津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■遅ればせながら・・読む

2019-06-16 20:46:19 | 書籍・読書

                            照葉樹林文化―日本文化の深層 (中公新書 (201))

 「ー知るは楽しみなりーと申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。」とはNHKの名物アナウンサー・鈴木健二氏の「クイズ面白ゼミナール」での言葉である。

昨日の史談会例会では会員・S氏による「ヒマラヤの東西を分ける世界のドングリ文化」をお聞きした。
氏がランドスケープデザイナーであることは承知していたが、一方ドングリ研究のために世界を股にかけて調査をされ、これがライフワークになっているとのことを知り講演をお願いしたものである。
10年がかりでご自分の家の先祖附の研究をされて、最近その成果を冊子にされたが素晴らしい出来栄えである。
時期はダブりながらもドングリ研究は30年の及ぶというから「どんぐり博士」とよばれるのには納得であった。
その成果は今回の講演で出席者が驚き納得をし、声を上げてたたえる素晴らしい内容であった。
企画した私としても誠に有難いことであった。

数日前から、名著「照葉樹林文化」に目を通していたのだが、あまり身に入らずにいた。
処があまりに講演が面白かったので、今日は終日再度この本を精読してみたのだが、講演直後の事だから、内容がよく理解できて誠に有意義であった。「知識を深める楽しさ」を実感できた講演であり、この本の精読であった。感謝。

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■肥後国中「御家人名附」・(3)

2019-06-16 14:03:59 | 史料

■合志郡大津手永
     御郡医師  下大津村    桂 寿軒
     直触医師  高永出分村   竹下玄伯
           新町      桂 寿泰
           杉水村     桂 寿倣
           灰塚村     古川玄林
           吹田村     桂 宗現
           上中窪田村   木原玄泰
           平川村     天草一覚
           妻越村     野中宗哲
           町村      甲斐三角      
     一領一疋  大津村之内後迫 財満郡次
           引水村     手嶋作平
           飽田郡弓削村ニ居候由
                   岡田兵助
           上津久礼村   工藤式右衛門
           妻越村     赤崩利三太
     地侍    大津村之内松古賀 有働喜藤右衛門
           引水村     手嶋杢右衛門
           若竹村     今村改右衛門     
           大津村     南 郡八
           塔迫村     石原左三右衛門
     寺社    上津久礼村   坂本因幡
           上中窪田村   山部安芸
           平川村     宇野河内
           真木村     坂本出羽
           塔迫村     坂本伊与
           若竹村     辺次大和
           大津村     坂本参河
           町村      甲斐近江
           新町      塩見摂津
           下町村     甲斐周防

■合志郡竹迫手永
     御郡医師ニ而無禄
           竹迫村     岐部宗寿
     一領一疋  竹迫町之内八ツ久保人馬所横目
                   臼井武平
           竹迫町     山隈宇八
           同町      山隈彌三右衛門
           弘生村     緒方新右衛門
     地侍    二子村     大塚儀右衛門
           野付村     緒方才右衛門
           灰塚村     緒方忠蔵
           村吉村     橋本老平
           竹迫村     山隈吉蔵三
     直触    同       衛藤三右衛門
           須屋村     西村慶寿
           南弘生村    皆木寿学
           田嶋村     中嶋道杢
           後川部村    秋吉宗伯
           鳥栖村     糸木由雪
           林原村     牧 仙庵
           久米村     牧 見寿
     寺社  山王社人・田嶋村  山部対馬
         矢具社人・鳥栖村  中尾志摩
         八幡宮社人・福本村 日置淡路
         山王社人・隅吉村  坂本相模
                   坂本周防
                   森 俊斉
         八幡宮社人・久米村 吉田河内
         天満宮社人・上生村 安武出雲
         若宮社人・富村   山辺信濃

■菊池郡河原手永
     御郡医師          阿部養元
     一領一疋   出田村    八並七郎助
            正感寺村   田尻市郎助
            伊萩村    出田惣内
            広瀬村    加藤尉右衛門
     地侍     原村     原 十二郎
            雪野村    池部甚五郎
     直触     隈府町    高木孝伯
            正感寺村   古川通有
            雪野村    小野宗伯
     寺社  社司・下河原村   日置伊予
         社司・赤星村      市之進

■菊池郡深川手永
     一領一疋   西寺村    片瀬村右衛門
                   堀田金兵衛
                   城 甚右衛門
                   城 兵左衛門
            村田村    川口仁三郎
     御郡医師並  西寺村    山田春庵
                   隈部玄益
     直触     山崎村    桑満道隣
            高嶋村    野中宗斉
            本分村    徳永元亭
            高田村    白石宗節
            高野瀬村   児玉見益
            大林村    佐野隋益
            岡田村    安達見理
            西寺村    高宮玄順
                   佐藤源次
     御鞍打    高野瀬村   佐藤伝七
     笛吹     深川村    高木伝七郎
              社司 松尾宮 本分村    坂本因幡
                   坂本近江
                   坂本周防
        北宮  深川村    佐藤伊賀
            北宮村    緒方相模
        鷺宮  加恵村    早田対馬
        八幡宮 辺田村    石川遠江

■山本郡正院手永
     一領一疋   木留村    内田幸左衛門
            岩野村    近野甚五郎
            植木村    緒方武平次
            味取村    栗原伝蔵
            下大清水村  清田喜太夫
            内村     牧野仁三右衛門
            草場村    竹下熊之丞
            那知村    麻生忠蔵
            小野村    河野団次右衛門
     地侍     石野村    栗原惣右衛門
            味取村    服部惣平次
            内村     坂本甚左衛門
     御郡医師   芦原村    田代玄良
     直触     色出村    堤 見寿
            草場村    竹下儀軒
            円台寺村   牛嶋了亭
     寺社     内村     西川大和
            千田村    坂本摂津
            岩野村    一星河内
            正院村    坂本但馬
            二田村    伊無田相模
            馬水村    坂本駿河
            小吉松村   緒方長門
                   安竹右近
            無官     同 多宕

■山鹿郡山鹿手永
     一領一疋   平山村    高木浅右衛門
            湯町     井出次左衛門
            同町     宇野七郎次
            同町     江上恵助
            岩野村    太田黒弥七
     地侍     津留村    上野才右衛門
     直触医師   湯町     有働玄寿
            小坂村    本田立朴 
            芋生村    江上玄朴
            志々岐村   森 堅伯
                   番 嘉兵衛
     寺社 厳島官 長坂村    内賀嶋出雲
        日吉宮 南嶋村    高塚美作
        天満宮  同村    高塚土佐
        志々岐宮 同村    帆足淡路
        諏訪宮 小原村     同
        八幡宮  同     内野日向

        年尾宮 四丁村    飛松石見
        金凝宮 芋生村    友田河内
        稲荷宮 上下杉村   緒方近江
        八幡宮 保田村    帆足大和
                   同 美作

■山鹿郡中村手永
     直触     津袋村    富田隋林
            長谷村    田代玄敬
            新町       長右衛門
     一領一疋   新町     中村孫三郎
            同町     牛嶋喜左衛門
            下内田村   和田和助
            上内田村   富田市郎助
            同村     富田甚兵衛
            新町     嶋田源次
     地侍     新町     益田藤次

     寺社 大宮社 中村     帆足美作
        御宇田社 上御宇田村 森本志摩
        八幡宮 高橋村    中尾伊豆
            庄村     大窪和泉
        一宮社 相良村    飯川播磨
        四宮社 多久村    一法師信濃
        八幡宮 方保田村   緒方石見
        天満宮 椎水村    北原但馬
        一目社 久原村    帆足摂津
        二宮社 同村     帆足河内
        八幡宮 下吉田村   吉田大和

              

  

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■元和九年・覚書(七月廿四日~七月廿九日)

2019-06-16 07:25:39 | 細川小倉藩

                   ママ         
         |      七月廿四日 晴天         
         |             
         | 一、乃美久兵衛御役儀之事
         |
志井村庄屋を磔刑 | 一、しい村庄や惣右衛門、はた物ニかけニ遣候事    はた物→機物=布を織る道具 この道具を(ハリツケ)用の刑具としたことによる。
         |

         | 一、田川郡川渡衆ニ御米五拾五石売渡候銀子之儀、金子喜左衛門へ切手遣候事
         |
浅川某売立ノ材木 | 一、浅川小右衛門売立之材木、残り分、又、代銀之不足之儀、大坂へ可申上候
代        |
         |
         |      七月廿五日 曇 昼ゟ雨フル、時々晴ル         
採銅所ヨリ金子ヲ |
請取ル      | 一、採銅所ゟ、御金子■■右田左大夫持参候て、請取申候
         |
         |
         |      七月廿六日 雨フル 申刻ゟ晴ル         
         |
加子請状書物ノ書 | 一、舟瀬六郎左衛門預りノ御加子ノ請状、書物共ニツギ判仕、善右衛門ニ相渡、書手せんさくニ遣候
手ノ詮議       |   也
         |
         |   しふかミ五枚にて、つゝミ申候事
中折紙      | 一、中折紙百束、包せ申事、五まる也
         |
         |   しふかミ十枚にて、つゝミ申候事
素麺       | 一、素麺入候て、箱つゝませ申事、拾箱也、五十七貫四百弐十め也
         |
         |
         |      七月廿七日 晴天         
         |
浅川某材木払代銀 | 一、浅川小右衛門、払申御材木代銀御算用違之不足、壱匁弐分五り、残御材木七百五拾六本、大坂御
算用違      |               (河喜多正直)
         |   蔵奉行衆へ申上候事、則、河五郎右ゟノ書出シニ、加判候て、かた書仕り、上せ申候也
         |
田川郡牛盗人ニツ | 一、田川ゟ牛盗人ノ主小二郎書物取候て、被越候事
キ書物      |
         | 一、中摩市兵衛へ返事ノ事
         |                   
         | 一、明石次郎九郎船、七月廿七日之夜之塩ニ、出船仕也、此便ニ、素麺十・中折紙百束、其外御た
         |     (ママ)
         |   い所
         |
         |      七月廿八日 雨天 時々晴ル         
         |
         |   高見興兵衛ニ申渡候処、御切置候竹百束在之ハ、御作事方ニ入申と申由候間、左候は、きらせ候て、きりちん程ねをもさけ候て、うり可申候、
         |   無左候て、請薮之たけかわせ候へと申渡候也
採銅所金山小屋掛 | 一、田川御竹奉行ニ、採銅所金山ノ者共ニ、小屋かけの竹渡候へと、申渡候事
ノ竹ノ用     |
         |         (明石二郎九郎)     (ママ)
         | 一、井上加兵衛ニ、明二郎九郎書物ヲミせ
         |
         |   山田市左衛門・松岡久左衛門申付也             (岡)   
家ノ直付奉行   | 一、志水九左衛門尉家ね付奉行、山田市左衛門・松崎久左衛門申付候事
         |
         |   善兵衛煩ニて、川北九大夫申付事
鍛冶価立奉行   | 一、家事直立之御奉行、小崎與次兵衛・川崎善兵衛ニ、御年寄衆ゟ披仰渡候也
         |
忠利書状     | 一、申ノ刻ニ、原茂助罷下候ニ、去廿四日之 御書頂戴仕候
         |
         |
         |      七月廿九日 晴天         
         |
         | 一、吉田へ便ノ時、代官衆死跡之事、可申上候事 
         |
砂糖ノ価ニツキ家 | 一、夜前御書参候ニ付、砂糖之直段之儀ニ付、御年寄衆御惣談アリ
老等惣談     |
銀奉行ノ銀子改  | 一、坂根九右衛門・波賀弥左衛門手前之御銀子改候御奉行、伊藤又五郎・河崎伝右衛門ニ申付、御銀
         |   子有分被書上候を、加判候て、板根・波賀へ遣候事
         |   

                          

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■益城の人・大友君熊凝の死を悼んでの麻田陽春の二首、山上憶良の六首

2019-06-15 14:36:15 | 歴史

 今日の史談会では熊本・益城の万葉人・大伴君熊凝(おおとものきみ・くまこり)について会員のN氏からご紹介いただいた。
            
                        高庭駅家跡と濃唹駅跡 写真  
                 高庭駅家跡と濃唹駅跡 はつかいち観光協会・大野支部のサイトから引用

      

                      広島県廿日市市
大伴君熊凝は、相撲使いの供をしての旅の途中、安芸の高庭で病に伏し十八歳で亡くなっている。

                                        あさだのやす 
その無念の死を悼み、大典職の麻田陽春が二首を詠っている。この話をきいた山上憶良もこれをうける形で六首の歌を詠っている。
この若人の死が、万葉歌人にどう伝えられ受け止められたのだろうか?。熊凝はこれらの人と親しく接したことが有ったのだろうか。
この辺りは詳細を知りえないが、熊凝は死して万葉集にその名を残す結果となった。
N氏の解説によると、益城とは現在の益城町ではなく当時の益城郡(こおり)の国府は現在の城南町であったらしい。
城南町には塚原古墳や貝塚なども多くみられる土地柄であり、隈庄がその中心であったのだろう。
氏のお話によると地元の方々も全然ご存じないようである。また熊凝については純粋の熊本人ではなかった様である。(少々残念)

 (以下にご紹介する現代語訳はサイト「万葉集入門」を引用させていただいた。感謝)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■大典麻田陽春が詠った二首         (大典→律令制で、大宰府の主典(さかん)で少典の上に位するもの。)

                                                   ながて                ことどひ
 ・巻五(八八四)  国遠き道の長手をおほほしく今日や過ぎなむ言問もなく

              故郷から遠い長い道中に心もいぶせく今日死んでしまうのだろうか、父母に別れを言うこともなく

                けやす     ひとくに               ほ
 ・巻五(八八五)朝霧の消易きあが身他国に過ぎかてぬかも親の目を欲り

           朝霧のように消えやすいわが身ではあるけれどこんな他国では死にきれないよ。親に一目逢いたくて

山上憶良が詠った六首

                                            のぼ                                                                         おくか おもえやま         いつ     みやこ
 ・巻五(八八六) うち日さす 宮へ上ると たらちしや母が手離れ 常知らぬ国の奥処を百重山 越えて過ぎ行き 何時しかも京師を見むと思ひつつ
                おの   いたは    たまほこ   くまみ   たお          とこ      こ
                          語らひ居れど 己が身し労しければ玉鉾の道の隈廻に 草手折り柴取り敷きて床じものうち臥い伏して思ひつつ嘆き伏せらく 
                                 よのなか                 ふ
           国に在らば父とり見まし 家に在らば母とり見まし 世間はかくのみならし犬じもの 道に臥してや命過ぎなむ
                                                                                                                                      (一ニ云はく わが世過ぎなむ

                      垂乳根
             日の輝く朝廷へ上がるとて、たらちねの母の手元を離れ、普段は知らない他国の奥深い幾つもの山を越えすぎて行き、何時になっ
                            たら奈良の都を見れるかと思いながら 仲間と語らっていたけれど、わが身が苦しいので鉾を立てる道の片隅に、草を手折りて柴を
                            取り敷き、それを借りの床にして横たえ伏しては、思い嘆いて思うことには、故郷に居たなら父が手を取って見てくれただろう、
                            家にいたなら母が手を取ってみてくれただろう、世の中はこのようなものであるらしい、犬のように道に倒れて死んでゆくのだろ
                            うか〔一に云はく、わが命は過ぎるのだろうか〕


                                                         おほほ   いづち    あ
 ・巻五(八八七) たらちしの母が見ずして鬱しく 何方向きて吾が別るらむ  

         (故郷に居る)母に逢うこともなく心落ち込んで どこへ向かって私は別れ去るのだろう 

 
                         いか        かりて             かれひ       
 ・巻五(八八八) 常知らぬ道の長手をくれくれと 如何にか行かむ糧は無しに(一ニ云はく 乾飯は無しに

          いつもとは違う長い道のりを暗闇の中にどのようにして行こう。食べる物さえないのに〔一は云はく、乾飯もないのに〕

 ・巻五(八八九) 家に在りて母がとり見ば慰むる 心はあらまし死なば死ぬとも(一ニ云はく 後は死ぬとも

          家にいて母がみとってくれるのなら慰められもするのに。たとえ死んだとしても〔一は云はく、後は死ぬとしても〕
                  
                     けふけふ      あ        
 ・巻五(八九〇) 出でて行きし日を数へつつ今日今日と 吾を待たすらむ父母らはも(一ニ云はく 母が悲しき

          私の出て行った後の日を数えながら今日か今日かと私の帰りを待っているだろう父母よ〔一は云はく、母の悲しさよ〕 

             ふたたび                                                   あ       
 ・巻五(八九一) 一世には二編見えぬ父母を 置きてや長く吾が別れなむ(一ニ云はく あひ別れなむ

          一度限りのこの世では二度と逢うことの出来ない父や母を置いて私は永遠に別れてしまうのだろうか
                                                                                                                  〔一は云はく、お互いに別れ別れになってしまうのだろうか〕

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■元和九年・覚書(七月十九日~七月廿三日)

2019-06-15 06:31:05 | 細川小倉藩

         |      七月十九日 晴天         
         |           (遣カ)                                                                      さつまえ 
明寰薩摩ニ遣スニ | 一、明寰弟、薩摩へ召着候ニ付、御年寄衆御談合アリ、畢竟明寰ヲ長崎へ御小早ニて、御歩之衆壱人
家老等談合    |   相添被遣、埒明候て、罷戻り候へとの儀也
         |
         |  御船頭
         | 一、東善兵衛、籠ゟ出し申候事
         |  
         | 一、舟瀬六郎左衛門儀は、御書之趣御覧候て、重而御談合有へき由候て、不相済候也
         |
入籠中ノ庄屋ニ給 | 一、しい村之惣右衛門ニ、水くれ申候事
水        |                    水さえも容易に飲めなかったことが判る。この人物は後日磔の刑に処せられることになる。
         |
         |      七月廿日 晴天
         |
         | 一、明日、手伝之者、明石二郎■九郎へ可相渡事
         |
         |   (三淵好重室・三斎女栗)
恵光院ノ家来ヲ誅 | 一、恵光院殿内者埒明之書物、式ア殿ゟ持せ被差上候、則、此上は御誅伐へキとの御相談、相談究
伐        |   候也
         |
明寰長崎留主中扶 | 一、明寰さつまへ参ニ付、長崎留主ノふちかた、■七月分ヨリおさへおき候を、可遣哉、我等共分別
持ノ処理     |        (国遠)   
         |   次第ノ由、道倫被申事
         |
         |   ふれ状したゝめ、小頭
外様弓鉄炮足軽用 | 一、外様御弓・御鉄炮、七百十三人ノなた弐百三十七丁・かま四百七十六丁、出来候間、頭衆へ、請け
ノ鉈鎌完成    |   取扱申候へとのふれ状候事
         |                                (入江)
長崎へ明寰同道ノ | 一、長崎へ、明寰ニ付候て、被参御歩之衆、岡文右衛門尉と申仁也、入三丞与也
歩侍       |
         |                              芦田与兵衛与  西沢文右衛門与  冨嶋猪兵衛与
下着ノ鉄炮足軽  | 一、三宅勘三郎・小崎新五郎、今日着船、両人ニ付下候御鉄炮衆、古沢少兵衛・小右衛門・勘左衛門・   
         |   金左衛門与  吉衛門与  源左衛門与  八左衛門与  将監与  平左衛門与  作左衛門与
         |   作左衛門・左兵衛・六右衛門・吉右衛門・六兵衛・猪右衛門・左右衛門、以上十人也
         |
三斎供ノ鉄炮足軽 | 一、是■は 三斎様御供之御鉄炮衆之由也
         |
志井村ノ父子ヲ質 | 一、しい村ノ新左衛門、おや子共ニ、今晩、御しちへやゟ出シ申候事
部屋ヨリ出ス   |                    こちらは罪にはならず放免されたか?
         |
         |
         |      七月廿一日 晴天 
         |                                 清原
長崎ヘノ使帰着  | 一、長崎ヘ之御使、国友半右衛門くミ原新右衛門尉・寺本八左衛門くミ■原権右衛門尉、巳ノ刻罷帰
         |   候
         |
伊田村ノ牛盗人新 | 一、田川郡伊田村之牛盗人善三郎、新籠へ今晩入候事、付、小二郎手前せんさく吟味被相究、書物被上
籠へ入ル     |   候へと、御郡奉行衆へ申渡候、彼牛盗人書物、うつし候て遣候也
         |
         |        (細川藤孝室、沼田光兼女)元和四年七月廿六日死去・75歳   
光寿院ノ法事惣奉 | 一、来ル廿六日、光寿院殿御吊惣奉行申付事
行        |
         |
         |      七月廿二日 曇 亥刻ゟ雨フル  
         |
下毛郡上り薮帳  | 一、下毛郡上り薮帳ヲおそく出シ候、過怠員数申定事
         |
本庄某ノ財産   | 一、本庄長五郎財宝ノ事
         |           (米田是門)米田是政の弟550石、寛永九年没・62歳
家老等惣談    | 一、御年寄衆御惣談有、與右ハ煩ニて、不被出候也
         |
供侍ノ帰着    | 一、御供衆被罷下候日限、出船之日限書立付仕候て、御年寄衆へ相渡申候事
         |
         |
         |      七月廿三日 曇 雨フル、昼ゟ止  
         |
草取奉行ヲ十郡へ | 一、草取ノ御奉行、富田十太与ノ御弓衆十人、十郡へ、明日未明ゟ披出候へと、申渡候也
派ス       |
竹津出シニツキ駄 | 一、中津郡ノ切置竹、津出之事ニ付、御郡奉行衆へふれ状遣候、竹かい主より、駄ちんヲ馬かたニ可遣
賃        |   と申ニ付、如此候也
         |
         | 一、採銅所御金山へ横衆、八郎右衛門くミ十七人ヲ、弐かわりニ遣候、明日未明ゟ披出候へと、申渡
         |   也
         |
         |        氷糖  百斤ニ付、七拾目也
砂糖ノ値     | 一、沙糖ノ直 白潔糖 百斤ニ付、六拾目也
         |        雪白糖 百斤ニ付、四五匁也              

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■講談社『メチエ・メール』から

2019-06-15 06:09:46 | 書籍・読書

                       

 登録している講談社の『メチエ・メール』Vol.168 が贈られてきて、今月の新刊を紹介してくれている。
今月気になっているのがこの本だが、次の様にあった。

      「スタンダード」とは本来は標準語のことである。しかし、「標準語」というと、たいていは、明治以降の「標準語」を
      思い浮かべるだろう。現在、アナウンサーがしゃべっている言葉、東京山の手の言葉などと言われるあの言葉だ。
      ところが、本書では、江戸期以来、一貫して「話し言葉の標準形態」つまり「標準語」があったと考えている。
      これを、一般にイメージされる「標準語」と区別して「標準形(ルビ:スタンダード)」と呼ぼう。
      書き言葉にも、標準形があった。これも、歴史をたどれば、室町時代までさかのぼる。
      書き言葉を書く際の表記にも、標準形はあった。
      これも、明治維新と供に成立したものではない。いわゆる、仮名遣いの問題である。
      時折言われるように、歴史的仮名遣いは正しいのだろうか。
      いや、江戸期には、もっと多様で柔軟な表記を許すスタンダードがあった。
      このようにして、「スタンダード」と言うことを軸として、本書は話し言葉、書き言葉、仮名遣いの歴史に分け入っていく。
      豊饒な言葉の世界を堪能してください。 【試し読みができます!】→ こちらから

 試し読みをしてみると面白そう。今日は史談会の例会で外出するので、帰りに蔦屋によってみよう。ほやほやの新刊在庫は在るかしら?

                               追記:購入いたしました。面白そうです。 19:52記

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■軍役 235人/1万石

2019-06-14 07:17:45 | 歴史

 江戸時代の軍役とは、「御恩に対する奉公として、武士が主君に対して負う軍事上の義務」(近世史用語辞典)である。
何度か改められているが、幕府に対する軍役は1万石に対し235人と定められた。      万石
細川家は実質は75万石だとされるが、通常称される54万石(表高)が軍役を伴う禄高である。54×235人=12,690人となる。

勉強不足で疑問に思うのは、隠居後の三齋公のように、いわゆる「無役」という「軍役を伴わない禄」が多くある。
また豊前時代においては細川家の子女に対するものが15,500石余あったという事が「於豊前小倉侍帳」に記されている。
寺社などに対する寄進分を含めると相当の軍役を伴わない禄=無役が存在している。
しかし軍役は知行全体にかけられるものだから、これらの「無役」分はどこかで補わなければならない。
「兵站」も当然ながらこれらの人数に加えられるのだろうが、その一端を窺わせる次の論考が興味深い。
       第一次長州征討にみる熊本藩の兵站 
軍役の具体的な調達がどのように行われたのか、まだ知りえないでいる。

 各家ではその禄高に対しての軍役の人数が定められている。例えば300石取の家であれば7人ほどを出さなければならない。
また鑓持ち、馬の口引き、挟み箱持ち、鎧箱持ち其の他をを率いることが定められていた。
大身になるとその人数を確保するためには、親子兄弟や雇人のほか、知行地から人をかき集めたりしている。
戦場で親子共に戦死などという記述に出くわすのは、このような事も原因であろう。
ご恩に対する奉公は、「否」はありえない。それは「死」に直結している。一方高名を上げれば一躍大身になることさえある。
不謹慎な表現だが戦は侍にとって又とない出世のチャンスである。家中の者ではない浪人たちが、知る辺をたより人数に加わり、高名を上げて取り立てられたり、戦場に屍をさらしたり悲喜こもごもである。
先祖附などを見ても出陣の記録はあるものの、軍役における記述などは一切見受けられない。
これは残念なことである。

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■元和九年・覚書(七月七日~七月十三日)

2019-06-14 06:10:00 | 細川小倉藩

         |      七月七日 晴天
         |
         | 一、松岡藤八郎被成 御下ニ付、御鉄炮小頭荒瀬八右衛門尉・御弓之小頭吉井甚兵衛ヲ被成 御添、
         |   被成 御下候、竹屋喜兵衛ニ付上せ候御鉄炮壱人、江戸罷上ル鉄炮衆九人、御長柄衆一人、合十
         |   一人罷下候、此便ニ次太夫御奉行所へ之 御書壱つ、奉書弐ツ参候よし事、又、奥へノ 御書壱
         |   つ、安斎六兵衛所へノ 御書壱つ参候
                                           少々特別扱い気味の書き用だが、細川家召し出し直前か。(下にも記事有)
                                                      馬廻組三番・百五十石(於豊前小倉御侍帳)の記録が残り「肥後御入国宿割帳」
                                                    にも記録がある。その後の消息は判明しない。何人なのか判然としない。

         |            (米田是門)
家老等惣談    | 一、御年寄衆御惣談アリ、與右ハ煩ニて、不被出候也
         |
         | 一、しい村惣右衛門ニ、水くれ候事
         |
         |
         |      七月八日 晴天
         

         
| 一、松岡藤八郎そはニ壱人不付置、不自由候間、ちいさきそうり取壱人そはニおき候やうニと、久左

         |   衛門理被申候間、十一、二成久蔵と申もの壱人、今日ゟ付置被申候へと、少介へ切手遣候事
         |
         |   安場仁左衛門へ申渡候事
塗笠ノ手間賃   | 一、ぬしや七左衛門、ぬりかさノ手間ちん相究候へと、可申付事
         |
         |   嶋又左衛門・神西與三右エ門、御奉行ニ申渡候事
泰勝院施餓鬼奉行 | 一、泰勝院ニ而、盆之おせかき御奉行之事
         |
         |   金森将監御使ニ申渡候事
中津へ蓮飯進上ノ | 一、中津へはすの御めし持参被成御使ノ事
使者       |
         |   石垣損候様子、沢村弥左衛門尉見届之事                     (松井興長)(小笠原長元)
舟入ノ橋床ノ石垣 | 一、御船入ノ橋床之石垣損候所、つきなおし候やうニ被仰付候へと、式ア殿・民ア殿へ申入候事
ノ築直シ     |
代官等ノ口米   | 一、御代官衆二ノ口米之儀、御算用相済候衆へ、三ケ二可相渡との、御郡奉行中へ触状廻候事
         |
         |            名越           この時期三齋は江戸から京都に上っている、洛京の吉田屋敷か
伊藤金左組ノ小頭 | 一、伊藤金左衛門組小頭権左衛門尉儀二付、吉田ゟ奉書参着候て、則刻、籠者申付候事、
入牢       |   (朽木昭和)
         | 一、三渕與三郎殿使者ニ、大学殿・利斎へ之 御書壱つ、井上宗和への 御書壱つ、又御奉行衆ゟ       
         |   金左衛門組権左衛門被 仰出奉書壱つ、今日酉ノ下刻ニ、與七郎殿ゟ披相届、則時ニ、利斎へノ
         |                              (井門重元)    (  ママ   )
         |    御書相届候、宗和へ之 御書ハ明ル九日未明ニ、採銅所へ亀右衛門組御鉄炮    遣候事、
         |
         |
         |      七月九日 晴天     ひる程ニ少雨フル、地のしめる程も無之候  
              

朽木意斉上地分奉 |                 (財津)
公人ノ書付    | 一、朽木意斉上地分、奉公人之書付、財惣左衛門被上候事
         |
松ノ丸へ溜池ノ蓮 |   伊佐源七・平二郎へ当ル候て遣候事
葉ノ切手     | 一、松ノ丸様へ、はすの葉四百枚の切手、溜池ニて進之事
         |
泰勝院ノ施餓鬼ノ |   同日
幡ノ用紙染色ノ奉 | 一、泰勝院、せがきノはたかミ染申御奉行、村越覚兵衛へ申付候事、中折紙六百枚相渡候也
行        |
         |   明、さしかミ、御かい物奉行衆へ相渡候
買物奉行へ毎日交 | 一、御かい物奉行、毎日壱人つゝかわり/\ニ、山路左助所ニ被居候へとのさしかミ遣事
替検分ノ命    |
         |
         |      七月十日 晴天    
小篠次太夫中津へ |

見舞い      | 一、次太夫、未明ゟ、中津へ御見舞ニ被参候事
         
金具屋死去    | 一、かな具屋喜右衛門尉、七月二日ニ相果候事由、安場仁左衛門被申候事
         |
長柄足軽三十人  |   山口半次・瀬崎左助両人ニ申付候也、さう地仕候者ハ、御長柄衆三十人、明日十一日ノ未明ゟ、出し候へと申候
泰勝院境外ノ掃除 |
奉行       |
         |      七月十一日 晴天 申ノ刻夕立仕候
採銅所金山ノ秤完 

成        | 一、採銅所御金山ノ秤出来仕候て、則、御鉄炮衆冨嶋猪兵衛くミ里右衛門ニ持せ遣候事
         |                                          (林)
中嶋ノ跳橋石垣ノ | 一、中嶋へノはね橋、石垣をなをし候ヘハ、橋之材木取ニ遣人、御船手ノ四十八人ニ、手伝弥五左衛
修築ノ用材運搬    |     (河田)   
         |   門・八右衛門尉ニ可相渡由、被申事
         |
青貝師休徳へノ貸 |   壱石五斗かし申候、左候て、元利取立、御切米ノ高ノあまり申候へ共、此者は余人とかわり申候故、如此
米        | 一、青貝師休徳ニ御かし米事
         |     (友好)
松井友好知行所ノ | 一、松井宇右衛門知行所ノ出入之書物、双方ともニ御郡奉行へ被着候へと申、返し可申事
人ノ出入書物   |   寛永10年沢村大学吉重の養子となる
         |
         |      七月十二日 晴天 申ノ刻ニ夕立フル、頓而晴ル
         | (松井興長)(有吉立貴)(村上景広)
         |   式ア殿・平吉殿・八郎左衛門殿へ申触候也
秀林院へ金屏風  | 一、秀林院へ金屏風三双遣申事
         |   ガラシャ夫人墓所
         |   茂左衛門ニ相渡也
         | 一、井上加兵衛書物ノ事
         |                   (異筆)
福建省泉州ノ唐船 | 一、福建ノ泉州ノ船、酉ノ刻ニ着仕ル、「船頭林二官 客許一官 夥長陳七官」
到着       |
         |
         |      七月十三日 晴天 未ノ刻ニ雨フル、亥刻ニ晴ル
         |           
洛京の吉田屋敷か                      (ママ)
唐船着岸ノ注進  | 一、唐船着候注進ニ、吉田ヘノ御使御小早、則、御舟頭原茂助参候、長埼ヘハ御鉄炮衆
         |

 



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■なおす前に・・

2019-06-13 11:05:06 | 徒然

           

 最近手に入れた掛け軸、開いたはよいがすぐなおし込まなければならないから、きちんとした紐のかけ方を撮影記録しておこうと思っての事である。

  ちなみになおすという言葉は熊本弁である。熊本人の大方は標準語だと思っている。
東京熊本県人会のブログには次の様に解説されている。

        熊本弁:『なおす、なわす』  共通語:『片付ける しまう』
          例文と共通語訳  ちゃんとなおさんね。(ちゃんと片付けなさい)

熊本人が就職して東京へ出ると必ず笑われる言葉である。
熊本の古文書を読んでいても「仕舞」という言葉は散見されるが、「なおす」という言葉は見た記憶がない。いつの比から使われ始めたのだろうか。

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■肥後国中「御家人名附」・(2)

2019-06-13 10:40:18 | 史料

■宇土郡松山手永
     御郡医師並 下網津村    西浦 各
           宇土町     神尾三伯
           松合村     御船玄利
           同村      江本玄亨
     一領一疋  永尾村     野田儀右衛門
           同村      小林嘉次右衛門
           御領村     石山伝右衛門
           下松山村    星井専次
     寺社 三宮社馬場村     三宮能登
        両神宮松山村     中林淡路
        住吉宮宇土町     近藤河内

■宇土郡郡浦手永
     一領一疋  赤瀬村     伊佐角之進
           網田村     陣内郡右衛門
           下網田村    中村伝之進
           中村      佐田彌八
           同村      正垣五平次
           同村      佐田文三郎
           同村      佐田一平
           同村      積 三佐衛門
           郡浦村     吉田八左衛門
           前越村     中村武右衛門
           三角浦村    緒方彦一
           郡浦村     高浜孫一
     御郡医師並 波多村     楊 元悟
           中村      積 玄竹
           戸口浦村    江上永庵
■八代郡野津手永
     一領一疋  鹿嶋村     増住五左衛門
                   遠坂郷助
     地侍    鏡町      富田才右衛門
                   村崎清九郎
        鏡津口御番人弐人ふち完
     直触    宮原村     松田三悦
           外無田村    二神友益
        四人ふち之内三人半ふち完渡
           鹿嶋村     油屋 忠三郎
                       伊助
■八代郡種山手永
     一領一疋  北種山村    押方夫右衛門
           同村      押方万右衛門
           興善寺村    加来丹平
     地侍    岡小路村    林 喜助

■八代郡高田手永
     一領一疋  御蜜柑受込豊原村 松岡仙之允
           同村      松岡杢右衛門
           同村      松岡唯右衛門
           南吉王丸村   吉村加右衛門
           萩原村     加来七郎太
     地侍    豊原村     渡辺両右衛門
           岡村      渡辺一郎太
     直触医師  西高下村    宇野如庵
           豊原村     吉田了迪
           中片野川村   本郷意伯
           豊原村     桑原玄性
■芦北郡田浦手永
     一領一疋  田浦村     井上順午
           同村      鬼塚九郎次
           同村      福田龍太郎
           鎌瀬村     赤星宇右衛門
     地侍    田浦村     田浦太次右衛門
                   矢野角大夫
                   宮坂諾右衛門
                   井上兵大夫
                   鬼塚彌藤太
           佐敷口目附横目吉尾村 宮坂彌一郎
           下大野村    南嘉左衛門
           日奈久町    鳥居宇源次
     寺社    無官宣明田浦村 下田出雲
     御郡筒八拾七人 漁村三ケ村 
           日奈久町
           井牟田町
           浜村町

■芦北郡佐敷手永
     御医師並  佐敷町     山元寿翠
     一領一疋  道河内村    山本甚左衛門
           乙千屋村    黒田佐五右衛門
           佐敷村     今村数左右
           才木村     倉本源太
           大尼田村    浅野九郎右衛門
           同村      浅野吟左衛門
           小田浦村    田中権七
           同村      田中八兵衛
     地侍    同村      矢野保左衛門
           道河内村    真野喜兵衛
           同村      城 彌次郎兵衛
           同村      林田角右衛門
           佐敷村     今村新左衛門
           同村      浮世仙九郎
           小田浦村    倉本武平次
           牛淵村     井川惣右衛門
           垣内村     山本源八
           大尼田村    浅野新次兵衛
           下白石村    西 佐次右衛門
           佐敷村直触医師 遠山春台
     告陸口御番人        四宮彦右衛門
        但三人ふち完告村居住
     御郡筒七拾人
        内五人 小頭

■芦北郡湯浦手永
     一領一疋  馬場村     野口仁三右衛門
           平生村     江口孫三
           大河内村    赤沢新四郎
           野角村     水俣久右衛門
           同村      徳永半右衛門
           大野村     徳永才四郎
           湯浦本村    鳥居彦九郎
     地侍    大河内村    桑原笹右衛門
           大野村     溝部杢右衛門
           湯浦本村    村田武平次
           同       村田宅左衛門
           馬場村     平田駄左衛門
     直触医師  岡村      東 洞庵
           
     御郡筒百三拾人     

■芦北郡久木野手永
     一領一疋  久木野村    白坂貞右衛門 

     地侍    同       南 形右衛門
           同       南 文右衛門
     御郡筒弐拾壱人

■芦北郡津奈木手永
     一領一疋  中村      津奈木五左衛門
           同       斉藤順右衛門 
     地侍    上門村     斉藤宅右衛門
           同       斉藤貞平
     直触医師  中村      深水宗恕
     御郡医師 (青田翠支配)
           上門村     山田貞庵
     御郡筒四拾弐人
     寺社    上原村     蟻川播磨守

■芦北郡水俣手永
     一領一疋  岩坂陳村    水俣諸左衛門
           同村      佐藤武右衛門
                   前田覚右衛門
           炭山見右同村 東 喜三右衛門   扌偏に乄=
           櫨見袋村   城山伝之丞
     地侍    陣内村     深水佐左衛門
           櫨見同村   水俣駄兵衛
           同村      東覚次郎
           田平村     小川宗岳
     御郡筒百七人


     
           

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■PDFファイルをJwcファイルに変換したい・・

2019-06-13 06:07:31 | 徒然

 随分以前に作成した「細川家略系譜」を必要に迫られて手を加えようと思っている。
          http://www.shinshindoh.com/pdf/hosokawa_tree02.pdf 
2011年の12月20日に作成して、翌年の1月3日「お年賀」としてブログで初公開したものである。

7年と5ヶ月余経過しているが、これは私の生業の道具のソフト・JW_CADを使って作成したもので、その間の何度かのPCのトラブルで原稿は消去されている。
UDBに落として保管すればよいのに、めんどくさがり屋の爺はそれを怠り、貴重なデータを幾度となく失ってきた。
地震後にはそのUSBの行方さえ分からなくなり、データを失ったりしている。
首にぶら下げておけばよかろうと考えたりするが、我家の玄関の鍵さえなくす有様だから、何が最善の策か判らない。
幸いにもこのようにPDFファイルが残されていて、これを何とか復元しようと考えている。これがなかなか頭が痛い。
どのソフトを選択すればよいのかも手探り状態である。悪戦苦闘がはじまるが果たしていつになれば復元できますことやら・・・

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■元和九年・覚書(七月十四日~七月十八日)

2019-06-12 15:17:00 | 細川小倉藩

 

         |      七月十四日 晴天
         |            うるち
唐人へノ信物   | 一、唐人ヘノ御音信■■■粳米拾俵、但、五石酒樽五樽 但、壱斗五升入り、肴物二種 干鯛十枚・鯖十サシ、鶏子十五隻、
         |   噌醤幷食塩弐俵壱石也、壱樽弐斗二升入右ノ御使新貝長次郎也      (破)  
         | 一、御腰物持参候御使、御鉄炮衆、芦田與兵衛組野村吉内、金守将監組不判兵介、唐嶋勘七御扶
         |   持被放候儀も、此便宜ニ申来候事
         |
         |      七月十五日
         
|          (松田仁喜斎)        (細川忠利室、千代姫)

細川忠利室病気  | 一、式ア殿・民ア殿・仁喜御同心にて登城候て、御上様御脉、仁喜・宗安見被申候事
         |
         |      七月十六日 晴天
         

         |   かい物奉行へさしかミ遣也
庭莚       | 一、には莚百六枚、金山へ遣事
         |      呼野                友田二郎兵衛くミ     同     亀石くミ   八左衛門くミ
呼野金山間歩ノ掘 | 一、同所ノ金山、大切ノ御間歩ノほりて 久兵衛・喜左衛門・加兵衛・七左衛門・加右衛門・此五人
手        |             (矢野)(沢村吉重)
         |   不替相調候へと可申由、利斎・大学被申候
         |
大坂へ上ル塩ノ欠 | 一、大坂へ上ル塩之欠、石ニ付、三升壱合宛ニ立候
長崎へ上ル塩ノ欠 | 一、長崎へ遣塩之欠、石ニ付、壱斗四升九合ニ当ル
         |     (元明)                                      (敦行)
住江元明等下着  | 一、住江甚兵衛・熊谷忠右衛門尉・伊藤十丞・湯浅角兵衛・山内三太夫・続平右衛門、亥ノ刻下着候、
         |
         |      七月十七日 晴天
         |
         |     (長氏)
平野長氏下着   | 一、平野九郎右衛門尉、只今着仕候て、午ノ刻ニ登城候、 御書持参被仕、頂戴し候
         |
長崎ニテ売却ノ元 | 一、長崎ニ而、元八年ニうらせ申塩かんの事、御舟頭しょうこの書物ノおくニ
和八年ノ塩欠証拠 |    沢治吉右衛門・野村兵左衛門、去年長崎ニて払被申塩欠ノ儀、御舟頭書物右之分ニ取置候へ
ノ書物ノ奥書   |    友、とかく立 御耳、可相済候条、其間ハ欠塩御算用帳面ニのせ、可被聞置候
         |      元九 七月十七日  川喜多五郎右衛門殿
         |    如此、おくかきヲ仕、遣候也             弐人
         |                財 津 久 七 殿
         |
         |      七月十八日 晴天
         
|                     続亀介組 竹久作右衛門・井口善大夫 

関小平次を質部屋 |   御鉄炮衆、五人つき候て来候事        国友半右衛門組 衛藤角大夫
へ入ル      | 一、関小平次下着、しちへやへ入候事   寺尾左介組  須崎新介
         |                     杉山藤兵衛組 小野久兵衛
国産中折紙百束ノ | 一、御国中折■百束可上事
用        |
         |   本庄喜助ニ申渡ス、又、御郡奉行衆へ不残申触候
乗物舁十人採用  | 一、御乗物かき、拾人抱申事
         |      (岩戸見)
岩留大明神社米ノ | 一、築城郡岩留大明神社米之儀、被相尋候間、元利成立算用帳ヲ仕、被申上候へと申候事
算用帳      |
         |   高柳久助ニ、さしかミ遣也
上毛郡貸米蔵改築 | 一、上毛郡御借米蔵、立なをし之事
         |
         | 一、福嶋八兵衛、卯ノ刻に出船仕候事
         |
         | 一、長崎へ之御小早、出船申付候事
         |
         |   書状いたゝめ、明日未明ニ持せ遣候へと、亀右衛門クミノ小頭ニ相渡候也
         | 一、田川上野清兵衛ニ、金山之儀に付、状遣事
矢野某中間ノ妻子 |
ヲ質部屋ヨリ出ス | 一、矢野角右衛門御中間ノ喜蔵女房・子・御しちへやゟ出候事
         |
嶋村某小姓ノ親ヲ | 一、嶋村九一郎小姓之親、夫婦共ニ、新籠ゟ出シ候事
新籠ヨリ出ス   |
         |   佐方少左衛門ニ、吟味仕、書物被上候へと、申渡候也 (丸)
庄屋ノ吟味ヲ郡奉 | 一、京都郡ノ内中窪村庄や久右衛門・同村福万庄や平右衛門、此両人よぶへき事
行ニ命ズ     |                   (郡カ)
         |
         

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■田辺聖子氏逝去

2019-06-12 06:46:02 | 書籍・読書

               
              こぼれたコーヒーの跡や日焼けがはなはだしく、分厚い本なので文庫本に買い替えようかと思いますが愛着がありいまだ本棚に鎮座しています。

 田辺聖子氏が亡くなった。ご冥福をお祈り申し上げる。
私は女性作家の小説は歴史小説は別として、あまり読まないが、大好き俳句つながりで「ひねくれ一茶」を今でも蔵書している。
548頁におよぶ大部だが、何度となく読み返した。第27回(1993年) 吉川英治文学賞の受賞作品である。
数えてはいないが一頁に一句以上の句(ニ・三句の時もある)がちりばめられており、場面/\にそれぞれ場所を得ている。
人間描写が豊かで、俳諧の宗匠としては一流だが、遊女屋をのぞき込んでは彼女らからバカにされている。
父親が亡くなった後は一歩も引かず財産争いをしたり、人間臭さが読者を魅了する。
51歳の時、妻となる24歳も年下のきゃんきゃら(お転婆)娘・おきくとの出合や、その死に至る貧しくも豊かな時の流れなど一茶の喜びや悲しみを堪能したものだった。
2014年3月19日読売新聞は、そのおきく宛の「小林一茶、愛妻家の証明 自筆の手紙見つかる」と報じている。
若い妻の存在は大いに気がかりであったようだ。
本当にこのような田舎人であったのだろうかと思わせてしまう。すごい筆力だと感心させられる。

                           一部分ですが試し読みをどうぞ

 また『江戸のエコロジスト一茶』(マブソン青眼著、角川書店、2010年)の全文を公開されているブログがある。
ご努力に敬意を表しながらこちらもどうぞ・・・      『江戸のエコロジスト一茶』


 

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■「君」という姓(カバネ)

2019-06-11 13:30:04 | 徒然

 私の本籍地は熊本市の西方、曾祖父が塾を開いていた城山下代町だが、この地域を挟むように北を坪井川、南を白川が流れている。
その坪井川は独鈷山を挟むように流れてきた井芹川が合流して、井芹川はここが終点になっている。

その合流点に高橋東神社(天神)があり、井芹川をはさんだ対岸には高橋西神社(若宮)がある。(地図)
その高橋東神社の御祭神は「道君首名」(みちのきみおびとな)である。筑後と肥後の国司を務めた人物として、熊本でもよく知られる(?)名前である。
高橋は藩政時代は五ケ町の一つであり港町として賑わった。ここから坪井川をさかのぼり色々な物資が城下にもたらされた。

 本籍地としては地元ではあるが、私はこの神社の事は詳しくない。
最近この「君」という「姓=カバネ」が気になっている。「首名」は国司だから・官位は正五位下・筑後守である。

さて万葉人の山上憶良は従五位下・筑前守だが大宰府に大宰帥として任官している。
その憶良が、なぜか熊本人・益城出身の大伴君熊凝という一青年の死をいたみ万葉集に六首にも及ぶ歌を残した。
   参考:憶良熊凝哀悼歌の特質 斌(ここから左記論考のPDFを開いてご覧ください)

熊凝は大伴「君」という「姓」を持っているから、地元では豪族の部類の人物ではなかったのかといわれる。「相撲使」のお供をして安芸国で亡くなっている。

同じ「姓」ながら、此の身分の差は何なのだろうと思ってしまう。
ウイキペディアの「氏姓制度」を見ると次のような記述がある。
    「8~9世紀において改賜姓がさかんに行われているのは、八色の姓において、上級の氏姓にもれた下級の身分の者や、これらの農民
     を主な対象としたものである。その順位は、無姓を下級とし、造、、史、勝、村主、拘登(ひと)、連と身分が上がっていく。
     これは、天武朝において氏上に相当する氏が八色の姓に改姓する前段階として、まず連への改姓が行われ、この連=小錦位以上を
     基点として、忌寸以上の4つの姓へ改められたことと同様の対応である。」

熊凝の「君=公」は下位から二番目であることが判るが、道君首名のような高官(正五位下・筑後守)の「姓」が同じとは理解に苦しむ所である。

ぼんくら爺様は頭が痛くなる。お詳しい方はお教えを給わりたい。


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■肥後国中「御家人名附」・(1)

2019-06-10 13:02:45 | 歴史

    熊本近世史叢書一「肥後国中寺社御家人名附」から、御家人を抜粋してご紹介する。
    ここでは一領一疋、地侍、直触(医師を含む)と宮司等が扱われている。
    一領一疋とは「鎧一領、馬一匹」意で、熊本独自の郷士に対する呼称である。
    家格としては惣庄屋直触、郡代直触、地士(地侍)、一領一疋と進席する。その上に諸役人段があり惣庄屋はここに含まれる。
    これ等は寸志を上げることで家格を取得する者もあった。歩小姓列、独礼、歩使番列まで進席し侍の家格に至った家もある。
    これらの家格は集会などについて座る順番を厳重に定めている。
    一領一疋は惣庄屋の次席にあたり、地侍から進席するが、席が空かないと進席できない。これらの人たちは加藤家や大友家・
    小西家・佐々家などの旧家臣等や国衆の子孫など、細川家直臣となりえなかった由緒ある人たちである。


■飽託郡五丁手永
     一領一疋  河内村     牛嶋七郎左衛門 
           岡村      牛嶋角左衛門
           船津村     上妻貞右衛門
           大多尾村    内田喜平太
           東門寺村    内田宇平太
           上野村     近野伝次郎
           上立田村    下田七郎左衛門
           鶴羽田村    竹田津利三右衛門
           河内村     牛嶋嘉平太
     直触    万楽寺村    田尻宗碩
           上立田村    緒方玄林
           同村      奥村平右衛門

■飽田郡池田手永
     一領一疋  嶋崎村     黒部新右衛門
           上松尾村    伊藤次太夫
           同村      境 源左衛門
           同村      志方杢兵衛
           井芹村     建部孫平
     地侍    上代村     小嶋龍次
           京町村     下林甚平
     直触医師  上代村     津崎玄林
           上松尾村    今村順迪 
           上代村     津崎怡益
           孫代村     工藤玄察
           砂原村     井上東啓
           今新開村    浅山玄宅
           小嶋村     高橋玄伝
           上松尾村    志柿李庵

■飽託郡横手手永
     直触医師  権藤村     大淵玄好
           苅草村     高木李伯
           正保村     中原玄翠
           田崎村     岡沢仙伯
           権藤村       藤左衛門
     一領一疋  同所      清嶋両平

■飽託郡銭塘手永
     直触医師  江中嶋村    馬原詮淳
           万丈村     緒方玄好
           銭塘村     土井玄卜
           北走潟村    松岡養斉
           下沖村布田   高木周伯
           手永光雲寺支配
     一領一疋  中無田村    芥川喜兵衛

■飽託郡本庄手永
     一領一疋  今村      田中宇平次
           新部田村    園田団助
           右同村     園田平蔵
           右同村     園田伝兵衛
           下南部村    今村善左衛門
     御山支配加役
           保田窪村    安藤礒右衛門
           同村      千田浅右衛門
           同村      早瀬吉右衛門
           長嶺村     坂田源次
           同村      坂田清左衛門
           同村      大村利三
           小山村     今村伝次郎
           同村      坂田宗平太
           戸嶋村     田中嘉藤次
     地侍    渡鹿村     坂田善大夫
           同村      古谷善右衛門
           長嶺村     坂田十蔵
     御郡触   大江村浪人   村上助験(スケトシ)
     御医師   近見村     戸田玄利
           本庄村     今村玄恵
           今村        藤右衛門

■詫摩郡田迎手永
     一領一疋  重富村     青木新右衛門
           竹宮西外村   石原嘉平太
     地侍    下部村     園田重次郎
           同村      林田林右衛門
     直触            除野次左衛門
           上江津村      新左衛門

■上益城郡鯰手永
     一領一疋  鯰村      布田左蔵
           櫛嶋村     守嶋伊右衛門
           砥川村     岩崎寿助
     地侍    鯰村      布田彌平太

■上益城郡沼山津手永
     一領一疋  沼山津村    光永彌平太
           河原村     戸田用右衛門
     地侍    辛川村     中山団助
     直触    木山村     良峯玄秀
           中無田村    安藤伊平次
           西無田村    嶋崎清蔵
     木山宮社司 木山町     空閑出雲
                   空閑若狭
     津森宮社司 寺中村     甲斐伊与
     白山宮宣命          同

■上益城郡木倉手永
     一領一疋  部田見村    村山加平太
           御船町     長野所右衛門
     地侍     同      早瀬所右衛門

■上益城郡甲佐手永
     一領一疋  中津田村    後藤文右衛門
           津志田村    松本嘉右衛門
           仁田子村    佐藤幾右衛門
           古閑村     岩永左助
     直触    下田口村    松本梅瑞
           岩下村     坂部利三次
■上益城郡矢部手永
     御郡医師  浜村      赤星元周
           浜町      伴 作左衛門
           同       下田善左衛門
           同       富田彌吉
     一領一疋  当分浜町    渡辺常右衛門
           同大川村    甲斐惣兵衛
     地侍    郷野原村    飯干角内
           同       飯干藤平
           浜町四人ふち  富田新次郎
           同町      太田忠助
           同御用達佐弐役触 高浜徳次
                    野尻清九郎
     一領一疋  下名連石村   松本瀬平
           中嶋村     高森茂理平
           同村      山下慎七郎
           稲生原村    古閑折平
           入佐村     古閑勘次

■下益城郡杉嶋手永
     地侍    菏崎村     赤星奥右衛門
     直触    赤見村     坂井半之允
     御郡並医師 著町村     生源寺玄全
           杉嶋村     三角亀角
           硴江村     宮田春貞
           著町村     吉村見益
■下益城郡廻江手永
     直触    藤山村     清崎見順
           志々水村    弓削東削
     御郡医師          小林周軒
     一領一疋  隈庄村     美濃部又之允
           宮地村     岩村権兵衛
           同村      岩村尉平
           廻江村     藤井孫助
           阿高村     内山奥右衛門 
     地侍    隈庄村     浅井式右衛門

■下益城郡河江手永
     御郡医師並 中間村     福田道伯
           小川村     斉藤宗迪
     直触    南小川村    荒木元周
           松橋村     佐方宣斉
     一領一疋  河江村     高橋林左衛門
           大野村     高橋兵九郎
           南海東村    篠原瀬左衛門
     地侍     同      篠原喜兵衛
     阿蘇宮社司         下田佐渡
     八幡宮社司 南部田村    早水河内

■下益城郡中山手永
     一領一疋          井芹武右衛門
     御郡医師          宮崎玄忠
     直触医師  安見村     日野玄卜
                   浦上意庵
           下江村     牧野友作

■下益城郡砥用手永
     穂積宮四社神主(勢井村・竹迫村・名越谷村・長野村)
           長野村居住   緒方大和
     一領一疋  原町村     高木文右衛門
           同村      野尻彌次右衛門
           同村      井芹宇平次
           峙原村     菅 理三右衛門
     地侍    はら町村    日並五郎兵衛
     直触医師  下田むら    谷田玄松
           内園むら    押方玄度
       (右両人之医師売薬なし)      

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