『邂逅の森』
熊谷 達也、2006、『邂逅の森』、文藝春秋(文春文庫)
秋田のマタギを題材にした本書は、平成16年の直木賞をとった。
著者の作品の『懐郷』(今年、3月23日、「読書と夕食」に記録)はこの作者の作品だった。オーストラリアに出発の前に、書店で手に取ったのだが、ぱらぱらとページをめくるうちに懐かしさを感じて、オーストラリアに持参してきた。おなじ著者の『懐郷』を読了した事を失念して、懐かしい気がしたのはそういう事であったか。
本書は、秋田のマタギの近代史とも言うべき背景のもとに、マタギの富治の人生を描いた。主人公富治の初マタギから始まり、オオグマとの死闘と生還まで、彼の生き様が描かれる。ひとの生と死は、生命の躍動の根源である性と自身の生き様である。自然と直面し、自然に関する知識に習熟しているにもかかわらず、かといって、山ことばをつかい精進潔斎をして、日常生活と隔絶した状況に追い込み、それを破ったから、山の獲物が捕れないといっては、荒唐無稽な儀礼を行う。そうした彼らは、自然とともに生きてきたし、また、死んできた。そんな彼らも、近代化の流れの中で、現金経済の中に巻き込まれて行く。山の資源を枯渇させるのも、彼らではある。
しかし、同時に、山の生活をやめるのを決断するのも彼らであった。主人公富治の最後のマタギ仕事も、若い頃の一途な恋愛と別れといった個人的な事情に端を発したとはいえ、マタギを続けるかやめるかは山の神さまに決めていただこうと最後の闘いに向かうのである。
世界自然遺産に指定された秋田の白神山地では、山で暮らしを立てる人々が、その指定によって山地に分け入る事ができなくなったと聞く。山人の生活が、近代化の中でいかに大きな影響を受けてきたか、最も厳しい環境の中で、バランスをとりつつぎりぎりの生活を成り立たせていたかれらの生活の最後の引き金を引くのが自然保護の思想であるとは。ユネスコの指定が果たして、どのあたりであるのか、エコツーリズムとのバランスでであるというのは実に微妙な話ではある。
そもそも、人類にとって自然は食糧を獲得のための資源ではあったし、その事は、今も昔も変わっていない。しかし、時にとりすぎて資源を枯渇させてきた事(大型動物の絶滅)も事実であろう。別の言い方をすると、人間の生活自身、自然のままにある事を常に回避してきた訳である。たとえば、病に伏せれば、薬を作り出してきたし、命を延ばすためには、何かと、知恵を働かせて自然に逆らってきた訳である。その意味では、人間は、反自然の存在と言わねばならない。
かといって、決定的な反自然であったのかと言って、少なくとも近代以前は、そうではない。自然の中で生かされている人間、自然を利用しつつも徹底的な破壊を小尾なう事のない人間であったはずである。自然との微妙なバランスのなかで、自然の稔り(獲物)を得てきたマタギ稼業の衰亡は、まさに、そうした背景に直結する。
今になって思うが、本書の主人公はマタギの富治ではあるが、同時に、はらませてしまい一子をもうけた地主の娘文枝と富治の人生と知らず知らずに交錯していた元娼妓であった妻のイクの生き様もまた、重要な語りとなっている。『懐郷』とともに読み進める事を薦めたい。
秋田のマタギを題材にした本書は、平成16年の直木賞をとった。
著者の作品の『懐郷』(今年、3月23日、「読書と夕食」に記録)はこの作者の作品だった。オーストラリアに出発の前に、書店で手に取ったのだが、ぱらぱらとページをめくるうちに懐かしさを感じて、オーストラリアに持参してきた。おなじ著者の『懐郷』を読了した事を失念して、懐かしい気がしたのはそういう事であったか。
本書は、秋田のマタギの近代史とも言うべき背景のもとに、マタギの富治の人生を描いた。主人公富治の初マタギから始まり、オオグマとの死闘と生還まで、彼の生き様が描かれる。ひとの生と死は、生命の躍動の根源である性と自身の生き様である。自然と直面し、自然に関する知識に習熟しているにもかかわらず、かといって、山ことばをつかい精進潔斎をして、日常生活と隔絶した状況に追い込み、それを破ったから、山の獲物が捕れないといっては、荒唐無稽な儀礼を行う。そうした彼らは、自然とともに生きてきたし、また、死んできた。そんな彼らも、近代化の流れの中で、現金経済の中に巻き込まれて行く。山の資源を枯渇させるのも、彼らではある。
しかし、同時に、山の生活をやめるのを決断するのも彼らであった。主人公富治の最後のマタギ仕事も、若い頃の一途な恋愛と別れといった個人的な事情に端を発したとはいえ、マタギを続けるかやめるかは山の神さまに決めていただこうと最後の闘いに向かうのである。
世界自然遺産に指定された秋田の白神山地では、山で暮らしを立てる人々が、その指定によって山地に分け入る事ができなくなったと聞く。山人の生活が、近代化の中でいかに大きな影響を受けてきたか、最も厳しい環境の中で、バランスをとりつつぎりぎりの生活を成り立たせていたかれらの生活の最後の引き金を引くのが自然保護の思想であるとは。ユネスコの指定が果たして、どのあたりであるのか、エコツーリズムとのバランスでであるというのは実に微妙な話ではある。
そもそも、人類にとって自然は食糧を獲得のための資源ではあったし、その事は、今も昔も変わっていない。しかし、時にとりすぎて資源を枯渇させてきた事(大型動物の絶滅)も事実であろう。別の言い方をすると、人間の生活自身、自然のままにある事を常に回避してきた訳である。たとえば、病に伏せれば、薬を作り出してきたし、命を延ばすためには、何かと、知恵を働かせて自然に逆らってきた訳である。その意味では、人間は、反自然の存在と言わねばならない。
かといって、決定的な反自然であったのかと言って、少なくとも近代以前は、そうではない。自然の中で生かされている人間、自然を利用しつつも徹底的な破壊を小尾なう事のない人間であったはずである。自然との微妙なバランスのなかで、自然の稔り(獲物)を得てきたマタギ稼業の衰亡は、まさに、そうした背景に直結する。
今になって思うが、本書の主人公はマタギの富治ではあるが、同時に、はらませてしまい一子をもうけた地主の娘文枝と富治の人生と知らず知らずに交錯していた元娼妓であった妻のイクの生き様もまた、重要な語りとなっている。『懐郷』とともに読み進める事を薦めたい。
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