柳田先生のブログで、日本の研究環境で、性別や年齢による差別のある問題について、アメリカとの対比で、議論されているのを読みました。アメリカでは、雇用や昇進条件において、性別人種を問わず平等を明記してある研究所が普通です。(もちろん、建前があるからといって、差別がないわけではありませんが)加えて、所謂、「Affirmative action」によって、女性や少数民族や人種に対する優遇処置のある場合も多く、研究現場に女性は多いです。私はこのAffirmative actionに対して、以前は余りよく思っていませんでした。いわば、これは逆差別なわけです。例えば、アメリカの一流大学にはアジア人枠が決まっていて、アジア人の入学を制限しています。そうしないと、一流大学はアジア人ばかりになってしまうからです。一方、黒人やヒスパニックの特別枠もあり、そういう枠を利用すると、真っ向勝負ではアジア人に勝てない少数民族(人種)の人でも、よりよい大学に入ることができたりします。各個人の観点からみると、別に自分の意志で、人種や性を選んだわけではないのに、それによって不利(あるいは有利)な競争を強いられる不公平な制度であります。 しかし、いくらAffirmative actionで女性の研究者が増えても、研究の生産性を考えたら、フルタイムで研究に集中できる男性研究者と、子供や家庭の世話をしながら働く女性とでは、差がでるのは当たり前で、現実には、トップレベルの女性研究者は、女性とは言いながら、シングルであることを選択したり、理解のある夫のサポートがある例に限られるというのが現実ではないかと思います。残念ながら、現在の研究資金の限られた現場で、研究者でありつづけるためには、生存競争に勝ち続けるしかありません。周囲を見回すと、研究者を志して研究の世界に入った人のうち、独立研究者として生き残れる人は、10人のうちの1-2人ぐらいではないかと思います。フルタイムで必死でがんばってもその程度なのですから、子供や家庭の世話をしなければならない女性研究者は困難です。それでも、そんな生き残り競争の中でも、弱者を守って、強いものだけのモノポリーとならないようにするシステムは、研究界全体の視点から見ると、必要なのであろうと私は思います。Affirmative actionは女性と男性の公平を目指しているのではなく、女性ならではの研究センス、ユニークさを残し、研究上の多様性を維持するためのシステムだと考えれば、存在理由に納得がいきます。あいにく、現実には、Affirmative actionによって、研究上にどのようなメリットがあるかは、測定、評価できません。ただ、アメリカでは、研究は市場原理だけにゆだねてはいけない、ということを研究者や研究政策担当者は理解しているということだと思います。なぜなら、研究の指向性は一定ではないからです。市場原理は強いものが勝ち、それによって、市場は効率化する、という理屈ですが、研究には明快な勝ち負けはありません。研究は効率的であるよりも、むしろ効率を目指さない方が長期的には益が多いと私は思います。だからこそ、2700億円を30人に集中投下するようなことは愚の骨頂であると思っています。特に基礎研究に外部から指向性を与えてはいけません。結局、そうすると局所最適解を得るのには良いかも知れませんが、その局所解が長期的に最良とは限りませんから、もし別の所に方向転換しないといけないとなった場合に、その間にないがしろにした分野を一からやり直さなければならなくなります。長期株式投資の最良かつ最もリスクの低い方法はインデックスファンドを買って、必要になるまで売らないことだと思います。リスク分散のためのDiversificationは、同時に長期的にはリターン効率を最も高める方法でもあります。研究界でも、全体としての効率を長期的展望でみるならば、研究分野や資金を集中してはいけません。まずは、できるだけ広く、そこそこの資金を行き渡らせる必要があります。ひろく浅くバラまく金がないのに、弱者を犠牲にして強者だけに金を集めるのは長期的に非常に有害であろうと私は思います。
女性研究者のクリティカルマスが必要なと言うのは、女性ならではの研究があるからではないかと思います。私の個人的な印象ですが、研究分野の得意、不得意が男女で差があるように思います。近代生物学研究に限っておおまかなトレンドを追うと、生化学の時代があって、70年代からの分子生物学の時代となって、ここ20年は分子遺伝学の時代、そんな感じがします。分子生物学的手技を使った実験系は、バンドがでる、でないといった比較的抽象的な情報を使って、論理で全体像を構築する、そういう仕事が多いと思うのですが、この手の研究は(例外も思いつきますが)、やはり男性が得意だと思います。対して、画像的情報を使って、より直感的な解釈が可能な研究、例えば、発生生物学などで組織の染色などを使うような研究は、女性の研究者が多いように思います。私は、女性は、画像的データの直感的解釈、男性は、抽象的データの論理的解釈、が得意(あるいは好き)なのではないか、と想像しています。私は、マウスを扱っているので、普段は、組織の写真を見ていることの方が最近は多いですが、バンドのデータを見て、いろいろその背後を想像するのも好きです。仮説を考えて、論理的に証明していく、という謎解きのプロセスがじっくり味わえるのは、抽象的データを扱っている時の方が多いような気がします。
女性研究者のクリティカルマスが必要なと言うのは、女性ならではの研究があるからではないかと思います。私の個人的な印象ですが、研究分野の得意、不得意が男女で差があるように思います。近代生物学研究に限っておおまかなトレンドを追うと、生化学の時代があって、70年代からの分子生物学の時代となって、ここ20年は分子遺伝学の時代、そんな感じがします。分子生物学的手技を使った実験系は、バンドがでる、でないといった比較的抽象的な情報を使って、論理で全体像を構築する、そういう仕事が多いと思うのですが、この手の研究は(例外も思いつきますが)、やはり男性が得意だと思います。対して、画像的情報を使って、より直感的な解釈が可能な研究、例えば、発生生物学などで組織の染色などを使うような研究は、女性の研究者が多いように思います。私は、女性は、画像的データの直感的解釈、男性は、抽象的データの論理的解釈、が得意(あるいは好き)なのではないか、と想像しています。私は、マウスを扱っているので、普段は、組織の写真を見ていることの方が最近は多いですが、バンドのデータを見て、いろいろその背後を想像するのも好きです。仮説を考えて、論理的に証明していく、という謎解きのプロセスがじっくり味わえるのは、抽象的データを扱っている時の方が多いような気がします。