先日、大内弘直宝塔がある末兼邸にA君とEさんと一緒に出掛けました。末兼邸は今年の1月にも訪問したことがあります。10ヶ月ぶりの末兼邸です。今回は、この末兼邸を所有されている方の姉妹に案内していただきました。丁寧に案内していただいて感謝します。
末兼邸に向かう階段 末兼邸の母屋 門内に大内弘直宝塔
末兼邸を所有しておられるのは姉妹のお兄さんとのこと。現在97歳で施設に入所されているとのこと。戦争が終わって数年後、復員して日本に戻ってきたそうです。戦争で亡くなったとばかり思っていた父親が、復員してきた兄をみて豪泣したとのこと。妹さんが話してくれました。
左から、Eさん,末兼姉,末兼妹,A君
末兼邸を訪れて一番の収穫は蔵の扉が開いたことです。これまで開け方が分からなかったようです。私がその構造に気が付いて開けることができました。ライトを用意していなかったため、蔵の中は真っ暗でした。そのため、何があるか分かりませんでした。かろうじてスマートフォンのライトを点けると、手前に五段飾りのひな人形があることが分かりました。蔵の中にはいろいろと箱があるようでした。しかし、真っ暗なうえ、蜘蛛の巣がたくさんありました。そのため、ひな人形以外はよく分かりませんでした。
草に覆われた灯篭 トイレ横にあった手水石 大内弘直の宝塔
その数日後、私が郷土館に勤めている時に末兼の姉妹が来られました。そして、末兼邸で私が話をしたことに感謝しておられました。お土産をいただきました。2,3日後、お姉さんは東京練馬に戻るとのことでした。もう一度末兼邸で会うことのお話をして別れました。
開いた重厚な扉 蔵内にあった雛人形 母屋の不思議な玄関
11月史跡巡りウォーキングの下見をしました。晩秋になると肌寒い季節となります。そのため、だいぶ着込んで行きました。歩いていると暑くなるため、上着を脱ぐなどして体温調節しながらの歩きです。城南公民館に10時集合です。今回は、城南に詳しい二人に同行をお願いしました。
城南公民館10時集合 原地区付近を散策中 原地区に安置されたお地蔵様
最初に向かったのは原地区です。9月のウォーキング時、雨のため原地区と潤田地区をスキップしました。そのため、スキップした原地区に最初行き、続いて潤田地区に行きました。原地区に着くと、原地区集会所前を通り、道端に安置されたお地蔵様を見学しました。次に、県道に出て山陽本線のレール下をくぐり潤田地区に入りました。
妙福寺に到着、今回の下見は見るだけ
潤田地区に入ると、妙福寺に行きました。前回の下見時に妙福寺を訪れたため、今回は門を見るだけにしました。次に潤田地区中心部にある荒神様に行きました。集会所の西側に祠があります。続いて、潤田地区最奥区部にある薬師様のお堂に行きました。ここまでは以前下見したコースです。次に向かった西山地区は新規に下見したコースです。
潤田地区の荒神様 潤田最奥部へ向かう 薬師様のお堂
西山地区までは県道を通りました。しかし、県道はたくさんの車が通ります。交通上の危険があるため本番では薬師様のお堂まで行かないで、荒神様から直接西山地区に向かうことに決めました。県道をしばらく歩くと、西山地区に到着しました。
潤田を過ぎて西山地区に到着
西山地区に着くと、最初にしんま地蔵菩薩にお参りしました。このお地蔵様、かつては屋根がなかったそうですが、近年立派な屋根付きの小屋に安置されています。西山地区で一番大切にされているお地蔵様ではないかと思います。お昼休憩を西山地区集会所前でとりました。お昼休憩が終わると、西山地区の荒神様に行きました。石鳥居の祠と屋根付きの荒神様がありました。
しんま地蔵菩薩 屋根がある荒神様 荒神様の石鳥居
先日、親戚筋にあたる平生町弘中農園から電話がありました。ブラジルに住んでいる私の従弟(K.H 2012.4.22の人物I)の娘(次女K.J.Yさん)が来日しているとのこと。弘中農園に来るので、会わないかとのことでした。従弟は、私の母親の妹(K.M)の息子です。私が子供の頃に、平生町の大野に住んでいたのでよく遊びました。しかし、私が小学校2年生の時に一家でブラジルに移住しました。その時、少しばかり悲しかったことを覚えています。その従弟の娘の1人が来日していたのです。
従弟の娘と、弘中農園で 阿多田交流館を見学 実物大の回天を見学
詳しいことは知らないのですが、山口県とサンパウロの交流事業で来日しているとのこと。K.J.Yさんはブラジルで水泳のインストラクターをしています。そして今、山口県相生のプールでインストラクターをしています。来年2月に帰国するそうです。
弘中さんの車に乗せていただき、一緒に従弟達の思い出の地を巡りました。最初に行ったのは平生町にあるK家代々のお墓です。日本ではK家を継ぐ人はいなくなったようです。しかし、従弟はブラジルでしっかりとK家の名前を守っています。
K家代々のお墓をお参り テレビに出ていたしらとり稲荷を見学
続いて、従弟の母親の故郷である柳井市伊保庄の山近に行きました。この地は私の方がよく知っているため、私が主に道案内しました。従弟の母親が生まれ育った家は、今はありません。その家跡を私が案内し、家跡すぐ傍に住むN家を訪ねました。すると、従弟の母親の同級生がいました。その方は、従弟の母親のことをとても懐かしそうに話してくれました。山近を出ると、従弟の母親が子供の頃に毎日のように遊んだであろう伊保庄の海に行きました。弘中農園に戻った後、弘中さんと従弟の娘K.J.Yさんと別れ、私は家に帰りました。
従弟の母親(K.J.Yさんの祖母)が子供の頃に過ごした伊保庄の海を見るK.J.Yさん
上関の長島から室津に戻りました。途中、上関大橋を渡ってすぐの吉田松陰石碑を見ました。続いて、小方謙九郎の墓地を訪れました。次に高橋利兵衛の墓地を訪れようとしましたが、場所が全く分かりませんでした。地図上では展望台傍にあるはずなのですが、墓はおろか石柱さえありません。地図が間違っているのでしょうか。
稲荷神社より先に着いてしまった西方寺
高橋利兵衛の墓地を諦めて、室津稲荷神社に行くことにしました。常満寺近くから路地に入り室津稲荷神社に向かいました。ところが、行けども神社らしきものがありません。着いた場所は西方寺でした。稲荷神社よりも先に西方寺に着いてしまいました。そのまま、西方寺を訪問しました。西方寺の西側には民家が密集しており、その向こう側に海が見えました。
西方寺から西を見て 分かれ道のお地蔵様 稲荷神社の長い石段
西法寺から稲荷神社に行こうとして、再び道を誤ってしまいました。分かれ道のお地蔵様をどんどん進むと、なんと上関大橋に向かう県道に出てしまいました。結局元来た道を引き返すことにしました。すると、稲荷神社の石階段を見つけることができました。西方寺に着く前、この石階段を見落としていたことに気が付きました。やれやれ!
あちこち道を間違えたすえ、稲荷神社を参拝
稲荷神社に到着した頃、四代や蒲井などを訪れた疲れがたまっていました。そのため、次回じっくりこの稲荷神社を見ることにして、バイクを置いた道の駅に戻りました。その途中、お地蔵様を見たり、常満寺を見ました。
横から見た稲荷神社 日当たりが良いお地蔵様 上から見た常満寺
疲れた体でバイクに乗り、皇座山に登ってみることにしました。頂上近くにバイクを置いて展望台に行ってみました。以前寝転がることができた、展望台下はびっしりと草が生えていました。展望台自体も傷んでいました。
展望台から白雲稲荷大明神を見て がけ崩れで通行不能
続いて、尾根道を通って尾国方面に行って我家に帰ろうとしました。ところが、途中、がけ崩れで通ることができませんでした。やむなく元来た道を引き返し、室津に戻りました。疲れがピークに達したため鳩子の湯に浸って体を癒すことしました。お湯に入ろうとすると、なんとNちゃんがいました。ほぼ毎日のように鳩子の湯に来ているそうです。しばし、お湯に浸ると我家に向かってバイクを飛ばしました。
バイクで散策した上関の史跡とルート
7月に麻里府小学校で行われた藍染めに続いて、10月末に同じ会場で行われた藍染めに今回も参加してきました。前回は、植物の藍を知らない方々のために、私の畑で育てている藍を鉢植えにして持って行きました。そして、私は参加者の方々が藍染めを楽しんでいる姿を見守るだけでした。今回私も藍染めに挑戦してみました。
紡いだ毛糸をほどく 布を藍染め液に浸す 解いた毛糸も浸す
私が挑戦したのは、仕事の合間に羊の毛をスピンドルで紡いだ毛糸です。スピンドル1巻分の毛糸です。まず始めに、スピンドルに巻かれた毛糸をほどき、それが解けないように糸でしっかり縛りました。そして、藍染めをしている液の間に毛糸を静かに沈めました。
染めたばかりの毛糸を解く ビール箱に巻き付け毛糸を乾燥中
藍染め液に沈めた毛糸に液がまんべんなく浸み込むように何度もかき回しました。そして、しばらく液に浸したままにしておきました。時間が経った頃に毛糸を引き上げて、手袋をした手で絞ります。最初黄色だった毛糸がみるみるうちに真っ青に染まりました。染まった毛糸は、乾燥のためビール箱に巻き付けました。
藍染めを楽しんでいる参加者の方々
ところで、私は当日ミシンを持っていきました。藍染めをした布を使ってコースターを作る予定でした。しかし、ミシンの部品をうっかり忘れてしまいました。そのため、コースター作りは12月初旬に行われる。観光協会「おいでえ」のワークショップで実演しようと思います。
藍の葉を使った生藍染め 皆さんの藍染め作品、乾燥中
蒲井の次に白井田に行きました。山の道を越えてしばらく下ると、眼下に白井田の街並みが見えてきます。白井田は3月に訪問したため、今回は訪れませんでした。白井田から戸津(へつ)まで、今は幅が広い舗装道路ができています。しかし、私が初めて白井田に来た30年位前は今の道路を作るため工事中でした。
眼下に見下ろした白井田の街並み
30年位前、棚田の民俗に興味があり、戸津の棚田を調べていました。その頃、白井田と戸津の間の道路が新しく幅広くなりかつ舗装される工事中でした。戸津の西側の棚田は当時、放棄されつつありました。かつがつバイクを畔を通しながら、この工事中の道路にたどりついたのです。しかし、疲れのあまり出来立ての側溝にバイクごと落ちてしまいました。やっとの思いで側溝から這い出た思い出があります。
白井田から戸津方面を見て 海の向こうに小さく見える牛島
戸津に着くと、いったん戸津八幡宮入口で立ち止まりました。そこから直下の道を降りて報土寺に行きました。時間が無かったため本堂を見学はしませんでした。その帰り道に面白いお地蔵様を見つけました。お地蔵様の台座に水神と刻まれているのです。そして、その傍の蓋を開けると、なんと地下水槽になっていたのです。
戸津八幡宮の鳥居 戸津の報土寺 水神様と地下水槽
続いて竜宮社に行きました。大岩の隣にお社があるのですが、大岩とどんな関係があるのでしょうか。次に菅原神社に行きました。ここには上関城を築いた村上氏の子孫が奉納した灯篭があります。続いて、上関大橋を望む絶好の場所にある住吉神社に行きました。
大岩隣の竜宮社 灯篭がある菅原神社 竜宮社隣合わせの住吉神社
不思議な事に、住吉神社の南側、上関大橋に向かうように竜宮社の鳥居と祠があるのです。住吉神社と竜宮社に何らかの関係はあるのでしょうか。竜宮社でしばし立ち止まって上関大橋とその下を通る船を眺めました。
竜宮社の祠から上関大橋をしばし眺める
手回し式蓄音機は、ゼンマイがほどけるとだんだん回転力が弱くなって音が低くなります。また、ゼンマイの力はそれほど強くありません。そのため、SP盤の円周部分はどうしても音が低くなります。そのため、SP盤をまんべんなく鳴らそうとすると電蓄が必要です。しかし、手持ちの電蓄は故障して動きません。今回、その真空管式の電蓄を修理してみました。
ローラーのツルツルを取る 回転軸も少しばかり磨く
手持ちの電蓄が動かない理由は、数十年もの間にローラーの円周部がツルツルになっているからだと分かりました。つまりターンテーブルとローラーが空回りするのです。そのため、ゴム性のローラー円周部を磨いてみました。ついでに、モーターの回転軸も少し磨いてみました。すると、ターンテーブルが回るようになりました。やれやれ、直りました。以前は聞けなかったSP盤が聴けるようになりました。
すべてのSP盤が聴けるようなった電蓄
四代と蒲井の間に、とても狭い場所があります。北側には牛島が見え、南側には八島が見える狭い場所です。私はいつも、四代に行き来する時はここに立ち止まって景色を眺めます。今回は、晴れていたため牛島がよく見えました。残念ながら反対の南側は八島は見えるものの、四国は山陰しか見えませんでした。
四代から蒲井に戻る途中、北側に小さく見えた牛島
四代を出て蒲井に入りました。蒲井の海岸線通りを通っていると、六地蔵がありました。六地蔵は四代にもありますし、あちこちにあります。六地蔵の由来は何なのでしょうか。そして、六地蔵の隣にある屋根付きの地蔵尊は何なのでしようか。仏教と何らかの関わりがあるに違いありません。
六地蔵と屋根付き地蔵尊 海に向かって建つ祠 蒲井八幡宮の石鳥居
六地蔵を見学し終わり、再び海岸沿いを通りました。すると、今度は海を正面にした立派な祠がありました。蒲井八幡宮と何らかの関わりがあると思われます。しかしながら、周辺に誰もいなかったため由来など聞くことができませんでした。蒲井地区を通って感じたことは、ざっとですが、この地区も空家や壊れた家が多いようです。
蒲井八幡宮入口にある石柱 石柱を過ぎて、二つ目の石鳥居
祠を見学後、海岸線を東に向かいました。海岸の砂浜が終わるころ、石鳥居が見えてきました。蒲井八幡宮の石鳥居です。その石鳥居の前にバイクを置いて、お社に向かうことにしました。最初の石鳥居をくぐって進むと、二つの石柱がありました。さらに進むと、二つ目の石鳥居がありました。曲がりくねる石階段の道を上へ上へと登りました。
静かなたたずまいの蒲井八幡宮本殿
曲がりくねる石階段を登りきると、静かなたたずまいの本殿が見えてきました。この蒲井八幡宮は貴重な自然林の中にあります。境内横に「蒲井八幡宮樹林」の立て札が立っていました。暖帯の常緑照葉樹のすぐれた天然林とのことです。これを見て、光市の峨眉山照葉樹天然林を思い出しました。
蒲井八幡宮側面 大木を祀る祠 蒲井八幡宮入口に戻る
蒲井八幡宮は豊かな自然林に囲まれています。お社を回っていると、驚いたのかイノシシかタヌキが走って逃げました。また、大木を祀る祠がありました。林全体がもののけ姫のような雰囲気が漂っていました。蒲井八幡宮を見学し終わると、白井田地区に向かうことにしました。途中、蒲井地区を見下ろしました。10年位前わずかに残っていた田んぼが今、すっかり消えていました。
白井田地区に向かう途中、見下ろした蒲井地区の街並み
私の持っているスマートフォンに専用アブリを入れると、車のナビゲーターとして使えることを最近知りました。市販のナビゲーター装置よりは性能が劣るとは思いますが、車で遠くに行く時に役に立ちそうです。試しに車のダッシュボードを取り付けてみることにしました。
スマホを取り付ける機器 スマホを固定する機器 12V>5Vコンバーター
スマートフォンをダッシュボードに取り付ける機器とシガレット端子の12Vをスマートフォンの電源5Vに変換するコンバーターをお店で購入しました。両者共に、思っていたほどには高価ではありませんでした。
ダッシュボード固定機器 スマホを取り付け調整 スマホを固定
スマートフォンを車に取り付けて、試しに通勤に使ってみました。初めて知りましたが、音声案内機能もあるのですね。たかがスマホと馬鹿にできません。「300m先を左に・・・」や「一時停止してください。」などと、音声案内が出ます。10年位前のナビゲーター機器に近いように思いました。通勤程度では必要ありませんが、近隣都市に行くような時に役に立ちそうです。近々使ってみたいと思います。
車上で動作させてみたスマホのナビゲーター機能
四代八幡宮の石階段を降りると、四代の街並みの東側の道を登りました。初めて通る上り坂の道です。登っていると、東側に四代の街並みが見下ろせるように広がりました。その向こうを見ると、室津へと続く道が見え、その向こう側に皇座山が見えました。地図上では室津と四代は8km離れています。田布施と柳井の距離に相当します。
四代小学校跡地近くから見下ろした四代の街並みに
上り坂をどんどん登ると、四代小学校跡地に着きました。草が生えた階段上ると、校門とおぼしき石柱がありました。その石柱のそばに、四代小学校開校百周年の記念碑が立っていました。広いとは言えない校庭跡を歩いてみました。しかし、びっしりと生い茂った草が、歩く足の邪魔をしました。ここから下を見ると、四代の街並みがよく見えました。
四代小学校跡の校門 四代小学校校庭跡 勘場代官の墓地
四代に来た理由に二つ目は、上関勘場跡を見つけることでした。当初、四代八幡宮の近くにあるのではないかと思っていました。四代小学校跡からの下り道を通っていると、草むらに建つ上関勘場跡石碑を見つけました。四代中学校跡地が勘場跡だと分かりました。四代中学校跡地は今、浄水場となっています。
上関勘場跡石碑 四代中学校跡、今は浄水場 不思議な〇〇様の石柱裏
上関勘場跡を確認すると港に下りました。立話をしているお年寄りから、不思議な石柱の話を聞きました。四代では〇〇(〇〇が何だったか聞き漏らす)さまと呼ばれているようです。300年以上前に流れ着いた人を弔う石碑とのことです。石碑を建てるぐらいですので、高貴な方に違いありません。その石碑を間近に見ましたが、なかなか立派な石碑です、墓石のようにも見える石碑です。数年前に室津方面の方が拓本を取りに来たそうです。拓本を取ったのは、史談会か教育委員会ではないかと思われます。その後、その拓本の調査結果を四代の方々は聞いていないとのことです。何が刻まれていたのでしょうか。
四代の方々が、〇〇様と呼んでいる墓石に見える不思議な石碑
刃を新品に交換したチェーンソーを使って先日、Emさん宅の木を伐採しました。伐採と言っても幹だけが残された木ばかりです。最初に伐採したのは、中が空洞になっているもののかなり太い幹でした。倒す方向に切れ目を入れた後、反対側から深くV字型に切っていきました。少し汗ばみましたが、ほどなく幹が倒れました。かなり空洞が目立つ木でした。
空洞が目立つものの太い幹を伐採
Emさんによると、木を伐採する理由は犬小屋を新たに置くためだそうです。三本の幹を伐採しましたが、残りの二本は容易に伐採できました。ただ、どの木もまだ生きている木のようで、切っている間に湿り気でチェーン刃の回転が弱まるケースがありました。それでも時間をかけて切りました。そう言えば、来月はしいたけ用のほだ木にする木を伐採しなければなりません。
細目の幹を簡単に伐採 幹を根元ぎりぎりに切り詰め
久しぶりに良い天気でした。親戚と会う予定でしたが、先方から日付を変更したいとの電話がありました。そのため、一日暇になってしまいました。何故だか農作業はする気にならないため、久しぶりに上関方面の史跡を巡ってバイクで走ってみることにしました。バイクで走るには寒い季節に入ったため、着込んでいきました。
四代入口近くにある地蔵様 四代入口の祠 四代港近くの祠
最初に行ったのは長島の東端にある四代です。20年位前のことですが、四代に住んでいるお年寄りから栽培していた黍の種をいただいたことがあります。しかし今、そのお年寄りの家がどこにあったのか、すっかり忘れてしまいました。さて、四代地区に入る手前でお地蔵様を見学しました。そして、そこから数十m四代の街並みに入った場所に小さな祠がありました。しかし、近くに誰もいなかったため由来などを聞くことができませんでした。
六地蔵尊とお地蔵様 四代八幡宮の石階段 四代八幡宮の石鳥居
四代の港に着くと、バイクを降りてしばらく港を眺めました。天気がおだやかだったためか、景色までのんびりしているように感じます。歩き始めて最初。ある祠に行きました。横になった石柱で囲まれている祠です。港に面しているため、港,漁業,海運,または船に関わる祠ではないかと思われます。
四代八幡宮の本殿 四代八幡宮本殿の東側
その祠を過ぎて歩いていると、六地蔵尊が目に入りました。六地蔵尊の隣には大きめのお地蔵様が建物の安置されていました。これらお地蔵様の由来は分かりません。近くにいる人たちに聞きましたが、魚釣りに外部から来た人達ばかりでした。そのため、分からないとのことでした。
四代八幡宮の石鳥居,石階段,そして参道
続いて、今回四代を訪れた目的の一つである四代八幡宮に行きました。最初、入口が分からなかったため、海藻を干している方に聞きました。すると、指さしながら親切に教えていただきました。入口に着くと、緩い石階段が上に続いていました。その石階段を登りきると四代八幡宮です。四代八幡宮から四代の街並みがよく見下ろせました。また、五つの祠が並んでいました。いつの時代か、各地にあった祠を四代八幡宮にまとめたのでしょう。
境内に安置された五つの祠 四代八幡宮から見下ろした四代地区
今年は11月中旬に小麦の種まきをする予定です。そのためには、畑を十分に耕しておかなければなりません。去年は枝豆を収穫後に耕して小麦を種まきしたため、小麦の種まきが遅れました。小麦の種まき標準日である11月中旬までに、小麦の種まきをしたいと思っています。
枝豆の傍を耕耘機で耕耘 日差しを浴びながらのんびり耕耘
ところで、小麦の種をまく予定の畝傍には枝豆が育っています。枝豆の育ち具合を観察すると、鞘が黒くなっている枝豆がありました。8月に種を蒔いたので背は低いのですが、しっかりと豆ができていました。私が育てている枝豆品種は鞘が黒くなると、食べることができます。食べごろになったようです。近日中に枝豆パーティーを計画しようと思います。
育った枝豆の両側を耕耘機のロータリーで耕耘
西の寺子屋、去年は郷土館で石臼体験と亥の子体験をしました。今年は、藍染めを体験させることにしました。本格的な藍染めは無理ですが、藍の葉をそのまま使って染める生藍染めです。春に藍の種まきをして、苗を小学校の裏庭で育ててもらいました。その藍の葉を使って布を染めました。
藍の葉を千切る 葉と布をラップで包む 金槌で葉と布を叩く
最初、裏庭に出て子供達に好きな葉を選んでもらう予定でいました。しかし、あいにくの雨。事前に刈り取った藍を茎ごと部屋に持ち込みました。そして、好きな葉を選んでもらいました。小さい葉、大きな葉、虫食い跡がある葉など、その中から好きな葉を選ぶのです。
サランラップで挟んだ、葉と布をどんどん叩く
好きな葉を選ぶと、葉と布をサランラップで挟みました。サランラップで挟む理由は、藍の色が机などに転写しないためです。次に、金槌で葉の上からどんどん叩くのです。葉の繊維が崩れて葉の汁が布に浸みこむように叩きます。時々裏返しして、葉汁の布への浸透ぐあいを確かめながら叩きます。
羊の毛を伸ばすカード カードを使い毛を伸ばす 綿みたいになった羊の毛
葉の汁が均等に布に付くと、軽くサランラップを開いてアルカリ性の液を吹きかけます。そして、再びサランラップを閉じます。この状態で布が染色されるのを待ちます。染色させるまで時間がかかります。その間、子供達は藍染めに関わる三つの体験をしました。
一つは、羊から取った原毛を綿のようにふわふわにする体験です。カードと呼ばれるトゲトゲがついた櫛で漉きます。そして、羊の毛を綿のようにふわふわにするのです。
初めてのスピンドル よりを入れ少しずつ毛糸に ちょっと難しいかな
次に、藍染めをするための毛糸を紡ぐ体験です。スピンドルの呼ばれるコマのようにクルクル回る道具を使います。綿のようになった原毛を少しずつ糸状に伸ばしながら、よりを入れるのです。そして、スピンドルに巻き付けていきます。子供達には少々難しかったようです。
次に、絞り染めの体験です。染める前、布を糸で好きなように縛ります。ここで、びっくりしたことがありました。子供達は糸を縛れないのです。結んだり、きつく縛ることができないのです。今の子供は、紐を結ぶことを普段からしないのでしょう。チャックやボタンしか使わないからでしょうか。
今回は染めに関わるいろいろな体験をしました。貴重な体験になったでしょうか。
絞り染めの準備 絞った布を染める 染まった布をお披露目
東京から山口県に帰る前、今は亡き父親が購入したチェーンソーを使用していたことがありました。父親はチェーンソーを購入したものの、その使い方がよく分からなかったようです。私は東京でよく使っていたため、容易にエンジンをかけて木の伐採をしました。その時使ったチェーンソーを今でも使っています。しかしながら、何度も刃を研ぎながら使ってきました。さすがに刃が擦り減って、切れ味が悪くなってきました。
刃を交換するチェーンソー ハンドガードの取り外し スプロケットカバー
の取り外し
これまで何度か刃を交換しようと思いましたが、時間がなくてなかなかできませんでした。先週、Emさんにさつまいもの収穫を手伝ってもらいました。その時、Emさんの家傍の木を伐採する約束をしました。そのため、このさい新しい刃に交換することにしました。朝、DIYのお店で新しい刃を購入しました。
擦り減った刃の取り外し 新品の刃を取り付け
チェーンソーの分解はお手の物です。ハンドガードやスプロケットカバーなどをさっさと取り外しました。すると、特徴的な形のクラッチが見えてきました。このクラッチの裏側を通っている古い刃を取り外しました。そして、同じ場所に新品の刃を通しました。
新品の刃をガイドバーに取り付け
新品の刃をガイドバーに取り付けると、テンションを最適にしました。後は、分解したのとは逆にスプロケットカバーやハンドガードなどを取り付けました。そして、チェーンソーオイルと混合ガソリンを充填してエンジンをかけました。エンジンがかかると、しばらく暖気運転した後にチェーンを回してみました。すると、シュルシュルとチェーンが小気味よく回りました。これで刃の交換が完了です。
ハンドガードを元のように固定 ガイドバーを最適に調整して固定
刃を交換後、古い刃と新品の刃を比較してみました。刃は時々ヤスリで磨きます。そのためか、長い間に擦り減ります。少しずつ減っていたので、これほど擦り減っているとは思いませんでした。新しい刃に交換する時期が来ていたのです。このチェーンソー、今後もしいたけ用の木や庭木などの伐採に活躍してくれそうです。
だいぶ擦り減っていた古いチェーンソーの刃