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杉渕学級参観記、その2

2009年03月03日 | 雑記帳
 子どもたちが帰ったあとの協議会も充実していた。
 杉渕、深澤両氏の発言が実に刺激的だった。中でも印象的な一言がある。「目や耳を鍛える」といった話題になったときのことである。杉渕先生がこんなことを口にした。

 いつもやるんだけど、いつもやってはいけない

 「禅問答みたいだけど…」などという声も聞こえた気がする。
 しかし、この言葉は考えてみるに値すると思った。
 私なりの解釈をすれば、「継続的にやっていくが、連続的でない」ということだ。
 「連続的」という言い方は、予定調和とかパターン的に換えてもかまわないだろう。つまり、ずっと続けてやるが、様々なパターンで変化を持たせながら…ということではないか。

 これは口では容易いが生半可な知識や技能では徹底できない。またセンスも要求されるように思う。持ってうまれた資質もあろうが、長く子どもたちと接した経験によって、受け止め方や反応を予測できる場合もあるし、なかなか奥の深いことだと思う。

 どんな話題のときか失念したが、こんな言葉も飛び出した。

 勘のようなもの

 協議会では禁句にしたいと考えていた言葉なので、少々面食らった。その言葉で括ってしまえば、つまりは協議する必要性はぐっと薄くなるわけで、その中身についてあれこれ話し合うことこそ…。
 もちろんこの協議会はそこで留まってはいなかった。
 勘のようなものを作り出すために、二人が徹底していることが結構多く提示された。具体的な数字で語られたことや、日常の活動場面の目標的な姿を挙げられたと思う。
 その意味づけをしてみれば「勘のようなもの」はある程度持ち得るだろう。
 しかしまたそれを研ぎ澄ませていくためには、教師の「強い主観」が必要になってくるに違いない。