各種媒体で取り上げられていますが、東日本大震災から今日で10年。
あの日。ブログにも記載していますが、東京・八丁堀勤務で事務所にいる際に地震発生。
電車の多くは止まってしまいましたが、スーツ・革靴で八丁堀からふじみ野まで走って帰りました。
この経験から東京勤務中は履き古したランニングシューズとランニングウェアを机の足元に常備していました。
計画停電で電車本数も減り、出社できずに自宅待機した日もありました。当時はリモートワークできませんでした。
現在は自宅でも事務所とほぼ同等レベルで業務ができると大きく変わったなと感じます。
大地震からもう10年経ったのかと思うと同時に、
現在の被災地の映像を見るたびに整備されたと土地に人々が戻っていなくて空き地が多いことに目が行きます。
発生後半年経過したころからたびたび東北地方へ伺い、地震と津波の恐ろしさを感じました。
陸に打ち上げられた船を見てそのすさまじさをまざまざと見せつけられました。
少しでも復興につながればとわずかながら食べたりお土産を買いました。
2014年に福岡に転勤してから全く東北へ伺えていないのですがまた機会があればと考えています。
あの時に感じた「災害への備え」について今きちんと対策できていますか?と自分に問うても
恥ずかしながら答えは「まだまだできていません」です。
会社が準備してくれた事務所・営業車用の備蓄品。
自宅には水、加工食品少々とお菓子たくさんのストックはあります。(水は非常時用ではなくて走るときのため用なんですが)
今は事務所と自宅が徒歩30分。何かあればすぐ帰ることができる距離です。
でも災害が起きたとき、必要なものを持って逃げだせますか?
食器棚や洋服ダンスは倒れないようにしてはいませんし。
改めてこの機に防災・災害時避難などについて考えたいと思います。
家を出る前にすることは?
どこに逃げるの?
何をもっていくの?
連絡はどうするの?
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あの日。ブログにも記載していますが、東京・八丁堀勤務で事務所にいる際に地震発生。
電車の多くは止まってしまいましたが、スーツ・革靴で八丁堀からふじみ野まで走って帰りました。
この経験から東京勤務中は履き古したランニングシューズとランニングウェアを机の足元に常備していました。
計画停電で電車本数も減り、出社できずに自宅待機した日もありました。当時はリモートワークできませんでした。
現在は自宅でも事務所とほぼ同等レベルで業務ができると大きく変わったなと感じます。
大地震からもう10年経ったのかと思うと同時に、
現在の被災地の映像を見るたびに整備されたと土地に人々が戻っていなくて空き地が多いことに目が行きます。
発生後半年経過したころからたびたび東北地方へ伺い、地震と津波の恐ろしさを感じました。
陸に打ち上げられた船を見てそのすさまじさをまざまざと見せつけられました。
少しでも復興につながればとわずかながら食べたりお土産を買いました。
2014年に福岡に転勤してから全く東北へ伺えていないのですがまた機会があればと考えています。
あの時に感じた「災害への備え」について今きちんと対策できていますか?と自分に問うても
恥ずかしながら答えは「まだまだできていません」です。
会社が準備してくれた事務所・営業車用の備蓄品。
自宅には水、加工食品少々とお菓子たくさんのストックはあります。(水は非常時用ではなくて走るときのため用なんですが)
今は事務所と自宅が徒歩30分。何かあればすぐ帰ることができる距離です。
でも災害が起きたとき、必要なものを持って逃げだせますか?
食器棚や洋服ダンスは倒れないようにしてはいませんし。
改めてこの機に防災・災害時避難などについて考えたいと思います。
家を出る前にすることは?
どこに逃げるの?
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