すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

時には自ら縁を起こす

2009年03月11日 | 読書
 ごく普通に使っている言葉でも、本の一節などで出会うと改めて考えさせられることが多い。

 今『北の人名録』(倉本聰著 新潮文庫)を読んでいるが(ずいぶん昔の内容だ)、冒頭の章に富良野のことが書かれてあり「ヘソ」で売り出した経緯が内容になっているのだが、そこで目が止まったのが次の言葉だ。

 縁起の発生である

 私などは「縁起がいい、悪い」という吉凶にかかわることでしか使っていない言葉なのだが、よく見ると「縁」が「起こる」ということなんだなと思う。
 小学生用の国語辞典でも第一義は「物事の起こり」である。
 広辞苑だともちろんもっと詳しく「因縁生起の意」とある。
 マイペディアだと「○○縁起」がいくつもあると説明があり、とても覚えきれない。狭義には「業感縁起」つまり人間の幸不幸、成否などはすべてその人の行為(業)の結果である、という考えらしい。「因果応報」に近いものなのかな、と思う。

 縁起が「発生する」となると、なんとなく通ずる気がするが、これを、縁起を「発生させる」となるとどうなのだろう。
 富良野の町おこし?は昭和の40年代頃からではないかと思うが、北海道の真ん中という地理的位置に縁起を見いだして発生させ、観光的なメリットをとったというべきか。となると、縁起は発生させるもの、積極的に取りにいくべきものということか。

 吉凶を表す縁起も確かに伝統や習慣によって形づくられたわけで、十分に敬意を払うべきだろうが、またそれとは別に「物事の起こり」としての縁起をどんどん見出し、つなげていくような発想が今必要ではないか。
 時には自ら縁を起こすという気持ちを持つことを、縁起と呼んでもいいのではないか。