吉田拓郎を聴くようになったきっかけは、長渕剛だった。
80年代初期には、あまりこだわらずに色々なミュージシャン(おもに邦楽だが)のLPを貸しレコード屋から借りて聴いていたが、特に私の心に響いたのは、長渕であった。当時、長渕の影響でアコースティックギターを練習していた私だが、「ギターブック(GB)」という雑誌の記事に長渕のインタビューが掲載されており、それを見て驚いた。長渕がギターを始めるキッカケになったのは、「吉田拓郎」だったというのである。当時の私が持つ吉田拓郎のイメージというのは、シングル盤の「結婚しようよ」であり、「サマーピープル」等、なんとなく歌謡曲っぽいというか、軟派っぽいという印象を抱いていた。当時の長渕の楽曲と吉田拓郎がどう繋がっているのか、私には理解出来なかった。そこで、その謎を解き明かすために、貸しレコード屋で借りてきたのが「TAKURO TOUR 1979」という2枚組み(+アンコールシングル)のLPだったのだ。
1曲目の「知識」を聴いて度肝を抜かれた。それは、まるでストライクでスイカを叩き割ったような衝撃だった。「軟派なフォーク歌手」という私が持っていた勝手なイメージを払拭して余りあるほどの、雄々しい拓郎がそこに居た。時は1982年。拓郎との出会いは、私の中では革命であった。
彼の歌は、基本的に「モノローグ」である。相手には何も求めない。ラブソングであっても、「俺が愛しているんだから、オマエも俺を愛してくれ」とは言わない。「俺はこうするんだ。ついて来たかったら勝手についてきな」というスタンスで、「オマエはこう生きろ」とは決して言わない。そこが、実にカッコ良く、心地よかった。「結婚しようよ」は、拓郎の数ある楽曲の中で、例外に近い曲だったのだ。それから20年以上が経過した今も、私は拓郎を聴いている。