百醜千拙草

何とかやっています

百閒に学ぶ?

2017-08-18 | Weblog
一応、論文を投稿し、一息と思いましたが、3日で帰ってきました。やっぱり小細工は通用しませんでした。相談の結果、Editorが勧める系列雑誌へ原稿transferをする前に、別の雑誌へ出し直そうということになりました。

論文のことは早く一段落つけて、実験とグラントに集中したいですが、なかなか思うようにはいきません。前回は構想五年、実験三年、論文を書くのに三ヶ月の力作が、投稿後一晩で返ってきました。その後、結局今の雑誌にようやく引っかかるまで2ヶ月以上かかりました。この論文、どうリバイスするかを筆頭著者の人と話あいました。editor/reviwerと著者という圧倒的な力関係の不均等があるので、こちらにはほとんど選択の余地はありません。言われたことにできるだけ要求に沿うような形になるように、最大の努力をするだけのことです。それにしてもこの雑誌のeditorはどうしていつもこうも高圧的な言い方をするのでしょうかね。

迂闊だったのは、論文を書くときにレビューアのことを十分に考えていなかったことで、二人目のレビューアはコメントの内容から誰かはだいたい見当がついたのですが、彼の最近の重要な論文を引用ていなかったことに、ここで気がつきました。彼の論文の内容は直接こちらの論文の議論に関与していなかったからです。しかし、この論文が彼のところにレビューに回ることは十分、予見できたことでしたので、これを最初の投稿時にキッチリ引用して押さえておれば、おそらくリバイスの厄介な実験は要求されずに済んだのではないかと後悔しました。しかも、その彼の論文は私もレビューアを勤めたものだったので、あらためて自分のマヌケさに呆れてしまった次第です。最近、物忘れがひどくなってきて頭が悪くなってきたのを感じます。

結局、リバイス用の実験もちょっと厄介な交配実験がからみ、やや高額な試薬も買わないといけなくなりました。加えて非常識なレベルの高額の出版費用。追加実験と出版で70-80万円はかかりそうです。論文を書いたときにもうちょっと注意深くレビューアのことを考えておけば、ン十万円の実験費用と数ヶ月の実験労力は節約できただろうと思うとちょっと悲しいです。

とにかく、私、研究費に関しては余裕があった時期が思い浮かびません。ただでさえ赤字ギリギリの状態でやっていて、提出中と提出予定のグラントの獲らぬ狸の皮を当てにしているような状態です。ダメなら来年度分から借金をして、ツケを将来に回して、最終的に踏み倒して夜逃げするというプランだな、と思っていますが、夜逃げの後はもう日の目を見ることはないでしょうしね。

借金の天才として有名な内田百閒が言ったとされる言葉を思い出しました。「研究費」と言い換えれば、そのまま私の現状です。

「金とは、常に受け取る前か、または使かった後からの観念である」
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