東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

収穫した小豆の脱鞘と唐箕選

2015年02月13日 | 野菜:豆類ほか



 去年12月に収穫した小豆を、鞘から外し唐箕で風選してゴミを取りました。最初に小豆を鞘から外すのですが、去年はくるり棒でたたいて脱鞘しました。今回は、収穫量が少ないため足で踏んで外しました。小豆の鞘を袋に入れて足で何度も踏みました。踏み終わると、袋から箕に移しました。。そして、網で濾すようにして小豆と鞘を分離しました。

    鞘ごと小豆を踏む        袋から箕に移す        網で小豆と鞘を分離
  

 小豆と鞘を分離しても、小豆には細かなゴミが混じっています。そこで、唐箕を使って小豆とゴミを選別します。その昔、私の祖母は箕だけを使って選別していました。風が吹くときに箕に入れた小豆を下に敷いたムシロに少しずつ落とすのです。重い小豆は足元に、軽いゴミは遠くに飛ぶのです。この方法は、風が吹かない日や雨の日には使えません。このような時、唐箕があるととても便利です。家の中でも小豆とゴミを選り分けることができるのです。今でも使えるとても便利な農具です。

                  唐箕を使って、小豆とゴミを選り分ける


 ゴミが完全に取れるまで、数回唐箕選を繰り返します。最初は弱めに風から始め、だんだん強めの風にします。弱めの風で軽いゴミを、強めの風で重いゴミを取り除くようにします。このようにして、小豆だけを選別します。

   小豆を唐箕に投入       唐箕に入れた小豆       送風機のハンドルを回す
  

 唐箕でほとんどゴミを取り除くことができました。しかし、どうしても取り除くことができないものがあります。それは、変色した小豆,虫に食われた小豆,形の悪い小豆などです。これらは食べるのに適さない小豆です。そのような小豆は、一粒一粒指でつ摘まみ出します。
 今回収穫した小豆は、播種が遅れたため収穫量は多くありませんでした。しかし、ぜんざいを作るのには十分の量です。この27日、この小豆を使ってお汁粉を作り、みなさんに食べてもらうつもりです。去年作った水羊羹の要領で作ろうと思います。

             変色した小豆、虫に食われた小豆などを摘まみ出す

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ピロリ菌検査と秋葉原の買物散策

2015年02月12日 | パソコン,電子機器

 30日はピロリ菌の検査です。早朝、起床すると家の周りが雪化粧していました。昨日は晴れていたのに、驚きの変貌です。積雪10cm位でしょうか、車は雪を背負って重そうでした。家の前を通る車の、何台かがタイヤにチェーンをつけていました。今回、雨に強いウォーキングシューズを履いて東京に帰ったのは正解でした。雪を踏みしめながら病院がある中央線JRお茶の水駅に向かいました。

               家の周りはすっかり雪景色 積雪約10cm


 2ヶ月前にピロリ菌を退治する薬を飲みました。今回の検査で、ちゃんとピロリ菌が退治されているかを確認します。薬を飲んだ後、しばらくして小さな袋に息を入れました。この息の中にある成分を分析することによって、ピロリ菌が退治されているかどうかが分かるそうです。
 検査は30分位で終わりました。10日後に検査結果が郵送されるそうです。もし退治されていなければ、再度退治する薬を飲むとの事です。病院傍の食堂で昼食を済ませ、秋葉原に向かいました。

   JRお茶の水駅           お茶の水駅通り       検査を受けた三楽病院
  

 病院から秋葉原には歩いて行きました。神田川沿いに歩きましたが、都心では雪はそれほど積もっていませんでした。雪混じりの強い風が吹いていました。
 神田川の堤防沿いの手すりにたくさんのカモメが休んでいました。いつもは元気に空を舞っていますが、今日は静かに休んでいました。いかにも寒そうに、眼を細めてじっとしていました。秋葉原のカモメは、人が近づいても逃げないようです。人がいじめないのでしょう。近寄って見ると、一羽一羽の顔に違いがあるのがよく分かります。

             神田川の堤防沿い堤防の手すりで、じっとしているカモメ


 秋葉原に着くと、最初に秋月電子に行きました。ここで購入したのは小型ICアンプ組立てキットとイルミネーションLEDです。平日で雪混じりの強風だったせいか、いつもよりお客が少ないように思いました。そのため、今回はじっくとり店内を見ました。続いて、ラジオデパートなどに行って電子部品を購入しました。あちこちをぶらぶら散策しました。

      秋葉原では必ず行く秋月電子        人通りが少ない秋葉原の通り
 

 秋葉原で購入したのは下画像のような部品です。A:小型スピーカー,B:並四コイル,C:五球スーパーコイル,D:トランジスタ用トランスなど,E:OSCコイル,F:イルミネーションLED,G:SW付き電池ボックス,H:小型ICアンプ組立てキットです。これらの部品を使って、私が中学高校の頃に作ったラジオなどをもう一度作ってみようと思います。これまでもっぱらラジオなどを修理をしてきましたが、作るのもよいかなと思っています。

                 秋葉原で購入した電子部品の数々

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我家の裏山、椎茸(しいたけ)栽培用の原木を伐採

2015年02月11日 | 樹木,果樹

 去年は、1月に椎茸用の原木を伐採しました。今年は、遅れて2月になりました。形が悪くて病気にやられているかも知れないコナラの木を伐採しました。根元がやや黒いうえに、幹にあちこち瘤があるので病気だと分かります。今年は、健康な原木を残して病気を持っているような原木を伐採することにしました。

    伐採に使用する道具       倒す方向にロープ        倒す方向に横Vカット
  

 原木の近くにはいろいろな木が生えています。うまく切らないと、倒れるはずの原木が他の木に寄りかかり倒れません。一昨年のことですが、倒れるはずの原木が他の木に寄りかかり倒れませんでした。数日後、ウィンチで引っ張るなどしてなんとか倒しました。その作業は大変でした。その失敗以降、ちゃんと倒すように心がけています。目的の方向の確実に倒すため、今は必ず手動ウインチを使っています。

                倒したい方向に手動ウインチでぐいぐい引っ張る


 私が木を倒す時に使う道具は、チェーンソー,保護メガネ,手動ウインチ,ロープなどです。あと、レンガを使います。ロープにレンガを結び付け、高い枝に向かって投げるのです。原木のなるべく高い位置にロープを結び付けたいからです。ロープを結びつけた後、倒したい方角の根元を横Vカットに切ります。そして、手動ウインチを使ってロープで倒す方向にぐいぐい引っ張るのです。

     倒す側と反対側を切る                  倒した原木、樹齢26年
 

 今回倒した木は、私が16年前に巣箱を取り付けた場所近くです。16年前と言うと、私が大手電機メーカーのコンピュータ部門でバリバリ働いていた頃です。40歳中頃のことです。今後16年前のように、巣箱をたくさん作って木々に取り付けようと思います。そして、小動物が生活しやすい山を作りたいと思っています。
 倒した原木は1ヶ月ほどそのままにして乾燥します。そして、1ヶ月後頃に椎茸菌を接種しようと思っています。倒した木の根元は、ひこばえが生えます。来年の春、ひこばえを1~2本程度に間引きします。すると、また10年後頃に原木として使えます。椎茸作りは10年ごとのリサイクル農業なのです。

           倒した椎茸用の原木、1ヶ月間干した後に椎茸菌を接種

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歯医者,脳ドック,そして大学セミナーハウス近辺を散策

2015年02月10日 | 歴史探訪他ウォーキング

 大腸内視鏡検査の次の日は、歯医者と脳神経外科に行きました。最初、JR八王子駅北口近くにある歯医者です。前歯の付け根を削って薬を入れました。あの歯を削るドリルのキューンという音は、いくつになっても嫌なものです。数日後、同じ歯医者に来ることになりました。歯医者が済むと、駅の北口を少し散策しました。天気が良かったため、空が真っ青でした。

                    JR八王子駅北口のビル街


 続いて、野猿峠にある野猿峠脳神経外科医院に行きました。最近、頭痛がすることが多いための診療です。いろいろ症状を説明すると、MRIで検査することになりました。ドーナツ状の機械の中に入ると、10分位でしょうか頭上でキンキン音がしました。検査の結果、脳に異常は見当たらないとのことでした。姿勢がやや悪いので、首の付け根の筋肉が常に緊張状態になることが頭痛の原因ではないかとの事でした。少なくとも、脳みそや血管に異常がないことが分かってほっとしました。

    野猿峠脳神経外科医院           近所の幼稚園バス    ここに古民家があったのに
  

 脳神経外科医院を出ると、周辺を散策しました。近くの幼稚園や送り迎えのバスを横目に大学セミナーハウスに向かいました。セミナーハウス前に、茅葺きの古民家があったはずなのですが無くなっていました。セミナーハウスの方に聞くと、四国のある会社に売ったそうです。古民家の管理費を捻出できなかったため売り出したそうです。ここでお茶会などをしたのに、本当に残念!
 セミナーハウス近くを歩いていると、突然私の名前を呼ぶ声がしました。振り返ると、3年前まで私が勤めていた病院の看護婦Nさんでした。犬の散歩途中とのこと。彼女の娘さんも、私の娘と同様に外国人と結婚しました。今は、孫が2人いてとても賑やかだそうです。彼女は九州出身で、若かりし頃に山ガールでした。そのためか、病院勤務中に私と比較的話が合いました。立ち話でしたが、30分ばかり病院などの話で盛り上がりました。この夏、病院の盆踊りにでも行ってみようかと思います。

          逆ピラミッド型で、今にも転がりそうな大学セミナーハウス管理棟

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田布施町郷土館 江良碧松,種田山頭火,久保白船の周防三羽ガラス展を開催中

2015年02月09日 | ふるさと

 一昨日、小学校の生徒さん達が郷土館に勉強しに来ました。今回は、古い民具についての学習です。私は、10人ほどの生徒さんを担当し、古い民具について解説しました。私が子供の頃、どの農家も牛を飼っていて農耕用に使役していました。その農耕牛についても詳しく解説しました。その話を子供達は不思議そうに聞いていました。今の子供にとって、農耕牛は歴史の一つでしかないのでしょう。どの生徒さんも私が説明した内容をきちんとメモしていました。

 手前は種田山頭火、向こう側は久保白船           江良碧松の作品など
 

 郷土館では今、江良碧松,種田山頭火,久保白船の周防三羽ガラス展をしています。今日、江良碧松の5男さんと親戚の方々が展示を見るために来館されました。5男さんのお話では、碧松に厳しく農作業を躾けられたとのことです。私も、子供の頃に稲刈りや薪つくりなどを毎日手伝いました。昔の父親は厳しかったものです。昔の子供に比べて、今の子供は躾けが緩いように思います。

           来館された江良碧松の5男さんとその親戚の方々他


 展示されているのは、自由律俳句で周防三羽ガラスと呼ばれた、江良碧松,種田山頭火,久保白船に関わる作品などです。江良碧松の句が刻まれている三ヵ所の石の句碑の説明や、萩原井泉水が明治44に創刊した句集「層雲」の数冊も展示しています。また、昭和49年のNHK放送「土と俳句・江良碧松の世界」の映像を見ることができます。今日は、12名の方が来館されました。

   自由律句集「層雲」    3ヵ所の石の句碑の説明          碧松に関わる本の一部
  

 郷土館は今、外壁修繕工事中です。今日は、足場の仮設工事でした。そのため、車での出入りが不自由になりました。普通の自家用車ならば数台程度はOKなのですが、バスは工事が完了するまでは入れなくなります。館内で仕事をしていると、ゴリゴリとすごい音が響いてきます。2月中は騒音に囲まれます。建物を末永く安全に使えるようにするための大切な工事です。

                足場を仮設した郷土館の煙突部と北壁部

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医療機関で検査後、八王子市内をのろりと散策

2015年02月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 前日の制限食やお薬でお腹の調子が悪いまま大腸内視鏡検査を受けました。検査を受けるクリニックはJR八王子駅の北口にあります。朝9:00にそのクリニックに行きました。すると、11:00頃まで長々と苦行でした。1.0Lほどの苦い水と、その苦みを紛らわすために0.5Lお茶を1.5時間ほどかけて飲み干すのです。

    JR八王子駅南口       賑やかな八王子駅北口    検査を受けたクリニック
  

 本来ならば午後1番に検査開始だったようですが、順番が早まって午前中の検査となりました。時間になると、検査をする部屋に入ってベッドに仰向けになりました。そして、何らかの注射をしました。驚いたことに、いつの間にか寝てしまったのでしょうか?気がつくと検査が終わっていたのです。おそらく注射の成分に麻酔のようなものが入っていたのでしょう。痛みも何もありませんでした。あっけなく終わってしまいました。

                   大腸内視鏡検査後、近くの福伝寺をお詣り


 検査後しばらくして医師との面談がありました。すると、大腸にポリープがあったため切除したとのことでした。そして、切除した傷口を直すために一週間ほどお薬を飲むようにとのことでした。10日後に今回の検査結果を送るとのことでした。やれやれ、こうして大腸内視鏡検査が終わりました。しかし、苦い薬を飲み続けたためか、しばらく舌の感覚が変でした。

  子安神社の縁結びお札    交通安全の護符を購入      池の鯉に給餌
  

 クリニックを出ると八王子市内を散策しました。最初に行ったのは福伝寺です。そして、その隣にある子安神社も参拝しました。この神社には普通のおみくじの他に、縁結びのお札があります。ハート型に切り抜かれた板に願いを書くようです。良縁を得たい人や恋人が欲しい人がお祈りするのでしょう。今さら縁結びと言われても、私には過去の話なので見るだけにしました。

      子安神社の鳥居                 市守神社,大鳥神社の鳥居
 

 子安神社を出ると、市守神社,大鳥神社に行きました。その頃になると、お腹がすいてきたたため中華料理店に行きました。チャーハンを注文したのですが、味覚が回復していなかったためか美味しくありませんでした。そこで、今度はアイスクリーム店に行って思い切り甘いアイスを注文しました。すると、やっとのこと美味しい味を堪能できました。いつも味のことは無頓着の私ですが、この日ばかりは味覚の大切さを知りました。

   お昼のチャーハン        1回目のお薬を飲む       甘ーいアイスクリーム
   

コメント (3)
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八王子市 堀之内周辺ウォーキング(3/3)

2015年02月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 北八幡神社を出ると、次に保井寺に行きました。行った理由は、新選組の一隊員のお墓を見るためです。その隊員は斉藤一諾斎(いちだくさい)です。あまり有名ではない新選組隊員です。その理由の一つは、幕府が鳥羽伏見の戦いで敗れて以降に入隊したからではないでしょうか。

                        新選組斉藤一諾斎(いちだくさい)の墓地がある保井寺


 斉藤一諾斎は遅く入隊したため、あまり武功を立てることができませんでした。その後、彰義隊に入り仙台で降伏しました。明治7年に62歳で亡くなったそうです。同じ新選組隊員斎藤一(はじめ)とよく間違えられるとのこと。亡くなる前、この地域の寺子屋で教育にあたったそうです。

    斉藤一諾斎の墓       たくさんのお地蔵様       懐かしの寺芝会館
  

 その保井寺墓地の上の方に、ひときわ目立つ金毘羅供養洞があります。その供養洞前に、何故かワニの石像が2体置いてありました。その近くに説明板がありました。その説明を読んで初めて金毘羅の意味が分かりました。金毘羅は、インドにおいてワニの化身神(クンピーラ神)の漢字の当て字なのです。金毘羅がワニの化身神であることを、どれほどの人が知っているでしょうか。

                 堀之内芝原公園(通称:古墳公園)   


 続いて、寺芝会館前を通りました。15年前(2000年)に寺芝会館の広場で収穫祭を開催したことがあります。この頃は、住宅の開発前でしたので周りは畑ばかりでした。私は、もちをついたり、サンマを焼いたり、写真を撮るなどしました。子牛を連れてきて子供達に触れ合ってもらいました。今は広場も無くなり、なんとなくさびしい会館に変わっていました。

     堀之内芝原公園の頂上               人型モニュメント?の公園入口
 

 続いて堀之内芝原公園に行きました。この公園は、この地区で多くの縄文遺跡など出土したことに由来します。それを意識して公園化したのではないかと思います。公園の中央は、円墳を模しているように思えます。なお、この地域から出土した遺跡は多摩センター駅近くにある東京都埋蔵文化財センターに納められています。堀之内芝原公園を散策している頃、下剤薬のためお腹がグルグルしてきたため我家に帰りました。さて次の日は、大腸内視鏡検査です。

                 ウォーキングした八王子堀之内近郊

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八王子市 堀之内周辺ウォーキング(2/3)

2015年02月06日 | 歴史探訪他ウォーキング

 田んぼで少し時間をつぶした後、京王堀之内駅に向かいました。途中、堀之内寺沢里山公園にある管理棟に行きました。この公園付近はその昔自然が豊かだったのですが、20年位前に住宅開発のためすっかり自然が無くなってしまいました。管理棟は元々は茅葺き屋根の古民家だったのですが、公園化後の管理棟を立てるために壊さざるを得なかったのです。つまり補償金をもらうために古民家を壊したのです。趣のある古民家だったので、とても残念に思います。

    かつて古民家だった管理棟                管理棟の裏山を散策
 

 管理棟は寺沢里山楽友会が管理しています。その管理棟の裏山を散策してみました。すると、かつては自然がいっぱいだった山が巨大な団地に変わっていました。その団地、フェンスで囲まれて入ることができませんでした。この裏山を超えると中央大学に行くことができましたが、フェンスがあるため山を越えることができなくなっていました。仕方なく、元来た道を引き返しました。

                 龍生寺の阿弥陀堂、お地蔵様がたくさん安置


 管理棟に戻る途中に龍生寺阿弥陀堂があります。久しぶりにお詣りしました。田布施町にある薬師堂,毘沙門堂,そして阿弥陀堂などは施錠がしてありません。このため、自由にお詣りできます。しかし、東京近隣のお堂はしっかり施錠してあります。不逞のやからが多いのでしょう。格子を通してしか仏像を見ることができませんでした。

      八王子第5団の建物                 寺沢里山楽友会の耕運機
 

 阿弥陀堂の坂上には、かつて私が所属していたボーイスカウト八王子第5団の建物があります。寄ってみましたが、平日のため誰もいませんでした。この建物の前で、子供達を相手にいろいろな工作をしたり調理をしました。坂を下りて、管理棟に戻りました。そして、寺沢里山楽友会の耕運機置き場前を通りました。ここに置いてある耕運機2台のうち、ディーゼル耕運機を田植え前に借用したことがあります。

           北八幡神社から見下ろした、隙間が無いほどの巨大な団地


 耕耘機置き場を過ぎて、北八幡神社に行きました。20年位前でしょうか、この神社から北側を見ると山が削られて団地が造成されていました。そして、その造成に追われるように発掘が行われていました。その発掘現場は今、隙間が無いほどの巨大な団地に変わっていました。

     北八幡神社境内                    北八幡神社近くのお地蔵様
 

 この堀之内寺沢地区はここ20年でずいぶんと変わりました。かつて、この地域は酪農が盛んでした。酪農を主体とする農家や農地を保全する活動の支援をしたことがありますが、結局のところ地主さんなどの意見統一ができず失敗に終わりました。北八幡神社の北側に、都市住民と農家の間に緩衝地域を設ける計画もありました。しかしながら、開発圧力に抗することは難しいことでした。とは言え、私が田んぼや畑をしていた場所を含む広い地域が東京都指定の八王子堀之内里山保全地域として残ったのは成果の一つだったと思います。

                   ウォーキングした八王子堀之内近郊  

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田布施町 教育支援員スキルアップ研修会(東田布施小学校PTCA活動)に出席

2015年02月05日 | ふるさと

 東田布施小学校PTCAプロジェクトに関わる催物に出席してきました。その催物は、地域の子供達を育てる支援員などのスキルアップ研修会でした。そして、東田布施地域での子供達を育む活動の一部を見学しました。私が東京にいた頃に関わっていた、お米を作りそのお米を食べる体験泥んこ運動会,学童クラブ,わら細工や竹籠作り小動物保護活動などの活動に共通するものでしたのでとても良く理解できました。。

  グラウンドゴルフ用具      グラウンドゴルフ体験          囲碁教室
  

 主催者の挨拶が終わると、東田布施小学校PTCA(PTA + Community)の実際を見学することができました。最初にグラウンドゴルフに興ずる指導者と小学生達を見学しました。そして、初めてのグラウンドゴルフ体験させていただきました。ありがとうございました。年齢的なハンディが極めて少ない競技で、なかなか面白いと思いました。続いて囲碁教室に行きました。私が子供の頃、地域の方に将棋を習ったことを思い出しました。

      習字を教える地域の方              見学する参加者の方々
 

 私が小学生の頃はクラブ活動だけしかありませんでした。このため今回の催物に出席するまでは、田布施での子供達を育む地域活動がどんなものか具体的によく知りませんでした。スポーツセンターでよく行われているサッカーやバレーのように、学区を跨いだ活動のようなものなのかなとも思っていました。今回の参加で地域での活動の現状がよく分かりました。

                手芸を楽しむ小学生達、見学者の方々も興味津々


 その後、お習字,手芸,手品の教室を見学しました。その他にも教室があるようでしたが、今回は全てを見学できませんでした。今の時代、地域が積極的に子供達に関わらないといけないようです。この少子高齢化や情報化社会では、昔のように兄弟間で,友達間で,そして親子間などで遊びや伝統を伝えることが難しくなりました。私は、今のところ発明クラブや麻郷ふるさと会で子供達と触れ合っていますが、さらに何ができるか考えてみようと思います。

    楽しい手品教室          招き猫のお話           質疑応答など
  

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八王子市 堀之内周辺ウォーキング(1/3)

2015年02月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 3日東京から山口県田布施町に帰ってきました。平日でしたので、バス,横浜線,新幹線,そして山陽本線は混んでいませんでした。
 さて、東京に行った26日ですが、JR田布施駅で電車が来るまで駅掲示板に張られた田布施観光協会のポスターや「見て歩きマップ」を見ながら時間をつぶしました。その後、JR徳山駅から新幹線に乗り、横浜線に乗り、バスに乗って東京の我家に行きました。

  JR田布施駅の掲示板         JR徳山駅で乗った新幹線     10月以来の我家
  

 次の日は、大腸内視鏡検査のための準備の日です。苦い薬や決められた食事を取りました。家の中にいると飽きるため、近所をウォーキングすることにしました。最初に、我家近くにある御嶽神社に行きました。この神社は天文2年(1533)に建立された神社です。誰もいないこの神社で少しばかり日向ぼっこしました。

               天文2年(1533)に建立された御嶽神社


 続いて、私がよく世話をしたニンニク畑,私がお米を作った元田んぼ,そして何度も耕作した畑を見に行きました。元ニンニク畑は、山口県に帰る直前によく耕運機で除草しました。元田んぼは日当たりが良い田んぼでしたので、比較的多くお米が収穫できました。

    元ニンニク畑         ここで稲作(元田んぼ)   ポートレートを撮影した栗林
  

 続いて、栗林に行きました。10年位前、この栗林でkaさんのポートレート写真を撮影したことがあります。ある事業を始めるための、カタログ又はポスターにするための写真です。彼女は、小学生時代に院内学級に通うほどに、また今でも薬が手放せないなど健康がすぐれません。その後2,3度しか逢っていませんが、事業は成功したのでしょうか、病は再発していないでしょうか。少し心配しています。

  直径21cmに育ったトチ    久しぶりのKoさん      小学生と稲刈りした田んぼ
  

 栗林を過ぎると、私が10年位前に種から育てたトチの木を見に行きました。メジャーで測ると幹回りが21.3cmでした。まだまだ花を咲かせるほど育ってはいません。10年後には花を咲かせるような大木に育つといいのですが。

             里山田んぼクラブが管理している田んぼや山裾   


 トチの木の近くの田んぼで、多摩丘陵の自然を守る会のKoさんに偶然に出会いました。少しばかり談笑しました。今年も冬水田んぼをしているようです。次に、山口県田布施に帰る一年前の2011年に、小学生達に田植え草取り,そして稲刈りなどを教えた田んぼに行ってみました。この田んぼにやって来た小学生達は今、中学2年生のはずです。さらに奥に進んで、里山田んぼクラブのSiさん達が耕作している田んぼにも行きました。たくさんある田んぼを維持できず、一部は畑になっていました。自然を守るとは言ってみても、田んぼや山を維持管理するのは大変です。どの団体も会員の若返りに苦労しています。

                                  ウォーキングした八王子堀之内近郊

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田布施町 麻郷 戦時中の軍事物資保管所(通称:集積所)について

2015年02月03日 | ふるさと

 かつて第二次世界大戦時、田布施町麻郷に軍の軍事物質を保管する地域がありました。今の高塔地区と旭地区で、通称「集積所」と呼ばれていました。この集積所を作る時、この地域に住んでいた方々は全て追い出されました。海軍の回天基地が平生の田名に作られる頃です。また、今の平生の角浜北のジョイフルから田布施に伸びる真っ直ぐな軍事道路が作られる頃のことです。
 下の画像は、米軍が1946年に撮影した航空写真です。集積所の範囲や建物の配置がとても良く分かります。集積所の建物はどれも画一的でトタン屋根のようです。また、数も30軒以上です。これほど多かったことを初めて知りました。

             米軍が1946年に撮影した集積所 番号は建物の番号


 戦後昭和20年代後半に、当時の地名である藤尾,下山,そして惣田を分割したり合せたりして、今の高塔地区と旭地区ができました。高塔の名前は国木田独歩「帰去来」の高塔山から取ったことが分かっています。旭の名前は誰がいつ頃命名したのか分かりません。とにかく、かつての集積所の様子が分かりました。ちなみに国木田独歩が仮寓した吉見家があった地区は下山と呼ばれていたようです。なお、私の父親は建物(10番)を払い下げしてもらって住み始めました。

   高塔にかつてあった集積所の建物        建物(10番)の構造が良く分かる
  左:上画像の12番 右:上画像の10番        左:父親の叔母  右:父親

 

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サクランボ苗を植替え

2015年02月02日 | 樹木,果樹

 一昨年サクランボの苗を植えたのですが、サクランボが数粒しか実りません。そして、日陰のためか、ちっとも大きく育ってくれません。このため、さらに庭木2本を伐採して、その場所に植え替える事にしました。

               伐採前の庭木2本、左隣りの庭木は先日伐採


 元々サクランボは八王子に住んでいた時に木を植えていました。そして、毎年数粒のサクランボの実を収穫していました。そのサクランボの味が忘れられず、この田布施の我家にも植えてみたのです。田布施は暖地のためかサクランボは育たないのでしょうか。少なくとも、今植えている場所は夏に日陰になるため、日当たりが良い場所に植え替えることにしたのです。綺麗な花も咲くついでに美味しい実を収穫するのは贅沢でしょうか。

      根元をチェーンソーで切断            倒した庭(カイズカイブキ)              
 

 庭木を伐採すると、すぐに苗を植える穴を掘りました。そして、サクランボが植えてある山に行ってその小さな木を掘り上げました。植えた場所が良くなかったようで、あまり根が張っていませんでした。山からその苗を持って降りると、すぐに植穴に根を植えて土を被せました。今年来年の育ち具合を見て、ダメなようであればこの田布施に合ったサクランボを植えようと思います。あのサクランボの味をもう一度味わうことができたらと思います。

       植穴をスコップで掘る                苗を植えた後、土を被せる
 

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伐採した庭木でたきび、暖まるう!

2015年02月01日 | ふるさと



 先日伐採した庭木(カイズカイブキ)焼却するため、久しぶりにたき火をしました。最初段ボールを燃やして、だんだん大きな木や湿った木を燃やしました。庭木はまだ十分に乾いていませんがよく燃えました。寒い今の時期は、たき火に限ります。夕方、暗くなり始めた頃のたき火はとても暖まります。

                 たき火で燃やしている庭木(カイズカイブキ)

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