今週は、何かと注意を引く出来事が多い週でした。それらについての感想を。
人口14億の中国という大国を、中国政府が治められるわけがないと私は思います。インド、ロシアと接した辺境の地の中国には、きっと中国政府など関係のない話だと思っている住人も多々あることでしょう。チベットのように中国人が入って来て占領されたような場所では尚更でしょう。日本が大陸に侵攻して、満州を作った時、アジアにおけるアメリカ合衆国のような理想郷を夢見た一般人は日本人も中国人も含めて、多かったはずです。しかし、現実は、日本の軍事侵攻による植民地化にしか過ぎなかったわけで、満州での中国人は日本人よりも一段低い処遇しか与えられませんでした。中国は確かに大国ですが、旧ソビエト連合のように、大き過ぎて纏められない、のではないかと思います。また、中国人気質とでもいうか、極めて現実的な思考様式がありますから、中央の中国人でさえ、中国という国家を本当に信じていない可能性もあると思います。中国が国家としての体勢をこのまま維持するためには、国民の意識のコントロールが必要なわけで、多分、そのために、外目には滑稽なだけの、北京オリンピックでの様々なやらせ、パフォーマンスや情報コントロールを行って、中国国民への愛国心の植え付けを試みたのでしょう。チベットに対して、政策上、弱気に出るわけにいかないのはわかりますが、中国政府、どうみても、無理に無理を重ねています。無理はいずれ破綻します。その破綻するのがわかっているのに、無理を通そうとして、人々に迷惑をかけ、世界の顰蹙を買っているのが、今の中国政府であり、中国政府はその長期的な弊害を過小評価している、と私は考えざるを得ません。
人権宣言がなされたフランスのパリ市が、ヒューマニタリアンの代表的存在としてダライラマにパリ名誉市民を与えたことは、ごく当然のことであると私は思います。一方、これに目くじらを立てて抗議する中国政府は、「ちょっといい加減にしなさいよ」という感じです。これが、フランスが国として中国のチベット占領に対して抗議し、ダライラマ氏を政治的な意味で支持したというのなら、中国政府が抗議するのもわからないではありません。パリ市が個人に与えた名誉市民の称号は、中国政府を非難しているわけでも何でもないわけで、にもかかわらず、チベットの指導者が外国でちやほやされるのが気に喰わないのは、それによって中国国民の洗脳効果が薄れることを心配しているからであろうと思います。それほどまでに、中国政府は切羽詰まっている、そう私には見えます。
西松献金事件での第三者委員会の報告の内容が報道されています。小沢氏には、献金がどう使われたか、という点で説明が不十分であるとされましたが、主には、検察による秘書の不当逮捕、と検察側が権力の乱用について説明をしていない、などと検察への批判が重点を占めるのもでした。正しい意見だと思います。検察と同様にデマ記事を垂れ流したNHKも含む大手メディアも、糾弾されるべきです。今回の事件では、(今回の事件に限りませんが)彼らは、何をやっても、自らの身に危険は及ばないと思っているのでしょう。権力や権力の犬を放し飼いにしていてはならない、そんな国民の気分が、新聞購読の減少、や冤罪事件での検察への強い批判として、現れて来ていると思います。政権交代間近ですが、その暁には、是非とも、官僚政治解体を実現し、権力に尻尾を振るだけのマスコミに矜持という言葉を思い出させてやって欲しいものだと思います。
2700億の研究費を30人に集中投下するという馬鹿げた科学研究政策については、しばらく前に批判しましたが、数日前の柳田先生のブログでも、散々で、柳田先生のこの政策への怒りが溢れていました。政策担当者、研究業界の方に、読んでもらいたいと思います。柳田先生の提言はこちら。
ワシントンDCのホロコースト博物館で、白人至上主義者の老人が発砲し、黒人スタッフが死亡とのこと。悲しい、胸の悪くなる話しです。八十過ぎるまで生きて来て、何を学んできたのか、と思わざるを得ません。毎日、何を考えて生きて来たのでしょうか。小人閑居して不善を為す、という言葉を思い出します。一方、Scienceのゴッシップ欄では、トランジスタの発明でノーベル賞を貰ったShockley氏の遺産の土地を公園にするに当たって、公園に彼の名前をつけるかどうかでもめています。Shockely氏は人種偏見者で、黒人は知能が低いと言い、IQの低い人は避妊すべきだと考えていたそうで、市民は彼の名前を公園に残すのに抵抗しているということです。Shockley氏が、このように考えていること自体が、この人の知能の低さを表しています。知能の低い人が別人種の知能が低いと言うのだから、つける薬がありません。公園については、もしも、名前を外すことができないのであれば、名前の下に次のような文を入れるという妥協案を市は提案しているそうです。
「この公園はあらゆる人種、民族、信仰、教育レベル、知能、職業の平和と調和の中で共に生きる人々のためのものです。黒人アフリカ系のバラクオバマがアメリカ大統領となった2009年に寄贈されました。」
ノーベル賞をもらっても、隣人に嫌われるようではいけません。
人口14億の中国という大国を、中国政府が治められるわけがないと私は思います。インド、ロシアと接した辺境の地の中国には、きっと中国政府など関係のない話だと思っている住人も多々あることでしょう。チベットのように中国人が入って来て占領されたような場所では尚更でしょう。日本が大陸に侵攻して、満州を作った時、アジアにおけるアメリカ合衆国のような理想郷を夢見た一般人は日本人も中国人も含めて、多かったはずです。しかし、現実は、日本の軍事侵攻による植民地化にしか過ぎなかったわけで、満州での中国人は日本人よりも一段低い処遇しか与えられませんでした。中国は確かに大国ですが、旧ソビエト連合のように、大き過ぎて纏められない、のではないかと思います。また、中国人気質とでもいうか、極めて現実的な思考様式がありますから、中央の中国人でさえ、中国という国家を本当に信じていない可能性もあると思います。中国が国家としての体勢をこのまま維持するためには、国民の意識のコントロールが必要なわけで、多分、そのために、外目には滑稽なだけの、北京オリンピックでの様々なやらせ、パフォーマンスや情報コントロールを行って、中国国民への愛国心の植え付けを試みたのでしょう。チベットに対して、政策上、弱気に出るわけにいかないのはわかりますが、中国政府、どうみても、無理に無理を重ねています。無理はいずれ破綻します。その破綻するのがわかっているのに、無理を通そうとして、人々に迷惑をかけ、世界の顰蹙を買っているのが、今の中国政府であり、中国政府はその長期的な弊害を過小評価している、と私は考えざるを得ません。
人権宣言がなされたフランスのパリ市が、ヒューマニタリアンの代表的存在としてダライラマにパリ名誉市民を与えたことは、ごく当然のことであると私は思います。一方、これに目くじらを立てて抗議する中国政府は、「ちょっといい加減にしなさいよ」という感じです。これが、フランスが国として中国のチベット占領に対して抗議し、ダライラマ氏を政治的な意味で支持したというのなら、中国政府が抗議するのもわからないではありません。パリ市が個人に与えた名誉市民の称号は、中国政府を非難しているわけでも何でもないわけで、にもかかわらず、チベットの指導者が外国でちやほやされるのが気に喰わないのは、それによって中国国民の洗脳効果が薄れることを心配しているからであろうと思います。それほどまでに、中国政府は切羽詰まっている、そう私には見えます。
西松献金事件での第三者委員会の報告の内容が報道されています。小沢氏には、献金がどう使われたか、という点で説明が不十分であるとされましたが、主には、検察による秘書の不当逮捕、と検察側が権力の乱用について説明をしていない、などと検察への批判が重点を占めるのもでした。正しい意見だと思います。検察と同様にデマ記事を垂れ流したNHKも含む大手メディアも、糾弾されるべきです。今回の事件では、(今回の事件に限りませんが)彼らは、何をやっても、自らの身に危険は及ばないと思っているのでしょう。権力や権力の犬を放し飼いにしていてはならない、そんな国民の気分が、新聞購読の減少、や冤罪事件での検察への強い批判として、現れて来ていると思います。政権交代間近ですが、その暁には、是非とも、官僚政治解体を実現し、権力に尻尾を振るだけのマスコミに矜持という言葉を思い出させてやって欲しいものだと思います。
2700億の研究費を30人に集中投下するという馬鹿げた科学研究政策については、しばらく前に批判しましたが、数日前の柳田先生のブログでも、散々で、柳田先生のこの政策への怒りが溢れていました。政策担当者、研究業界の方に、読んでもらいたいと思います。柳田先生の提言はこちら。
ワシントンDCのホロコースト博物館で、白人至上主義者の老人が発砲し、黒人スタッフが死亡とのこと。悲しい、胸の悪くなる話しです。八十過ぎるまで生きて来て、何を学んできたのか、と思わざるを得ません。毎日、何を考えて生きて来たのでしょうか。小人閑居して不善を為す、という言葉を思い出します。一方、Scienceのゴッシップ欄では、トランジスタの発明でノーベル賞を貰ったShockley氏の遺産の土地を公園にするに当たって、公園に彼の名前をつけるかどうかでもめています。Shockely氏は人種偏見者で、黒人は知能が低いと言い、IQの低い人は避妊すべきだと考えていたそうで、市民は彼の名前を公園に残すのに抵抗しているということです。Shockley氏が、このように考えていること自体が、この人の知能の低さを表しています。知能の低い人が別人種の知能が低いと言うのだから、つける薬がありません。公園については、もしも、名前を外すことができないのであれば、名前の下に次のような文を入れるという妥協案を市は提案しているそうです。
「この公園はあらゆる人種、民族、信仰、教育レベル、知能、職業の平和と調和の中で共に生きる人々のためのものです。黒人アフリカ系のバラクオバマがアメリカ大統領となった2009年に寄贈されました。」
ノーベル賞をもらっても、隣人に嫌われるようではいけません。