家老・米田家
     
      
細川忠利----+----光尚
 
          |             (南条)
           +--------長岡元知----是庸

                      |
  初代・求政  是政  3                  4                  5           6               7              8             9            10          11   12           
    〇----〇----米田是季---是長---+==是庸----是直---+----是福----是知----是常----是容----是豪==是保                  

                  |           |          (是睦) 
                                                   +-----是正                +----是著
                  |   (無嗣絶)      (嫡・是章、無嗣絶)
                  +-----是員
                      (無嗣絶 

 ■三卿三番家老・有吉家(有吉家は11代立邑の家臣による堀平太左衛門呪詛事件已後、兄弟の子が互いに家督するという事を繰り返している) 
      3        4       7      8     9       10          11       13      15         17
    有吉立行---+----〇----貞之---貞親---立貞==立好---+----〇 ---立直---立生---+---立道
          |                   |                                 |  18
          |                                                      | 12     14        16      +---立愛・・・・・・・・・・・・・(本家)       
          |                   +---立喜---立憲 ---〇  
          |
          |    5            6    (1)  (2)  (3) (4)  (5) (6)  (7)
                            +---英貴----+----英安==〇-----〇-----〇-----〇-----〇-----〇-----〇・・・・・・・・・・・・・・・・・・(英貴流)
          |     |
          |              |   一                    七    八
          |     +==〇----〇----〇----〇----〇----〇----時展----時升(二回)・・・・・・・・・・・・・・(重時流)
          +----●      ↑     
              ‖-----〇----〇重時(斎 市郎兵衛)
           富田重冬 

 沢村家 沢村大学を初代とする。二代宇右衛門は松井康之の姉の孫松井庄次郎である。松井興長の従兄の子となる)
   大学吉重  宇右衛門        3        5                                 8
    〇===友好----友雅----〇----友常==〇----〇==友輔----〇----〇----〇
                   重行          

 小笠原備前家 (ガラシャ夫人に殉死した小笠原少斎を初代とする)
   清秀少斎         2             3           4          5            6             7             8             9            10
    〇------長光-----〇-----〇----長知----長衝----長栄==長頭----長視==長洪(二回)
                      

 三渕家(山名) (細川幽齋の実家・三渕家の末弟・好重を祖とする)
        細川幽齋弟 
    好重     1            2                    
            〇-----〇-----〇---+---〇
             |    4          5         6     7    8
                          +---〇==〇==澄定==澄鮮==澄盈          
                                                             山名

 郡家(細川幽齋の兄・藤英の曾孫・藤正の子・氏正を初代とする)
     1   2   3   4   5   6    7   8    9    
    〇----〇----〇----〇-----夷則----〇----〇----眞武(二回)

 沼田家 (初代清延の妹が細川幽齋室・麝香である)
    清延  延元        3
    〇-----〇----延之-----〇==〇-----〇-----〇-----〇-----〇

 大木家 (初代兼憲は加藤家重臣・兼友の嫡子である)
     兼憲          2            3           4         5            6           7          8
    〇-----兼近==〇-----〇----兼秀==〇==〇----福蒿
                          (二回)

 朽木家 (初代昭貞は細川幽齋の実兄・三渕藤英の三男である)
      昭貞                                                                      7
    〇-----〇==〇-----〇-----〇==〇==昭恒==〇---〇---〇==〇

 溝口家 (初代政登は忠利室・千代姫の父・小笠原秀政の孫にあたる。)
        〇-----政世==〇==長義==〇==〇==貞直----〇
                           (二回)

 堀家 (宝暦の改革の立役者・堀平太左衛門とその子・勝文が家老となった)
            4平太左衛門     5
    〇-----〇==〇----勝名----勝文----〇==〇==〇----〇==〇

 松野家大友左兵衛義統の三男・右京進・正照(正鎮)を初代とする)
    1   2   3   4   5   6    7   8    9    
    〇----〇----〇----〇-----〇----外記----匡----匡-----〇

 平野家平野大炊頭(介)長治の孫九郎右衛門長之を初代とする)
    1   2   3   4   5   6    7   8    9    
    〇----〇----〇----〇-----長冨----〇----長定----〇 
               (新兵衛) (九郎右衛門)

 其の他の人々

   坂崎清左衛門成政  
坂崎家初代・豊前召し出し400石、養父・成方没後跡目相続3,000石、綱利代1,000石加増

   柏原要人定道    柏原家二代・「細川家家臣略系図」では定常とある。

   三宅藤記      明智系三宅家三代・藤兵衛・重経

   清水縫殿勝著    細川綱利公御母・清高院の父・清水道是を初代とする清水家の四代目である。

   志水次兵衛清房   大奉行・家老の堀平太左衛門の姉が嫁いだ志水金右衛門の実弟であり、兄の養嗣子となった。才助・清冬(後・次兵衛)

   薮内蔵允政純    薮内匠・政一(12,000石)を初代とする薮家の七代目である。

   木村男吏豊寧    木村半平・豊政(山城国宇治住木村峯順重胤弟)を初代とする木村家の八代目である。明治二年致仕後「新」と改名。                 

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■御恵贈御礼「加藤清正と忠廣‐肥後加藤家改易の研究」

2019-06-20 06:17:42 | 書籍・読書

                        加藤清正と忠廣

 「加藤清正妻子の研究」「続・加藤清正妻子の研究」の著者・福田正秀氏は、この二冊に引き続き加藤清正と忠廣‐肥後加藤家改易の研究を発刊された。
その発売を前に御恵贈を給わった。
これは財団法人「熊本城顕彰会」の会誌に30回(8年)にわたり掲載されてきたものである。
氏はさらに、宮本武蔵に関する二冊の御著「宮本武蔵研究論文」「宮本武蔵研究 (第2集) 武州傳来記を出版されているが、熊本城顕彰会の会誌「熊本城」に於いては「宮本武蔵‐熊本に生きる」の連載が始まり、すでに二回にわたっている。

また数年、出稿に精力を使われることであろう。

 氏と私のかかわりは、10数年前、」雲林院弥四郎に関する論考をインターネット上で発見し、色々のやり取りからご厚誼を頂くようになった。
ただただお世話になるばかりで、過去のそれぞれの御著も御恵贈を頂いており、恐縮の至りである。深く御礼を申し上げる。

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■元和九年・覚書(八月七日~八月十三日)

2019-06-19 10:22:01 | 細川小倉藩

         |      八月七日 晴天
         |                          

助宗ヲ郡ノ籠ニ入 | 一、助宗事、中津ゟ返事参候て、郡ノニ入置候へとの、御郡奉行衆へノ状、次太夫所ニてしたゝめ、 
レシム      |                    (桑原)
         |   明七日ニ未明ニ、田川へ持せ遣候へと、主殿組ノ小頭孫兵衛ニ相渡ス也
         |
         |   則 ふれ状したゝめ、廻シ候       (井)
郡ノ代官ノ配置替 | 一、御代官ノ事、中津郡ヲ一組ニ仕、伊谷兎右衛門ヲ田川郡へ遣、山村六左衛門と相使ニ仕、石田源
         |   兵衛跡ヲハ、仁保惣兵衛下代ヲ被 仰付候ことくニ、源兵衛下代ヲ加兵衛ニ付置、御下向之上可得
代官手作畠二段  |   御諚候也、手作ヲとめ可申候、畠弐段宛ハ作り可申也
         |
川成奉行     | 一、川成奉行ノ事
         |
茶年貢      | 一、茶年貢ノ事、去年・当年ハ右ヨリノ定ノことくニ相究候、来年ハ町人ニ茶請され候事、やめ可申也、
         |           一日五合が一人扶持=五人扶持
松岡某賄米    | 一、松岡藤八郎賄事、一日ニ弐升五合宛、八月朔日ゟ可相渡事
         |
         | 一、和久権兵衛儀、可得 御諚事
         |
惣談       |   惣談可仕候事
牛盗人      | 一、田川郡牛盗人ノ事、是もうら判可究事の事
         |                   〃
上り薮      | 一、下毛郡ノ上り薮、畝数弐段六畝弐拾八歩、分米壱石四斗八升八合也、御惣庄や深水惣左衛門手永
         |                                  (国遠)   (矢野)(横山重嘉)
         |   分、右ハ惣談ノ上、此石高過怠ニ出させ申候、御横目福田善右衛門・道倫・助二郎・助之進・
         |        (松本)(栗野)      以下ニ記アルカ不明
         |   彦市・伝介、三人共ニ
         |
         |
         |      八月八日 晴天
         |
志水元五上ケ屋敷 |    (元五)             (辰珍)管領・斯波義近二男
ヲ津川辰珍へ渡ス | 一、志水伯耆上ケ被申候明家、津川四郎右衛門へ、今日相渡候事
         |
         | 一、竹田了由六人扶持、八月朔日ゟ相渡シ候へと、林與兵衛・野間次左衛門ゟ切差紙来候へ共
         |         下記、万の事か
         |   印有之との、三斎女書付無之候条、重而、其通両人へ可申上せ候、其内御蔵へ、かり差紙遣わ候也
         |
         |  (烏丸光賢室・三斎女) (麻田村・国東郡)
         | 一、御万様之御知行、あさ田村之女之儀、釘本半左衛門ニ可相尋言 
         
         |
         |      八月九日 
         |

楠ノ埋木     | 一、今村ニ、楠埋候て在之由候、手伝十人ニて、三日程ほり候ハヽ、ほり可出由申候事
         |
         |
         |      八月十日 午ノ刻ゟノ雨天
         |                 (守尚)長崎奉行

公儀鉛運送ニ長谷 | 一、公儀御鉛被指上せ由候而、長谷川権六殿ゟ之御使者上下五人、午ノ下刻ニ爰元着被申候、則、御
川守尚ノ使者へノ |   賄ノ儀、住江甚兵衛方へ申渡候事、則、御振舞奉行ニ、入江三丞・不破忠右衛門申付候処ニ、申
振舞       |   ノ上刻ニ、御小早ニ而下ノ関へ被渡候間、入江三丞参相、添遣申候
         |
         |              (剣)     (笹葉)
宣貞ノ刀劔鑓笹葉 | 一、宣貞打替候御腰物壱腰、けん鑓壱つ、さゝのは鑓壱つ、大道打ノ中わきさし壱腰、寺尾左介ゟ被
鑓大道ノ中脇差  |   上候を、成田與平次・小林三介、両人へ相渡候也             大道とか宜貞とか・・刀工のこと
         |                         (分部)
長谷川守尚ノ使者 | 一、長谷川権六殿内星野四兵衛、同なまり舟ノ奉行ハわけべ又四郎殿、上下弐人ニて被参由候事
上下二人     |

         |
         |      八月十一日 晴天 
         |

         | 一、御鉛船之儀ニ付、式ア殿へ談合ニ参候
         |
         |   御歩之衆片岡四兵衛、小早ニて、長苻へなまり舟之談合ニ被遣候
         | 一、(ママ)
         |
         | 一、宇佐郡御社用之材木、宇佐へ相届候て、請取幷状参候           宇佐神宮
         |
中津領当春ノ川欠 | 一、中津ゟ、当春ノ川かけめり入候夫手間百人程可入候、此方ゟ可被仰付候哉、中津ゟ可被仰付候哉
人夫ノ手間    |   との儀申来り候、如何可被仰付哉と、式ア殿・民ア殿へ申候へば、御郡へ相触候へ、中津へハ立
         |   相可仕由、中津へ御両人可被仰遣との返事也、使辻少左衛門也、重而被仰越候ハ、下毛一郡ニ可
         |   申付由候
         |                          (野)
門司へ材木奉行  | 一、門司御材木之御奉行ニ、中津ゟ被参衆、大槻忠兵衛の村久助・御鉄炮ノ覚右衛門、
         | 一、
         |
         |      八月十ニ日 晴天 
         |   (下毛郡)                                      (ママ)

         | 一、津民山へ遣候御鉄炮衆、芦田與兵衛与原口七右衛門也、但し、午ノ刻
         |       (国東郡)
         | 一、中津へ、麻田村之出入之儀ニ付、状遣候
         |
         |
         |      八月十三日 曇 夜ニ大雨フル
         |              (室)

護摩執行     | 一、護摩執行之衆五人之宿、諸町ノ舛屋源右衛門尉也
         |
         |            歩ノ御小姓
         | 一、同出家衆御賄奉行、中井作右衛門と本庄喜介、両人申付候事
         |   
         | 一、出家衆申ノ刻ニ着候、やとハ舛屋源右衛門尉也
         |        

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■ネタ探しは生きる力

2019-06-19 06:26:00 | 徒然

 正岡子規の「墨汁一滴」や「病牀六尺」には、病に伏し痛みと闘う床の中で彼独自の大きくひろがった世界観が認められれている。
多岐にわたる記述は、子規の旺盛な好奇心や知識がもたらすものだが、それと共に多くの友人が訪問して子規の無聊を慰めている。
命を削りながらもこのような豊かな毎日をすごす姿には圧倒させられる。まさに哲人である。

 浅学菲才な老人も、まだいささかの好奇心は持ち合わせている。
残念ながら最近は車の運転をやめているから、あちこちに出かけることが出来なくなった。
史料さがしに図書館まで自転車で出かけるのも億劫になってきた。熱中症を経験してから夏は特に御法度である。
勢い読書という事になり、便利なAmazonやヤフオクで仕入れているが、本の数が膨張し続けている。
相変わらず押し入れの奥に入り込んだ、何が入っているのかさえ判らぬ「開かずの段ボール」がいくつかあるような状態の中で、地震以来の仮住まいは引っ越しをすることが億劫で終の棲家になりそうな中にである。
今でも時折地震に遭遇しているが、頭の上から本の山が落ちてこないかと、すぐさま立ち上がるしまつである。
 (昨晩床に就いた時間あたりに新潟・山形で地震が発生していた。大きな地震の様で被災された皆様にはお見舞いを申上げる)

 私の好奇心は「ネタ探し」という側面があるのだが、いずれにしても今の私にとって読書は「生きる力」になっている。
子規先生のように変幻自在で自由闊達な話題とはまいらぬが、皆勤で一日一話、ブログを続けていきたいと思っている。
ブログ開設から今日で5444日、さていつまで続きますことやら・・・・

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■長岡圖書宛細川重賢書状

2019-06-18 17:16:31 | オークション

                    

                   【真筆】名君!細川重賢 書状 長岡図書宛 掛軸

 見事な状態のお軸である。随分高値になりそうな予感がする。詳細な写真と共に読み下しを試みた紙面も入っているが、残念ながら完全なものではない。
そこで当方で読み下しを試みた。
                                     一筆申入候我等儀
                                     東叡山火之御番為
                                     松平土佐守殿代被
                                     仰付旨昨日御老中以
                                     御連名之御奉書被仰下
                                     難有仕合候此段為可相述
                                     如是事ニ而候恐々謹言                   

                                             越中
                                       四月廿日  重賢 花押

                                        長岡圖書殿
 
        松平土佐守の代わりに、東叡山の火の御番を仰せつけられる旨、昨日ご老中連名の奉書を以て仰付られた。
        有難き仕合であり、この旨を相述べなさる様このごとくである。


重賢は前藩主・宗孝の不幸な死を受けて、延享四年に相続をして四年目である。
熊本藩年表稿をみてみると、このことは宝暦元年のことと思われ、四月十六日の記事に「上野の火の御番」とある。
そのことからすると松平土佐守とは、土佐山内家の8代藩主・熊本藩年表稿をみてみると、であろう。
東叡山とは上野の寛永寺である。四月十九日に正式に老中連名の奉書が届けられているようだが、熊本年表稿の日付からすると情報は事前にもたらせれていたと考えられる。
宛名の長岡圖書は刑部家の5代・興行か。6代の興彭は重賢の実弟で刑部家に養子として入ったが、これは宝暦6年の事であり又圖書の名乗りもしていない。
なんで山内家の代わりを務めたのかはよくわからないが、代わりは「替り」で山内家が火の御番を勤めあげた後の替りという意かもしれない。
これまでの時期山内家は色々な困難に遭遇する中、藩主の若く聡明な豊敷が大いに努力に努めている時期である。

  (人様の商売の品の解説をしてもしようがないが、少々興味が湧いての事である。落札される方の参考になれば幸いである。)

           

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■二個のトマト

2019-06-18 09:56:06 | 徒然

                                  

  昨晩の満月、ストロベリームーンは、残念ながら薄い雲の中にありぼやけていて、美しい姿を見ることが出来なかった。
今朝も昨日のドアスコープの奇跡を期待して早起きをしたが、こちらも曇り空でアウト。
今日も明日もどんよりとした一日になりそうだが、遅ればせながらの梅雨入りが間近い感じである。

 ベランダの植木鉢にトマトが二個、真っ赤に色づいて収穫期である。
別段苗を買ってきて植えたものではなく、昨年試しにプチトマトを輪切りにして放り込んだものが、今年発芽したものである。
トマトを今迄育てた経験はなく、奥方がどこから仕入れたのか、あまり水をやらない方が良いという。
高さが5・60センチを超えたころ沢山の花をつけた。水をやらずにいると、全体がしんなりとしてきて花に勢いがない。
それから毎日水をやるようにしたが、時すでに遅く、相当数の花が枯れてしまった。
それでも小さな実がなり日一日と成長した。栄養を集中させようと葉や枝を剪定してみた。
そしてトマト独特の青臭い実は確実に成長して、見栄えはよくないが昨日今日と赤みを増してそろそろの収穫期である。

 私は盆栽などの趣味はないのだが、岳父が延岡で5~60坪ほどの庭に沢山の山取りの松その他の盆栽を育てていた。
時折孫の顔を見るために我が家に遊びに来ていたが、盆栽の水やりの為に泊まることもなくその日のうちに帰る程であった。
そんな岳父が松をはじめ数点の盆栽を持ってきた。松は引っ越しにあたり枯らすよりよかろうと盆栽が大好きな友人にプレゼントした。
他は山取りのめずらしい植物類で三四点がのこり、地震後の引越に際しても一緒に引っ越してきてベランダの一角を占領している。
そんな鉢物に水をやるのが日課となり、トマトの管理もその一環となった。

 散歩をしていると、豊かな木々をたたえた自衛隊周辺の道路の植え込みに、2・3センチほどの実生の植物が見受けられる。
一年まえから興味がわいて松や槇、ケヤキなどを抜いてきて、岳父がやっていたように平鉢に寄せ植えをしてみた。林のような風情になるかと考えた。
一年たつとそれぞれの成長の度合いが異なり、高さがそろわなくなって目論見はほぼ失敗状態である。
ケヤキの成長が著しく、成長を止めようと頭を切った。ところがわき目があちこちに出てきて現在は横に広がり始めている。
最近ではそんな植物の生長に興味を持ちながらの水やりの毎日である。
トマトの下には、随分前にブログを通して知りあった方からお送りいただいた「沢潟(おもだか)」が、またこの時期に顔を出して15センチを超える高さに成長した。
小さな白い可憐な花が咲くのだが、これが待ち遠しい。もっともその時にはトマトは存在しないのだが・・・一応収穫して味見してみようかと思っている。

 

 

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■細川藩の軍役について

2019-06-18 05:51:23 | 史料

 先に「■軍役 235人/1万石」を書いたところだが、史談会例会の時、若い友人N君が二枚のコピーを持ってきてくれた。
東京農大教授・住江金之氏がお宅にあった「軍役の覚」を紹介された記事だが、出典は「日本談義」の昭和29年11月号である。
スキャンしてご紹介しようと思ったが、我家のおんぼろスキャナーは機能低下がはなはだしく、お見せできるような状況が得られないようなので労を惜しまずタイピングしてみた。

          軍役之覺
 一、役高より余計の人数召連候分は如何程にても勝手次第たるべし 弓・鎗・鉄炮等持せ候事も勝手
   次第に候 尤役高より過分之筋は其時に臨んで書付を以て頭々え可相達事
 一、嫡子之外総て従類支配之浪人等年十七以上之者は軍役人類之内に差加候儀勝手次第之事
    但十七歳未満たりとも壮健の者は可為各別事
 一、小身の士弓・鎗・鉄炮等銘々之得道具替無之輩は取持之武器戦場において損候分は申出次第可
   相渡事
 一、小姓頭千石高に不満輩は其時に臨んで千石高に可申付之条其節に相応之役可相勤事
 一、小身の士軍役難相定之条其時に臨んで増高可申付 尤物頭は都三百石 平士は都合弐百に可相極
   之間其時之高相応に役可相勤事
    但増高に申付輩は増高の人馬常に不及覺悟 器具等は兼而増高相当に嗜居候様に可心懸事
 一、中小姓軍役難相定其時之有無に応し人馬等可相渡 尤人馬等兼而令所持輩は其節に到り書付を以
   頭々江可相達事
 一、紋付之幕其外之陣具等身体相応に用意し諸事簡便を可専事
 一、家中馬乗以下之家来支配之浪人等甲冑を帯し候不苦候 尤主人/\の紋付之羽織上着仕せ可申事
 一、家中徒若党足軽其余雑□□□主人/\紋付之法被股引陣笠着仕せ可召連 尤着込其外相応之下着仕
   せ候儀勝手次第之事
 一、弐百石より弐百九拾石迄上下五人
   内 馬取壱人 鎗持同 具足箱持同 草履取同 小荷駄一疋 口取壱人
 一、三百石より三百九拾石迄上下六人
   内 馬取壱人 鎗持同 具足箱持同 小姓同 草履取同 小荷駄一疋 口取壱人
 一、四百石より四百九拾石迄上下七人
   内 馬取壱人 鎗持同 具足箱持同 小姓同 草履取同 小荷駄二疋 口取二人
 一、五百石より五百九拾石迄上下九人
   内 馬取壱人 鉄炮壱挺 鎗持同 具足箱持同 鉄炮之者同 小姓同 草履取同 小荷駄二疋 口取二人
 一、六百石より六百九拾石迄上下拾人
   内 馬取弐人 鉄炮壱挺 鎗持同 具足箱持同 鉄炮之者同 小姓同 草履取同 小荷駄二疋 口取二人
 一、七百石より七百九拾石迄上下拾三人    (草履取壱人、抜けか)
   内 馬取弐人 鉄炮弐挺 鎗持同 鎗弐本 具足箱持同 鉄炮之者同 小姓同 手明同 小荷駄三疋 口取三人
 一、八百石より八百九拾石迄上下拾六人
   内 馬取弐人 鉄炮弐挺 鎗持同 鎗弐本 具足箱持同 鉄炮之者同 小姓三人 草履取壱人 手明三人 小荷駄三疋 口取三人
 一、九百石より九百九拾石迄上下拾八人
   内 馬取弐人 鉄炮弐挺 鎗持同 鎗弐本 具足箱持同 鉄炮之者同 小姓四人 草履取壱人 手明四人 小荷駄三疋 口取三人
         ささい=些細
 一、知行千石以上瑣碎之人数付不要之総人数並武具定置事
 一、千石上下弐拾壱人
   昇壱本 鉄炮三挺 鎗三本 小荷駄四疋 口取四人
 一、千百石上下弐拾三人
   昇壱本 鉄炮三挺 鎗三本 小荷駄四疋 口取四人
 一、千弐百石上下弐拾五人
   昇壱本 鉄炮三挺 鎗三本 小荷駄四疋 口取四人
 一、千三百石上下弐拾七人
   昇壱本 鉄炮四挺 鎗三本 小荷駄四疋 口取四人
 一、千四百石上下弐拾九人
   昇壱本 鉄炮四挺 鎗三本 小荷駄四疋 口取四人
 一、千五百石上下三拾壱人
   昇壱本 鉄炮五挺 鎗四本 小荷駄五疋 口取五人
 一、千六百石上下三拾三人
   昇壱本 鉄炮五挺 鎗四本 小荷駄五疋 口取五人
 一、千八百石上下三拾七人
   昇壱本 鉄炮五挺 鎗四本 小荷駄五疋 口取五人
 一、千九百石上下三拾九人
   昇壱本 鉄炮五挺 鎗四本 小荷駄五疋 口取五人
 一、弐千石上下四拾壱人
   昇壱本 鉄炮七挺 鎗五本 馬上壱騎 小荷駄七疋 口取七人
 一、弐千百石より弐千九百石迄百石高に壱人半増 其外都而弐千石之役同前之事
    但壱人半増にて半人之数に当時は減之 譬弐千百石は四拾弐人半に当り候付四拾弐人以下准之
 一、三千石上下六拾壱人
   昇壱本 鉄炮拾挺 鎗七本 馬上弐騎 小荷駄拾疋 口取拾人
 一、三千石より三千九百石迄百石高に壱人半増 其外都而三千石同前之事
 一、四千石上下七拾六人
   昇弐本 鉄炮拾弐挺 鎗七本 馬上三騎 小荷駄拾三疋 口取拾三人
 一、四千百石より四千九百石迄百石高に壱人半増 其外都而四千石同前之事
 一、五千石上下九拾壱人
   昇弐本 鉄炮拾五挺 鎗拾本 馬上四騎 鍬弐挺 小荷駄拾五疋 口取拾五人
 一、五千百石より五千九百石迄百石高に壱人半増 其外都而五千石同前之事
 一、六千石上下百六人
   昇三本 鉄炮拾八挺 鎗拾弐本 馬上五騎 鍬五挺 小荷駄拾八疋 口取拾八人
 一、六千百石より九千九百石迄前後の見合を以其時に相応に役可申付万石以上当時無之知行同前之事
 一、壱万石上下百七拾壱人
   昇五本 鉄炮三拾挺 鎗拾五本 馬上拾騎 鍬拾挺 小荷駄弐拾五疋 口取弐拾五人
 一、壱万五千石上下弐百六拾壱人
   昇五拾本 鉄炮五拾挺 鎗弐拾本 馬上拾五騎 鍬拾五挺 小荷駄三拾五疋 口取三拾五人
 一、壱万八千五百石上下三百三拾壱人
   昇五拾本 鉄炮七拾挺 鎗三拾本 馬上拾九騎 鍬弐拾挺 小荷駄四拾弐疋 口取四拾弐人
 一、三万石上下六百壱人
   昇五拾拾本 鉄炮百拾挺 馬上三拾騎 鍬三拾挺 小荷駄六拾疋 口取六拾人

               (以上)

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■一瞬の奇跡

2019-06-17 06:58:32 | 徒然

  熊本の日の出は5時少々過ぎたころ、何時も6時前に起床する私だが今朝は玄関のドアスコープがやけにまぶしく輝いていた。
そしてそのドアスコープから入り込んだ光が、反対側のわずか41・2㎝の小壁のど真ん中に像を作っていることに気づいた。
ドアスコープの位置と像の位置を結ぶと、光源は太陽光であることは間違いない。
わずか口径5~6㎜×長さ50㎜ほどのドアスコープの筒の中を光が入って像を結ぶのだから、これは奇跡といってもよい。
直系25㎜くらいか?高さ方向、水面方向の角度の関係で、像は扁平に薄い赤見をおびた色を成していた。
消えるまで1~2分もなかったと思われる。

慌ててデジタルカメラで撮影したが、光を遮らないようにと考えてポジションしてシャッターを押したものも見事失敗をした。
とてもお見せできるようなものではなく残念の極みである。ならばと絵をかいて残しておこうと書いたのが下記の図である。(ご苦労なこったい・・)
おかげで私が住むAPが、真南から10度くらい東に傾いた方向を向いていることが判った。

                                                                

今日は何か良いこと在りそうだぞと思いながら、ヤフオクで入手した本の振り込みにコンビニまで出かけたら、振り込み№を間違えていていた。(何て~こったい・・)


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■元和九年・覚書(八月朔日~八月六日)

2019-06-17 06:47:02 | 細川小倉藩

         |      八月朔日 晴雨天
         |         

牧興相奉公人走ニ |   (興相)                                    (規矩郡) 
ツキ請人弁済ノ是 | 一、牧左馬殿奉公人之請人ニ、伊川町のもの立候処ニ、彼奉公人走候付、走人ノ女左馬殿へ被取候、
否        |   其上ニ、請人ニ取替米弁候へと、左馬殿被申候間、如何か仕候哉と、吉田茂左衛門被申候間、さ
請人ノ法度    |   ようの請人之御法度ハ如何と尋候ヘハ、御郡奉行・御代官ニ相届、請状のうら判仕候ヘハ、請人
         |   ニ成不申候、さやうの届、左馬殿ゟも無之、うら判も不仕候請人ニ成ましく候由、被申候、さ候
         |   ハヽ、御法度のことくニと申渡候事
井上加兵衛入籠  | 一、井上加兵衛籠者申付也
         |
         |
         |      八月二日 晴天
         |                   (長門豊浦郡)

         | 一、井上宗加ニ、御書持せ遣候御鉄炮衆、長苻ニて、状を渡、返事取候て参候
         | 一、長崎御かい物奉行衆ノ迎船、今日昼ノ塩ニ、出船申付候、
         |
         |       (規矩郡)   (沓尾浦、中津郡) (椎田村)     (国東郡)
薪船出船     | 一、御薪船、長濱ヨリ二艘、沓尾ゟ一艘、しい田ヨリ壱艘、安岐ヨリ弐艘、明後四日ニ
         |   出船申付候事
         | 一、沓尾ヨリ御薪船ニ、御小人拾人乗せ、上せ申事
求菩提山ヘノ使  | 一、くほてノ使、今朝未明ゟ遣候也
         |
         |
         |      八月三日 
         |

のこまいのね板  | 一、大坂ヘノ便ニ、のこまいのね板被買下候へ共、散々悪敷候て、約ニ不立由候、此通可申上候事
         |
採銅所ノ小屋掛ノ | 一、採銅所ニて、御ふち衆ノ小屋かけニ、作事奉行両人申付候事
作事奉行     |
魚油計量ノ奉行  | 一、魚ノ油、はからせ候奉行ノ事
         |
肥前東田ノ某走リ |                    (ママ)
来リ松井家に召置 | 一、肥前之国神崎之内東田之者六太夫と申者也走来り候ヲ、式ア殿ニ被召置候事
ル        |                          (京都郡)
         | 一、古賀二郎左衛門船ニ、御中間拾人のほらせ候、大橋ノ行事村ゟ、御薪つミのほり候御船也
         |   (くほて之)
求菩提山北中坊  | 一、くほ之て北中坊ゟノ返事参候、来ル十五日、吉日ニて候間、十三日ニ迎山へ着候様ニと、被申越
         |   候事
         |
         |
         |      八月四日 雨天 
         |

浅山清右下着   | 一、浅山清右衛門尉、巳ノ刻ニ下着候
         |
野瀬喜左質部屋へ | 一、野瀬喜左衛門、しちへ屋へ入候也
入ル       |
砂糖奉行任命   | 一、砂糖奉行、財谷半兵衛・■臼杵少太夫
         |
家老等談合    | 一、御年寄衆御登城候て、御談合アリ
         |
         |
         |      八月五日 曇 フル 
         |

御礼登城     |   状ヲ以申入候、則、御礼ニ御登城候
松野親家へ扶持ヲ | 一、道孝へ御扶持方之儀、申進之事
給ス       |  (松野親家)大友宗麟二男
         |   岩崎太郎兵衛・百冨忠左衛門申付候
八十丁立造船ノ奉 | 一、八拾丁立、御奉行申付事
行任命      |                      (水押)                 申
八十丁立船ノ用材 | 一、千手新左衛門・塩木十兵衛ニ、八十丁立之みようし山出シノもくろミ事可〇遣候
山出シノ計画   |                      (和船)       (目論見)
         |
         |      八月六日 雨天 
       

         | 一、鯛瀬三郎太郎、夜前罷下候由、九郎太郎使ニ被参候
諸郡奉行へ使   |                                            (後)
植木借米養子ノ書 | 一、御鉄炮衆、片岡九郎左衛門与古藤助左衛門、御郡ニ使ニ遣候、但、植木以下ノ触状壱つ・御借米

物触状      |   取立之触状壱つ・養子之書物之触状壱つ、渡ニ遣候事
松平忠直家臣ニツ |                    (ママ)
キ触状      |   越前之宰相様衆之儀ニ付之触状壱つへ、

         |    (竹田)
了由下着     | 一、了由、未ノ下刻ニ下着候、則、御年寄衆同道候て、登城被仕候、 御書頂戴仕候

忠利書状     |                                    切手ニ     
         |   一、京小倉町人衆之米、小倉御蔵ニ而、去冬・当春相渡候ニ付、御横目衆裏判仕儀、如何可有
         |     之哉と、被申ニ付之相談
         |                                 
小倉町ノ京町町人 | 一、右、京小倉町人衆替シ米、二枚之切手ニ、御横目衆裏判之時、吟味被■■相尋ニ付、我々、猪兵

等ノ替米ノ渡方  |     (野田幸長)
         |   衛・小左衛門ニ相尋候処ニ、中津方角之御郡ニ御米無之ニ付而、中津御返米ヲ、小倉ゟ積廻候

         |   ヘハ、海上無心元、其上運賃御徳分ニ罷成候由、申ニ付而、聞届、裏判可被仕通、御横目衆ニ
         |   申渡候、か様ノ儀も、重而各相談候而、可被相極候也
         |           (勘三郎)
門司ノ材木置場  |   門司ノ材木有之所、可然也、入江・元田・鏡善右衛門申ニ付而、右之所之中津被仰遣、御材木ハかたつけ候而、御舟作候様可被成哉と、
八拾丁立ノ造船場 |   御年寄衆へ申達候也      (長兵衛)
所        | 一、八拾丁立之御船作事所之事

         |  

 
 

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