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名月や繰り言嗤ひ夜は更ける

2022年09月10日 | 雑記帳
 元首相の「国葬」についての話題が喧しい。様々な観点があるものだなと驚くほどだ。個人の死が個人の死に留まらず、それぞれの立場から「利用」されている現実を、故人を心から慕ってきた方々ならどう受け止めるのか。死を悼むとはどういう心情か。胸中に不純な要素が感じられたら、右も左も皆、同レベルだ。


 16億を「この程度」と言い放った某院長の発言を、小気味いいととらえる者もいた。庶民は「そんな金があったら」とつい考える。結局、弔意の示し方も金銭で測られるか。いや今の対立は「内心の自由」への危機だな。それにしても、この金銭感覚は、故人が明らかに浪費した政策等も「たかが」と思うのだろうなあ。



 NHK連続ドラマ「ちむどんどん」の酷さについては6月に書いたことがある。それがネット上で「反省会」と称して、批判などが展開され、逆に視聴率が上がっているということもあったりして、なかなか世の中はわからないものだ。しかし、明らかに「便乗」のようで、しかも「ピント外れ」に思えることがある。


 某政治家が口を出したことは、個別の表現手法(セリフ、道具など)を狭める観点だ。現実社会の極めて常識的な慣習を持ち出して、創作における風刺、諧謔、ユーモアなどの自由を侵害していないか。どういう方か知らないが政治家の公的な場での発言は庶民の悪態とは違う。ウケようなんていう考えなら、最悪だ。