百醜千拙草

何とかやっています

日々のできごと

2015-02-10 | Weblog
研究費申請書書きで、ストレスの日々がずっと続いております。何も他のことができません。〆切は着実に近づいてくるのに、なかなか形が整ってきません。この数日でも何度も方針が変わりました。アイデアはそれなりに思いつくのですが、一つ一つのステップを熟考していくと、全ての点で及第点がとれるようなプロジェクトにならないのが殆どです。欠点を補強していくと形になるかな、といろいろやってみた挙げ句に結局、ダメとなってゴミ箱(コンピューターの)行きになるのが殆どです。昔、作家の人が頭を掻きむしりながら原稿を丸めてゴミ箱に捨てる漫画をよく目にしましたが、今の私がまさにその状態です。悲しいのは、私の場合、書いたものが作品になるのではなく、お金を出してくれる機関に売り込むための作文であり、通って初めてナンボのものだということです。その間、真に生産的なこと(実験)はできません。資本主義の社会ですからセールス活動も科学活動に必要なものとは割り切ってはいますが、この数年、研究費のことばかり考えてきて、研究そのものを楽しむ余裕がありませんでした。これは悪循環です。これがあと一年以上続いたら(そのまえに資金切れになるかも知れませんが)ちょっと精神的に持たないなあ、と思う日々です。などと言っていたら、数ヶ月前に書いた研究費申請の不採択の通知がきました。二ヶ月かけて書きましたがゼロです。ちょっと、泣き面にハチ状態です。ヤバい状況には強いつもりでしたが、長期戦はちょっと精神的に堪えますね。

しばらく前にチャプターを書いた本が出版されたようで、製本が送られてきました。千ページ以上もある驚くほど立派な本です。$200近くします。誰が買うのでしょうか?正直、原著論文を書くのと違って、レビューや本のチャプターには(誰でも)力が入りません。結局それなりのものにしかなりません。専門書は儲かるビジネスでもないのに、これをわざわざ印刷して本にした出版社の方々や、本当に買った人がいたのなら何だか悪いなあと思いました。インド系の研究者の人が編集をしたのですが、その本の最初の方でわざわざ一ページをさいてどうも自分の両親の写真を出して献辞を書いていたのを見つけました。どうもこれはインド系の人の文化のようですが、日本人からするとちょっと公私混同のような感じがしますね。

力の入っている原著論文、小さなものですが、エディターがリバイスを要求してきました。最近、統計がうるさいです。私のような定性的なアッセイの多い研究は統計などあまり必要がないことが多く、これまでの雑誌も、統計などどうでもいいじゃないの、という人々の集う場所だったので、余り問題はなかったのです。今回の雑誌、インパクトファクター的には二流雑誌なのですが、専門誌なので臨床論文ものせる関係か、統計とグラフの表示法をやり直せと言ってきました。グラフ表示はバーグラフではなく、dot plotにしろ、とかmean +/- semではなく、95% confidence intervalを使えとか、結構、細かく指定されました。95%CIなど、誰もリアルタイムPCRのデータに使っているのを見たことがありません。そもそもCIとは何ぞや、ちゅーあたりから勉強し直すことになりました。グラフもこれまではエクセルでチョイチョイとを作って貼付けていましたが、dot plotはなかなか思うようなグラフが描けません。やむを得ず、臨床系の人も使っているということで、Prism 6というグラフを作るソフトを30日お試しで使ってみました。素晴らしいです。もっと早くから使っておけば良かったと思いました。30日過ぎてもこれは手放せませんから買うことになりそうです。Nature系の雑誌も去年ぐらいから、かなり統計に関して厳しい規定を設けています。われわれの様な実験に一々、パワー計算をあらかじめするようになどと書いてあります。めんどくさいです。そういえば、去年Natureに出た昔の知り合いの人の論文は、有意差を示すのに一群50頭以上の妙な端数のマウスを解析していました。パワー計算などしていないのが明らかです。結局、この世は建前と本音、形さえ整っておればいいのでしょう。
コメント
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