先日、約5年ぶりに石城山の神籠石を中心とした史跡巡りをしました。友達の一人が神籠石をより知りたいとのことで案内兼解説をしました。その友達は、石城山へは行ったことはあるが神籠石を全て回ったことが無いとのこと。まずは駐車場に車を止めて歩き始めました。石城山で一番高い高日峰(362m)に行きました。そこには祠があります。高日峰から降りると神籠石東水門に行きました。
神籠石は、戦国時代の石垣とは組み方が異なっています。かつては神域との境界を示す石垣、つまり神籠石と考えられていました。しかし、考古学的な調査の結果朝鮮式山城であることが分かっています。
石城山の苔むした神籠石の北水門にて
私が好きな場所は東水門と北水門がある神籠石です。共に高く積み上げられた石垣が見事です。今から千三百年位前に積まれた石、どのようにして積まれたのか謎です。この石城山の神籠石は完成を待たずに放置されました。未完成の理由は、朝鮮半島での戦いで倭と百済が負けた後、唐と新羅が攻めてくることが無くなったからだと言われています。元々この神籠石は、唐・新羅からの防御を目的として建築されたからだとか。
高日峰(362m)の祠 神籠石の東水門 神籠石の西水門付近
東水門、北水門、そして西水門を歩きました。途中に崩れた石垣が数か所ありました。また扉を開け閉めするための左右の柱の軸を置く沓石を見ました。以前柳井市で神籠石の解説を聞きに行ったことがあります。その時、石城山の神籠石が未完成だった証拠として沓石の説明がありました。沓石には本来扉の軸を置く穴があるはずなのが無いことがその証拠とのこと。石城山の神籠石が完成していればもしかして日本書記に記載されたかも知れません。
東屋跡から周防灘を望む 土砂に埋没した南水門
神籠石を案内して唯一残念だったのは、神籠石の中で一番立派で大きかった南水門が土砂で埋没していたことです。60年位前私が中学生だった頃、南水門の穴に入ったことがあります。左右に水流を誘導する岩が置かれていました。流水が多かったのでしょう。こうして神籠石について歴史解説しながら案内しました。お疲れさまでした。
石城山の神籠石を回りながら案内したルート