すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

いっぽんばしをわたり…

2022年05月09日 | 絵本
 昔どこかで見た記憶があるような、ないような。今、手元にあるのは2003年3月で36刷となっているので、人気本なのは確かである。124cm×184cmの小さな版、わずか24P。見開き左ページに「~~~わたる」と一行の文章があり、右が絵だ。幼い子に読み聞かせする形だろうと思うが、アイデアがひらめいた。


『いっぽんばし わたる』
 (五味太郎) 絵本社 1979.11

 

 「ぴょんぴょん わたる」とウサギの絵、「ならんで わたる」で鶏の親子の絵、ここはすうっと入るが「からんで わたる」で蛇が橋に巻き付く絵となる。ここで気づくのは、「ならんで」と「からんで」の韻を踏んでいることだし、絵が出てきてこそわかるという当然のこと。では、絵が待たされたら…と想像してみた。


 この版型だと教室では大型テレビに映すしかない。その制限を逆に活用する手があるのではないか。つまり見開きでPPTの取り込みをせずに、1ページごとにし、「タメ」を作って絵を見せていく。小学生ならばきっとこちらの方が楽しい。また「むりして わたる」の魚、「わざわざ わたる」の鳥の意味らにも気づく。


 初めに「いっぽんばし」の説明は必要だろう。最近ではお目にかかれない風景だが、テレビなどでは目にしているか。「げんきに おちる」がオチとなっている絵本だ。これを年度最初の一年生に見せることになるが、学校という一本橋をまずは無事に渡り切ってほしいと思う。もちろん、落ちても這い上がればいい。

それは、望んだ道なのだ

2022年05月08日 | 読書
 いろいろな忙しさ、いや楽しさのせいで読書は捗っていない。
 読みかけの本が二つあるが、GWになって読了と言えるのは、また次の2冊だけだ。

『君の夢 僕の思考』(森 博嗣  講談社文庫)

『議論の余地しかない』(森 博嗣  講談社文庫)


 そしてこれらはフォトエッセイという形で、しかも今までの著書からの引用をもとに編集されたもの。量的にはずいぶんと少ない。

 ただ『議論の・・・』には巻末に糸井重里が「ぼくの森博嗣さんのたのしみ方」という文章を寄せていて、これが興味深かった。

 「森博嗣さんのことは、これまで『消費』の達人として鑑賞してきたのです。」と糸井は書く。
 また「金遣いのかっこいい人」という表現もしている。

 この言い方は、いわゆる「生産に価値がある」といった常識的思考に、ゆさぶりをかけてくれる。
 糸井が使う「消費」ということを、突き詰めて考えてみれば、間違いなく生き方そのものに通じると改めて思った次第…。

 森博嗣の小説は読まないが、結構エッセイ本は手にしていて、彼が語ることは結局のところ、いかに自分の好きなことをやるかだったと、今さら思い出す。

 少しサボった手習いに、この一節を選んだ。



 これは「望んだ道」と題された文章の中にある。

 優先順位と言い換えができるかもしれないが、常にそれが自分が望んだ道だと突きつけられると、また別な感情が湧いてしまう凡人。


きっと五月は忙しい

2022年05月07日 | 雑記帳
 一週目が過ぎて、何が忙しかったかというと、確かに昨日は久しぶりのフルタイム超の出勤だったので、目一杯働いた気がした。さらに帰宅すると、ドアの前で待ち構えていたように孫二人に捕まり、ジャケットを抱えたまま夕刻の道を「危ないから…」と叫び続けるひと時となり…。何とか今日は早朝から春山へ。



 短時間だがリフレッシュできた頭で、唐突に思いついた今日のお題には、もちろん訳がある。五月に始動することがたくさんあるからだ。とりあえず迫っているのは、月曜からスタートする(できるとは思うが…)読み聞かせだ。年度の締め括りの2月がコロナで出来なかったので、気合いも入る。しかも相手は一年生。


 さらに図書館事業の様々な交渉や連絡調整などが多くある。二年間コロナに振り回された感があり、やや様子見のスタートとしたので、ピッチを上げる必要がある。関わっている町内の団体の仕事も同様で、少し委縮している状態を上向きにしなければ…。こう書いていて気づくのは、ややハイになってる自分か。


 これからワラビやネマガリダケのシーズンが盛りとなる。明日からは大相撲が始まり、春競馬は毎週GIが続く。ビールが美味しくなる季節、と、しばらく飲んでいない人たちも多い。出かけなければいけない場所や見なければならないこと、もう目まぐるしい…今朝見つけたワラビのように花に囲まれた気分である(笑)。



こどもの日に小さく決意

2022年05月05日 | 雑記帳
 最初、この句を見た時、こんなふうに思った。



 「自分は、どのくらい子どもに時間を使うことができたのか」

 この反省めいた想念を考えていること自体が、あまい。
 と思ったのは、自分もまだ親であると、ごく当たり前を気づいたからだ。

 しかも、「親の親」でもある。

 時間は有効に。もちろんお金も有効に。

 そして、次の一句で、とどめを刺す。



 まず、やろうと決めたら、すぐにだ。

 「こどもの日」に小さく(笑)決意する。

桜日記2022.5.4

2022年05月04日 | 
 毎年この時期に必ず足を運ぶ廃校跡地へ。
 桜はまだ咲いていた。




 しかし、見ればわかるように、かなり傷みが酷い。
 以前の姿を知る者にとっては、年毎につらくなってくる。




 ちなみにこれは全体像だが、ちょうど10年前(5/6)に撮ったものである。




 帰り道の北沢道路が、もうすぐ山桜と芽吹く木々を見せてくれたことが救いである。



 こうして少しずつ景色は移っていく。
 心に留めておきたい姿と、このあといくつ出逢えるだろうか。

長かった4月の訳は…

2022年05月01日 | 雑記帳
 昨夜は家人と「4月は長かったなあ」と顔を見合わせた。

 何の因果か「農耕節食者(笑)」と保健所から指定され、自宅待機ということになった。
 二人暮らしの家庭であるが、近くにいる身内とも接触できない。 
 リアルタイムで個人日記を公開するのも憚られ、収まった今見直すつもりでアップしてみる。
 まだ半月ちょっとしか過ぎていないが、懐かしい気さえする。



4月8日(金)
 前日夕刻に職員から家族がコロナの濃厚接触者になったので…と連絡があり、出勤後はその対応に気忙しかった。幸いなことに午後からは出勤できる態勢になった。ところが2時前に、我が家から孫が感染し陽性だったと電話があり慌てた。始末をして帰宅。念のため、抗原キットで検査。夫婦ともに陰性だったが保健所からの連絡を待たなければならない。


4月9日(土)
 快晴。今年初めて洗車をする。天気のわりに花粉は少ないのか、あまり影響がでなかった。11時頃、保健所から電話があり、孫との接触の様子を訊かれ、夫婦揃って濃厚接触者認定された。妻はともかく私はほんの1分程度だったが、判断はそうらしい。14日までの自宅待機要請である。関係者へ連絡。午後から保健所配布の検査キットを渡され、検査。夫婦ともに陰性である。


4月10日(日)
 昨日の検査で娘(母親)は陽性。父親は陰性だった。しかし、おそらくはどちらも2週間近く外出制限がある。アパート暮らしは大変だろう。サポートに動きたいがこちらも14日までは自粛しなければならない。さて、この5日間をどう過ごすか…のんびり片付けでもするかとなる。時間無制限感覚なので、いろいろ目に付く。「甘く見ていた」こと、VHSテープのことにも気づく。


4月11日(月)
 朝、自宅から教委へ電話。報告をし、今後もし職員に出勤制限がかかった場合の対応要請など話をする。天気はよく気温も上がる。由利本荘あたりでは桜開花の話題が出てきた。本来なら春山へ第一弾の時期だが、そんなことはさすがに出来ない。湯沢管内では感染者25名で秋田市に次いで多い。片付け二日目は、昨日整理したCDのラックを2階へ移動し、整理をする。



4月12日(火)
 図書館ブログは自宅から送信できるので、この期間も数日朝のうちに更新している。のんびりと、片付けを続ける。BGMは、レコードが駄目なのでカセットテープを出しラジカセで聴いてみた。ソロになった頃の伊勢正三の曲は沁みるなあ。県内ではコロナ感染者が445名となり、過去最高を記録。このままで大丈夫なのか。夕食は気分を変えて宅配弁当を注文する。味覚異常はない(笑)。


4月13日(水)
 片付けも最終段階、書斎から2階へ物の移動が主だが、だいぶすっきりした。知り合いから頼まれた販売物のシール印刷、さらに新しいシール制作に時間をとる。この作業はデザイン系なので楽しく、5案できた。職場から連絡があり、事務処理をする。湯沢管内コロナ感染41名とのこと。もう一人の孫は感染していないが、登園できる15日は見送るのが賢明か。


4月14日(木)
 片付けの最後に以前の日記を見返していたら、一昨年の今日の箇所に「とうとう湯沢まで来た」と記してある。初の感染者だった。あれはずいぶんと騒動になった。あれから2年、状況は変わったがここまで長びくことを予想していなかったなあ。湯沢管内感染者47名。最高人数を更新している。注文したレコード針が届く。再びプレーヤー攻撃がされないように厳重に防護する。


 と、まあ翌日からは我が家は通常生活に戻ったが、娘一家はあと一週間続くことになり、そのフォローや桜も一斉に咲き出して、目まぐるしい残り半月だった。

 いつか、この日記を懐かしむ時がくるのだろうなあ。