百醜千拙草

何とかやっています

踏み外した一歩

2021-08-24 | Weblog
最近、ちょっとした偶然が重なり、細胞内代謝について少しごそごそやっております。この数週間、近年第一線に復活した糖尿病薬であるメトフォルミンは私の対象にしている細胞では、先天異常疾患の原因となるとあるシグナル系を抑制するらしいということがわかって、追求しようかと考えていたところでした。主なメトフォルミンの作用機序はミトコンドリアの呼吸鎖を抑制することにより、細胞内のAMP濃度を上げてAMPKを活性化することによると考えられています。しかし私の細胞でのシグナル抑制効果はAMPKに依存しないようです。私の細胞の場合、問題はAMPKの活性化がいろいろとのぞましくない作用を起こすことで、その一つがmTORの抑制です。AMPK活性化は複数のメカニズムでmTORを抑制し、私の細胞ではせっかくのメトフォルミンの目的シグナルへの抑制効果を相殺してしまうようです。

mTORは多分、細胞生物学分野ではもっとも有名な分子の一つと思いますが、それをここまで有名な分子に育てたのは、DS氏の研究の成果であるのは間違いありません。mTORといえばDS氏、DS氏といえばmTORです。実際、彼自身、自分のことをmTOR manと呼んでいたぐらいです。DS氏の話を20年近く前に一度、聞いたことがあります。彼が一流大学のMD/PhDコースを終え、学生時代に大きな成果をあげたあと、世界トップの研究所で研究を続け、そのままそこでファカルティーになったころのことです。アメリカのこうした一流大学は、ふつうジュニアの教員は外部の応募者から選ぶのを好むので、内部昇格というのは異例で、それだけ彼が才能に恵まれていたということを示しています。事実その後も異例のスピードで教授となりました。彼の話はスライドに細胞を示す一つの円の図から始まり、その円のサイズが大きくなるメカニズムについてmTORが果たす役割を述べたものでした。当時の私のmTORの理解は乏しく、細胞が大きくなるメカニズムという話は面白いテーマだな、と思った程度でしたが、若くしてすでにDS氏が放つ強烈なカリスマの光に歴然とした彼我の差を感じたのを覚えています。有名な科学者の父を持つサラブレッドで、超一流の大学で若くして優れた研究成果を出し、そのままファカルティーとなったエリート、かつハンサムでスマート。比べる方が間違っているといわれればその通りですけど。

その後、私は特にmTORとはほぼ関わりなく過ごしてきましたが、彼の研究室がリードして、巨大な研究分野に育っていったmTOR研究の話題は嫌でも耳に入るし、一流紙にはしばしば彼の名前の論文を目にしますので、私にとってはテレビで見る芸能人なみの感覚でした。

そこに、週末の衝撃的ニュース。HHMI fires prominent biologist for sexual harassment

詳細はわかりませんけど、スーパースターであっても、過ちも犯す一人の人間であったということでしょうか。

この30人のノーベル賞受賞者が所属する世界トップの工科大学では、以前にも大物日本人研究者のST氏が教官職に応募してきた女性研究者に不適切なメールを送って辞退させようとしたことがスキャンダルになって、付属の研究所所長を辞職した事件がありました。また、かつて黒人教官のテニュア拒否をめぐってのこの大学での騒動もニュースになりました。

このアメリカ東部のエリート大学にはびこる性差別、人種差別意識は根強いものがあると思います。それは共有無意識の深くに潜んでいるので、表立って発露されることはありませんが、確実に存在するものです。今回の事件の詳細は知りませんが、少し前にもこの界隈のもう一つの有名大学のイタリア人教授、PP先生がセクハラで辞職し引退に追い込まれるという事件がありましたので、ひょっとしたら超エリート大学の男性教授には共通したメンタリティーがあるのかも知れません。

今回のDS氏の場合の衝撃はかなり大きいと思います。研究室は閉鎖のようで、気の毒なのは研究室の三十九人の研究員や学生です。これだけの数の優秀な若者の未来が、防げたかもしれないこの事件によって狂わされることになったわけですから。踏み外した一歩から転落はおこり、それが複数の人々を直撃しました。また、自業自得とはいえ、この過ちによって成功の高みから転落し、すべてを失った上にStigmaを背負うことになった本人は残りの人生をどう生きていくのだろうと思うとなんとも言えぬ気持ちになります。

さて、この事件に対してDS氏に多大なサポートをしていたHHMIと所属研究所の対応は迅速でした。日本であればスター研究者を守るために事件は隠蔽され、証拠は揉み消され、被害者は根回しされ、事件は秘密裏に処理されていたでしょう。アメリカではそれは許されないことです。なぜならそれは国家の根幹となっている価値基準を揺るがすことになるからだと私は思います。このように原理原則を尊ぶアメリカの姿勢は科学の精神そのものであり、それは絶対の神を信じるキリスト教国家であるという歴史的背景から来ていると私は考えております。一方で、絶対神への信仰がなく、現実の相対的関係において善悪を判断する日本や中国の実利主義の精神は「黒い猫でも白い猫でもネズミをとってくるのが良い猫」という中国の昔の諺によく現れています。しかし、科学や西洋社会ではそれは許されません。ネズミを何匹とってくるかによって猫の価値が判断されるのではなく、まず猫として正しく在る、という原理が優先されなければならず、過程に瑕疵があれば、仮に結果がよくてもそれは認められません。法(法治国家における神)を第一にに尊重し遵守する努力は、法治国家のインテグリティを守るのに不可欠です。ゆえにアメリカは「法の下に正しいこと」に厳密であろうとしているのだと思います。

そうした法治国家の原理原則を軽んじてきた日本では、政治がここまで腐敗し、社会が崩壊し、いじめがはびこるのは然るべくして起こったことだと私は思いますし、それこそが、いつまでたっても日本が民主主義国家として成熟しない理由でしょう。

最後に、中国の名誉のために付け加えますが、中国には「泣いて馬謖を斬る」という故事もあるのを思い出しました。
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