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スモークサーモンと辛子明太子のちらし寿司、ダイコンとがんもどきの煮浸し、ひじきの煮物

[昼食]自宅、全粒粉素麺で冷素麺、納豆ととろろ、出汁に加えて

スモークサーモンと辛子明太子のちらし寿司:要は酢飯を作って、その上に錦糸卵とキュウリの千切りをちらし、別の皿にスモークサーモンと辛子明太子をおいて、好みで食べるということ
ダイコンとがんもどきの煮浸し
ひじきの煮物:芽ひじき、一袋を戻してしまったので結構な量になったとは家、用意したニンジン一本の千切り+鶏ももひき肉+薄揚げ+干し椎茸を戻して細く切ったものの量を考えると、ちょうどよかったかと。しいたけの戻し汁+合わせだしの戻し汁+日本酒+ナンプラー+濃口醤油+赤とうがらし小口切り

2024-06-02 21:00:38 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『失われたドーナツの穴を求めて』

 
面白かったが、読み始めたときから、動物はドーナツではないか、動物の話(生物学)はいつ登場するのかと読み進めていた。ところが、なかなか動物の話は出てこなくて、最後の最後に編者の一人の奥田太郎の「ドーナツの穴は存在するのか」の文末に登場していた。以下にその段落を引用しておく。

思えば私達は、産道という穴から生まれ、墓場という穴へと死にゆく存在である。また、私達は、食道という穴から食物を入れ、胃腸という穴でそれを消化・吸収し、肛門という穴から排泄をして生きている。ドーナツの穴に私達が見せられるのは、穴なくしては存在し得ないという私達自身の存在論的要請に促されるがゆえなのかもしれない[同書 p.207]。

そこにあえて異論を唱えるものではないが、若干補足しておきたいと思うのだ。奥田は食道、胃腸、肛門という穴をならべているが、口は穴とは呼びたくなかったのだろうか。どういうわけか食道から「穴」を始めている。なんでかな?
さて、生物の発生の機序から見ると口から肛門に至る「穴」は、受精卵が細胞分裂を始めて陥入を起こして細胞が三胚葉に分かれる段階で形成される。口から肛門に至る「穴」を構成する細胞は中胚葉由来であり、生物の外部を覆う皮膚細胞等は外胚葉由来であり、その間を充填する細胞(骨格や内臓や筋肉等)は内胚葉由来である。卵子が精子によって受精してから「個体発生は系統発生を繰り返し」単細胞から細胞分裂を繰り返してあるステージで陥入をおこし三胚葉になると人体はドーナツと化すのだ。動物は外部栄養を摂取することによって生存可能になるが、体内に形成された内胚葉由来の消化管という「ドーナツの穴」=外部から、内部に栄養を吸収することなしには生存できない。
本書で追求されるドーナツの穴に関する議論の重要なポイント、ドーナツの穴は食べることができるのか、あるいは、ドーナツとドーナツの穴の関係性(たとえば、ドーナツを食べ終えるとドーナツの穴も消滅する、まるでチェシャ猫のようなニヤニヤをのこして)についての議論に、この生物の発生からみた議論を加えると良かったと思うのだ。消化管というドーナツの穴は外部であって体内にある外部からいかに異物である食物に含まれる生存に必要な栄養を、吸収するかというのが生物の生存に関わるのであって、奥田の論の5節のタイトル「ドーナツの穴はドーナツに依存している」は「ドーナツはドーナツの穴に依拠している」と書き改めてはいかがと思うのだ。つまり、「ドーナツである人体にとってドーナツの穴は必須であってドーナツの穴なくして、ドーナツなし」、あれ、結論はやっぱりいっしょだったかな?!



2024-06-02 14:17:21 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )