百醜千拙草

何とかやっています

8:2の法則

2020-08-14 | Weblog
パリの空の下、セーヌのほとりの料理学校へと若者は夢を求めて去っていき、そして、別の人が今週から来てくれました。今回は、もう一人の技術員の人が最初のトレーニングと指導をしてくれるので、助かります。

私は、指導するとか、トレーニングするとか、教える、とかいうことが好きでないです。多分「学びたい人は教えなくても自ら学ぶし、学ばない人は何を教えても学ばない」経験からだと思います。指導によって学びのスウィッチが入る人もいますが、稀です。また、私の場合、教育やトレーニングは研究成果を出すための手段にすぎないというのもあると思います。

振り返れば、非常に幸運だったと思うのですが、随分前、最初に雇った技術員の人が大変優秀で、一を言えば十を知り、何も言わなくても必要だと思ったことは察して、先回りしてやってくれる人でした。一人増えただけで、戦力が三倍になったような感じで感動しました。その人が去ってから、複数の技術員や研究員の人が来てくれましたが、わかったことは、その最初の人が稀有な例外であったということでした。だいたい、一人増えれば、戦力は1.5倍程度になるのが平均で、ひどい場合は、一を5回ぐらい言っても0.2ぐらいしか理解してくれない人もいて、トレーニングばかりに時間をとられて、人数は増えたのに、戦力はマイナスになることさえもありました。

加えて、どうも人間というのは「ラクをして生きたい」という本能をもっているようです。通常状態では、8割の人は、同じ時間を使うのなら、何かを成し遂げようと努力するのではなく、必要最小限のことだけやってラクをして過ごそうとする傾向があるようです。何らかの目的があって集まっている職場であっても同じです。多くの人は言うだけでは行動しないもので、言って、説明して、やって見せて、やらせてみせてを、数回繰り返す必要がありますし、ようやく憶えてくれたと思っても、何も言わないと、できるだけ何もせずにすませようとするものだ、ということを実感しました。結果によって評価される世界なのに、結果を出すための努力を惜しむというのは、不思議なことだと思うのですが、長期的な大きな利益よりも短期的な小さな利益を優先するのも人間の本能なのでしょう。

8対2の法則というのがありますね。つまり、世の中は、2割の人が8割の仕事をしている、というかいうやつですけど、研究室でも当てはまると思います。客観的、長期的に見て、いわゆる「できる」人は2割かそれ未満ぐらいでしょう。それで、過去を振り返って、その2割に満たない優秀な人はどんなバックグランドだったかを考えてみると、非常に強い相関が明らかだったのが、卒業した学校のレベルと成績でした。

ま、あたりまえなのですけど、よい大学でよい成績を修めるためには、それなりの頭脳に加えて、努力を継続できる自己修練ができ、自分を客観視する能力をもち、大きな視点から各仕事の意味を把握し、効率的に作業をこなすことが要求されます。そうした能力をもつ人が研究現場でも優秀なのは当然です。また、こうした人は、その他の多くの人が目先のインセンティブで動くのに対し、状況を異なった視点から見て複数の意味付けができます。普通の人は、「一生懸命やっても給料に反映されないなら一生懸命やるだけ損だから、最小限のことをやって、あとはスマートフォンでも眺めていよう」という条件反射的な行動をとりますが、「できる人」は、仕事を多角的見て、それぞれの観点から意義を見つけ出し、何らかのプラスの成果を得る努力をします。そういう人は当然、仕事の質も量もスピードもよくなるし、本人の知識と技術も向上するし、自然と上司や周囲の人々に評価されるようになって、より大きな飛躍のチャンスを与えられるでしょう。そういう人が、よい学校に行ってよい成績を収めているのは当たり前だと思います。また逆の場合もたいがいは当てはまるようです。

私の立場からいうと、そんな優秀な人は、やはり一流の研究室に行ってしまうし、仮に来てくれても、すぐにステップアップで上のポジションに移っていってしまうので、結局、そこそこの私のところにはそこそこの人しかこないということになります。これが研究室格差のメカニズムなのでしょう。

今のところ、新しい人は優秀そうで、今のところ学びへの意欲を感じるので期待しています。
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