South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
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名古屋の本屋

名古屋に来て、この4月で20年目にはいる。なんと腰をすえたことよ。それはともかくも、名古屋に来て、困ったのは大きな本屋がないということだった。当時は、丸善以外は、地元の小規模な本屋しかなかった(ひょっとして、テルミナの三省堂があったかもしれない)。それでも、千種の祥文館は小さいながらもこだわりのコーナーがあって、結構かよっていた。

その後、栄に紀伊国屋やマナハウスができた。また、名古屋駅のツインタワーができたときに高島屋の上に三省堂が規模を拡大して誕生した。また、栄のラシックの上に旭屋ができて、ちょっとうれしかった。しかし、過去一年の動きは、がっかりだった。栄の紀伊国屋が閉店して名古屋駅に移り(まもなく、開店するらしい)、マナハウスと旭屋が売り場を大幅に縮小した。ただ、昨年遅くに、あらたにあおい書店ができた。

名古屋駅前に高層ビルができることにあわせて、本屋は駅前にシフトしたようだ。三省堂が二箇所、紀伊国屋。そして、今日発見(じつは、2003年に出店)のジュンク堂。名古屋の本さがしは、どうやら、名古屋駅のようだ。
とはいえ、多くはネットで注文するし、どこにでも売ってそうな本は、近所の三洋堂やらくだ書店、あるいは、郊外の本屋で用は足りる。しかし、なんとか、ネットで稼いでいただいて、大規模店も維持してもらいたいものだ。

今日、駅西の整体に行ったのだが、大またで歩きなさいとのアドバイスで、しばらく歩き回ることにした。最近オープンした「ルーセント・タワー」に行き、ジュンク堂をみつけ、ついでに、CompuMartで、VistaやMac用のParallel Desktopを見てきた。Vistaはそんなに感動しなかったけれど、Parallel Desktopはすごいとおもった。

2007-02-03 21:01:41 | 情報 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


牡蠣とキャベツのオイスターソースいため

牡蠣とキャベツのオイスターソースいため(牡蠣をオリーブオイルで赤唐辛子とともにゆっくりといためる。程よく火が通ったところで、あらかじめ茹でておいたキャベツとピーマン千切りをくわえ、オイスターソースと紹興酒、塩で味をつける)
かつおの角煮(市販のかつおの角煮に、千に切ったシソを振りかけて食する)
えのきと卵のスープ

2007-02-03 20:23:49 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『在日の耐えられない軽さ』

鄭大均、2006、『在日の耐えられない軽さ』、中公新書

エスニック研究を専門とする作者が、父の生き方と自らの「在日」体験を自叙伝風にまとめたのが本書である。

子供のころ、大阪の郊外に住んでいた。近所に在日の人たちの住む一角があったし、小学校中学校の同級生には、結構たくさんの在日の子がいた。その時代、多くは日本姓を名乗っていた。大学に入り、一年たって、小学校の同級生とキャンパスでばったり出会った。彼は、一浪して入ってきたらしいが、彼の顔を見てすぐわかった。思わず彼を日本姓で呼んだ。すると、かれは、「ぼくは○○です」と本姓を名乗った。もちろん、私は、彼の本姓を知らなかったから、その名前で呼べないのはしょうがなかったけれど、ちょっと、ショックだった。名前、それは、人間の証のひとつ。
今から思えば、子供のころ、残酷ないじめをやった。しかも、民族差別をともなう。もちろん、よく遊んだ。たいがい、仲良く遊んでいるのだけれど、何かトラブルが起こると、差別用語が飛び出した。今も、心が痛む。まさに無知だったのだ。大学時代に出会った小学校のころの在日の友人の彼とは、その出会いの後、二人ともなんとなく距離ができて、挨拶をする以上の関係にはならなかった。これも、悔やまれることだ。

本書でも著者の名前、帰化、故郷に帰った父との関係、日本人の母、同じ血を引くが考えの違う妹、エスニック・アイデンティティに関わるさまざまな事例が紹介されて、自叙伝の形をとりつつ、まさに、エスニック研究となっている。著者は、研究者ということもあって、エスニックの問題について、客観的、あるいは相対的に事象を眺めていると見えるのだが、じつは、それだけではないようにも思える。というのは、イデオロギーにとらわれず、柔軟にその場に対応するのは、何も、研究者だからできるということではなく、ごく普通の庶民の日常実践だ。
たとえば、最終章では、著者の帰化問題が語られる。在日は、現在日本国籍を保有していないのだが、法律論からすると日本国籍を保有しているとも考えることができるようだ。日韓併合の結果保有していた日本国籍がサンフランシスコ条約の締結とともに、1952年の民事局長通達により、日本国籍が剥奪されたのだが、それは、局長通達により手続きがすむものではないらしい。したがって、その手続き論からすると、奪われないと考えられるものなのだそうだ。著者は、母が日本人で日本国籍を持っていたから1952年の通達により国籍を喪失した。著者の妻は韓国人で公務員だから帰化の必要がない。帰化したのは、著者自身と息子である。

さて、問題は、帰化後の名称。「鄭」という文字が「人名用漢字表」にない。この表から選ばれる漢字についての規制は本来、姓ではなく名のほうなのだが、しかし役所は、「ない」ことを認めない。母の旧姓である「斎藤」や音が似ている「程」などを検討したが、結局は妻の姓にしたらしい(何かはかかれていない)。こうした選択過程も柔軟だ。手続きが許せないからやめるなどとはならない。著者は、日本で適応して暮らす息子を準拠点にして帰化という手続きを選択したのだ。

イデオロギーではなく、エスニシティが、あるいはエスニックアイデンティティが描かれること、これが重要なのだ。これとの比較対象に著者の「妹」が語られる。精神のふれが通常を超えた「父」もじつは、そのファナティックなところは「妹」に受け継がれているのだが、かれの、思想のふれ(かれは、「皇道思想家」であったこともある)も、ある種の現状への適応のひとつとも見えるのだ。

在日の耐えられない軽さ

中央公論新社

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2007-02-03 13:30:05 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )