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杉渕学級参観記、その1

2009年03月02日 | 雑記帳
 3年ぶりの杉渕学級参観。
 子どもが違い、勤務校が違っていても、そこにはさすがの「杉渕ワールド」が展開されていた。今回は、一日フルの参観だったので、様々な活動を十分に堪能できた気がする。
 取り立てて印象深いのは、指名なし発表と表現読みであった。

 指名なし発表をこのレベルまでにするためには、拡散的な思考習慣を身につけさせ、それを表現する場を積み重ねてこないと絶対に無理だなと感じた。
 これは指名なしという形だけにこだわっていてはなかなか実現しないものであろう。教材を小出しにしていく一読総合法的な手法であるが、そこに「書く」という過程がなくても次々と意見や想像、疑問が出されていく姿は圧巻であった。
 むろん、一人ひとりの発言の質には差があった。しかし、ポイントをとらえて教師が問いを投げかける、また発言のない者、集中に欠ける者にはある時点で発言を促すといった働きかけがあり、そこに杉渕先生の信念でもあろう「全員参加・レベル向上」の意志が強く見てとれた。

 表現読みは、いわば連続した個別指導を通しての全体指導という形であった。
 一人ひとりの音読に教師が直接かかわる場を見せることによって、他の箇所を読む子どもたちをも集中させていくということである。
 おそらく読む文章は日替わりだろうし、その息を抜けない緊張感を生み出すシステムは徹底している。
 上手にできない箇所を指摘しやり直しをかける「強い指導」が中心となっていた。その負荷の調節は担任にしかできないが、ずいぶんと耐えられる心も育っているようだ。
 野口芳宏先生から「音読を直すのは難しい」という言葉を聴いたことがある。説明しても実際にやり方を教えても、音読にあまり変化のない子がいた。その子への指導が長引いた場面には注目した。

 別の手立てはいくつか思いつくが、その徹底ぶりこそが、杉渕学級の真骨頂ではなかったか。
 伝わるのはエネルギーである。