休み中に郵便受けに溜っていた雑誌の中から、Scienceの7/20号を通勤バスの中で取り出してパラパラとページをめくっていたら、訃報欄の写真が目に飛び込んできました。見覚えがある人だな、と思ったと同時に、Aaron Shatkin (1934 - 2012)という太字のタイトルが見えて、思わず、「えっ」と息をのみました。
といっても、深い縁があるわけでも何でもありません。一度、お会いする機会があったというだけのことです。
5年ほど前のことで、その時、私は博士のおられたニュージャージーの大学の別の講座にちょっとお邪魔していたのでした。デンハルト液のデンハルト博士にお目にかかったのもこの時です。Shatkin博士の所属するCenter for Advanced Biotechology and Medicine (CABM) に隣接するRutgers州立大学に、デンハルト博士は研究室を持っておられました。
Shatkin博士は、ちょっと変わったRNAのEditingのようなことを研究しているというような話をされたように思います。当時、私は恐れ多くも、博士の数々の偉大な業績については全く知りませんでした。つまり、私が研究をはじめた頃は、博士の偉大な発見はすでに分子生物の教科書に載ってしまった後で、私が直接、リアルタイムで博士の論文を目にする機会がなかったというだけのことです。この訃報欄によると、たとえば、RNAの5'端にはキャップ構造があって、RNAの安定性と翻訳に重要な働きをする、というような分子生物の基礎中の基礎知識となっているような発見は博士の仕事です。また、アクチノマイシンDがmRNAの合成を阻害する、という有名な発見も博士によるものだそうです。アクチノマイシンを使って、蛋白の発現がRNAレベルか蛋白レベルのどちらで主に制御されているかを調べる実験など、一昔前はスタンダード中のスタンダードの実験でした。博士のこの発見がなければ、何千、何万という論文もなかったのですね。
お会いした日は雪の舞う寒い日で、私は冬もののカジュアルコートを着ていました。コートはニューイングランドの片田舎、メイン州にあるL.L. Beanというアウトドア用品を製造販売する会社が造ったものでした。オフィスでコートを脱いだ時に、Shatkin博士は、「大学院時代に変わった友人がいた」と話し出されました。
彼と僕は、同じ講座にいたのだが、
彼は、実験を、本当に楽しそうにやるのだよ。
失敗しても、うまく行かなくても、全然、動じない。
この世界は、何か発見して、論文をかかなければ、
将来はないというのに。
彼ときたら、全く、がつがつした所がなく、悠長なものだった。
僕は随分と心配したものだ。
それが、ある時、その悠長さのナゾが解けた。
というのは、彼は、君の着ている服を作っている会社の社長の息子だったのだよ。
どうりで、あくせくする必要もなかったはずだ。
私は、何と言ってよいのかわからず、適当な相づちをうっただけでした。
私は、おじいちゃん子だったせいか、老人のゆっくりした雰囲気になじみが良いようで、昔から随分、お年寄りには可愛がってもらいました。Shatkin博士のゆったりしたリズムでこちらもリラックスしている間にあっと言う間に時間が経ってしまいました。去りがけに、私の研究を助けてくれた共同研究者の人によろしく言っておいてくれと言われました。
「Shatkinだ。Aaron Shatkinがよろしく言っていた、と伝えてくれ」と。
あいにく、その後、その共同研究者の人とはあまり、顔を合わす機会がなく、博士の伝言は伝わらないままになってしまいました。
当時、この二人はどういう繋がりなのかな、と不思議に思っていたのが、この訃報欄を読んでわかりました。ニュージャージーには20年ほど前まで、Rocheの出資する研究所があって、そこでは最先端の分子生物学研究がなされていたのでした。スイスのバーゼルの免疫学研究所と同じく、企業が出資する研究所というのは、いくら研究内容が素晴らしくても、金次第で閉鎖されてしまいます。私のその共同研究者の人とShatkin博士は、当時、最先端のRoche研究所で一緒に仕事をしていたのでした。そして、この研究所の基礎研究プログラムが閉鎖になって、そこの優秀な人材は四散したというわけです。
人生、一期一会と言います。二度と会う事もないだろうと思った、ただ一度言葉をかわしただけのShatkin博士でしたが、この訃報欄で思いがけず再開することになりました。訃報欄で微笑む博士の写真は、私がおぼろげに覚えている博士よりも若くみえます。
そして、バスの中で、この5年の間におこったいろいろなことを思い出しました。
追記(8-13-12)。調べてみると、Shatkin博士はメイン州のBowdoin collegeを出ていて、博士と同年生まれのL.L. Bean創業者の孫であるLeon Gormanも同時期にBowdoin collegeに在籍していたようです。おそらく、Shatkin博士の指していたのは、Leon Gormanであり、L.L. Beanの社長の息子というのは私の記憶違いで、孫というのが正しいようです。因みにLeon Gormanは、2001年にはL.L.Beanの社長を辞め、マコーミックの理事長となったそうで、その業績に対し、2010年にBowdin collegeからBowdwin Awardを授与されたとのことです。
といっても、深い縁があるわけでも何でもありません。一度、お会いする機会があったというだけのことです。
5年ほど前のことで、その時、私は博士のおられたニュージャージーの大学の別の講座にちょっとお邪魔していたのでした。デンハルト液のデンハルト博士にお目にかかったのもこの時です。Shatkin博士の所属するCenter for Advanced Biotechology and Medicine (CABM) に隣接するRutgers州立大学に、デンハルト博士は研究室を持っておられました。
Shatkin博士は、ちょっと変わったRNAのEditingのようなことを研究しているというような話をされたように思います。当時、私は恐れ多くも、博士の数々の偉大な業績については全く知りませんでした。つまり、私が研究をはじめた頃は、博士の偉大な発見はすでに分子生物の教科書に載ってしまった後で、私が直接、リアルタイムで博士の論文を目にする機会がなかったというだけのことです。この訃報欄によると、たとえば、RNAの5'端にはキャップ構造があって、RNAの安定性と翻訳に重要な働きをする、というような分子生物の基礎中の基礎知識となっているような発見は博士の仕事です。また、アクチノマイシンDがmRNAの合成を阻害する、という有名な発見も博士によるものだそうです。アクチノマイシンを使って、蛋白の発現がRNAレベルか蛋白レベルのどちらで主に制御されているかを調べる実験など、一昔前はスタンダード中のスタンダードの実験でした。博士のこの発見がなければ、何千、何万という論文もなかったのですね。
お会いした日は雪の舞う寒い日で、私は冬もののカジュアルコートを着ていました。コートはニューイングランドの片田舎、メイン州にあるL.L. Beanというアウトドア用品を製造販売する会社が造ったものでした。オフィスでコートを脱いだ時に、Shatkin博士は、「大学院時代に変わった友人がいた」と話し出されました。
彼と僕は、同じ講座にいたのだが、
彼は、実験を、本当に楽しそうにやるのだよ。
失敗しても、うまく行かなくても、全然、動じない。
この世界は、何か発見して、論文をかかなければ、
将来はないというのに。
彼ときたら、全く、がつがつした所がなく、悠長なものだった。
僕は随分と心配したものだ。
それが、ある時、その悠長さのナゾが解けた。
というのは、彼は、君の着ている服を作っている会社の社長の息子だったのだよ。
どうりで、あくせくする必要もなかったはずだ。
私は、何と言ってよいのかわからず、適当な相づちをうっただけでした。
私は、おじいちゃん子だったせいか、老人のゆっくりした雰囲気になじみが良いようで、昔から随分、お年寄りには可愛がってもらいました。Shatkin博士のゆったりしたリズムでこちらもリラックスしている間にあっと言う間に時間が経ってしまいました。去りがけに、私の研究を助けてくれた共同研究者の人によろしく言っておいてくれと言われました。
「Shatkinだ。Aaron Shatkinがよろしく言っていた、と伝えてくれ」と。
あいにく、その後、その共同研究者の人とはあまり、顔を合わす機会がなく、博士の伝言は伝わらないままになってしまいました。
当時、この二人はどういう繋がりなのかな、と不思議に思っていたのが、この訃報欄を読んでわかりました。ニュージャージーには20年ほど前まで、Rocheの出資する研究所があって、そこでは最先端の分子生物学研究がなされていたのでした。スイスのバーゼルの免疫学研究所と同じく、企業が出資する研究所というのは、いくら研究内容が素晴らしくても、金次第で閉鎖されてしまいます。私のその共同研究者の人とShatkin博士は、当時、最先端のRoche研究所で一緒に仕事をしていたのでした。そして、この研究所の基礎研究プログラムが閉鎖になって、そこの優秀な人材は四散したというわけです。
人生、一期一会と言います。二度と会う事もないだろうと思った、ただ一度言葉をかわしただけのShatkin博士でしたが、この訃報欄で思いがけず再開することになりました。訃報欄で微笑む博士の写真は、私がおぼろげに覚えている博士よりも若くみえます。
そして、バスの中で、この5年の間におこったいろいろなことを思い出しました。
追記(8-13-12)。調べてみると、Shatkin博士はメイン州のBowdoin collegeを出ていて、博士と同年生まれのL.L. Bean創業者の孫であるLeon Gormanも同時期にBowdoin collegeに在籍していたようです。おそらく、Shatkin博士の指していたのは、Leon Gormanであり、L.L. Beanの社長の息子というのは私の記憶違いで、孫というのが正しいようです。因みにLeon Gormanは、2001年にはL.L.Beanの社長を辞め、マコーミックの理事長となったそうで、その業績に対し、2010年にBowdin collegeからBowdwin Awardを授与されたとのことです。