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Lake Griffin
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映画「林檎とポラロイド」

 

本作品はギリシャ人の監督によるギリシャ語の作品(2022年放映、原作は2020年、原題はΜηλα、林檎)だ。自己を喪失した人物の物語で不条理映画のように見えるが、様々な見方もできるだろう。状況としては、社会に記憶喪失者が増えていて、作品のシーンでは1960年代前半のツイストや楽曲が登場するので、その時代についてのギリシャ社会を背景としているということかもしれない。以下、ネタバレなのでご注意を。とはいえ、ネタバレの以下を読んだところで、おそらく筋を追う作品ではないから、人によって考えるところはべつだろう。だから、気にしなくても良いかも。

記憶を失いバスの終点で発見された男。名前もどこから来てどこに行くのか、記憶がないが言葉は覚えている。バスの運転手の通報により、病院に送られた。彼を示す所持品はなく、住所も覚えていなかったが、りんごが好きというのは覚えていた。親族が迎えに来ることがなく、病院での人生発見プログラムに誘われる。

町の一室に送り届けられた男はひとりでで生活を始め、テープの指示に従いなにか行動を起こし、その様子を写真に撮ることが求められる。最初は自転車に乗ることだった。

次の指示は、大勢と交わるという課題で男はコスプレのグループに交わり、宇宙飛行士に扮する。次は、女性と仲良くなり一緒に踊れた。ストラップ劇場に行きストリッパーと踊る。街角のテレビで、キスシーンを見る。料理をこなし、様々なシーンを写真に撮っていく。公園で、犬のマルーに出会いその名前を覚えていた。記憶の蘇りの一歩。

映画館では同じようにポラロイドを撮る女性に出会う。同じ記憶喪失者で同じプログラムに参加しているようだったが与えられている課題は、男よりもさきにすすんでいるようだった。彼女と部屋を行き来し、彼女の行動に付き合うようになる。たとえば、郊外にドライブに出かけ事故を起こしてその脇で写真を取って帰るといったような。男は女性の課題を追いかけるように作品は進む。

男は病院で死期の迫る人に寄り添い、葬送を見送るという課題が与えられる。男性老人は娘に付き添われているが、男は毎日見舞いに行くようになる。ある夜、老人に妻は?と問われ、死んだとこたえる。これがふたつめの記憶の蘇りだった。翌日、老人と約束した焼き菓子を携えて病室を尋ねるが、もうすでに亡くなっていてベッドはからになっていった。葬式を遠くから眺めるうちに涙がうかび、妻のAnnaの墓に花束を持って尋ねる。これがみっつめの蘇り。最後に自宅のことを思い出す。鍵は無いがなんとか部屋に入ることができ、部屋を片付け、腐りかけた林檎の中から無事だったものを食べるシーンで終わる。

人間の記憶というのはなんだろう。記憶喪失というのと失語というのは違うようにおもう。だから、本作品の中でも言葉の意味が失われているわけではないように思う。

最近、自分自身歳のせいかだんだん固有名詞を思い出すのが、時間がズレてしまうことが多くなった。しばらく経って、ふと思い出すので、きっとどこかに記憶がのこり、蘇りを待っているのかもしれない。また、友人と昔話をしたりしていると、記憶違いのことに時々気がつく。記憶というのはある種都合のいいように改変して記憶しているのかとも思う。

 

2025-01-30 15:24:39 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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