6/12号のScienceのフロントページで、今回の日本の2700億円の科学研究費を30人の天才に振り分けるという(私からすると、気違い沙汰の)政策について、一ページを割いてあります。ニュートラルな立場で書こうとしているのはわかりますが、端々に皮肉のような表現が散りばめてあります。表題に、Science Windfall Stimulates High Hopesとあって、その後にダッシュして、and Political Maneuveringとあります。この Political Maneuvering が正確に何を意図しているのか本文を読んでも曖昧です。研究者が政治力を使って、その資金獲得を狙うという意味にも取れますし、あるいは、政治家がこの政策を駆け引きの道具として使っているという言うような意味にも取れます。
この記事では、この大盤振る舞いは、「世界をリードする研究」を支援するためのプログラムであり、野田聖子が昨年科学技術庁への就任後に、研究者がグラント書きに忙殺されて研究している時間がないという不満を知って思いついたとあります。写真入りでの野田聖子の紹介には、職業政治家であり、まったく研究に関連した責任職を経験したことがないと書いてあります。これは、経験がないからこそ思い切った政策が取れたという意味かもしれませんが、素直に読むと、研究がどのように進むものか知らないのに、大金を集中投下すれば世界をリードする研究が推進できると考えるナイーブさを揶揄しているように取れます。そして、これは完全にバカにしていると思うのですけど、首相のアホウ氏が、「自ら研究費の受領者の最終決断をする」と宣言した、と書いたあとで、「驚くまでもなく、大勢の研究者が偏った資金の配布になると心配している」とあります。
一方で、京大の本庶佑は、このプログラムは資金の使用は従来のグラントに比べてフレキシブルであり、よい先例をつくるであろうと述べています。(他に誉めるところが無かったのですかね)このために現在、研究費の使用法(多年にわたっての使用が可能となる)に関する法律の改正を行おうとしているところであるとあります。確かに単年度ごとに研究費を清算させるという現行のやりかたでは、年度末に、資金が余りそうになって余計なものを買い込んだり、逆に足りなくなってあわてるということがありますから、多年度でフレキシブルな資金使用が可能となれば、ムダも省けますし、効率もよくなると思います。しかし、そんなことは当たり前のことで、何も2700億円の大盤振る舞いをしなくても、研究費使用に関する法律をちょっと改善すればすむことです。研究者はとにかく研究費が欲しいのですから、どんなひどい政策でも、自分のところの研究資金が増えるような政策には賛成します。某元大学教授は、研究者にとっての研究費は、馬の目の前にぶらさげられた人参のようなもので、反射的に喰いつくのだ、と言っています。ま、その通りです。だからこそ、大きな長期的視点で研究界を睥睨して政策を決めることが必要だと思うのですけど、このような素人の思いつき政策で、何も知らないアホウ氏が最後は自分が決める、とか言っているような、無茶を見過ごしていてよいのでしょうかね。
岡目八目で見れば、今回の2700億という資金は、愚かな金の使い方であろうと思わざるを得ません。研究の当たりはずれは競馬で勝ち馬を予想するようなものです。ある程度の資質と研究力のある人なら、誰でも大発見をする可能性はあるのです。今回の金の使い方は、本命単勝に全額賭けるようなものといってもよいでしょう。しかも本命と穴馬の差は極めて小さいということをアホウ氏は当然として、野田さんもわかっていないのだと思います。
その後、自民党古賀氏が、もとお笑いタレントの宮崎県知事に出馬を打診して、コケにされた、という話を聞きました。あきれて言葉もありません。末期を自覚しているのなら、じたばたせず、せめて、去り際はきれいにするのが日本人の美意識というものだと思うのですけど。
この記事では、この大盤振る舞いは、「世界をリードする研究」を支援するためのプログラムであり、野田聖子が昨年科学技術庁への就任後に、研究者がグラント書きに忙殺されて研究している時間がないという不満を知って思いついたとあります。写真入りでの野田聖子の紹介には、職業政治家であり、まったく研究に関連した責任職を経験したことがないと書いてあります。これは、経験がないからこそ思い切った政策が取れたという意味かもしれませんが、素直に読むと、研究がどのように進むものか知らないのに、大金を集中投下すれば世界をリードする研究が推進できると考えるナイーブさを揶揄しているように取れます。そして、これは完全にバカにしていると思うのですけど、首相のアホウ氏が、「自ら研究費の受領者の最終決断をする」と宣言した、と書いたあとで、「驚くまでもなく、大勢の研究者が偏った資金の配布になると心配している」とあります。
一方で、京大の本庶佑は、このプログラムは資金の使用は従来のグラントに比べてフレキシブルであり、よい先例をつくるであろうと述べています。(他に誉めるところが無かったのですかね)このために現在、研究費の使用法(多年にわたっての使用が可能となる)に関する法律の改正を行おうとしているところであるとあります。確かに単年度ごとに研究費を清算させるという現行のやりかたでは、年度末に、資金が余りそうになって余計なものを買い込んだり、逆に足りなくなってあわてるということがありますから、多年度でフレキシブルな資金使用が可能となれば、ムダも省けますし、効率もよくなると思います。しかし、そんなことは当たり前のことで、何も2700億円の大盤振る舞いをしなくても、研究費使用に関する法律をちょっと改善すればすむことです。研究者はとにかく研究費が欲しいのですから、どんなひどい政策でも、自分のところの研究資金が増えるような政策には賛成します。某元大学教授は、研究者にとっての研究費は、馬の目の前にぶらさげられた人参のようなもので、反射的に喰いつくのだ、と言っています。ま、その通りです。だからこそ、大きな長期的視点で研究界を睥睨して政策を決めることが必要だと思うのですけど、このような素人の思いつき政策で、何も知らないアホウ氏が最後は自分が決める、とか言っているような、無茶を見過ごしていてよいのでしょうかね。
岡目八目で見れば、今回の2700億という資金は、愚かな金の使い方であろうと思わざるを得ません。研究の当たりはずれは競馬で勝ち馬を予想するようなものです。ある程度の資質と研究力のある人なら、誰でも大発見をする可能性はあるのです。今回の金の使い方は、本命単勝に全額賭けるようなものといってもよいでしょう。しかも本命と穴馬の差は極めて小さいということをアホウ氏は当然として、野田さんもわかっていないのだと思います。
その後、自民党古賀氏が、もとお笑いタレントの宮崎県知事に出馬を打診して、コケにされた、という話を聞きました。あきれて言葉もありません。末期を自覚しているのなら、じたばたせず、せめて、去り際はきれいにするのが日本人の美意識というものだと思うのですけど。