すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

教師であることを支える

2008年02月25日 | 読書
 池田修先生の著した『教師になるということ』(ひまわり社)を読んだ。
 単純だが、書名が「教員」ではなく「教師」になっていることは、とても大切だろう。
 その違いについて記している箇所などはないが、1章に「一つ、きちんと押さえておきたい事柄があります」と宣言されていることがある。

 教育はビジネスではない

 ビジネスの世界から仕事術や上達論を学ぶことは多い。
 しかし、教育そのものをビジネスととらえることは、まさに陥穽のようなものであり、自分を見失う気がする。
 人事評価や免許更新制度の導入が身分や報酬と絡んでくる気配もある。そうなれば自問する時がくるかもしれない。自分の労力の対象となる利益とはいったい何なのだろうと。
 そのときに、思い出せばいい言葉も書いてある。

 「教師は、自分がなりたくてなる仕事」です
 
 この言葉の重みは、ずしんとくる。
 自分に問いかけて「なりたい気持ち」を思い出し、そこから踏み出していければどんなにいいことだろう。
 だから、この本には読者記入欄(笑)があるのか。配慮が行き届いている。

 今、教員採用は二極化のように進んでいる。地方と都会。置かれた環境によってずいぶんと違う現実がある。
 だから簡単に括ることはできないのだけれど、その道を目指す若い人にとって今は、「教員になること」と「教師になること」はそんなに大きな隔たりを感じないかもしれない。
 がしかし、年が経つにつれて「教員であること」と「教師であること」の隔たりはどう意識されていくのだろうか。

 私は、教員であることができるだけ教師であることと近ければいいと思っている。
 もちろん個人の意識の在りようなのだが、それを支える世の中であるべきだし、職場であるべきだと思っている。

 内容はしっかり詰まっているけれど、明るい装丁に見合った適度な軽さを持つこの本に出会ってそんなことを考えた。